身を焦がすほどに恨み抱いて
一息つく間も存在しなかった。
互いの存在を確認したその時、椎滝大和に向かって『空圧変換』が発射される。三発...いいや、五発だろうか、大和が避けようと身をそらすよりも早く、後ろから割り込んだアルラ・ラーファとキマイラが砲弾全てを蹴散らしてしまう。結局一発たりとも大和の身に触れることは無く、弾け飛んだ砲弾から暴風が撒き散らされるだけだった。
そして、
「強化してやる。やれ!!」
「ッ!!」
全て蹴散らした灰被りの青年が叫び、メタリックシルバーと寿ヶ原は気付くのが遅れていた。
そういえば。
椎滝大和の怪我が、ほんの少しではあるが塞がっている?出血量がさっきまでとは明らかに違う。この短期間では傷の縫合も出来ないだろうし、何よりあの傷の塞がり方は、長い時間をかけて怪我を己の治癒力で治したときの塞がり方だ。
それに、強化してやる?
大和が灰被りの声に反応し床に手を置いた直後だった。
景色が、丸ごと入れ替わる。
今までいた空間が見たこともない空間に移り変わった。それも、元居た空間の外郭を丸ごと抉り取ったように。鍋のカレーをおたまで掬い取って皿に移したかのように、一部元の廊下のモノだった金属片などが散らばっていく。
どこもかしこも灰色だった景色が一変し、暗がりに星明りがひしめき合う夜空の下に駆り出された。
寿ヶ原が周辺を見渡す。
夜空の下、星が照らす僅かな明かりの中には自然が振りまかれている。あの運動場よりも遥かに広大な空間だ、石畳で整備された歩道も敷かれているが、その大部分が芝生と樹木とその他の植物に埋め尽くされている。ベンチや噴水もある、巨大な公園のようにも見えるが、天井の夜空は立体映像か何かだろうか。それにしてはリアル感がすごいが。
周囲のデータを自動的に観測したメタリックシルバーが、驚愕するかのように呟いた。
『まさか...タイタンホエール号の屋上か!?』
飛行船タイタンホエール号は巨大な島とも形容されるほどの面積を持つ巨大建造物だ。当然、仕切りを設けなければ最も広大な空間は屋上ということになる。確か、屋上丸ごと強風や低気圧故の酸欠対策の超強化ガラスがドーム状に覆いかぶせた公園が設置されているという話だったはずだ。となると、この空の星空もガラス越しの景色ということになる。
「ここなら周りに気を使う必要もない、営業時間外の公園なら一般客の被害もないっすからね」
キマイラがそんな風に言っていた。
その横で、灰被りのアルラ・ラーファが首をこきこきと鳴らしている。どうやら二人は既にやる気満々らしい。キマイラはお手製のスタンガンをその手に握りしめ、アルラは鋭い目つきで寿ヶ原とメタリックシルバーを睨みつけている。
「異能を使う力なんて、もうあんたにはなかったはずだ」
「だな。でも、一人じゃなかった」
「それに、このレベルの転移。あの子にだって...」
「さあな、俺でもよくわからないよ。そこの灰色の人の力なんだろ」
命の恩人に対して灰色の人ってのはちょっとないんじゃないか?とアルラがむっとしている。
アルラは同時に、口の中が鉄臭くなっていることに気づく。口を手で拭うふりをして確認すると、手にはべったりと真っ赤な血液が塗りたくられていた。
