曇り時々鉛玉
ぎゅいん!!というけたたましい音を伴い、鋼鉄が夜風を切り裂いていた。
ものすごい速度で暗闇を駆けるそれは、キマイラが愛用している一人乗りの高性能ホバーボード。操縦者は足を固定した状態で重心移動を行うことで機体を自由自在にコントロール出来るが、今はその小さく平たくしたステルス戦闘機のような形状の上に立つ人物は一人じゃない。しがみつく形で、もう一人の少女が相乗りしている。
「何とかならなかったんですかこの移動方!?私かなり危ないんですが!!」
「公共交通機関なんてちんたら利用してたら着く頃には逃げられちゃうんすよ!第一この機体は一人乗りモデルで2ケツは想定してないっす!これでも結構抑えてるんすよスピード!」
風圧の壁が自然と少女たちの声量を跳ね上げる。
ちょっとでも手の力を緩めてしまえばあっという間に振り落とされてしまいそうなスピードと高さに、ラミルは自身の真下で煌めく建物の光を見て身震いした。
最近高いところと危険に縁があるなと思いつつも、今更降りようとは思わなかった。意地か自棄か、どちらにせよここには来れないアルラの代わりを務めるだけだ。
むしろ暗い顔をしていたのはキマイラの方で、どうやらラミルを連れてきてしまったことで全部終わった後アルラに怒られるの想像しているようだ。言葉の通り、頭を抱えていた。
同時に、暗い顔で考える。
ラミルを連れてきてしまったことはこの際しょうがないとして、果たしてこの二人のカードであの怪物に勝算はあるのか、と。
「ラミルさん、今一度確認しておきたいんすけど」
「?」
「ラミルさんの異能...『世界編集』でしたっけ?どの程度のことが出来て何が出来ないのか。タイタンホエール号の時はあまり互いの説明とかはしませんでしたし、こういうとこ怠ると連携に支障が出ますから」
「実は私自身、この異能を把握しきれてないんです。使うときはいつも反射的に使ってるし、コマンドも私が知ってる物含めて何種類あるのかとか...」
おかしな話だが、彼女は嘘をついていなかった。
実際、ラミルは自分の異能を完璧に把握しきれているわけではない。全力で扱えば魔王にさえ匹敵するとされる異能を持ちながらも彼女が一般人の枠にとどまっているのがその証明だ。
そんな危険な異能だからこそ、無意識化でブレーキを掛けているのかもしれないとキマイラは分析する。
「だったら、今できることを簡単に説明してもらえるだけでもいいんすけど」
「えっと、よく使うのは『一時停止』『コピー』『貼り付け』辺りでしょうか」
「地下駐車場の時の奴っすね。射程範囲は?」
「私を中心に半径3メートル程の球上、『貼り付け』で複製した物体は範囲外に出ても直ぐには消えませんが、ある程度の時間で消滅します」
「なるほど...」
聞けば聞くほど便利な異能だとキマイラは考える。
火力と応用力でいえば、アルラの『神花之心』すら圧倒する。あちらはあらゆる力の強化というシンプルかつ応用が利く、つまり出来ることは一つだがそれゆえに応用が利く力。対して『世界編集』は出来ることが多く、尚且つ一つ一つがシンプルな故に、組み合わせで無限の可能性を秘めている。射程距離の問題があっても物量で押し切れる。
他人の術式を組み合わせ、己がモノとして使うキマイラだからこそわかる凶悪さを秘めている。
(一体どんな罪名を背負えば、そんな異能を生まれ持つんすかね)
もしもこの異能の持ち主が善人でなく、悪意に異能を行使することを躊躇わない人物だったらと思うとゾッとする。
キマイラは僅かに背後のラミルに注目していた視線を、再び前方へと戻した。
その時だった。
僅かに、異変を察する。
