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終焉の鐘が鳴る頃に  作者: iv
一章
155/268

共鳴する怪物



 つい最近見たことのある、しかし人を殺すための威力として申し分のない炎の壁だった。

 しかし、だ。

 だからだろうか、アルラの体は咄嗟でも反応を示すことが出来た。極彩色が纏わりつくように両腕に絡みつき、体の芯に針を通したかのような鈍い激痛が走った。

 極彩色の両腕を、思いっきり地面に叩きつける。

 ハンマーを振り下ろすというより、槍で貫くような...格闘技の抜き手に近いモーションだった。アルラの手首の当たりまでがコンクリートの亀裂の中心に深々と突き刺さる。

 ばぎぎぎぎぎぎっ!?という歪な音の直後に、爆炎が地下駐車場を覆いつくした。

 アルラは畳を引っぺがすようにコンクリートの表面をはぎ取って、自分たちの前に立てて『壁』とすることで爆炎をやり過ごしたのだ。


「くそっ!!初めからこれが狙いだったのか!」


 息を吐く間もなく、次の攻撃が押し寄せる。

 衝撃で軽くひび割れたコンクリートの上を光の線がなぞってアルラ達へ向かってくる。周囲に転がっていた車の残骸を蹴り飛ばすが、光に触れたとたんにさらに細かく分割されてしまった。

 小さく舌打ちしたアルラがキマイラとラミルを掴んで転がるように横へ飛び退くも、僅かに足が光に触れてしまう。

 プシッ!と踵の僅か上の辺りで横向きの線が奔る。切り裂かれたものの、幸い腱に達するほど傷は深くないようだ。血が吹き出はしたがすぐさま『神花之心アルストロメリア』で再生に取り掛かる。

 アルラの負った傷を負う瞬間を見てしまったためか、今度は庇われ続けたラミルが明かりを失った駐車場へ向き直る。

 『世界編集ワールドエディット』は彼女の『異能』。

 正しく扱うことさえできれば『魔王』にすらなりえるという恐るべき可能性を秘めた異能を、弓の弦を引き絞るかのように構えて、だ。


「私も戦います!」

「ダメだ」

「私の『異能』は出来ることが多いです!状況だって覆せるはずです!』

「『世界編集ワールドエディット』には半径3メートルの射程距離がある。目が届かないところから攻撃されてる以上、敵の射程がお前よりずっと広いのは明らかだ!」

「っ...!」


 相手の射程が圧倒的である以上、敵の姿も知らないこちら側から攻めるのはあまりにも無謀だ。ラミルの『世界編集ワールドエディット』は確かに応用力も火力も期待できるが、あくまでもそれは敵の姿がはっきりしている場合に限る。いくらマシンガンをぶっ放せたとしても、狙った位置が明後日の方向では意味がない。敵がラミルの『異能』の脅威に気付いたら、間違いなくラミルがまず最初に狙われてしまうだろう。

 こちらの手の届かないところから一方的に狙われ続けるのことが悲惨な結果しか生まないのは間違いない。


「最初の爆発から逃げた俺たちを敵は追撃してきた。つまり敵は正確に俺たちの位置を掴んでる。こういう時は役割分担だ」


 懐からウィアを取り出したアルラは、駐車場の闇の中から目を離さないままラミルへ渡し、


「監視カメラはさっきの爆発で全部潰れてる、この位置なら角度的に上の大穴からも見えない。奴はどこからか、肉眼で俺たちの位置を確認してるはず」

「敵の攻撃はあたしとアルラさんでどうにかして、ラミルさんには敵を探してもらうってことっすね」


 何も言わず頷き、二人でラミルを背中に庇う形の陣を組む。

 ウィアのカメラを起動させたラミルは、円形の液晶の背面にあるレンズを暗闇の中に向けた。アルラ達の会話を拾っていたのか、自動的に暗視機能が働くも、画面の中にそれらしき人影は全くない。

 ちかりと。画面に一瞬、小さな光が瞬いた。

 導火線を奔る炎のように暗闇を駆け巡るそれは三人の頭上まで到達し、地下駐車場の天井付近に張り巡らされていたパイプを分断する。落下してくる鈍重な金属筒を、自身の頭にスタンガンを押し当てたキマイラが拳からはなった衝撃派のようなもので吹き飛ばすことで身を躱すことに成功する。

