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終焉の鐘が鳴る頃に  作者: iv
一章
160/268

置いてけぼりのお姫様



 瞳をゆっくり開くと、目の前に広がるのはくすんだ白だった。長年使い古した歯ブラシの先っぽみたいな色だ。ある意味、灰色一色よりも不潔に感じるのは彼に残る都会生活の記憶のせいだろうか。そんな風に考えて、ずきずきと不可解な頭痛を発し続ける脳を気合で黙らせて、アルラ・ラーファは体を起こす。

 都会によくある安アパートの一室程度の広さしかない病室だった。

 ベッドはなんか所々に薄い染みがあり、申し訳程度の内装としてベッド脇のテーブルにはカーナビサイズのテレビ(定価5000リスク)が写真立てみたいに立てかかっている。それでも辛うじてここが『病室』だとわかったのは、部屋の隅っこで埃をかぶっていたピースメーカーと壁に掛かった手洗いうがいを促すポスターのおかげだろう。なんか二本足のカバが口いっぱいに含んだ泡を吐いてる。絵のタッチの問題でどっからどうみてもゲr...吐瀉物にしか見えねえ。


「......あれ、俺...?」


 『何やってたんだっけ?』と口にする一歩手前で、思い出す。

 ラミル・オー・メイゲルやキマイラと離れ、一人合流待ちだったこと。その際ふらりと立ち寄った喫茶店で出くわした、今まで見たこともないような殺気を放つ男のこと。そして、異能のエネルギー源たる『寿命』がほとんど枯渇していたとは言え、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ぶわっ!と、遅れて額に汗が噴き出した。

 まるで細胞の一つ一つがどよめき立つかのように、その記憶が脳裏へ鮮明に映し出される。

 アルラは首に手を当て横に傾けようとして、しかし骨が音を鳴らす前に鈍痛が奔ったことで思わず顔をしかめる。アルラに経験があったのなら、彼はその痛みは車との衝突事故後のむち打ち症のようだと感じたかもしれない。とにかく今まで味わったことのない種類の痛みだった。

 攻撃は見えてなかった。

 見えない大型車両にでも衝突されたかのように、突然体と意識がぶっ飛んだ。

 それ以外に表しようがない。アルラは少しでもあの攻撃の正体が記憶のどこかに潜んでいないかと探そうとして、ベッドの上で無理やり起こした頭に両手を当てる。

 その時だ。

 がちゃりと、簡単にノブがひねられた音がした。入口からだ。誰かが部屋に入ってこようとしている。

 警戒するアルラを他所に、向こうから顔を出したのは。


「あっ、起きてるじゃないっすかアルラさん。無駄に心配して損したっすよ」

「良かった...無事だったんですね!」

「お前ら...?」


 キマイラ。

 それに、続くようにしてラミル・オー・メイゲルが現れた。買い物帰りなのか、ナニがとは言わないがちっさい方の少女は両手で抱えるようにして紙袋を持っていた。中に詰まっているのは見舞い品のリンゴ。彼女は小さな丸テーブルに紙袋を置くと、ベッド横のパイプ椅子へ静かに腰掛ける。

 ナニがとは言わないがおっきい方の少女はというと、窓を開けて空気を入れ替えようとしていた。錆びついた鍵を下ろして窓を僅かに開くが、立地の問題なのか思ったより入ってくる風は弱い。

 はたはたと。

 僅かに揺れ動くカーテンの傍で、キマイラはきょとんとした表情で尋ねた。


「あれ、もしかして記憶障害残ってたりします?あたしのこと、わかるっすか?」

「いや。いや、大丈夫...なはずだ。キマイラ」


 今のところはと付け加えて、正しく数を数えられるか指先で確認したアルラは、鉛よりも重い息を吐く。

 自分の体なのに、自分ではっきり言い切れないのがもどかしい。十分な寿命さえ確保されていれば異能で自分の傷は治せるが、アルラにはその先の知識が無い。傷は塞げても傷から始まる感染症の知識が無いようなもので、自分の体がどれだけ壊れているかすらもわからなかった。

 自分であちこち触れてみて、何処か痛みの発生源が無いかを探すが、どうやら首から下には全くと言っていいほど異常は無いみたいだ。

 アレがもし打撃系から外れた、電動のこぎりより鋭利な刃を使った横殴りの一撃だったらと考えて、しかしそれ以上の思考はやめておく。

 多分それ以上進んでもこの身にいいことは起こらない。


「何が起こった...?」

「こっちが聞きたいですよ!!いなくなったと思ったらキマイラさんは合流出来ないって言いますし!しばらく時間を置くって言われたかと思えばこんなことになってるし!もう!」

「...怒ってんの?」

「怒ってませんっ!!」


 そう言ってはいたものの、そっぽ向いたラミルは絶対怒ってる。

 あの怒りはアルラが二人を置いていった事というより、一人でずけずけ事の中心に歩きすぎて危険にさらされた事に対する怒りだろう。かつて他人が傷付くことを恐れるあまり、己を犠牲にする道を選ぼうとした彼女だ。自分以外の他人が傷付く姿にはそれだけ敏感なのかもしれない。

