無数を帰結する終着点
『ブリッツコーポレーション本社前、ブリッツコーポレーション本社前に到着致しました。お降りの際は荷物等のお忘れ物が無いように―――...』
アナウンスを聞き流し、アルラは開いた扉の外へと一歩足を踏み出した。
既に時刻は午後5時を過ぎている。そしてもうじき冬の寒さも本格的に表れてくるという季節の関係上、陽が落ちるのも早い。周囲から人足は途切れつつあり、道行く人々の大半は仕事終わりのサラリーマンといった様子だった。バスから降りた二人とすれ違うように、何人ものスーツ姿の社会人はバスへ乗り込み始める。
目の前に堂々とそびえたつ建築物に、アルラは思わず息を呑む。
現代風のデザインが成された横に太く縦に長いビル。外から人目見るだけではその高さを数値で表すことも出来ないような、角の位置をずらした状態で、六角ナットいくつも積み上げたような見た目の巨大建造物がそこにあったのだ。
表面には窓と思しき四角形の反射面が点々と並んでいて、景観を気にしているのか、その異質なビルの周囲は緑やタイルで綺麗に整理されている。スペース確保の問題で駐車場は地下に。離れた位置には会社が保有する研究施設がいくつか立ち並ぶ。このビルを中心に、公道を除く半径約2キロメートルがブリッツコーポレーションの敷地だという。
キマイラの説明を聞きながら、アルラは自分が降りてきたバスの方を横目で覗き込む。
ちょうどバスが発車する。乗り込んでいった先ほどのサラリーマンも例の会社の社員に違いない。
アレすらも、『敵』かもしれない。
「そんなに固くなると逆に不自然っすよ」
「慣れてないんだよ。敵地でいきなり自然体になれる方がおかしい」
指摘されて言い返す余裕があるくらいには凝り固まっていないらしかった。
そして自分の動きから不自然さを無くそうと努力しようとしてみるが、逆にどんな動きが自然なのか分からなくなってしまった。
「あー...。さてはアルラさん、演技とか苦手っすね?」
「うるせーよ。こっちは予行練習無しでのぶっつけ本番なんだぞ。いきなりやれって言われたこと完璧やっちゃう機械みたいな人間の方がこの世の中は少ないの」
「おっと、もうそろそろ無駄口もおしまいっすよ。ほらあそこ、カメラがある」
指で指し示したりはせず、キマイラはそう言って目線だけをちらりと向けてアルラにカメラの位置を示す。まるで景色の中に溶け込むように、確かにカメラのレンズが取り付けられていた。どうやらトウオウの最新モデルは結構な範囲の音まで高音質で拾うらしいとのことで、二人の声量が自然に落ちる。
それが設置されていた場所を確認して、眉間へ僅かにしわが寄った。
囁くように、隣にいるキマイラにしか聞こえないような音量でアルラは訝しむ。
「......なんだってあんな所に」
「外灯のポール上部、確かに不自然っすね。外部から取り付けるんじゃなくって内部に埋め込まれてるっす。景観を少しでもスマートにしたいってだけかもしれないっすけど」
にしたって不自然すぎる。
普通、監視カメラというのはそこそこ目立つ箇所に設置しておくことでその効果を最大限発揮してくれるものだ。カメラの存在にわざと気付かせることで、カメラを気にするような輩の侵入を阻害する。分かりやすい障害を設置しておくことで『侵入は不可能』と思わせる。
何もやましいことが無い人物だってそこにカメラがあるというだけで若干の緊張を覚える者はそう少なくないだろう。例えば、入店したコンビニの中でそういった意識を覚える者も一定数存在する。
言わば、そういった人の意識面から侵入を阻害するのが監視カメラの本質のはずだ。
だからこその不自然。
目立つことなく、知られることなく一方的にプライバシーを覗き込むような。
キマイラ風に言うのなら、『裏』の世界の性質を持った......。
「いつまでもカメラ一つに構ってられないっすよ」
慎重になりすぎているアルラ無視し、キマイラはどんどん進んでいく。しかし、方向は六角ナットを積み上げたような本社ビルとは反対方向に。
「正面突破なんてするわけないとは思ってたけど、どこか地下にでも秘密の抜け道があるのか?」