 当然、それだけで終わるはずがない。

 更に、あらゆる物質を分断する光の線が三人の足元へと迫ってきていたのだ。

 アルラがキマイラとラミルをまとめて別方向へ蹴り飛ばそうとするも、床に付けていた手首の付け根へと鮮血が奔った。


「くっ!」


 生まれた僅かな隙を逃さないつもりだ。

 二発、三発と光の線が押し寄せ、地割れじみた切断がコンクリートを切り裂いていく。

 何とか全てを躱しきるも、ただただ追い詰められている気がしてならない。心理的余裕まで失ってしまったらもう打つ手はなくなるというのに。


「どこだ...っ」


 焦りだけが先走ってしまう。

 焼けた鉄板に引っ付く焦げ肉の如く不安が身にこびりついて、どこから襲ってくるかもわからない攻撃に身構えることしか出来ない。

 思わず、ぽつりと呟いていてしまう。


「こうなったら、駐車場を丸ごと...っ!!」

「んなことしたら『上』の一般人まで巻き込まれるっすよ!!ジリ貧でもなんでも、今は耐えるしかない!!」


 キマイラが諭すように叫んで、その時だった。

 ドゾンッ!!という音が地下駐車場に響いたのは。

 人間の腕ほどはあるであろうサイズの氷の杭が、地下駐車場を支える支柱の一本に突き刺さったのは。

 ぱきぱきと広がり、根を伸ばすように支柱に己を固定する氷の杭は、よくよく目を凝らして暗闇をのぞいてみればそのたった一本だけに留まらない。ある地点の天井に。ある地点の床に、と。広大な駐車場のところどころに突き刺さり、根を張っていることに気が付いた。

 アルラは視認する。

 冷気を帯びた白い息を零す少女が侍らせた、宙に浮いた数本の『杭』を。


「もう耐える必要はありませんよ」

「ラミ...?」


 呼び終えるより速く、また数本の『杭』が発射された。着弾すると同時に『杭』は着弾地点に根付き、自身をしっかり固定していく。既に十数本もの杭が駐車場のあちこちに突き刺さっていた。

 彼女の『世界編集ワールドエディット』には彼女を中心とした半径3メートルという明確な射程範囲があり、その空間内しか『編集』は出来ない。が、一度コピー&ペーストで複製したモノは範囲の外へ出たとしても、一定時間は消えることなく存在し続けることが出来るという性質を持つ。

 恐らくは『世界編集ワールドエディット』の性質と彼女の生まれ持つ『氷』の属性の合わせ技。最初に属性魔法で生み出した氷を、コピーと貼り付け(ペースト)で複製し続けている。

 だが、彼女の意図が見えない。

 『耐える必要はない』という彼女の言葉の真意が全く読めない。

 敵に当たったのならば杭は確かな攻撃力を示すだろうが、彼女は明らかに『敵』を狙っていなかった。

 むしろ、逆だった。

 敵には当たらないように、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 白銀をなびかせる少女は、いつの間にか片手に握りしめていた、メガネケースのような細長く黒っぽい形状の物体を投げ捨てる。からんと音を立てて転がっていくそれを視認したキマイラは、しばらく考えてその正体を看破する。


「車の、サイドミラー?残骸から取り出したんすか...?」

貼り付け(ペースト)で増やして氷に埋め込んで置きました」


 「それが何になる」と口にしようとして、直後にアルラが息を呑む。

 今度こそ、ラミル・オー・メイゲルは万能端末『ウィア』を取り出して、最初と同じようにそのカメラを暗闇へと向けている。最初と異なる点があるとすれば、それは彼女が使っているのはカメラの機能そのものではなく、それを応用したフラッシュライトであるということくらいか。

 暗闇に、光が奔る。

 増やした鏡を埋め込んだ氷柱がカーブミラーの如く、三人から視認できない『死角』を映し出す。

 三人から最も離れた支柱の影に、人影が映し出される。


()()()()()


 ドボンッ!!と。

 無数の氷柱が、今度は支柱へ直接叩き込まれた音だった。支柱に亀裂が入るとほぼ同時、自身の居場所が完全にバレたことを理解したのだろう。人影がその裏から飛び出した。

 身長高め、やや筋肉質な中年の男性で髪は黒。

 敵のベールが完全に剥ぎ取れる。

 