 全くもう...と繰り返すラミルに返す言葉もないアルラは、仕方なくベッドの反対側のキマイラに視線を投げる。視線のついでに『ここは?』と軽い疑問も投げかけると、簡潔な答えが返ってくる。


「病院。あたしの行きつけっすよ」


 やはり、思っていた通りだ。

 ここは病院で、しかもキマイラの行きつけということは、あまり真面目な施設とは言えないのだろう。

 キマイラは世界の明るくない場所で生計を立てている種類の人間だ。命の危機だって、これまでに数えきれないほど経験してるはず。そんな人間の行きつけとなると、衛生命の大学病院なんかの対極にありそうなこのみすぼらしい雰囲気もうなずける。

 ......というかここ、ちゃんとした医療設備とか機具は揃っているのか?なんか一病室の端っこでピースメーカーが埃をかぶってる姿を見ると、不安どころの騒ぎじゃないのだが???

 ぎぎぎぎぎ、と錆びた歯車を回すように首を回して、思わずジト目で呟いた。


「『行きつけ』って単語を病院に組み込むなんて、人として狂ってると思うの...」

「自覚はあるんでまだまだへーきっす」


 どうやらキマイラは既に割り切っているようだ。アルラに対して、キマイラの覚悟のベクトルは違っていた。暗闇を遠ざけるよりも、敢えて暗闇の中で金貨を探すような生活がいいと、アルラは思わない。

 少しの沈黙があった。

 アルラの伸ばした手がカーナビみたいな小型テレビの上面に触れてカチッと音を立てる。僅かな砂嵐の後、小さな画面の中ではまたもやニュースキャスターがあれこれ今日の事件に触れていた。左上の時刻表記は4時28分。実に3時間以上も意識を失っていたことになる。

 失った時間で何が出来たかを考える時間があった。

 それから、しばらく間をおいて。


「何が、あったんですか」


 踏み込んできたのは、果物ナイフでリンゴの皮を剥くラミルだった。

 若干手つきが慣れて見えるのは、()()()()()でも散々同じように看病してくれたからだ。ずたずたの体を療養するというあの時の目的さえも、いつの間にか消え失せていたことを思い出した。


「出会ってまだ数ヶ月だけど。そんな人生の中のごくごく短い時間を一緒に過ごしただけの関係だけど。でも、『教団』の時も『飛行船』の出来事だって、()()()()()()()()()()()()()()()。私でも...アルラさんが一筋縄じゃ行かないってことくらいわかります!」

「まあ...概ね同じ意見っすよあたしも。ラミルさんと違って見たのは一回だけっすが、強さを知るにはアレだけでも十分っす」

「......」

 

 ありがたかった。

 自分の『強さ』を信頼してもらえたことが。そして同時に、不甲斐なさも感じていた。

 ()()()()()()()()()()

 どこかで、慢心があったのだ。

 『10年も鍛えたんだから、やられるはずはない』...と。『どんな敵だって力ずくでなぎ倒してきたのだから、こんなところで終わるはずがない』と。自分はきっと大丈夫と考えてしまっていた。......人が死ぬときは、本当に一瞬で死ぬということを誰よりも知っていたはずなのに。

 心のどこかにそんな油断があったかと問われて、即答する自信が無い。

 沈黙の破り方さえも忘却していた。

 先に破ったのは、少女の内の片方だ。


「爆炎に背中を焼かれても持ちこたえるアルラさんの意識を、こうも簡単に奪う『敵』がいるってことっすよね」

「......」

「隠さなくてもいいんすよ。あたしは他人や伝承から読み解ける魔法を手動で電子化して、それを直接脳に叩き込むことで力を引き出す『人間』。あたしのその力の全てが脳機能に左右される以上、こと『脳』の取り扱いに関しては、この国一番すら自称出来る」


 恐らくは、アルラが気を失っている間に取ったであろうレントゲン写真だった。医者でも何でもないのだ。見せつけられたところで、アルラにはそれの何処がおかしいのかすらわからなかった。

 とんとんと人差し指で頭蓋を叩くジェスチャーの後に、だ。

 脳のエキスパートは断言する。


「恐らく、決着は一撃だった。違うっすか?」


 それが真実だ。

 だから、アルラも否定しなかった。

 ただ奥歯を食いしばるだけで。


「...どうしてそれを?」

「別に。ただの推測っすよ。頭痛の原因は衝撃波による脳震盪、どうやら攻撃は物理ではなく『魔法』みたいっすね。残留魔力がX線を弾いてしまっているから、レントゲン写真も変にぼやけて痕跡が見つけにくくなってるっす」

