そういえば
「あー、快適快適。この時期でも日差しの直辺りはそこそこきっついもんなあ」
「アルラさん、ここであまり大きな声を出すのは...」
「何より入場だけなら無料だし」
快適クーラー直当たりの青年は聞いちゃあいなかった。
あっさり本音が漏れたところで、二人は適当に横長のテーブルの前に置かれた丸椅子に腰掛けていた。せっかくなら少し離れたところに見えるふかふかのソファーに座って足腰を休ませたいところだが、残念ながら向こうは有料だ。コンビニで駄菓子の一つを購入するのにも脳内で葛藤の必要があるアルラにはきっと一生縁が無いのだろう。
二人が駆け込んだのは、駅から少し離れた所の図書館であった。
蔵本を食べカスや飲み物のシミから守る目的だろうが、基本飲食禁止の図書館はお腹に悪い匂いから逃れるのに打ってつけだ。図書館では静かにしなければいけないという暗黙の了解のおかげで、周りの他人から聞こえてしまう食べ物の話題を聞かなくて済むのも都合がいい。
何だここは。神が創りし現世の楽園か何かか?
しかし忘れてはいけない。ここにいても無い腹がほんのちょっぴり引っ込みにくくなるだけで、決して膨れることはないのだということを。早めに食い扶持をどうにかしないと本格的に人生が詰む。
そんなことを考えながら席着く前、適当に選んできた分厚い図鑑みたいな本を開いていると、やはりこういう場には慣れていないのか、やっぱりそわそわしっぱなしのラミル・オー・メイゲルが横から話しかけてきた。
「ちょっと意外ですね」
「何だよ。暴力的だからって俺が読書嫌いのガキ大将とでも思ってたのか?こちとら元は読書狂いのインドアガチ勢じゃい」
「えと、そうじゃなくって」
ちょっと強めの圧を受けてオドオドが増したラミルは、指先をもにもにくっつけたり離したりしながら。
「国の何もかも最先端なんて言われるくらいですから、てっきり本とか図鑑もデータに移して気軽に閲覧できるようになっててもおかしくないなーなんて思ってました」
「...どこにでもいるんだろうさ。何でもかんでもコンパクトにまとめて利便性を追求するより、一冊一冊自分の手で重みを感じながら読み進めたいって考える奴が。それに何でもかんでも一つに纏めりゃいいってもんじゃないんだろ。確かに管理は楽になるかもだけど、リスクが全くないってわけじゃあない。海賊版サイトってのは、何もマンガやノベルだけの話じゃないし」
「かいぞくばん?」
「しかも技術はきっちり詰め込まれてやがる。触った感じじゃよくわからんかったけどこれページ紙じゃないな?紙っぽく似せた布みたいな...科学繊維みたいなのに直接文字を印刷してやがるのか」
書物は何万、何十万冊と抱えると管理が非常に困難だが、確かに、データ上で一つに纏めてしまえばその限りではない。しかし、ここは技術、研究、科学の国だ。万が一にでもハッカーたちの侵入を許してしまえば纏めておいた書籍は一発で漏洩。しかも一度ネット上に散らばってしまったら、散らばったデータを完璧に消去することはまず不可能だろう。
一長一短。
何事も完璧になんていかないものだ。
無計画が災いして無一文で都会に放り出された自分たちがいい例だ。いや、この場合は悪い例だろうか?
とりあえず今後の相談ついでにこの場でトウオウについての見解を広めよう、という話になった二人はそれぞれ適当な書物をかき集め、簡単に目を通していくことに。何も古臭い伝記や聞いたこともないタイトルの小説だけがこの図書館の領域ではないらしく、近頃の雑誌や過去の新聞をファイリングしたものまで置いてあった。
書物と同様に新聞までもが紙媒体の状態で生き残ってることに若干驚きつつも、アルラとラミルは各自適当に気になった雑誌や新聞のページをめくりあげていく。
せんべいの一枚や二枚欲しいところだが、そんな菓子類にすら手が届かないのが何とももどかしい。あったところで持ち込めないのだろうが
「......なんかどこどこの研究所がなになにの開発に成功した!とかそんなんばっかだな...。あとやっぱ雑誌は危険だラミル。グルメ系のページに被弾しちまった!!ぐぅう、また腹が減る!!」
「基礎を学ぶ前に応用に取り掛かってるようなものだからでしょうか、全然内容が頭に入ってきません...」
結局、わからないことは逐一アルラがどこぞの教団からパクった万能端末の『ウィア』に聞けばいいという結論に達した二人は、しかしこの場を離れる理由がないため時間を潰すことに。『ウィア』曰くお昼時になれば先ほどのグルメ街の店先で客寄せの試食が出るという情報を得たのはかなり大きいだろう。一食分の食い扶持が確保できたところで気休め程度にしかならないのはわかっているが、口に出すと辛いのでどっちも言及はしなかった。
何気ない話を二人で交わしつつ、ゆっくり時間が過ぎるのを待つ。
その時だった。
頭の奥底から氷が溶けたみたいにじんわり浸透してくる記憶の片鱗があった。無意識のうちに意識がそちらへ集中してしまい、横から話しかけてくる少女の言葉が耳から耳へとすり抜ける。
(...あれ?)