眼球の端で、鼻先の微かな香りで、風の中に混じった異音を、キマイラの五感が感じ取る。ばっ!と顔を上げてボードを一時空中で停止させると、周囲をぐるりと見まわしてみる。
雲と、その隙間を縫うようにぽちぽちと淡く輝く星の海。下には何も知らずに夜を過ごす人々の群れと、建物の灯りだけ。一見すると何もないように思えるが、しかし確かに景色がどこかおかしいという確信を得る。
どこかが、さっきまでと違う。
景色に溶け込んだ間違い探しを必死に解読しようとするが、浮かんでくる答案はどれもいまいちピンとこない。
急にボードを停めたのを心配したのか、ラミルが横から覗き込むように顔を合わせてきた。きらきらと輝く白銀髪を見て、ようやくその違いに気付く。
景色が、僅かに明るい。いいや、明るすぎる。夜にしては、星が出ているとしても、下からの光があるとしても...。つまり、景色の中の光が、いつの間にか増えている。
悪寒が背筋を通り抜けて、冷や汗を零した。
ボードのジェットエンジンを再起動させて、だ。
「......ラミルさん...掴まってッ!!」
「!?」
直後に、眼前でいくつもの光が瞬いた。
ガガガガガガガガガガガガガッ!!と、機関銃の発砲音が風を突き抜けて二人に襲い掛かる。 キマイラは咄嗟に空中で態勢を変え、ホバーボードの底面を前方へ押し出すと、ボードを盾代わりに弾丸から身を守ることに成功する。
振り落とされそうになるのを堪えて必死にキマイラにしがみつきながら、視線の先に広がる光景に、思わずラミルは息を吞む。
10...30...いや、100は優に超える、どう考えても星とは思えない赤光の群れが夜空を埋め尽くしていく。
射撃音の合間に、キマイラがぼそりと呟いた。
「あの時と同モデルの...軍用ドローン!格納庫を守るように配置されて...っ!?」
光の正体はブリッツコーポレーション本社で散々追い回してくれた、あのドローンのレンズだ。人間なんて、一秒未満で簡単に肉の塊に変えてしまう機銃、それが、最低でもあの光の倍はある。ホバーボードを盾にしても、それほど長くはもたないだろう。むしろボードが壊れてしまったら二人はこのまま真っ逆さまに落下するしかない。
動くしかなかった。
タイミングを見極めると、キマイラはボードを地面と水平になるように持ち直す。いくつかの弾丸が頬の脇や風になびく髪を掠めていくたびに肝が冷えるが、それらを掻い潜りながら前へ前へと押し進む。回転を加え、時に不規則に動作を加え、さながらジェットコースターのような機動を見せる。
ドローンが銃身を冷却させている一瞬の隙をついて、首からぶら下げたスタンガンを自身の頭へ押し当てた。直後の光景はさながら、地上からは出来の悪いシューティングゲームのようにも見えたかもしれない。
キマイラが片手の人差し指をドローン群に向けた瞬間、指先から瞬いた紫電が次々とドローン群を打ち抜いていく。制御系をショートさせられ、バランスを崩したドローンは落雷に打たれた鳥のように次々と地に落ちる。
落ち逝くドローンの内の一機が放った苦し紛れの弾丸が、ラミルの白銀髪を掠った。
思わず放してしまった手。支えを失った少女の体は投げ出され、残存する無数のドローンの照準が一気に切り替わる。厄介な操縦者は後回しに、無防備な同乗者へと。
しかし、だ。
「『世界編集』、低速再生、そして一時停止」
世界が一変する。
彼女の周りだけ重力が失われたかのように、世界が失速する。そのままなら落下していたであろうラミルの体は振り落とされてしまった地点をふわふわと緩く浮き上がり、ドローンによって放たれた弾丸の雨は彼女の前方3メートルくらいの位置で突如運動を停止した。
集まって、壁となる。
ラミル・オー・メイゲルの眼前にて、弾丸の壁が完成した。
指先で空中に線を描いて、青と白のマリンワンピースの少女は囁いた。
