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終焉の鐘が鳴る頃に  作者: iv
一章
193/268

捨て去りし過去は



 言葉が力を阻害する。

 アルラの放つ言葉の前に、神人の術式は粉々に霧散した。

 すかさず放たれたドローンの機関銃が掲げられた掌を貫通し、速度と威力を大幅に増した状態で神人を狙い撃つ。

 脇腹に風穴を開けられながらも、神人は眉一つ動かさなかった。久しく見ぬ好敵手の苦しげな表情を眺め、手の中のサイコロを弄ぶ。


「人間、()()()()()()()

「そりゃテメエだろ、げほっ」


 咳と共に吐き出された赤も枯れかけている気がした。

 全身を蝕む疲労と痛みが告げていた。

 今ちょっとでも体を休ませようとすれば戻れなくなる。持久走でくたくたに疲れた後、自室で少し仮眠を取ろうと思って気が付いたら次の日の朝みたいに、アルラの意識とは別に体の方がこれ以上の労働を諦めてしまいかねない。

 そんな確信に追い打ちをかける轟音と振動が二人の足元から突如響き出す。

 ゴゴゴゴゴゴゴッッ!?と。既にがくがくと震えていたアルラの脚を凄まじく揺さぶる強い振動、驚きながらもへたり込みそうになる体を全力で起立させ、とても振動の原因の方に意識を割く余裕もない。

 振動が収まり、しばらくして環境に明確な変化が現れる。

 ようやく事態を把握したアルラが思わず挙げた驚愕の声に返ってきた説明も、ますますアルラを焦らせるだけだった。


「屋上の中心に...穴!?」

「正しくは砲口、だ。『NOAH(ノア)』の培養が必要数に近づくと自動的にこうなる仕組みだ、いよいよ時間が迫っているがまだ抗うかね?」


 前震かと錯覚させられた振動によって生じた穴の内部にはライフリングも施されているようで、鋼鉄質な冷たい螺旋が渦巻いている。

 弾丸の回転によるジャイロ効果で飛距離や安定性を高める目的で行われる加工法だが、このビルの場合はより高く高くへと飛距離を伸ばすことだけに集中して行きついた加工なのだろう。言うまでも無く上空を吹き付ける強風に乗せて『NOAH』を運ぶために。

 やがて、時間が来る。

 培養を完了した『NOAH』を詰めた無自覚の悪意は、いずれこの深い穴の奥底から二人の立つ屋上を潜り抜け、はるか上空で炸裂してしまう。

 解放されたが最後、それは気流に乗ってトウオウ全土を混乱へ引きずり落とす。調整された生存可能環境も、肉眼では捉えることのできないサイズも、何もかもがたったそれ一つの終着点だけを想定したデザインだった。

 もたもたしている時間は最初からなかった。

 ある程度のパーツを覆う限りなく薄い極彩色。それを両腕に集中させて、更には唯一一台だけ残ったドローンも待機させた状態で。


「ッ!...当然!!」


 と、勢いよく啖呵を切った矢先にだ。

 神人の手によって弾かれた弾丸じみた威力のサイコロ、自身に向かってくるそれらを弾き返そうとした右腕の輝きが前触れなく消え去った。

 ビビシッ!!?という音と共に血しぶきが飛び散る。軽くめり込んだサイコロと腕の隙間から赤が滲みだす。踏ん張りが効かず、勢いよく背後へ吹き飛ばされる。

 予想外の展開で反応が遅れたのだ。当然、弾かれて確定した『出目』より先に口は動かなかった。出目を視認することも出来なかったのだ。

 丁度吹っ飛ばされた方向から放たれたブレスを諸に受け、宙へ浮かされたアルラの体は落下と同時にべちゃりという粘質な音を周囲へと撒き散らした。


「もはや異能も維持できんか。いよいよ見えてきたな」


 奴が言いたいのは戦いの終わりか、或いはアルラの終わりのことか。

 ......今となってはどっちでもいいことだ。

 頭上を唯一生き残った軍用ドローンが旋回していた。

 もっとも、これ以上アルラの体を()した銃撃は使えないだろう。『神花之心アルストロメリア』が維持できず戦闘中の回復が見込めない以上、これから先負傷は何が何でも抑えるべきというのが第一の理由。第二に、さっきの攻撃だって本来は脇腹ではなく奴の主要臓器を狙っていた、狙いが外れたのは単にウィアのミスというわけではなく、奴が急加速弾に対応し始めたと考えた方がいい。これ以上同じ戦法を繰り返したところで、恐らくアルラだけが一方的にダメージを蓄積するだけだ。