「どうですか?アルラさん」

「お手柄だ!!」


 男はこちらに向かってくる様子はなく、逆にこちらから距離を取ろうと既にモールへつながる入口へと走り出している。追撃に移りその背中を追うアルラ達との距離は30メートル程度だろうか。

 問題はない。

 走りながら、右腕全体を極彩色で覆う。

 アルラは輝く右腕で走り際に足元の瓦礫を拾い取ると、そのままただただまっすぐに剛肩を振るう。

 その結果、だ。

 新幹線並みの速度で発射された瓦礫片は寸分の狂いもなく、アルラの狙い通り男の背中を打ち飛ばす。背中を狙ったのは今この場で敵に情報を吐かせるため...意識を奪わないようにするためだが、少し衝撃が強すぎたかもしれない。男は衝撃に十数メートル程吹っ飛ばされる。進行方向上のガラスドアを突き破り、更にその奥の部屋の真っ白な壁へと叩きつけられた。

 粉々になったガラスをぱきぱきと踏みしめて、三人は部屋に足を踏み入れる。

 入り口から入って左側にはエレベーターが二基と、その奥には階段が見えた。地下駐車場からモールへ直接入場するための小部屋だが、各フロア毎の店舗などを示す壁掛け案内板は衝撃のせいか真っ二つに裂け、男が直接ぶつかった壁に至っては亀裂どころか数センチ程陥没してしまっていた。

 キマイラの頭へ当てたスタンガンが電流を放つと、カルシウム質の支柱が床から伸び始め、しばらくして真っ白な『檻』が完成した。檻の内部は縦横1メートル程度であり、上面の上にカルシウム質の重りを置かれている。もしも檻を切断して逃げようものなら、上の重りがバランスを崩して落ちてくる仕組みになっているようだ。


「さ・て・と。それじゃ、暗闇から幼気いたいけな少女を襲う変質者さんに話を聞きましょうかぁ~~?」

「......俺はいいの?」


 今までのお返しだと言わんばかりに、邪悪な笑顔でキマイラは笑いかける。

 頭から血を流し、うつ伏せに倒れたまま、男は顔を上げた。客観的に見た年齢は30代後半から40代前半程だ、グレーの背広を着込んではいるが、体格のせいか普通の会社員には見えなかった。周囲に溶け込むためのスキルの一環、もしくはカモフラージュなのかもしれない。

 完全に追い詰められた男はうつ伏せのまま、突然ポケットの中から拳銃を取り出して檻越しにキマイラへ向けるが、引き金を引くより早くキマイラが反応する。

 がづんっ!!と踵で地面を踏みつけ、檻の中へ下から突き上げるように出現した骨の槍が男の手を貫いた。


「ぐおぁっ!?」

「そういう態度取るのは構わないすけど、身の安全は保障しないっすよ?」


 赤黒い血の水たまりは、どくどくと檻の床に広がっていく。

 電撃を放つスタンガンを突きつけ、冷徹極まりない表情のまま、キマイラは檻の外へ転がった拳銃を拾い上げる。軽く見まわして、スタンガンからその拳銃へと獲物を持ち替えた。

 安全装置は最初から外れていた。殺傷能力を象徴する現代兵器だ。撃鉄を引き、スタンガンの代わりに今度はその銃身を男へ突きつける。

 不安、もしくは恐怖、加えて負傷の三要素だ。はあはあと、みるみるうちに男の息が上がっていく。

 機械的と言っていいほど冷たく、言い放つ。


「まずは咎人か、それとも別の技術を使用していたのか。答えてもらうっすよ」

「.........」


 沈黙があった。

 撃鉄を引き、容赦なくキマイラは引き金に指を置く。ガチンッ!!という金属音と弾丸が、男の右肩を打ち抜いた。更に大量の血液が外界へ流れ出す。

 どうしようもなく、男は悶える。


「ぐっ...!!」

「咎人か、それとも別の技術か」

「......咎人、だ」

「異能の詳細は?」

「っ!!」

「もう一度聞くっす、異能の詳細は?」


 しばらくの逡巡しゅんじゅん

 しかし、もう一度彼女が撃鉄に親指を掛けたことで男は簡単に折れてしまった。


「『万能切削ブレードワーク』、直接接触した物体を硬度に関わらず切断できる。...切断の『線』に他の物体を巻き込めば巻き込んだ物体も切断できるっ」


 なるほど、この男は地面伝いに『異能』を伝播させて、こちらを切断に『巻き込んで』いたわけだ。強力な『異能』ではあるが、対複数戦闘に向くタイプではない。隠密しつつこちらの消耗を狙って見えない位置から攻撃を続けていた理由がよくわかる。