ありとあらゆる『力』を思いのままに強くするアルラの『神花之心』。その代償、寿命ともう一つ。長いこと自身の体を強化し続けたことで、全身の細胞が悲鳴を上げているのだ。
しかし気にしない。
アルラ・ラーファは目の前の敵を見据えて、弱みを見せるような真似はしない。子供向けRPGのわかりやすいボスキャラではないのだ。敵は弱いところがあったら突いてくる、当然だ。自分が敵でもそうするだろう。
それに今回の主役は自分じゃない。彼と彼女にどんな因縁があるのかは知らないが、助っ人はあくまで助っ人。こいつは、ズタボロの体を引きずってまで自分たちについてきた。自分があの女を止めると言った。最初からまともに戦えないくせに、本気の目でそう言い放った。だったら尊重したやるのが大人だろう。
この暗がりは、モーターの音がよく目立つ。
秋の始めとはいえ、ここは雲よりはるかに上空だ。温度管理もされていないので、冷たい空気が体をがちがちに冷やしている。
そうして。
半透明の血液を垂れ流し、ところどころずたずたに引き裂かれた白衣をまだ羽織っている少女が、
「......あのガキはどうした?」
「テロリストから狙われてるってのにわざわざ近づけるわけないっすよ。信頼できる人に預けたに決まってんでしょ」
「はは、それもそうか」
ふつふつと笑う。
圧倒的に不利な状況のはずなのに、瀕死二人で怪物二体と互角以上にやりあえるはずはないとわかっているのに、しかしそれでも少女は片手で顔を抑えて空を仰ぐ。ガラス張りの天井とその向こう側の星空。彼女には別のものが映っているのだろうか、口の端を歪めている。
「なあ、椎滝」
グオンッッ!!!と静寂を引き裂くような轟音の次の瞬間には、その強力極まる兵装が地面を陥没させる勢いで地面を蹴っていた。
直後に、鋼鉄製の巨大なアームが大和の頭へ伸びる。言うまでもなくメタリックシルバー、大和と寿ヶ原を今もなお侵す毒によって片腕を奪われたその中身が地面を蹴り、寿ヶ原へとまっすぐ向き合う大和へと襲い掛かったのだ。
ただし彼の狙い通り大和を仕留めることは叶わない。
今度は隣から極彩色が割り込んできた。メタリックシルバーのアームへと回し蹴りを叩きこみ、巨体を二人から遠ざけるとともに火蓋が切られた。
大和と寿ヶ原。
二人から30mほど離れたところでキマイラも飛び出して、二対一でのメタリックシルバーとの殴り合いが始まった。ガキンゴキンズドンメギッ!?という爆音は異界人二人を置き去りにしていく。ミサイルや銃撃の嵐の中に極彩色が輝いて、空気そのものが大きく振動しているようにさえ感じられた。
ただ単に反応できなかったのかこうなることがわかっていたのか、大和は終始瞬き一つしなかった。
残された彼女はただ簡潔に、聞いてきた。
「苦しかったか?」
「っ」
簡潔なのに。
たったそれだけの言葉だというのに、他の何よりも答えに困る質問だった。
答えられない。声が枯れたようだった。なんて言えばいいのかわからなくなって、正解を求めて心が右往左往している。どう答えれば彼女に響くのかわからずに、まるで試験終了五分前に必死になって最後の回答を探しているようだ。
苦しかったか?