「所詮、()止まりだったのだ」


 アルラに向けたメッセージ......()()()()()()

 その自嘲気味に投げかけられた言葉に込められた意味は、()()()()()()()では新参者のアルラ・ラーファじゃわかりかねる。

 不思議と自分に対する侮辱じゃないことだけは伝わった。

 終わりが近づいているからこそ、孤独な神人は久しく表れなかった好敵手に胸の内の全てを伝えたいと思ったのだろう。


「どれだけ手を伸ばしても...この体に流れる血の全てを捧げても目指した姿は程遠かった。我が夢見た『神人』は現実の何処にも存在しない。何かを成し得るために犠牲を必要とする...そんな中途半端な神に成り下がった我は、結局『人』でしかない」


 ......実際、ゲラルマギナは開発中の『NOAH』の調整と称して一般人を巻き込み、消費するのを許さない人物だった。独断でそれを行っていた部下を咎め、生み出してしまった犠牲に心を痛め、ことの全てが終わった後に教会へと足を運ぼうと考える心を持っている人物で、まぎれもなく彼は『善人』として世の人の大半に好かれる性質を持っていた。

 気ままに戦場へと赴き、今にも息絶えそうな重症の兵士を担いで戦火の中を横断し、無償で治療は施しつつも二度と戦場へ行く必要が無いよう、敢えて短期間だけ残る軽度の障害を残すと言った一手間を躊躇しない人物だった彼の背後には、いつの間にか多くの人々が追従するようになっていた。

 アルラ・ラーファは神人ゲラルマギナを知らない。

 彼の過去を。計画の動機を。神人へと至る道を。過去の失敗の数々を。求めた世界を。

 だから同士を求めていた。初めての邂逅で、アルラを自分の後続へと誘ったのにはそういう背景があり、恐らくその事実は今後も永遠に彼の口から語られることは無いのだろう。

 出会った時代が違ったら二人の関係もただ単に『敵対者』の一言では語れないそれになっていた。全身を血濡れた赤に染め上げて、なお瞳の奥底の意思を滾らせるアルラを想いながら、ゲラルマギナはそんな風に考えた。


「てめえ、は...世界を変えるために...人々のために自分を変えたんだろ!だったら―――」

「我一人が変わったところで世界は何も変わらなかった、何もできなかった。救済に慣れた人々は自ら変革することを忘れ与えられる幸福に甘んじた、一度保護された盲目の犬がもう二度と他人の世話無しに生きられぬようにだ。わかるか青年、一の悲劇を退けたところで次に待つのは百の厄災だ。()()()()()()()()()()()()()()()()()、流れは螺旋を描いて繰り返される!何度でもだ!!」


 ドパンッ!!と不意に機関銃が火を噴くも、『神花之心アルストロメリア』を経由しない弾丸はまるでミットでボールをキャッチするかのように片手で簡単に受け止められた。

 仕返しとばかりに打ち出されたサイコロは分厚いドローンのボディーを貫き内部のモーターと伝達経を破断させると、次に確定した『亥』の目によって木端微塵に爆散させてしまう。

 しまった!とばかりにアルラがウィアの名を叫ぶが、もうくすねた軍用ドローンは一台も残って無いのだ。返事は手元の黒っぽい端末のバイブレーションでしか返ってこなかった。