会話の合間に、である。
そういえば出かける前にガスの元栓閉めてかな?みたいな、ふとした疑問がアルラの脳裏を過ったのだ。山脈の隆起で新たに出現した湧き水のように、それらの疑問はあっという間に灰被りの青年を侵食していく。
そして、決壊した結果、アルラが思わずといった様子で呟いた。
そういえば。
そういえば、だが。
「......そういや、どうしてこの国に来たんだっけ?」
「..........え?」
隣のラミルが凍り付くように固まっていた。
あまりにも脈絡が無さ過ぎたので思考が完全に停止してしまったのか、少しの間だけ完全に目の奥のハイライトが消えていた。
俯いた状態でアルラがわなわな震えている。
マジで忘れていたらしい。と言うか記憶に欠片すら残っていなかったのか、必死に記憶の引き出しを探し回っているのか。ともかく一度思い出してしまったのだ、今更都合よくもう一度忘れるなんてことはできない。
「いやさ。そういえばさ、トウオウに行く!ってなった経緯ってどんなんだったっけ?確か、確か......そう、そうだ。なんかラミルと教団の一件が終わった後にチケットが届いて、それで...?」
「ちょっと待ってくださいアルラさん、もしかして本当に一切の計画も考えずに海を渡ったんですか!?えっ本当に?今後どうするかなんて何も聞かされなかったからてっきり行く当てがあるばかり...っ!」
「というかあのチケットってラミルが送ってくれたモノじゃなかったの?あの一軒のお礼的な意味合いで!だからむしろこっちはラミルを頼る気満々だったんだけど!」
「何度も違うって言ってるじゃないですか!大体あんなに高いチケット二枚もそう簡単に用意できませんよ!」
流石に大声でわーわーぎゃーぎゃー騒ぎ過ぎた。
会話にヒートアップしてうるさくし過ぎたせいか、声を聞いて寄ってきた司書さんに注意されてしまった二人は、ともかく一旦席に座り直し、呼吸を整える。少し時間を空けて周囲からの注目が無くなったところで、だ。
時計の針を確認すると現在時刻は九時過ぎと言ったところ。
思い返してみると、本当に何であの頃の自分はノリだけでトウオウ入国を決意してしまったのだろうか。あの時から金には困っていたというのに、よりにもよって何でその時の状況より金が掛かりそうな国に渡ってきてしまったのだろうか。
あれか、もしかしてバカなのか?
思い返してものすごく恥ずかしくなってきた。余裕顔で『面白い旅になりそうだ』なんてかっこつけてたあの日の自分をぶん殴りたい。もちろん『神花之心』込みで。
そもそも最終目標は『強欲の魔王』討伐であるから、距離的にも遠のいてしまっているのではないだろうか。
(ああうー、じゃあマジで誰なんだよチケットの送り主は...あの時お世話になった医者のおっちゃん?ラミルのバイト先のパン屋のおばちゃん?他に誰かいたっけかー...?」
「......思いつめてるところ釘を刺すようで悪いですけど、そういえばアルラさん寿命のほうは大丈夫なのですか?」
「...あー」
「船内で随分消費したように見えたので...」
寿命。
文字通り、そしてその言葉が示す通りの意味を持つ、あの『寿命』である。人間、犬、虫......ありとあらゆる動物たちの生命のリミット。しかし【憎悪】の咎人であるアルラ・ラーファの場合、その重要度は他と比べようもなくなってしまうだろう。
『神花之心』と呼ばれる異能がある。
ありとあらゆる『力』を強化する......出来ることはそれだけのシンプルな異能。人体の治癒力、再生力を強化することで通常あり得ない速度で傷を癒す。筋力の強化で異常なまでの破壊力を発生させる。思考や脳の回転力を強化すれば、死の直前の走馬燈のような超高速の演算処理が行える。使い方によって様々な夢が見られるこの異能は、何もメリットだけの存在ではない。
問題なのは、この異能の『デメリット』のほうだ。
アルラ・ラーファはこの異能を行使するために誰かの命を奪い続けなくてはならない。
より正確には。殺した生物の残りの寿命を刈り取るという副次的な能力を用いて他者から寿命を奪い続けることでしか、発動に寿命を消費する彼の異能は扱いきれないと言ったところだ。
胸に手を当てて、頭の中で蝋燭のイメージを創る。脳裏に浮かんだ蝋燭の長さこそが自身の寿命、大体の目安となる。
「思った以上に消費してた。気を付けないと、『異能』の使い過ぎでぽっくりなんて笑い話にもならねえよ」
意図せずして大きなため息が漏れてしまう。
「補給しなきゃだけどこの国って野生動物とかいるの?全身機械で改造されたサイボーグ野良猫とか口から火を吐く火炎放射犬しか居ないとかなら冗談抜き割と詰んでるよ?」
「食糧問題的には既に詰みと言っても過言じゃないですけどね」
今度は二人してため息が漏れた。
どうも現実という奴はどうあがいても彼らの敵として立ち回るらしい。