ああそうだ、苦しかった。苦しくて毎日毎日息も詰まるような思いだった。『箱庭』という新しい枠組みに誘われていなければ、近いうちに壊れていたくらいに。
「あの子が死んでから、あんたが守れなかったあの日から今日まで。どんな気持ちでずっとずっと生きてきた?」
真冬の夜風の如き冷たさが皮膚をなぞる。
対称に、体の中心は火を噴くかのようにバクバクと高鳴っている。
「今更、そんなこと聞いて...」
「今だからだよ」
絞り出すかのような声でようやく答えた大和を、白衣の少女は更に突き放して。
「あれから何年も経ってんのに私たちは敵対者として巡り合った。きっと切っても切れない因縁ってのがあったんだろうねえ。それも、あの子を中心に」
妙に力を込めた言葉だったのは、どうしてもそこの文を強調して伝えたかったからか。
彼女にとってはそれ以外はその一文を引き上げるためのオマケに過ぎず、要点はつまりそこだけに絞られているのだろう。今の寿ヶ原小隈の言動の全てに置いて、根幹は雫という彼女の親友が根付いている。
「正直、あんたとは二度と会うこともないと思ってた。だからほんとにびっくりしたんだよ、敵対組織のリストにあんたの名前が載ってんの見つけた時は。これが因縁ってやつかってね」
「っ.........」
陽の当たる世界を歩いていたはずなのに、いつの間にか影しか踏めなくなっていた。意図して踏み込んだというわけじゃないはずだ。歩いていくうちに感覚がマヒして影の上を日向の上だと思い込んでいた。
寿ヶ原小隈はそういう『人間』だ。
失敗を経験しすぎて、もはやそれが当たり前になってしまった。
失敗を前提に動いてしまうから、失敗しても仕方がないで済ませるようになってしまった。踏み外したとわかっているのに、今度はそれを『失敗』とも捉えることができなくなって、遂に引き返す道を見失った。
がつんがつんと何度も轟音を繰り返す向こう側へと視線を投げる寿ヶ原は、どこか寂し気だ。向こう側に行きたいのかとも思ったがそうでもないらしい、呆れたように鼻から息を吐いて、濁った瞳には大量の兵器の山が映りこんでいる。
横目で見てみると、そっちもハチャメチャだ。ミサイルや銃弾や魔法のエネルギー弾みたいなものまでが飛び交い極彩色やメタリックシルバーの腕力がそれらを撃ち落としたり打ち付けたりし合っている。
「ねえ、どうなの?」
自分は、ああは成れない。
だから守れなかった。
どうなの?なんて聞かれても当然のように即答できない。
目の色が変わった。白衣の少女の濁った瞳が、まっすぐに大和を見据えて潤いを取り戻す。『怪物』が、ほんの少しの間だけ『人間』を取り戻した。
多分、彼女が抱く大和への『憎悪』抜きにしてでも聞いておきたいことなのだろう。多分、どんな回答でも納得できないとわかっていて聞いているのだろう。
重要なのは大和の示す回答そのものじゃない。回答を聞くという行為、意見を交わし、自分と彼が分かり合えないことを再確認することで、椎滝大和にはわからない自分だけの正当性を己に示すこと。
大和は、彼女の目からそれを悟った。
長い沈黙の後に、だ。
椎滝大和が重たい口を開く。思ったことをそのままに、大きく息を吸って、体の中のもやもやを全部吐き出すように言った。
「最初の3年は何も考えられなかったよ。失意の内にいたっていうか自暴自棄になってたっていうか、今思えば都合のいい国の奴隷みたいになってなんだろうな」
「奴隷、か。想像がつくわ」
「そっから、やっと自分が何をやってたのか考えられるようになった。どうして自分がこんな目に会わなきゃならなかったのかっていつもいつも考えてたよ。あんたらみたいにさ」
