敵対者
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!?」
床が切り崩されていた。
最初に訪れたのは、電動のこぎりで無理やり金属を引き裂くような凄まじい轟音だった。直後に、落下の感覚がアルラ達の身を包む。気づいたときには床面はすっぱり切り裂かれ、重力に引っ張られるままに『落ち』かける。
突然のことに脳は完全にフリーズした。切り崩され、完全に崩落しつつある床の上アルラは吹き出る汗の冷たさを感じながら絶叫する。
モールの景色がせり上がると同時に、反射的にすぐ近くにいたラミルへと手を伸ばす。彼女の方は目の前で起こった現象の理解が追い付いていないらしかった。切り崩されたのは床だけで、それも三人の周囲...モールの一部分だけで全体ではないらしいことが、景色の中から読み解ける。
アルラ達の足場は既に地盤ごと呑み込まれるように沈みかけていて、『神花之心』で強化した脚力で跳躍しようものなら、一気に崩れてしまうだろう。未だに困惑しているラミルの手を辛うじてつかみ取り、引き寄せる。
「くそっやばい!落ちるッ!!?」
切り崩されていない床へ、咄嗟にラミルを抱えて飛び移ろうとしたまさにその時だ。
エレベーターのワイヤーが千切れたかのように、どうしようもない落下が始まった。切り崩された床面から灰色の粉塵が舞い上がり、三人の視界に散りばめられる。足が床から離れて、三人の体は重力にだけ支配されていく。
ほぼ同程度のサイズに切り分けられた瓦礫が空中で接触し合う。
すっぱり切られた切断面は、コンクリートのざらざらとした感触がそのまま残されており、少しかすっただけでもヤスリのように体を削り取られかねない。
白銀の少女を抱きかかえたまま『下』を覗いたアルラは、広がる空間に既視感を感じた。
アルラ達が落ちてきた『下の領域』は全面がほとんどコンクリート、灰色の景色の中で、白いラインで区切られたエリアの中には車が止めてあったのだ。
ここはモールの最下層だったはずだが、目に映る景色で全てを理解する。
(地下...駐車場か!)
アルラ達より先に落下していった瓦礫が車を押しつぶす。メギャッ!?という音と共に、潰れてひしゃげた車の残骸が散らばっていく。
このまま、剥き出しの金属片とヤスリにも似た瓦礫の海に飛び込めば、人体程度がどうなるかは明白だ。アスファルトへ思いっきり叩きつけた豆腐みたいに、人の形状を保てるとは思えない。
死を呼ぶ灰色の地面が近づく。
大きく舌打ちしたアルラが残り少ない寿命を消費し、異能を行使しようとしたその時だった。
バヅンッ!!と、ゴムが引きちぎれるような、しかしそれは紛れもないスタンガンの音があったのだ。
「ゴーレム×クラーケン」
奇跡的なタイミングで、だ。
瓦礫の山に接触したキマイラの足が、まるで泥沼に飛び込むかのように沈んでいく。ほぼ同時にラミルを抱きかかえたアルラが背中から瓦礫の山に『着水』し、あんなにも鋭く飛び出ていたはずの金属片や剥き出しの瓦礫は粘土みたいにドロドロに形を変える。衝撃は四方八方へと飛び散ったのか、三人とも外傷は見られない。これがもしもキマイラの行動が間に合わなかったのなら、衝撃で全身の骨はぐしゃぐしゃに砕け、鋭く出っ張った車の残骸に肉を切り裂かれていただろう。
ぶわりと、もしもキマイラがいなかったらと考えて、おぞましいイメージが脳裏に浮かぶ。
灰色の地面に沈みつつある体を這い上がらせて、アルラは思わず訪ねる。
「何が起こったんだ...!?」
「床を極限まで『柔らかく』しました。落下の衝撃は散らされたはずっす」
「そっちじゃない!なんで急に俺たちが襲われたのかって話だ!」
アルラの怒鳴り声が、静寂の中に木霊する。
キマイラは周囲を警戒するようにせわしなく視線を動かしている。
辺りを今一度見回してみると、やはり変わったところなど何一つない、ただの地下駐車場だ。白線で示された矢印の一方には外からの出入り口と思しき光が差し込んでいて、反対側にあるカーブの先にはきっとモールへ通じる階段かエレベーターがあるのだろう。落下してきた瓦礫にやられて天井の明かり一部分だけ破壊されて、ガラスやパイプの破片も散らばっている。
片手の中に一昔前の携帯電話に似た形状のスタンガンを握りしめ、キマイラがぽっかり空いた天井を見上げてる。