 咎人の持つ『異能』にはわかりやすい火力を示すタイプと遠回しでなければ攻撃として転用できないタイプがあるが、こいつの場合は『わかりやすい火力を示すが、その単調さ故に遠回しにならざるを得ない』というどっちつかずのような感じだ。それを本人も理解しているが故の戦闘スタイルなのだろうが。

 うつ伏せから起き上がり、男は檻の中で胡坐を組み始める。

 見るからに顔は青ざめ、血が足りていなかった。すぐにでも治療を施して止血しないと、いずれ失血性ショックで意識を失うだろう。息切れも更に荒くなっていた。

 脅しつけるように見せびらかせていた極彩色を身から剥がし、アルラが僅かに籠った息を吐く。

 とりあえず、一難は去った。

 これから来るかもしれない一難に備えるために、こいつの背後を調べる必要がある。

 今にも倒れそうな男へ、『俺たちを襲った理由は?』とアルラが尋ねようとした、その一歩手前での出来事だ。


「そして、一度触れれば時間差でも発動可能だ」


 そう発して、次に。

 ザグッッ!!と。

 生々しさを覚える、グロテスクな音があった。

 気が付くと、キマイラの持つ拳銃がばらばらに切断されている。グリップも、銃身も、弾倉も、すべて美しく線に沿って切断されていた。...当然、握っていた手は当然男の言う『巻き込み』の被害を受けることになる。掌だけでなく、キマイラの手首から腕に掛けていくつもの赤い線が迸ったのだ。

 それこそがグロテスクな音の正体。

 直接触れた時間が長かったためか、アルラの時より遥かに傷が深い。


「ぐあああああああああああああああああああああああっっ!!?」

「キマイラっ!」


 三人が怯んだ僅かな隙に、だ。

 ずおん!とカルシウム質の檻が粉状にまで砕け、男が解き放たれる。更に床が切断されて、アルラ達のバランスを一瞬だけ崩してしまう。結果、最初からそれに備えていた男のヨーイドンだけが対応することになる。


(細切れっ...!?切断の密度を上げて『重り』ごと粉々にしやがった!)


 咄嗟に足元のガラスを掃うように蹴りつけるが、すぐさま階段に駆け込んだ男に当たることはなかった。

 破片を踏みしめ階段の入口に向かう。右手を抑えてうずくまるキマイラを一瞥いちべつして、小さく舌打ちしたアルラが叫ぶ。


「ラミルはキマイラについててやってくれ!!」

「アルラさんは!?」

「奴を追うッ!!」


 ガンッ!!とアルラは数段飛ばしで一気に階段を蹴り上る。

 モールへ続く階段は数か所の踊り場を経由した螺旋構造になっていて、男は十数段ほど離れた地点を走っていた。腕と肩から垂れ流しの血痕があるので、まず男の痕跡を見失うことはないはずだ。このペースなら例え『神花之心アルストロメリア』の強化なしでも余裕で追いつくことが出来るだろう。

 そう考え、残り少ない寿命を出し渋ったのが仇になる。

 手摺を通じて光が奔り、アルラの掌を僅かに切り裂く。

 僅かに悶え、ダメージに反応した体が反射的に硬直してしまう。なんとかカミソリでなぞられたかのような痛みを乗り越えると、奴の背中はすぐそこまで迫っていた。やはり怪我と出血の効果は大きい、これならもう少し手を伸ばすだけで、奴を捉えることが出来る。


「出し抜けると思ってんのか!」


 走り続け、アルラが吠える。

 あと一歩。既にアルラは一度とびかかってしまえば、そのまま奴を背中から押し倒せるというところまで近づいている。身を低く屈め、足腰を折り曲げれば。そして体のばねを利用して一気にとびかかれば、それで終わる。

 10メートル、8メートル、5メートル。

 もう届く。

 捕まえられる。

 そう考えて。確信を得て、行動に移そうとした瞬間にだった。

 ずざっ!?と。

 折り曲げた足が、ずり落ちた。砂をまぶしたレンガの上みたいに、ずるりと重心が逸れたのだ。

 いいや、足だけじゃない。その足を支える階段全体がずり落ちていたのだ。灰色の粉塵を巻き上げて、()()()()()()()()()()()()()のだ。

 これは、最初の()()()と同じだ。最初の攻撃で地下へ落とされた時。

 だとすると奴はまさか...