本当に、一歩違えば大和もあっち側に立っていたかもしれない。椎滝大和がテロリストの側に立ち、寿ヶ原小隈が『箱庭』として彼の前に立ちはだかる未来だって選択によっては十分あり得る可能性の一つだ。それでもこうして互いの立場が形成されたのには、二人の持つ考え方の対極性が起因するのではあるだろうが。
基盤を持たずして組み上げられる理念など吹けば倒れる程度のものでしかない。石炭と同じ元素で全てを構成されるダイヤモンドの硬度が、その分子構造に起因するように。
寿ヶ原小隈という石炭を支える何か。つまり、雫という彼女の親友の存在。これがまた違った形に組みあがっていたのなら、彼女はダイヤよりも強い物体に進化する可能性さえ秘めていた。
その可能性を潰したのは誰か。
考える、までもない。
椎滝大和は僅かに俯いて、
「お前の言う通りだと思うよ」
肯定。
そう来るとは思っていなかったのか、寿ヶ原は少し驚いた様子だった。
顔を上げると、大和は光を灯した視線で彼女を見る。
「人と人にはその、因縁っていうのか?それとも運命っていうのか、とにかくどうやっても断ち切れない繋がりがある。多分、俺たちは彼女を通してそういう曖昧な何かで繋がってるんだと思う」
もしもありとあらゆる形で運命の糸が目視できるとしたら。
今後自分が接するべき正しい人物が一目でわかって、それ以外の...いわば自分の人生におけるモブとも呼ぶべき存在を気にしなくていいとしたら、それの世界は現在とどれだけ違った世界になるだろうか。
きっと世界からは人間関係の無駄が完全に取り払われて、トラブルもない平和な世界が完成しているに違いない。
関わらないとわかっているから、きっとテレビに出てるような有名人に焦がれることもなくなるに違いない。人がその人に見合った幻想を抱えて、誰かに憧れたり誰かを憎んだりできなくなった世界。
ああ、ああ。
ある人はそれを理想郷と呼び、またある人はそれを地獄と呼ぶのだろう。
特に椎滝大和にとっては。常に誰かに振り回されて動いてきた大和のような人間にとっては、この上なき理想郷。もしもそんな世界で一から全部やり直せるよと神様が勧誘してきたら、大和は首を横に振ることができるのだろうか。運命に従うだけの人生に喜んだことが、一度だってあったのか。
今は首を縦に振ることは出来ない。
でも、それは今の話であって未来の話じゃない。
だから、
「でも、やっぱりおかしい」
今度はきっちり否定した。
否定して、首を横に振る。
聞いていた寿ヶ原は困ったように首を傾けて眉をひそめている。
「何が?現に私たちはこうして憎み合って、殺し合ってる。これも繋がりの形の一つさ」
「違う!そうじゃない」
そこではない。
論点は、発端は、根本は、原因は、基盤は。
二人の邂逅の始まりは、どうしようもないくらいべたついた関係と因縁の螺旋に彼女は関係ない。いいや、厳密には違うか。彼女がいてこその二人の因縁は確かに存在する。
だが、
「あの子を中心に繋がっていただけの因縁なら、その程度の因縁だったなら!彼女がいなくなった今、俺たちがこうして繋がってるのはおかしいってことだ。繋がってるはずはなんてないんだ。絶対に!!」
荒げた息を整える。
寿ヶ原はだんだんと不機嫌になっていくようだった。
「何が言いたい?」
「因縁なんかじゃないんだよ」
大和がはっきりと言い放った。
「繋がってるのは。俺とお前はあの子を中継点として挟まなきゃ何の接点もないような二人だった。SNSのフォローより薄っぺらな関係、話しても『はい』『いいえ』の二つで会話が進行する程度の、NPC同士の会話みたいな関係だった。でも、それは俺たちの基準だ!自分で言うのもなんだけど、あの子からしてみれば、俺もお前も無くてはならない存在だった。基準は最初から俺たちじゃないんだよ!!」
あの世と呼ばれる超次元的空間は実在するか。
