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終焉の鐘が鳴る頃に  作者: iv
一章
158/268

賽の目



 悪寒に全身を舐め回されたかのような錯覚が、アルラの脳裏へと鮮明に映し出された。

 寒いわけでもないのに、全身が鳥肌立っている。本能が全力で危険信号を発しているのを、他でもないアルラ自身が信じられなかった。

 恐怖なんてとうの昔に...10年も前に暗い洞窟の闇の奥に捨て去ったはずなのに。腹をすかせた獅子に相対しかのような感覚が、確かに心と脳に侵食していってるのを感じる。

 故郷の仇たる『強欲の魔王軍』に正面から戦い抜き、無数の左手を行使する教祖を下し、炎の巨人にも臆することのなかった、アルラが。

 震える体を必死に抑え込み、背後を振り向こうとして。


「その首を半回転するのは勝手だが、我は薦めぬ」


 男の言葉に阻まれる。

 息を呑み、アルラは振り返ろうとした自分の頭を元の方向へ戻した。()()()()()()()()()()()()()()()()

 冷たい汗の雫が額から流れ落ちた。頬を伝って顎へ行きつき、零れて丸テーブルの上のアルラの手の甲に落ちる。小刻みに震える手から振動が伝わって、コーヒーの水面に波紋が奔った。

 瞬間、思考が加速する。

 『恐れ』で塗り固められていた感情が、脳が、我に帰って回りだした。決壊寸前まで水をためたダムを排水させたかのように。


(こいつっ、こいつは、今までと違う!強い弱いじゃない、もっと根本的なところでっ...!?)

 

 絞り出すように。

 辛うじて出せた声で、アルラは尋ねた。


「何...者、だ」

()答えない。が、この後の君の返答次第では答えようではないか」


 男は何の気なしに返答する。どうやらコーヒーだけでなくサイドメニューのビスケットまでカウンターで一緒に注文していたらしい。アルラからは見えないが、遅れて運ばれてきたバスケット入りの軽食を一つ摘まんで口元へ運び、咀嚼して呑み込んだ後にもう一度熱々のコーヒーカップに口を付ける。傍から見れば、ただの中年が休憩を取っているようにしかみえない光景だった。

 【憎悪】の咎人。あらゆる『力』を強化し、上乗せする異能を操るアルラ・ラーファを背にして。

 まるで、()()()()()()()()()()()かのような振る舞いだった。

 敵とすら見られていない。その現実と実感が、アルラの中の黒い感情を更に増幅させる。震える口をきゅっと結び、奥歯を強く噛み締めることでどうにか平常を装おうとする。


「そう硬くならないでくれ。われは君と争う気などないし、むしろ今日は交渉に来たのだ。腹から大きく息でも吐いてリラックスしてみてはどうだ」


 信じられるはずがない。

 こちらを見て『憎悪』という単語を発したこいつは間違いなく、こちらの『異能』の情報を得て動いているのだから。いいや、それだけならまだいい。真の問題は今こちらが寿命不足で動けないことを知っているかどうかだ。こいつにまだそれを知られていないなら良し、今はまだ知られていなくとも、会話の端からそれを予測させるのはまずい。

 戦って勝ち目は無い。時速300㎞を叩き出すスポーツカーであっても、燃料が無ければ三輪車にすら追いつけないように。ましてやそんな状態のスポーツカーがマッハ3で空を切り裂く戦闘機なんて絶対相手にできるはずがない。


(どうする!?どう動く!?)


 正解を模索しようにも、パニック状態に陥りつつある今のアルラの脳みそでは普通の思考にさえも余計なデータが割り込んでしまう。テストの後半になって解き終えてない問題を前に、現実逃避するようについつい別の教科のことや妄想を挟んでしまうようなものだ。意識的に取り除ける範囲の問題でもない。

 いっそ頭痛にも近くなった悪感情の波が脳を蝕み続けていた。

 このまま互いにだんまりでも埒が明かない。向こうが手を出す気がないのなら、こちらから先に手を差し伸べて強制的に相手の手を出させるしかない。握手を求めておいてこちらは手を引っ込める...なんて侮辱的極まる行為で逆鱗に触れるかもしれないが、賭けに出ないことには始まらないのは確かな事実だ。