直線距離で2、30メートルはあるだろうか。ここを登って上まで戻ろうとは誰も思わない。かといって不用意に出入口を目指せば、上でいきなり襲ってきた何者かに待ち伏せされている危険性もある。下手に動くことはできない。何もわからず一方的に攻撃されたという現実が、アルラの焦燥を加速させる。
「おい、キマイラ!」
キマイラはちゃんと聞いているようが、しかしすぐにアルラの質問に答えることはなかった。少しの間、壊れた明かりのために生まれた影の中や暗闇の奥を観察していたキマイラがやがて、ぽつりぽつりと、吐き出すよう言葉を口に出す。
「狙われたのは...たぶんあたしっす」
キマイラは、アルラの目を見て話さなかった。常に周囲を警戒しつつ、手元のスタンガンを指で操作し、新しい『術式』を構築している。きっと彼女は今みたいな場面に慣れつつあるのだろう。アルラも残りわずかな『寿命』を振り絞り、右腕に極彩色を纏う。
そして、反射的に聞き返す。
「...なんだって?」
「アルラさんとラミルさんは偶然あたしの近くに居たから巻き込まれただけ...。敵が狙ったのはあたしで、お二人はあたしの巻き添えを喰らっただけっす。だからあたしから離れさえすれば多分、敵も無視してあたしだけを追ってくる」
「どうしてキマイラさんは狙われているんですか!?敵の目的は!?」
「あたしは、『裏』の仕事を請け負う人間っす」
質問の答えになっていなかった。
ただし、そう切り出さなくては分からない『話』が続いていた。
「あたしは既に次の依頼を受けていた。敵ってのは多分、依頼人があたしに討伐するように指定してきた人物。どこからかあたしのことと依頼のことを調べ上げて、邪魔される前に始末しようと刺客を送り込んできた!」
「だから!敵の名前は!?」
「ダメっすよ!言えません!」
「なんでだ!?」
「敵の名前を知ったら二人まで狙われる!」
指摘されてから、アルラははっと気が付いた。
「あたしが狙われてるのは敵のことを知ってしまったから、あたしが今ここで敵の名前を言ったなら、二人もあたしと同様に狙われる。あたしは無理でも、二人はまだ引き返せるんすよ!」
事の発端がキマイラが言う通りだとするなら、確かに彼女の言う通りだ。キマイラの敵はキマイラが情報を握ってしまったから、握られた情報ごと彼女を消そう行動するというのは道理に適ってる。そして敵の目的が自分たちの情報をつかんでしまった者を排除することだというのがわかったからには、今以上に首を突っ込んだところでアルラ達にはデメリットしかない。
(ああくそ、飛行船の一件で巻き込まれ癖でもついちまったのか!?)
あながち馬鹿にできないのが悲しいところだが、今は嘆いていたって何も始まらない。
現状一番まずいのはこの地下駐車場で、どこから襲ってくるかもわからない敵に怯えて疑心暗鬼になることだろう。深く考えすぎて逆に自分たちの行動の幅を狭めてしまえば敵の思う壺だ。攻撃手段もわかっていない上に、敵の姿すら見えていないのだ。モールの床を切り崩した技でいつの間にかバラバラ...なんてことも普通にあり得る。
キマイラの話はひとまず置いて、現状を打開するのが何よりの優先事項なのは間違いない。
詳しい話はこのピンチを乗り越えた後にゆっくり聞くとして、キマイラを見捨てて二人で逃げるわけにはいかない。どちらにせよ、敵はキマイラと接点を持ったというだけでこちらを狙ってこないとも限らないのだ。自分たちを『キマイラの仲間』とでも早合点されていたら猶更のこと、敵はキマイラどころか自分とラミルを見逃すことはないだろう。何としてでも今襲ってきている『敵』は、このまま見つける必要がある。
手のひらサイズに砕けた瓦礫片を足元から手に取って、いつでも向かい打てるように握りしめる。
投擲は銃火器や弓と比較されて低く見られがちだが、場合によってはその双方をも超える有用性があることは言うまでもないだろう。弓や銃火器は対象を殺害したり深手を負わせることには優れているが、一瞬で生きたまま意識を奪うことに関しては不向きと言わざるを得ない。しかし岩や鉄球のような鈍重なモノの投擲は、扱う者の技量にもよるが、当てる場所や威力次第で対象の意識を一瞬で奪うことが出来る。『神花之心』で威力をかさまししたそれならば、敵がやったように敢えて建物を狙って、一部を崩して足止めをするみたいな芸当も十分可能だ。