してもしなくてもどっちでもいい。要は人それぞれの捉え方次第なのだから。大和が信じればきっとそれは存在して、否定すればきっと欠片も無くなる程度の認識。あってないようなシュレディンガーの猫と同じモノ。
今は、この手首のこれさえあれば、彼女をいつでも感じることができる。
「天国ってのがあるのかはわからない。けど、間違いなく繋げたのは雫だ」
自分が本当に語りたいことがわかる。
今なら、どうすればいいのかが。攻略本片手にゲームを進めているようだった。自分が本当に望む結末。ここから何千にも何万にも分かれるであろう分岐の中で、真につかみ取りたいエンディング。
それに、今なら手が届く。
「彼女が頼んでる。寿ヶ原小隈を止めてくれって、だからこうして巡り合った。彼女が引き合わせたんだ!」
白と黒、螺旋を描くようなミサンガが手首で揺れている。
触れれば話題の少女を感じさせる遺産。恩人から受け取り、亡き少女から受け継いだ意志の象徴だ。
二人を引き合わせたのは、この中に眠る彼女の意志そのもの。
否定はさせない。
そっちが最初に押し付けたファンタジーだ。ならばこちらのも受け取ってもらおう。
寿ヶ原小隈は笑っていた。少女らしい、可愛げのある笑い声だった。
「ぷっ、ふふ、くふふふふっあっはっはっはっは!!なるほどお。そういう、うん、そういう捉え方ね。確かになあ。あの子、超の付くお人好しだったしね。あり得るなあ。死んでもまだお人好しやってるだなんて」
「今からだって遅くないはずだ」
「遅くない、あんたにはそう見えてるのか」
「ああ」
「...あの子もそうだけど、あんたも大概だね」
すうーっと、息を吐く。
笑ったおかげで閉じてしまった瞳を再度開く。濁りきった瞳は一度だけ透き通り、再び泥水のように穢れを取り戻す。二人だけじゃどうしようもない闇を内包して、それでもやっぱり抑えきれない憎悪が渦巻いていた。
一度抱いてしまったら、簡単には落とせない。
『憎悪』は粘っこく纏わりつく。
泥沼のように沈み込んで、二度と這い上がれなくなったのは――――。
「でもな、椎滝」
ブレーキの有無は関係ない。力いっぱい踏み込んでも機能しない。それは、持ち主の倫理観が極限まで狂った証なのだろうか。憎悪と絶望を混同させてしまった成れの果て......今の彼女には、泥沼から引き揚げてくれるような『手』が無いのだから。
「私はもう、止まるわけにはいかないんだよ......ダニエル!!」
決別する。
今度こそ、二人が本当の意味で真っ二つに割れる。
汚染され激痛に苛まれているはずの足で踏みだし、寿ヶ原が片手を宙へ掲げると同時に何十枚もの何かがひらひらと舞い散った。
紙切れだった。ただし、A4サイズのコピー用紙だろうか...四つ折りで保管していたのか、折り目の付いたその紙切れに描かれた模様。大和では解読不能な言語、得体のしれない記号が、一つ一つに大きく烙印されている。
椎滝大和は嘆く。
これでもまだ分かり合えないのか。互いの胸の内を全て語り尽くして、ここまで話してもなお断ち切れない邪悪な意思が目覚めてしまったのかと。
「口頭命令、全保管パーツの結合を解除。フォーメーションを構成、コード401」
じゃらじゃらじゃら!!と砂利を擦り合わせるような音が響いた。
名を呼ばれたメタリックシルバーが戦場から一時離脱した直後の出来事だ。彼の外装をくまなく覆っていたメタリックシルバー、その強靭な鋼鉄の肉体が頭から微細なパーツごとに分離していく。砂山を上から崩すような有様で、あっという間に中身の人間が剥き出しになった。小指の第一関節の半分より小さく分割されたパーツが、まるで磁力に誘導されるがごとく新しい『形』を形成していく。
それは、直径30mにも及ぶ円だった。
中には大和とアルラ、それに寿ヶ原と隻腕の男が取り残されている。
(奴は錬金術師だって話だった...)