 アルラはゆっくりと息を整えて、それから目を瞑り、決心する。

 唇を動かして、何時首元にかかるかも分からない刃に対する恐怖を振り払う。最小限かつ最低限の言葉だけで、最大の論点を探る。


「何が、目的なんだ」

「先ほど述べたばかりではあるのだが、交渉だ」


 あれだけおぞましい殺気をぶつけておいて放つセリフか、とアルラは心の中で悪態をついた。本人には自覚がなかったのかもしれないが、それはそれで別の恐怖が湧き上がってくる。

 ことん、と。

 あっさり答えて、男はまだ中身が残ってるコーヒーカップをテーブルに置いた。それからしばらく顎に手を置き考えて、ようやく。


「弱き民だよ」


 すらりとそう答えた。

 しかしアルラに男の発した言葉の意味は伝わらなかった。

 思考回路が根本から違えばそうなるのも無理はない。男は気にしていないようで、補足説明を後ろに継ぎ足していく。


「飢える民、傷付く民、自ら破滅していく民、己の不幸を嘆き悲しみ苦しみ果てる民。それら全て、皆を平等に救いたい。凹も凸も全てを一点へ集め、改めて平坦にならす。我はそういう『存在』であり、その願いを果たすことのみを理由に今日まで生きてきたのだ」


 民?凹凸?願い?上手く要点が掴めない。

 奴が伝えようとしている想いが。訴えかけてきた内容が、どれもこれも理解出来ない。過程だけすっ飛ばされていきなり結論に入られたような感じだ。何も知らないこちらにそれを理解しろと言われて簡単にできるわけがない。

 しかし、幸いだった点もある。

 それは男が極めて『穏健派』だったことだろう。これがもしも力に飢えたエゴイズムの塊だったり、何もかも暴力で従えさせるような下衆ゲスだったのなら、純粋な戦闘力で恐らく敗北しているアルラは問答無用で従うしかなかった。しかし、奴がアルラの答えに対してどのような反応を示すかにも寄ってくる。故に、最後まで油断は絶対出来ない。

 普段を装い、しかしいつどこから鉛玉が飛んできても反応出来るほどの警戒を保つアルラに対して、男の態度は変わらない。

 男は視線を斜め上に固定すると、僅かにカップを握る手に力を込めて、逆にアルラへ尋ねた。


「青年よ、あのモニターが見えるか?」


 男が口で示した先に見えたモノ。それは街中のあらゆるビル群の壁面に設置された、主にニュースなどを垂れ流しにし続ける液晶モニターだ。画面の中のキャスターは早口で、今晩発生すると予測されている大地震に付いて報道し続けている。


「技術の進歩というのは素晴らしい。地震の発生、位置、規模まで正確に予測し対策する技術など200年前では考えられなかった。人々は皆、いつその身に降りかかるかも分からない天災に怯え震え、いざそれが訪れた時のために覚悟を決めるだけで精一杯であった。......半面、我の言うその進歩は、救った命と同数かそれ以上の命を灰に変えてもいるという否定しがたい事実がもどかしいがね」

「...何が言いたい」

If(もしも)の話だ」


 男はぴんと人差し指を空へ向けて。


「それら人類の英知。つまり技術そのものが発展せず、過去から現在を迎えていたと仮定して、だ。今晩の大地震はどれだけの命を奪うのだろうな」


 ......は?と。

 意図せずして、アルラの口から疑問符が零れる。男からすると彼が正しく理解できるかどうかはどうでもいいらしい。モニターに映る報道飛行艇からの中継映像に視線を預けながら、男は気軽にビスケットを一枚口に含んで呑み込んだ。


「更にわかやすい例を挙げよう。六年前、ヘブンライト王国は軍を率いて『傲慢の魔王』の軍勢と正面から殴り合った。結果はヘブンライト王国の大敗、切り札として用意しておいた40名近い『異界の勇者』も数多の兵と共に何名かがその命を落としたと聞く。これが世に言う『蛮勇戦争』。とある神龍の介入によって全滅こそ免れたが、兵力を大きく削がれたヘブンライトの国力は著しく低下した。これだけじゃない、人類は僅か300年もの間で80を超える戦争を発生させた。赦し難い真実だ」


 こいつは。

 世界のどの部分に触れようとしている?