「漫画やアニメの見過ぎっすね。まああの会社ならあってもおかしくは無いっすけど」
しばらく歩いて、気配を極限まで殺しつつ、ぐるりとビルの周囲を大きく円を描いて回りこむように移動した二人は、大事を取って周囲の景色を観察していた。
現在地点から六角ナットみたいなビルまでつながる直接的な道は無い。
六角ナットの半径500メートル以内にはブリッツコーポレーションの所有する建物がいくつもおかれているが、二人が進入中のビル裏側の敷地は社員の休息スペースの役割を持つのか、手入れされた庭園のようになっている。
つまり、見晴らしがよく物陰が少なかった。
身を隠すものが垣根や噴水くらいしかないが、ベンチ会社としての重要度は低いためか警備員の姿が見えないのは不幸中の幸いだ。夜間は殆ど誰も使わないために、灯りが極端に少ないのも二人の侵入を助ける一因となった。
そうして何重にも警戒を重ねたうえで可能な限り光の薄い地点を進み、二人は六角ナットの裏側に辿り着く。時刻があと1時間遅ければ、完全な暗闇に紛れもっと楽に侵入できただろうが、とにかく二人は緊張の糸を誤って切り落とすこともなく辿り着くことが出来たのだ。
そこから更に複数台あるカメラの死角を壁伝いにすり抜けていくと、独特なデザインで横長の看板が真上に設置された扉に行き着いた。看板に描かれたピクトグラムを見る限り、どうやら非常口らしい。丸いドアノブを握っても回そうとしても、鍵がかかっていることがわかっただけだった。
力づくでカギを破壊して進もうとするアルラを制止したキマイラが、ポケットから何かを取り出した。
「それは?」
「UVレジンとブラックライトっす。もちろん出力とか硬化までにかかる時間は調整してあるっすよ」
適当に説明を挟むと、現代っ子少女はチューブ状の容器を絞るようにして中身をドアノブの鍵穴へと注入していく。チューブ容器の先端を突っ込んだまま、今度は空いてる手に持ったブラックライトを照射すると、十数秒もしないうちにレジンが硬化して即席の『鍵』が出来上がった。
鍵穴に突っ込んだチューブごとぐるりと回転させるとガチャリという音と共に鍵が開いた。
「この国じゃ電子的なロックの方が一般的っすから、アナログな方式の防犯はおろそかになりがちなんすよね」
「......結局、俺たちはどこを目指してこの建物に侵入するんだ」
「あれ?言ってなかったっすか?」
「聞いてねえよ」
ドアノブを慎重に捻り、ドアの軋む音にすら神経を張り巡らせたうえで中へ入ると、どうやら廊下のような細い通路の突き当りに出る。
足音や話し声どころか人の気配の欠片もないことをアルラが不気味がっている間に、監視カメラや人目が無いことを確認したキマイラが折りたたんでポケットに突っ込んであったA4コピー用紙を床に広げた。
「マップまで用意してたのかよ」
「流石に研究施設や『もっと奥』なんかの機密情報は間に合わなかったっす。アルラさんが聞きたがってるあたしたちの目標について、とりあえずの算段は付けてあります」
キマイラはA4用紙に雑に手書きされた見取り図の一点を指差すと。
「まず大前提として、あたしたちが神人ゲラルマギナと戦う必要はないんすよ」
「.........あ?」
気付いた時には、アルラの口から自然と疑問符が飛び出した。
少女がしれっと放った言葉の意味を理解するのに数秒かかった。
彼女が何を言っているのかわからなくなり、与えられた言葉の意味をもう一度脳内で精査して結論付けようとするが、結局思考を放棄する。
「なんだって?戦う必要は無い?キマイラ、お前、何言って」
「今あたしたちがいるのはここ、入り口の対極に位置する緊急非常口付近。この廊下をまっすぐ進んだ突き当りを右に行くと第四エレベータールームと、それに隣接する非常用階段に出られるっす。それから―――...」
「待て待て待て!!おいてくなおいてくな勝手に話を進めるな!現在位置より自分の言葉の意味をちゃんと説明しろよまずは!」
「だから、その説明の最中なんすからちゃんと聞いてください!」
自分より遥かに年下の少女に気圧されて、思わず言葉を詰まらせる。