(階段を切り崩しやがったっっ!!?)


 ずざざざざざざざざざざざざざざ!!!?という轟音を伴って、だ。

 照明がまた消える。粉塵がまた巻き上がる。

 迂闊うかつだった。

 敵の『できること』を想定しなかった、アルラ自身の判断ミスであった。

 重力に従うまま、再び落下する。灰被りの青年の姿が瓦礫と共に崩れ落ちる。『神花之心アルストロメリア』では、重力に逆らうことは出来ない。どれだけ高く背伸びをしようと、輝く太陽には手が届かないように。


「く、そ、があああああああああああああああああああ!!」


 共に落下している瓦礫を蹴り上げ、それすらもまた別の瓦礫に阻まれる。卵と卵をぶつけたみたいに、瓦礫は粉々になってアルラの視界を奪ってしまう。

 落下というありふれた現象。

 明かりを失い暗がりが訪れた空間で、青年の姿を見失う。

 そうやって『安心』を得るまで、確証を得るために、男は上から見下ろしていた。

 完全に、灰被りの青年の姿は瓦礫と共に闇へと消えた。

 やがて瓦礫が下へ落下しきる音を確認してから。


(......これで何とか巻いたか)


 モールの一階......先ほど自分で床を切り抜いたレストラン街まで階段を上って辿り着き、男は小さく安堵する。荒く乱れた呼吸を整えようとして、大きく吸った息を吐きだそうとするが、深い息の代わりに血の塊が喉から飛び出してきた。

 もう一度、今度こそ深く息を吐く。いくつかの意味が籠る息だった。

 想定に反した結果ではあったが、ひとまず生き延びたこと。想定に偏した結果であったが故に、想定外の負傷を負ってしまったこと。完勝には程遠く、完敗と呼ぶには足りないといった中途半端な結果であった。これがテストならば、100点満点中40点に届くかどうかといった微妙なラインだ。

 撃たれた肩、そして強打した背中に残る痛みを堪え、男は歯を食いしばって歩き出す。

 モールの外へ。街中へ出てしまえば、どこか全く関連性のない建物にでも閉じこもってしまえば、しばらくは見つかることがないはずだ。モールを脱出し、治療を施した後でも『報告』は十分間に合う。

 自分で起こした騒ぎのせいか、一階には全くと言っていいほど人影がない。

 当然か。しかし通報を受けた警察の姿が遠くに見える。この姿なら事件に巻き込まれた一般人を装い、いち早く脱出できるかもしれない。

 そう思い、男は肩を引きずって歩き出す。

 途中でふと視界の端に映った景色で、足を止める


「.........エレベーターの扉が......?」


 開いていた。

 しかし、扉だけである。その内側、人を乗せて移動するためかごに当たる部分が見当たらない。開きっぱなしの扉の向こうは真っ暗なシャフトと、その中央にある太いワイヤーだけがぽつりと佇むように居座っている。

 『異能』であちこち切断したときにでも、重要な基盤を傷付けてしまったのか。故障して勝手に扉が開いてしまったのかと解釈し、また視線を前に戻した、直後。

 ごぎりっ!?という音が、体の内側に反響した。


(あ?)


 あっさりと。

 今までの死闘が、馬鹿らしく感じるくらい。

 一瞬で失われつつある意識の中。

 落下したはずの灰被りの青年が、頭を掴んで無理やり捻じ曲げる姿を見た。首の向きが90度以上折れ曲がり、勝手に抜けていく足の力を戻せず、男はそのまま真横に倒れる。

 何が起こったのか全く分からなかった。

 ただ自分はやられてしまったのだと、その事実だけを最初に理解した。

 やがて。

 暗がりに消える意識の奥底で。

 彼の煤やほこりで真っ黒になった手と足、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を見て、彼は最後の最後で、理解する。


(落下中...内壁を...壊して。空洞のエレベーターシャフトを、登ってきた、のか)


 『敗者』の結末は至ってシンプルに。

 その意識を、彼の大好きな暗闇の中へ落としていった。


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