 手札が一枚、また一枚と失われて遂にはその身一つで放り出される。

 そして、心からの叫びが風の音を遮った。


「だったらもうこうするしかないだろう、我が、一人で、甘ったれた不幸な世界を変える他ないだろうよ!」


 一方で、荒い呼吸が続くアルラも思い当たる節があるらしく、眉間にしわを寄せていた。

 悲劇は知っている。痛いほど、記憶から断片を掘り返すだけでもはらわたが焼ききれてしまいそうになる程の悲劇を。

 故郷を焼かれた。

 幼馴染も殺された。

 最愛の両親も目の前で失った。

 悲劇はやがて一人の中である反応を生み出した。そうして生じたのが今ここに立つ『アルラ・ラーファ』だ。悲劇を燃料に魔王への復讐を魂へと刻み悲劇を根幹としてアルラ・ラーファは立っている。

 故に、言いたいことがあった。


「......不幸な世界、だって?笑わせんなよ、結局それこそ博打の神様とやらの主観で定めただけの厄災だろ」

「.........なんだと?」


 失望に近い不快を含む、思わず出てしまった、口から飛び出してしまった返答だった。

 或いは、何らかの琴線に触れた。

 構わず逆鱗へと手を伸ばす。


「要は自分勝手に人類救済を謳って、勝手に人類に失望して、世界をいいように自己解釈してるだけだ。自分で始めたくせ中途半端に投げ出したのはてめえ自身だろうが。助けた奴らが幸福に甘んじたんじゃない、それ以外の道を取り上げられたんだよ...他でもない救世主てめえにな!!」

「助けたことは間違いだったと?失われそうな命を、食い止められる争いを、目の前の悲劇をただ指を咥えて眺めればよかったとでも!?」

()()()()()()()()()()()()()()!!てめえが横から取り上げていいもんじゃない!!」


 ゲラルマギナの行いは間違いだったのかと百人に質問すれば、きっと百人が口をそろえて『そんなことは断じてない』と言い切るだろう。

 彼はどうしようもない善人だった。

 涙を嫌い、笑顔を求め、そのためなら自分の肉でも喜んで切り落として捧げる事が出来る神人だ。

 ただ一つ欠点があるとすれば、『人の気持ちが分からない』。それだけの、本当の本当に単純で、些細で、そしてとてつもなく大きなピースが欠けていたのだ。

 病室を抜け出したあの時、どうやってゲラルマギナを攻略するかを考えようとして、アルラは真っ先にこの答えに辿り着いた。

 悪気の無い悪意。砂場の泥団子を父親に勧める子供の様な無邪気さで、しかし奴自身はそれに気付かず今日まで生きてきた。

 だから、()()

 間違ってはいたが奴は褒められた()だった。出会う時代さえ違ったなら、肩を組んで酒場で盃を交わすような関係だってあり得た、と。


()()はただ隣に立ってやればよかったんだ。そいつらの前に立って壁になるんじゃない、悲劇を食い止める盾になる必要なんてなかった!そいつらの隣に立って、一緒に歩いて、一緒に泣きながら乗り越える誰かに成れば!!わかっていたはずだゲラルマギナ!!それでもお前は妥協した、ずっと一人だったお前は自信が無くて、それが本当に正しいのかわからなくって、()()()()()()()()()()()に横道で逃げて妥協した!!」

「妥協、だと?世界を欠片も知らぬ小僧が知った風な口を利くな!妥協などするものか、隣を歩くことが最善?悲劇を悲劇として受け入れることが最善だなどというのは悲劇を知らない温室育ちの机上論だ!!」

「かもしれない。ここでどう議論を交わそうがもう過ぎた過去はどうしようもなくて、部外者の俺が言うお前の妥協や甘えはどうあがいたって妄想空想の域は飛び出せない。...でもな」


 最初に肯定があった。

 己の過去を押し殺した肯定が、血の霧でも混じってそうな熱い吐息と共に屋上の大気に希釈する。


「だったら鼠はどうした」


 もう一度、想う。

 繰り返す。

 『悲劇の味は知っている』、と。

 押し黙るしかなかった。

 指摘されて初めて気付いた急所の言及に今更訂正など利くものか。一度黙り込んでしまった時点で整合性チェックは済まされている。

 右肩と脇腹の出血はいつの間にか止まっていた。

 代わりに、体の内側を煮えたぎる液体がのたうち回っているかのような感覚を知覚する。

 灰被りの青年の声だけが透き通るように頭へ入ってきた。


「何も言えないだろ、お前の中の妥協の象徴だから。十二の獣と二つの六面賽を連動させた術式...ガキでもわかる落とし穴だ、ただし十二支の概念を知ってさえいればだけどな」