キマイラはそっと小さく息を吐きながら。
「あたしたちが目指すのは上層階。目標は、奴が保管しているであろう機密文書を盗むこと」
「機密文書?」
「そう」
疑問を呈するアルラに視線を投げかけて、少女はにやりと笑う。
「奴が今から行おうとしている悪事について記された、言わば『計画書』」
「けい、かく、しょ...」
アルラが口に出すと、少女の笑顔がいたずらを企む子供みたいに邪悪なモノに切り替わる。
「あるのか...?そんなものが。いや、あったとして、それでどうやって神人の悪事を...」
「アルラさんはちょっとばかし暴力的すぎるっすよ。固執してるって言い換えてもいいっすね、だから思考の幅が狭まるんす」
「......あ」
「気付いたっすか?」
悪魔のような少女の言葉を聞き、やっと本質を捉えた。
「奴の計画。一から百まで丸々ひっくるめて、証拠と一緒に警察なり裁判所なりに提出する。たったそれだけで、この国では圧倒的な立ち位置にいる神人を泥沼の底まで引きずり下ろすことが出来るんすよ」
『戦う』という言葉が差す意味は何も、直接的な暴力を指すわけではないということが、頭の中からすっぽ抜けていた。
ようやく、その実態を目撃したことが無いとはいえ、神人と相対すると知るキマイラが冷静さを保っていられたのかを理解出来た。キマイラは最初からこの道で勝つ算段を固めていたのだ。馬鹿正直に殴り合うことなんて考えず、着実に『勝つ』ための方法を練っていたのだ。
望むモノはゲラルマギナの排除。そこはアルラ・ラーファと同じだった。違いは、排除という言葉をそのままに受け取ったか、『社会的な排除』を目指したか。
暴力的に問題を解決する技量だけでいえば、アルラ・ラーファはキマイラをも上回っているだろう。十年間暗闇の中で肉体と感覚を鍛え上げたアルラの基礎戦闘能力はその辺に転がってるような安い問題くらいたやすく粉砕してのける。
しかしキマイラは、そこまでの暴力性は持ち合わせていなかった。『力』は問題解決の手段の一つで、必ず踏まなければならない道ではないと理解したうえで、別方面から攻めるための道を確立させている。死というワードにも肉体的、社会的と切り分けて、状況に合わせて使い分ける術を知っていた。
『使い分け』
戦闘状況に応じて、好き勝手に脳みそを弄り変えて無限の戦法を構築するという戦い方こそが、キマイラの本質だ。
「この建物の他にも研究施設はたくさんあるんだろ。そっちに保管してあるって可能性は?」
「低いっすね。依頼者が提供した情報によると、ゲラルマギナは随分と長い時間をかけて計画を組み上げてきたらしいっすから。神人と言えで本質は人間、人間は何事も時間をかければかけるほど慎重になる。必ず手元に...最低でも身近ら場所に置いておきたいと思うはずっすよ」
「じゃあその機密がデータとしてデジタルで管理されてる可能性は?この国ではアナログよりデジタルの方が一般的なんだろ?」
「あり得るっすけど可能性としては低いっすね。データとして残すといざって時に処分しずらくなるっすから。消去しても痕跡が端末に残っちゃうんすよ、痕跡から洗われて復元されたら元も子もないっす。書類の形式をとっていれば燃やすなり溶かすなりで処分もやりやすいしそう簡単に復元できない」
「計画書そのものが存在しない可能性については?」
「あり得ないっすね。何十年単位の計画を何の媒体にも記録していないなんて、大長編RPGゲームをセーブ無しノーダメージ縛りでクリアするようなもんっすよ。いざとなれば自分の力で直接あたしを叩くことだって出来たのに、リスクを恐れてわざわざ駒を差し向けるほど慎重な奴っす。性格的にも考えられないっす」
とりあえずの目標が生まれた。
目指すべき地点を見据えたなら、あとはあらゆる道を辿って行くだけでいい。車でも飛行機でも電車でも船でも徒歩でも、目標さえ違わなければ確定で辿り着けるのだから。
いろんな意味で年上の青年に対して、少女はどことなくドヤ顔だった。
「殴り合うだけが『戦い方』じゃないってことっす」
ブックマーク100件突破!!ありがとうございます。