「79年前に全世界を襲った大飢饉の話はどうだろう。とある二柱の魔王の抗争が発生したことが原因だが、たった5年で大地は焼け海は枯れた。空から降り注ぐ無数の灼熱が大地の有毒物質を巻き上げて土壌を汚染した結果、僅か5年で2億人に届く死者が出たという」


 ぎちぎちぎちぎち!!という、何本も束ねたゴム紐を限界まで引き延ばしてちぎるような音があった。

 男の手の中からだ。まるで、徹底的に許すことが出来ない『何か』を思い出したかのように。

 後ろを見るだけのアルラには見えなかった。その手から、じわりと滲み出た赤い血が。


「わかるかね青年。これらは、全て、回避できた犠牲だ。人と人とがより深く理解し合ったのなら、互いを常に尊重してのなら戦争など生まれなかった。人が己以外にも気を配り生きていたのなら、飢える民など存在すらしなかった。群として世界に散らばる国家が真の意味で団結したのなら、例え天災だとしても乗り越えられた。だが、実際にはどうだ。国と国は互いを理解しようとしない、飢えた民は農具を武器に僅かな食糧を奪い合い、それらを天災が無慈悲に洗い流して傷跡だけが残る。くだらんな」

「......あんたが、やろうとしてるのは」

「一本化」


 あらかじめインプットされた回答しか出来ないロボットみたいな簡潔な答えが返ってきた。

 聞きながらアルラは、己の体の震えが若干収まっていることに気が付いた。


「一本の巨木より別れし無数の枝葉の如く別離した世界。()()()()()()()()()()()()()()()()()


 ピクリと。

 男の言葉の背後で、アルラの肩が揺れた。


「全ての意識が統一されたのなら、意思の相違を発端とするあらゆる争いは生まれない。全ての思想が統一されたのなら、全人類は隣の他人の手を取ることを躊躇わない」


 そして。


「我なら出来る」


 ぎらりと、男の眼光が鋭さを増した。

 今までのどれより、自信に満ち溢れた声だった。

 『絶対にそうする』という意思すら感じる。自分を信じて疑わない声...そして、誰にも邪魔させないという覇気をも内包している。


「全人類を纏め上げて、先導できる。争いの埋没する地雷原をいちいち遠回りする必要もない、地雷原を見下ろして、空から一直線に突き抜けることが出来る。無限に等しく存在する思考、これら全てを一本化したのなら...全人類が共通の思想を持ったのならば、人類は永久に救われるのだ」


 誰も飢えない世界は、誰もが思いやるで回避できる。

 誰も傷つかない世界は、誰もが理解し合うことで回避できる。

 誰もが協力し合う世界は、誰もが共通の場所を目指すことで抗える。

 なんて素晴らしい世界なんだろう。人類は個を失い群となることで、二度と『不幸』にならなくて済むのだから。戦争に出かけた者を待つ家族なんていなくなる。一切れのパンを求めて大人も子供も殺し合う必要がなくなる。

 男は、本気でそう考えている。


「手筈は整えた。しかし、君の『力』があれば更に上を目指すことも出来る」


 ようやく話が繋がった。

 男が言わんとしていることの意味に、アルラの思考がようやく追いついた。ようは、『神花之心アルストロメリア』を利用したいと。アルラの『異能』で、もう一段上のステップまで高跳びしたいと。

 男は、嬉々として言い放った。


「さあ。我にその力を貸してくれ。この世を勧善懲悪で満たそう。踏みにじられる弱者も踏み潰す強者も、君と我の力の元に等しくゼロに還る。君の【憎悪】で全人類の心を一つに収束しようじゃないか」


