憎悪の君
キマイラとラミルの二人はひとまず、駐車場の入口から建物の外へと離れていた。
アルラが登って行った階段がいきなり切り落とされて、合流が難しくなったからだ。どくどくと流れ出る血液の流動を感じながら、キマイラは忌々し気に顔をしかめる。
隣で、心配そうにラミルが聞いてきた。
「大丈夫ですかキマイラさん。その、止血とかしないと」
「わかってるっす...。でも、今は追撃が何より怖い。階段もエレベーターも使えない以上アルラさんとの合流は諦めて、安全な場所に身を隠すのが最適解っす...っ」
そう言うと、キマイラは自分の服の端を短くちぎって自分の傷へと巻き付けていく。傷を完全に塞げるわけはないが、何もしないよりは随分マシになったはずだ。しかし痛みそのものが消えるわけではない。
ずきりと。流れる血の暖かさに反して、冷たい痛みが傷を撫でる。
傷だけじゃない、失血量も心配だ。たかだか布切れを巻き付けた程度で、流れる血液は止められない。
ふとモールの入口の方へと視線を向けるも、事件を聞きつけた面白半分の雑踏で溢れかえっていた。入り口を封鎖している警察もそっちへの対応が忙しいらしい、こちらに気付く様子は無い。
「人が集まってますね...」
「あの中にまた別の敵が混じってる可能性があるっす、近付かないほうがいいっすよ」
キマイラが負傷しているこの状態。また別の敵に襲われでもしたらどんなことになるか。
少し想像して僅かに身震いしたラミルが、意識して隠れるようにそちらの人混みから見えない位置に移動する。反して、キマイラは人混みよりも更に上......建造物の壁面などを注意深く、かつ探しているのを悟られないように視線を投げていた。
(今一番怖いのは追撃...それもこちらが見えない位置からの狙撃。脳天ズドンで即GAMEOVERだけは避けれるようにある程度は人混みに紛れた方がいいっすね)
トウオウは大都会。そして、まるで森と木の関係のように、必ず周囲は高いビルや建造物に囲まれている。どこからでも狙撃されるリスクがある上に、鏡面の如く光を反射するガラスの壁たちのせいでスコープの反射を特定することも出来ない。
しかし、条件さえ整えば、それはいるかもしれない狙撃手だって同じことだった。。
キマイラは近くでやたらときょろきょろしていたラミルの手を引いて、道行く人混みの中に紛れ込む。
小川が本流に合流して、その流れの一部として完全に同化するような滑らかさだった。葉を隠すなら森、無数の人の中に完全に混ざり入って目立たなくなれば、既にその辺の『一般人』に成りきれる。頭髪の色や形、服装さえカモフラージュした上で一度撒いてしまえば、まず見つかることはない。
速やかにモールから離れることに成功したキマイラは赤信号が変わるのを待ちつつ、しかし表情には出さず思考する。
(さっき決めた通りアルラさんとの合流は後回し。とにかく今はあたしたちの安全を優先しつつ、状況が整ってからやり返すっす)
やられっぱなしじゃ終わらない。受けた傷の分だけ、敵にも傷で支払ってもらわなくては。
青になった信号を渡り、更にその先の裏路地へ逸れる。首に引っ掛けてあった携帯電話のようなスタンガンを無事な方の手の指で操作し始める。どこかに着信を掛けていたらしく、数コール後にすぐ繋がった。小声で話を始めたキマイラはしばらくして通話を切ると、何かに安心したかのようにほっと息を吐く。
まるで、確定した安心を得たかのように。
「こっちの行動は決まりました。アルラさんと合流するのが難しい以上、こっちはこっちで出来ることをやりつつ安全を確保する方向で行こうと思うっすけど。ラミルさん的に何か意見はあるっすか?」
「私には何が何だかわかりません...。その、強いて言うならアルラさんが...」
「心配っすか?大丈夫っすよあの人なら。そうそう簡単にくたばる『怪物』じゃないっす」
「いえ、そっちじゃなくて」
じっとりと妙な風が二人の路地裏を突き抜け、少女の美しい白銀髪を揺らす。
彼女の不安の表れのような風が背中を撫でてから、ラミルは不安気に。
「アルラさんは連絡手段を持っていませんし、街はとても広いですし...。一度離れてまた合流するのはすごく難しくないですか...?」
「.........ああー」
キマイラはそれを聞くと、再びすらりと長い指先でスタンガンの画面を弾き始める。
ラミルがさりげなく画面を覗き込むと、キマイラの液晶が地図のような画面を表示している。そして画面上には更に、緑色で点滅を繰り返す点があったのだ。
アルラならそれ何か分かったかもしれないが、同じ機械でもアルラに使い方を教えてもらった『ウィア』では無かったので、森育ちのラミルはわからなかったらしい。
キマイラが一見携帯電話にしか見えない、しかし手製の改造が施されたスタンガンの液晶画面を覗きながら、だ。
「合流のことなら心配ないっすよ」
重い荷物を肩に乗せ、アルラは再びモールの1階にまで降りてきていた。
警備員や事件の調査を行う警察の目を潜り抜けて、とある設備に辿り着く。
アルラがやってきたのは買い物に来たモールの客たちが大荷物を一時的に収納しておくためのコインロッカーだった。モールは家具や家電まで取り扱っている店もあるためか、人一人なんてすっぽり入ってしまうサイズのロッカーもある。
男をそこの中へ押し込めると、扉を閉めてロッカーの鍵を取る。『万能切削』とかいうこいつの異能は薄っぺらい扉など容易く突破できてしまうのだろうが、そのための拘束だ。『異能』さえ使わせなければ、中で目覚めたとしても簡単に脱出されることもない。
ようやく重たい荷物から解放されて、アルラはぐん!と伸びをした。
さて、ここからどう動くべきか。
(ラミルとキマイラ......は多分、とっくに移動してるよな。ラミルはともかくキマイラの奴はそういう危機管理能力ありそうだし)
となると今から地下駐車場に戻っても置いてけぼりの独りぼっち。別の敵からの追撃を避けるための行動だろうが、せめて二人の足掛かりくらいは置いてってもらえたかと思い一応(わざわざ一旦モールの外へ出て、地下駐車場への入口から入りなおして)戻ってみた。当然、そんなものはなかった。寿命も残り少なくほぼ戦えない男のことも考えてほしい。
ぐだぐだ言ってても仕方がないので、アルラは次の行動を考える。
大事を取って合流を急ぐか。それとも燃料補給と称して、どこかで『寿命』を調達してくるか。二人の手がかりがかけらもないのでできれば後者が望ましいのだが、そもそもこんな大都会で簡単に寿命を調達できるだろうか...?