 それがアルラの示す落とし穴だった。

 小さき害獣の象徴。大昔から人の生活の隣に巣食う、小型のげっ歯類。古来より貯蓄された米や農作物を食い荒らし、民家の屋根裏や軒下に潜んでは害を撒き散らす人類の小さな隣人。

 そして今は何よりも集いに遅れた猫に嘘を吐き、牛の背に乗り真っ先に門を潜り抜けた()()()()()()()()()()


「十二の獣とサイコロを連動させたけりゃ最初から十二面のサイコロを使えばいい。でもテメエはそうしなかった、六面賽を二つ用意して何が起こっても『1』なんて出目が確定しないように仕向けたんだ。何故なら『』の目なんて顕現させても困るから。ほら、わかりやすい妥協だよ」

「まさか...」

「幸運の裏に不運がなけりゃギャンブルなんて最初から成り立たねえだろうよ。貯めに貯めた不運は術者おまえに何をもたらす?試してみるのも悪くない。最初に言っておくと方法なら既に見せてるぞ」

「『魔法を視抜く瞳(オカルトスコープ)』...術式と魔装サイコロの接続を切り捨てようと?」


 魔法を視抜く瞳(オカルトスコープ)は発現に詠唱が必要となる。十二支賽の術式に使われる一対二種のサイコロは同一に見えるが、実はどちらも性質が異なる。つまり、一度の詠唱で二つのサイコロに同時に影響を与えることは出来ない。

 片方のサイコロを無効化することは出来ても、もう片方が生きてる限り『十二支賽』の術式は作用する。出目の七から上が確定しなくなり、代わりに未踏の『ネズミ』が確定する可能性が生じるが、それはアルラが博打の神たるゲラルマギナに純粋な運勢で勝負せざるを得なくなるということだ。

 分かっていて、挑むことをやめようという気は無かった。

 むしろ望むところだと、今一度小さく口の端を頬へと吊り上げる。


「それはつまり、我と運比べで競うと?この博打の神人と」

「『人間』止まりなんだろ、だったら対等だ」

「......これ以上は野暮か」

「ああ」


 そこで、決着はついた。

 互いにもう掛ける言葉は何処にもなく、ただ結末の瞬間の訪れを待つ二つの異なる正義が立ち尽くすのみだった。

 一人は前触れなく個人意思を奪われることを良しとせず、それを厄災と呼んだ。

 一人は全人類の意思を統率することでこそ、この世の悲劇の全てが失われると信じた。

 絶体絶命を絵にかいたような状況で、不意に思い出す。十年間の最初の方で師がふらっと口にしていたおまじない。確か、大昔の偉い魔法使いだか王様が口にしていたとかいうワードの羅列。こんな瞬間だからこそ、アルラは師から授かったそのありがたいおまじないを唱えることにした。


()()()()()()()()()()()


 瞬間、歯車は回りだす。

 カンッッ!!と、運命が親指で弾かれた。

 

鼠ソレ即チ不浄ノ獣(おれはよわかった)。数多ノ悪意ニ晒サレシ弱者(おれはちいさかった)ナリ」


 単語が意味ある羅列へつながっていく。

 否、意味を持つ文字列へと書き変えられる。予め完成していた電子回路に余計な出力や抵抗を増設するような暴挙が、一対二種の黒のサイコロに決して小さくない影響を及ぼし始める。

 二人の丁度中間こそ、空高くへと投げ放たれたサイコロの落下予想地点だった。

 落下まで、二秒も掛からない。

 闘争の結末は二秒以内に決する。二秒後に立っているのは二人のうちどちらか一方となる。

 そして...そして――――――。


サレドソレ無力ニ非ズ(いまはどうだ)象徴ハ知(おれは)小サキ賢者ハ丑ノ背(かみさまにき)乗リテ神域ヘト至ル(ばをたてている)!!ペテン野郎が、救われる痛みを知れェェェェエエエッ!!」


 極彩色が付き上げた。



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