 その、男の。身勝手極まりない、完全なる『善意』の言葉を受けて。

 白に限りなく近くなった灰の髪を風に揺らして。

 縫い付けられたみたいに口を動かさなかったアルラは。

 この世界の誰よりも、『命』の重みと意味を知る青年は。

 一言。

 この上なく簡潔に――...。


()()()()()()()()?」


 吐き捨てる。

 恐怖はいつの間にか掻き消えた。

 アルラの中で燻っていた恐怖は、後から湧き出たもっとどす黒い...アルラ・ラーファの本質とも呼べる感情の大波に無造作に投げ込まれた。

 もう怖くない。

 奮い立たせろ。

 言いたいことを吐き出してしまえ。


「あんたの言いたいこと、やりたいこと、何となく理解できたよ。そんで本気で人類を『救済したい』ってのも伝わった。でも、あんたは実際に考えたのか?ちゃんと全人類数十億人に聞いて回ったのか?『あなたは今幸せですか』って。全人類を共通の思想に纏め上げる?それってつまり個人の思想を全部全部踏み倒して、その上に自分と同じ思想で塗り固めようってことだろうが。既にキャンパスに描かれた絵画を、自分の絵と全く同じように上から塗りつぶそうってことだろうが。そんな監獄みたいな世界、()()()()()()()()()()()()()()()

「救済の世界以上に...戦乱の時代を選ぶと?」

「世界平和は偉大だ。けど、万人が望むわけじゃない。ましてや、てめぇの正義が絶対正しいとは限らない」


 一方的な善意はエゴに等しい。

 個が失われた世界は争いがない。誰も傷つかない。みんながみんなを思いやる。けど、()()()()。個性が完全に失われた世界だ。それで平和になったって、自由意志を奪われた人類なんて死骸も同然なのに。

 男は沈黙していた。憤るわけでも哀しむわけでもなく、ただ静かにアルラの妄言を聞いている。アルラも、もう臆することなくただ真っ直ぐに言いたいことを言うだけだ。

 戦争が無い世界?なんて理想的な世界だろう。

 飢えの無い世界?なんて理想的な世界だろう。

 天災を恐れぬ世界?なんて幸せな世界だろう。

 だけど。

 自由の無い世界?

 なんだ、それは。


「『俺の力を借りたい』...つまりは強硬手段なんだろ?そんくらいしか特徴のない『異能』だ。力ずくで。無理やり。頼まれてもいないのに、勝手に全人類の進む道を決定しようとしてるんだろ?てめぇは正義を振りかざしてるつもりなんだろうけど、おかしいな」


 悪を断つ?心を一つに纏め上げる?立派な目標だ。しかも思うだけじゃない、実現させるという力と意思を感じさせる、力強い言葉だ。どんな障壁も乗り越え、破壊して、突破するという意思が宿っている。

 だけど、どうしてだろう。

 アルラからしたら、どうしても、どうしても。


()()()()()()()()()()()()()()()


「てめぇがやろうとしていることは。善意で押し潰そうとしているモノは他でもない、てめぇが救済しようとしている民って奴自身だ。結局のところてめぇは、自分がやりたいこと為したいことを他人に押し付けてイイ人ぶってるだけの独裁者と何ら変わらないんだよ」

「.........それが、君の答えなのだな」


 もう和平は無い。

 こうなっては、争うしかない。そう、男が提示してきた『人類』とやらのように。結局のところ、自身もその例にはみ出ず愚かな民だったというわけだ。そう考えて、アルラは僅かにほほ笑んだ。

 いつの間にか立ち上がっていた男は、本気で残念そうに尋ねてきた。

 パンッ!と両手で頬を叩いて、アルラはその次に首を鳴らす。

 ()()()()


「知っていたか?青年」


 からんころん、と。

 そんな音が聞こえていた。鈴の音のようにも聞こえるが、似て非なる音だ。小さな塊を転がした時のような、そんな世界にありふれた音。

 灰を被ったような頭の青年は、もう怯えないと決めた。

 テーブルを蹴り飛ばし、振り向きざまに回し蹴りを叩き込もうと動いたアルラに対して、男は何の気なしに呟いた。


「神だって、さいくらいは投げるのだよ」


 直後の出来事だった。

 ゴグシャァァァアアアッッ!!?と。

 トラックが人を轢き殺す時のような音の後に、アルラの意識は一瞬でブラックアウトした。



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