「反転、再生っ!」
ズガガガガガガガガガガガガガッ!!?と。
全ての弾丸が反転し、自らを発射した者を襲い返す歪な金属音が炸裂した。
数十体の軍用ドローンが一瞬でスクラップに変貌するシーンを目の当たりにして、ぐるりと空中を旋回してラミルを回収したキマイラは戦慄を禁じ得なかった。
再びキマイラの腰に張り付き、しかし今度は足の踏ん張りに力を入れたラミルが声を上げる。
「急ぎましょう。いくら落としてもどんどん沸いてきますよ!!」
「ええ!しっかり掴まっててください!!」
ぎゅいん!!というエンジンの音が一層誇張され、二人を襲う風圧が更に増す。絶叫系アトラクションの最前列に立たされたような錯覚を覚える感覚だが、とても楽しめるような状況では無かった。
ドローンの攻撃をラミルが停め、反撃し、空いた隙間を縫うようにキマイラが駆け抜ける。
仕留めそこなった前線のドローンと後続で控えていたドローンの丁度中間の位置。弾丸の板挟みになりつつも、体を捻り、時に旋回し、時に重力を無視した動きで少女らはそれを躱しきる。
紙一重のところを弾丸が掠めていく。
一分が一時間にも感じられる弾幕戦を繰り広げながら、そしてそれが視界に入る。
膨大な土地の内部には巨大なガレージと滑走路。人影は見えず、既に滑走路にはいくつかの飛行機がスタンバイしているように見える。
「見えたっ!あれが...っ」
反射的にキマイラが声を上げた瞬間だった。
弾丸ではない何かが、その目的地から発射された。光線のようなそれが打ち抜いたのはキマイラでもラミルでもなく、ホバーボード。ドローンの機関銃に対し盾代わりに使っても平気だったホバーボードが、たった一発で貫かれる。
正確には後部に備えたジェットエンジンが。
そこからは何もかもが速かった。
ビーッ!ビーッ!と言うサイレンじみたホバーボードの警告音が、速度の壁の向こうに消える。黒煙を上げ、緩やかな放物線を描いて地面へ向かっていくそれを止める手立てはもはや無い。予想墜落地点はトウオウ東ブロック多企業合同格納庫の滑走路。つまり、キマイラたちの目的地だ。
風圧が質量を伴う壁になる。それに押し付けられる形で、二人の身動きが封じられる。
あっという間だった。
ゴォッッッッ!!!!と。
墜落の瞬間に、まるでミサイルでも落ちてきたかのような爆炎があちこちに広がった。停めてあった飛行機の燃料タンクに引火したのか、そこからパズルゲームじみた連鎖的な爆発が広がると、あっという間に格納庫中が火の海と化す。
およそ生存者なんて見当たらない大事故の中心に立つ一人の大男は、何気ない表情で立ち上る炎を眺めていた。
神人ゲラルマギナ。
ぴっちり整えたスーツと短く逆立った黒髪。2メートル近い体躯と内包する筋肉が内側からスーツを圧していて、本人にその気が無くても周囲に威圧感を与えてしまうことに少々悩んでいる神人が軽く片手を上げる。
生物ではない何かのざわつきがあった。
何処に潜んでいたのか、合図に従いぞろぞろと機械の群れが現れたのだ。二丁の機関銃を両脇に備えて軍用ドローン。四本足の尖端に鋭い金属爪を備えた獣のようなフォルムの陸上奇襲型。そして、完全自立稼働で外敵を排除する戦闘車両まで。
全ての赤いレンズが向けられた先で、炎が弾けた。
中から、『世界編集』によって寸でのところで脱出した少女たちが現れる。
軽く舌打ちをして、キマイラは神人に視線を向けた。ラミルはぎゅっと口を結び、初めて目撃する男の出方を伺った。
上げていた片腕を、ゲラルマギナが少女たちへ向ける。
ゾワッッ!!と。機械仕掛けの軍隊が一斉に蠢く。その銃口を、レンズを、爪を、砲塔を、たった二人の幼気な少女へ向ける。
言葉も無く、無機質な争いが始まった。