真っ先に気づいたのは、ある種の魔法的叡智を師から授かったアルラだ。
「まさかっ、即席の錬成陣!?新たな魔装を錬成するための構成式をこの短期間で組み上げていたのか!?」
「やめろ寿ヶ原!」
閃光が噴き出す。
巨大な金属の円形にコピー用紙が張り付いて、即席の巨大な錬成陣が出来上がる。線となったメタリックシルバーが、突如として幻想的な光を纏い始めている。
彼女は、寿ヶ原小隈という悪魔は。苦楽を共にした仲間である隻腕の男に問う。
「私のために、死んでくれるか?」
「いいだろう」
即答だった。
みんながみんな、二人の会話の異常性に唖然としていた。唯一円の外に出ていたキマイラが錬成陣そのものを破壊しようと試みているが、何度形を崩しても即座に修復されてしまうようだ。何度も何度もスタンガンを頭に押し付けそのたびに新しい術式で陣の破壊を試みるが、どれもこれもまるで効果が無い。
奥歯がギリギリと妙な音を立てている。
もう止められない。今から新しい術式を頭の中で思い浮かべて、更に形にするのでは間に合わない。
「どうしてそこまでっ...」
「悪いな嬢ちゃん、喧嘩はここでお預けだ。俺ぁこの女ほど世界を恨んじゃいない~なんてカッコつけてたけどよ、ありゃ嘘だ」
吹き出す光の中で男は笑う。白衣の少女に勝るとも劣らない濁った瞳で、自分以外の誰かの不幸を心から願っているかのような笑顔で。
原因はやはり、彼の意志とは別にこっちの世界へ呼ばれてしまったことだろう。
世界にはそういう『異界人』が何千人と存在する。幸せの絶頂の最中にいながら突然呼び出されてぶち壊されたような者の数など数えきれない、今までの人生そのものが通用しない世界だというのだから『異界人』の憎悪も当然だ。むしろ人為的に呼び出されてしまった大和からすれば、そういう人間の気持ちは痛いほどよくわかる。
だからと言って、自分から命を差し出そうとは思わない。憎悪は人の感覚を捻じ曲げる。どんなことがあろうとも、命より優先される復讐なんてあってはならないのに。
今から自分が『消費』されると分かりながら、こんな清々しい笑顔を浮かべるなんて狂ってる。
「メタリックシルバーの魔道コアと人命、『万能薬』の原液。そして、『毒炉の実』の汚染物質」
白衣の少女が歌うように並べた素材。どれもが一級品の危険物で、イメージ次第で街一つ簡単に吹き飛ばせるような代物だ。しかもそれらを握る手はとことん邪悪に染まっているから何がどうなってしまうのか検討すらつかない。
お人形を買ってもらった五才児のような屈託ない笑顔。これから復讐が果たされると知っての歓喜に染まった少女。悪意が黒を過ぎ去って、白に変わる瞬間だ。
少女は。
囁くように...
「これら最悪の素材を元に作り上げた魔装...一体全体どうなると思う?」
聞こえた声はそれで最後だった。
異常なまでの熱波と目を閉じていても瞼の裏が白く染まるほどの閃光が押し寄せる。
アルラがとっさに彼の襟元を引っ張っていなかったなら、間違いなく二人は閃光の中に巻き込まれていただろう。
ギリギリのところで円の外へ引っ張り出された大和が芝の上で転がされ、ドーム状のガラスを突き抜ける光の円柱の外を外から眺めていた。
届いたはずなのに。
伸ばした手をつかみ取れたはずなのに。
寿ヶ原小隈は選ばなかった。引き返す道と突き進む道を掲示され、突き進む道に未来が無いことをわかっていても、それでも引き返さなかった。それほどまでの『覚悟』。数年分の憎悪に飾られた復讐の道を歩み、最期には破滅するとわかっていてもなお突き進む道を選ぶ。
閃光が消え去り、重圧と熱気が待ち構えていた。
「なん...だ?」
錬金術は空想力を最重要点とする数少ない魔法分野の一つと言えるだろう。
素材を魔力を応用した技術で分離し、性質を付与した上で違う物質に組み上げなおしたり形を変えたりを行う技術だ。元を辿れば当時まだ今ほど身近には存在しなかった金を、その辺の石ころやがらくたから作り出そうとして生まれた技術。そこから派生して今の錬金術というジャンルが出来上がった。
彼女が最後の最後に思い浮かべたイメージが魔装に反映されれば当然、素材を元にもっともそれに近しい魔装が出来上がる。復讐に身を捧げ、善意の手さえ払いのけた寿ヶ原小隈が最後に思い浮かべたイメージ。
文字通り、身を焦がすほどの憎悪。
「ことぶき、がはら...?」
爆炎の巨人が現れ、殺戮を開始する。