「ぐぬぬぬぬ...これが田舎だったら森にでも潜って野獣狩りでもなんでもやって『補給』できたのに」
この大都会では野生動物の群れなんて見つかるわけがない。いたとしてもせいぜいドブネズミとか真っ黒いボディで高速移動する頭文字Gとかだ。
事が収まったら害獣駆除のバイトでも始めようかと考えつつ、徒歩でモールから離れていく。合流を視野に入れ、キマイラたちが今一番危険なモール内に長くとどまっているはずはないと見込んでの行動だったが、外れていたらますます合流が難しくなる。危険な賭けだが、祈るしかない。
どこでもいいから休憩できる場所を探すはずが、アルラは無意識にいい匂いのする方へ足を運んでいた。あれだけ食べた後でもやはり人間は食欲には抗えないということか。もしくは一気に動いたために消費したカロリーを体が求めているのか。
大通りから外れた場所なせいか、人も多くはない。辺りには喫茶店やちょっとした飲食店がちらほらと並んでおり、時間帯の割に客が少ないのは大通りの飲食店に吸われているからだろう。そういった日陰の店には何かと名店が紛れ込んでいるものだが、今のアルラはそんな名店を探すほどの余裕がない。
とりあえず着席出来て軽く喉を潤せるのは都合がいいと考え、一番最初に目についた適当な喫茶店に入店する。どうやらこの店はカウンターで注文を取り、受け取ってから席に着くシステムらしい。男の財布から抜き取った金を数え、しかし貧乏性が発動したアルラは敢えて店で一番安いコーヒーを注文して、三秒で受け取ってから席に着く。前世じゃ眠気覚ましにしか飲んでなかったコーヒーの味なんてどうせわからないし。
敢えてバルコニーを選んだのは完全になんとなくである。手元にオシャレなノートタブレットさえあれば『タブレット片手に優雅な昼時を過ごすエリートサラリーマン』の真似が出来たのに。
なんだか亜鉛の味しかしない缶コーヒーみたいなコーヒーのカップに口を付けながら、
(ラミルたちが何処へ向かった、だな)
第一候補は病院。それも国立の病院みたいな大きいところではなく、人目に付きにくい診療所みたいな規模の場所。キマイラの手首の傷を治療しに向かうとしたら、まずそれしかない。
(となるとますますまずいぞ。病院なんてこの街だけでもいくつあると思ってんだよ)
キマイラの方からこちらを探しに来るのを待ってもいいが、それだと時間がかかりすぎる。キマイラだけでなくアルラやラミルも顔が割れてしまったと考えると、戦えない状態のアルラが長い時間を一人で過ごすのは危険だ。
かといってむやみやたらに動いても見つかるわけがない。『寿命』の確保も当てがないし、街はあまりにも広大すぎる。電車を使えばただでさえ広い範囲が更に拡大してしまう。こんなことになるならキマイラに電話番号でも聞いておけばよかったと後悔の念が襲ってきた。
都合よく糞雑魚な悪の秘密結社でも転がってないものか。安コーヒーにまた口を付け、思わず眉間にしわが寄りかける。追加で軽食でも頼もうかと考えるが、貧乏性がそれを許してくれない。
こうなったらいっそのこと迷子センターにでも保護してもらうかと考えて、自分で首を横に振った。
どこかのネットカフェにでも入って、SNSから情報を呼び掛けてみるかとも考えた。
その時。
「まさかまさか、君のような青年が介入してくるとは思わなんだ」
それは、力強い男の声だった。
子供を優しく褒める父親のような慈愛に満ちた声。長い付き合いの友人と言葉を交わす時のような、他愛無い声に聞こえた。
最初、アルラは男が電話で話でもしているのかと思った。昼休みに友人と飲みの約束でもしようとしている、近所のオフィスにでも務めるサラリーマンかと思っていた。
だが、違った。
その考えは、直後に本能が否定した。
(なんっ、この...殺気!?)
尋常ならざる殺気が、背後からアルラを突き刺している。声は間違いなく自分に向けられたものだ。殺気は自分に向けられたものだ。
子供と遊んでいるときのような気軽さで。しかし異常極まる殺気を含んで。
男は、笑う。
「なかなか面白い趣向であったぞ、【憎悪】の君よ」