「写真に指差しで説明されたって俺は人体博士じゃないんだ。残留魔力云々(うんぬん)はともかく、自分の頭の中身の話なんて分からねえよ」

「まあその話は一旦置いといて、今はそれより気になることがあるっす」


 キマイラはラミルとベッドを挟んだ反対の窓側に立て掛けてあったパイプ椅子に座ると、


()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。攻撃を加えてきたなら、敵は確実にアルラさんを邪魔者と認識していたはず。なのに、あたしが到着した時には既に姿を消していた。これが何よりも引っかかってるんす」

「......そういえば、何で俺の居場所がわかったんだ?俺携帯も何も持ってなかったよな」

「ズボンのポケット」

「ん。んんー...?なんだこれ。ボタンみたいな感触が......?」


 取り出してみると、それはメモリーカードのように薄っぺらい精密機械だった。発信機だろうか、一体いつの間に仕込んだというのだ。

 咎人の男の戦闘中は常に周囲を警戒していたから、そんな隙も無かったと思うが。


「最初の落下の時に。あの時一番怖かったのは全員ばらばらに隔離されて一人ずつ攻撃されることでしたから。ラミルさんにも仕込んであるっすよ」

「えっ」

「このくらいのことは基本っす。そんなことより―――...」

(人のプライバシーに関わるのに『そんなこと』で済まされたくねえなあ...)


 何やら独論を展開しそうになってるキマイラの話は、もはや頭の中に入っても来なかった。

 しかし情報共有は必要だ。これをやるだけで今後の動き方が180度変わってくる。

 ベッド上で俯いたアルラは、敢えて彼女を遮るように。


「現れたのは男だったよ」


 全ての無駄を削り取ったアンサーが、これだ。

 顔も知らない。姿も分からない。扱う『力』も不明瞭。唯一その肉声から知りえた情報を手渡しして、それからようやく二人の表情を捉えた。


「力強い声だった。何が何でも突き進むっていう『思想』を持ってるらしかった。......でも、そのためなら人の自由は踏みにじって、尻に敷いたうえで永遠に管理しても構わないなんて思ってる糞野郎だった」


 戦争を憎んでいたのか、それとも、もっと根本的に『争い』そのものを憎んでいたのか。

 姿を記憶に残せなかった分、声だけが印象的に残っている。男の放つ殺気の色は黒より真っ黒なおぞましさを帯びていたのを覚えてる。

 正義を掲げながらも、人の心を見失うとああなるのかと、彼の話を聞いた瞬間のアルラは思った。

 別にその正義が間違いだとは思わない。誰が何と言おうと『争い』は等しく悪であり、醜いと思う。だが振りかざした正義が貫くのは、悪人だけとは限らないのだ。数年前に埋め込まれた地雷が、次代になってから爆発することだってある。屋根裏部屋で見つかった不発弾なんてもってのほかだろう。そんな風に、押し込められ続けた思想は、いつか必ず爆発する。

 皮肉にも、更なる戦火を呼び起こす。絶対に、だ。

 故に。


「止めなきゃだめだ」

「だから、また一人で突っ走るんですか?」


 思わず肩が震えた。

 棘を指すような言葉を投げかけたのはラミル・オー・メイゲルだった。

 きちんとアルラに向き直って、一度カーナビみたいなテレビの音を切って、だ。未来でも見透かしたかのように、少女は無謀な青年に問いかける。


「一人でやらなきゃいけない縛りなんてどこにもないのに、どうして遠ざけようとするんですか?飛行船の時だってそうだった、隠れてろだとか離れてろとか、そんな風に私をずっと遠ざけようとしてたの、わかってるんですよ」

「......」

「ちゃんと、私のことも頼ってください。何でもかんでも一人でやろうと思わないで。力不足かもしれないけど、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 何が何でも付きまとう、という顔をしていた。

 多分アルラが何を言ったところで止まらない。それは彼女が何を言ってもアルラを止められないのと同じで、アルラには彼女を止めるだけの力も、彼女の意思を阻む権利も持たないから。

 こうなることがわかっていたから、巻き込みたくは無かったのに。

 誰よりも優しい少女が、自分から危険に飛び込もうとする変人を止めたがることは分かっていたのに。

 思わず、表情が曇った。


「......長話になりそうっすね。悪いんですけどラミルさん、外の自販機で缶ジュースを何本か買ってきてもらえるっすか?はいこれお金」


 どことなく不満ではあったが、さりげなく少女の退室を促したキマイラは目論見通りラミルが部屋の外へ出たのを確認すると、椅子に座ったまま足を組みなおした。

 キマイラから、アルラの表情は見えていたのだろうか。アルラの考えたことが理解できたのだろうか。

 だからこそ、なのかもしれない。

 ある意味ではアルラにとって百害をもたらし、またある意味ではアルラに百利を生み出すであろう提案があった。

 少女はその整った顔でもって悪魔のように。あるいは天使のような微笑みを浮かべて、言った。


「なら、あたしたち二人でやりましょうか」



諸事情により次回投稿は12月9日になります

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