アルラがラミルを背中にして、キマイラが二人の死角をカバーするように立ち位置を変えた、直後に。
ぴしりっ!と。
「......聞こえたか?キマイラ」
「ええ、はっきりと。また来るっすよ...っ!」
姿は見えないが、悪意の視線がどこからか突き刺さる。
割り箸を数本まとめてへし折ったかのようなその音の正体は、探るまでもなく表れていた。
「......車が」
がしゃんっ!という金属同士が干渉する音と共に、瓦礫に押しつぶされることのなかった、三人から遠い地点に駐車されていた車が一辺10センチ程度の細切れに分割されていたのだ。原型を忘れるほどに細かく切り分けられたそれからはちょろちょろと流れ出ているのは、液体だったが故に『切断』されなかったガソリンだろうか。
一台だけじゃない。
車の分割が徐々に近づいてくる。次々と付近の車が細切れになっていき、アルラ達の近くで無事だった車にも亀裂が奔った。
がちゃがちゃがちゃがしゃんっ!?と次々に車が切断されて、まだエンジンが生きていたモノもあったのか、機械部品からはばちばちと火花が散っていた。
敵の狙いが全く読めない。
攻撃するのなら、モールの時みたいに不意打ちを仕掛けて一気に切り刻んでしまえばいいのに、だ。敵はわざわざ車を細切れに切断して、攻撃の意図があることをこちらに示している。
考えられる可能性は二つ。
敵の目的がキマイラの『殺害』ではなく、『捕獲』であること。キマイラに依頼を寄越した人物を特定するためにキマイラを生きて捕えようとしていると考えれば、十分に考えられる可能性の一つだ。
もう一つの可能性というのは、
(切断に何かしらの条件がある...のか?)
敵の攻撃が魔法なのか異能なのかはわからないが、何かしらの条件を満たす必要がある場合。例えば生き物に対して効果を及ぼすことが出来ない、特定の環境下でないと発動しないといった『条件』が噛んでいるとすれば、遠回しに攻撃する理由にはなる。不意打ち一発で仕留められるタイミングなのならば、わざわざ出し惜しみで無駄に時間をかけることも意味がないだろう。
「敵の目的は...なんなんすかね」
あっちこっちへと未だせわしなく視線を動かしながら、キマイラは少しだけ訪ねる。二人からの返答はない。二人とも今まさに考えている途中であり、そして思考の末に答えを見つけるには、もう少しだけ敵の出方を見る必要があると理解し始めたからだろう。
判断材料が余りにも少なすぎる。
ホイップクリームとフルーツだけでホールケーキを作れと言われているようなものだ。基盤となるスポンジがすっぽり抜けているため、確実な結論にはどうやっても至ることが出来ない。
(...せめて二人だけでも、無事に返したいっす)
二人は巻き込まれただけだ。
こんなことになるならば、早めに別れておくんだったと今になって後悔が襲ってくる。それもこれも、まさかこんなに早くこちらの情報を掴んでくるはずがないと慢心していたことが引き起こしてしまったミスだった。
同じ人物を二度も厄介ごとに引き入れるような真似はしたくなかった。
これは『裏』の世界に潜む者として、絶対にありえないミスの一つだ。
個人的なミスによる遅れを取り戻そうと。敵より早く行動に移すことで虚を突いて、その隙に二人を離脱させようとしたキマイラの足に、コンクリートとはまた違う感触が触れる。
ぴちゃりと。
その静かな音は確かに、足元からだった。
「......っ!?」
キマイラの表情が変わる。
もはやこの地下駐車場からまともな形状の車がなくなってしまった今更になって。足元へ薄く広がった透明の液体を思い浮かべて、青ざめる。無数の車両から流れ出たそれは、既に三人の周囲を取り囲むように広がっている。
分割されたエンジンから生まれた火花と、ガソリンを思い浮かべてだ。答えは、一つしかなかった。
「アルラさんラミルさん!」
爆発的な勢いで三人の足元へ炎が迫り、間一髪のところでキマイラが二人を押し飛ばして炎の外へと追い出した。三人同時に地下駐車場の壁まで吹っ飛んで、直後にだ。
鼓膜を直接爆破したかのような、落雷じみた轟音と。揮発して気体になったガソリンへ引火したのか、超新星爆発を小型化したかのような火球が広がった。




