君にしか出来ないことがある
例えば。
とある飛行船全体を支えるほどのエネルギーを人体から生み出せる少女がいたとすると、この世で最も一般的思考を持つか弱き人々は、彼女を指差してなんて言うだろうか。
なんてすごい人なのだろう!私もあのような善意に満ち満ちた人間になりたい!という尊敬。
自分もあんなことができたなら、さぞ人生は楽しく、面白くなるのだろう!という羨望
いいや。
多くの場合、きっと彼女へ向けられる視線は羨望や尊敬ではなくなる。自分たちを救ってくれた力ではあっても、別の使い道を思い浮かべて、たとえ本人にその気が無くても、恐怖してしまうものだ。
ライオンが家を守ってくれると言われても、住民は自分たちが食われる心配しかしないように。守ろうとしてくれるライオンに善意は向けられず、恐れや不安...悪意の感情を剥けてしまうのはきっと、生物として抗うことができないのだろう。
千切れたケーブルか何かからはみ出た電線から火花が散っていた。きっとどこかの液体燃料のタンクが破損したのだろう、不思議な色の液体が鉄板のような床に染み出している。彼女の手元で煌めくこの大剣以外は明かりと呼べる明かりもない。黒焦げの機械片や大きくへこんだ鉄板が散乱したこの空間そのものが人の立ち入りを拒絶しているようだ。
当然ながら、そんな場所に人の気配はない。何処を見ても灰色の世界が広がっているばかりで、時折見せる黒は後付けされたものだ。まるで人類という種そのものが誕生する以前かのように静まり返っている。
そう、
彼女を除いて。
「くっ、そ!!供給するエネルギーのバランスが掴みにくい!!どこかムラが出来たらこのまま真っ逆さまだってのに、危機感足りないしもっとサブ電源用意しとけよトウオウっ!!」
悪態をつきながらも、しかし両手でしっかり握った大剣の柄は離さない。『夏夜の夢の王』を大きく破損した核エンジンの中枢へと突き立てて、シズク・ペンドルゴンが誇る世界最高峰の魔法のひとつを行使し続ける。
『イカロス』の爆発で負った傷は既に回復していた。あちこち服が裂けたり少女の柔肌が露になっているものの、血の一滴の痕跡すらない。
自分のこの体質を見るたびに、自身の目的を再確認できる。
本当は、こんな仕事はがらじゃない。
自分以外に誰もいないからやっているだけ。他に誰か同じことができるならこんな仕事はさっさと譲って他の所へ足を運ぶところだ。
残念ながら、この飛行船に自分と同じことができる者などいるわけがないのだが。
べぎべぎべぎっっ!?という枝をまとめてへし折るような音が体の内部から発生していた。
自身の体を変換機代わりに魔力をエネルギーに変換させているが、その負荷に体は耐えられない。
余剰エネルギーによる崩壊と、体質による再生を繰り返しているのだ。筋繊維がぷちぷちと千切れ、骨にヒビが広がり、内臓が揺さぶられる。もはや、人が耐えることのできる痛みのレベルを超えているだろう。
が、
「ここまでの痛みは久しぶり、ね」
と、幼い声が笑う。
汗の一つすら流さない。
いいや、流せないのか。
彼女はその幼い見た目からは想像つかないほど過激で、そして悠久とも呼べる時間の中を生きてきた『怪物』だ。その長い長い人生の中で、当然ケガや病気に苦しまされたことだってあっただろう。ましてや、『箱庭』なんて裏世界に名を轟かすような組織でナンバー2なんて張ってたら猶更のこと、つまり彼女の体は、苦痛に対して既に普通の反応は示せなくなってしまっている。
別に痛覚が壊れていたり、マヒしているわけではない。ケガするたびに『痛い』とは感じている。しかし、それ以上の関心がわかないのだ。はっきり言えば体に痛みが慣れてしまった。タンスに何度も小指をぶつけているが、あまりにもその回数が多すぎたため痛みに鈍感になってしまった...という感じだ。どちらにせよ、普通の人生を送る者には想像もつかないような世界であることには間違いない。
機械やパイプに埋もれた暗闇の中、シズクは僅かに斜め上を見上げる。
そこにあるのは奇妙な発光を続けるむき出しのケーブルやところどころ破損したメーターばかりで、自分以外の生き物の気配はどこにもない。
しかし、感じるものもある。
彼女が視ていたのは今にも崩れ落ちそうな機械の群れの先にあったのだ。純白を飛行船全体へと流し続ける剣を通して、船全体を自分の体のように同期させたからこそ感じ取れる。その視線の先、何十枚もの壁を通した向こう側に、彼がいる。
シズクはにっと笑った。
「そっちはそっちでなかなか頑張るじゃない」
今すぐ応援に駆けつけることは出来ない。
こっちも手一杯、手を離した途端に飛行船がコントロールを失って墜落してしまう。トリガーは恐らく機体の落下速度の上昇...もしくは周囲の気圧の変化辺りが妥当か。とにかくこれ以上爆弾が起爆するのは防がなければならない。テロリストもわかっていて機体の脆い部分に爆弾を集中させているようだ。これ以上の爆破を許せば機体の空中分解を招いてしまう。
それだけはダメだ。
犠牲になるのは飛行船の乗客だけじゃない。
万が一このペースで爆発が続いてしまうと、きっとこの巨大極まる飛行船はトウオウの港ギリギリのところで崩壊する。テロリストたちもそれを最終的に狙っていたのだろう。空飛ぶ島とさえ呼ばれる飛行船の質量が丸々降り注ごうものなら、トウオウの港は簡単に落ちてしまう。
テロリストたちがつけ込む隙が生まれる。同じようなことが短期間に集中発生すれば、いくらトウオウと言えど国家そのものが大きく傾きかねない。
シズクは両手に力を込めた後に、
「我が身を焼き、魂を研磨せよ。其の搾りかすは純真なる魂の破片となりて我が身より零れ落ち、万物を支えし土台とならん」
詠唱の次の瞬間、彼女を包む純白が、明らかに変わった。
劇的な変化という奴だ。炭素が地底で超高圧に晒されることによってダイヤへと姿を変えるような、一度物体を原子レベルまで分解したうえで別の物体に再構築するような、ある意味奇跡的とも幻想的とも言える変わり方だった。
白から虹...?全ての色素を孕みつつ、そのどれにも当てはまらないような不思議な色。強いて言うなら、極彩色。
「異界の妖精は轟雷を成す。槌を振るいて大地を砕き、しかし時には罪をも洗い流す嵐と成れ!」
何事にも役割はあるものだ。
今回、シズクがこうして後手に回ったように、誰よりも正面切って立ち向かわなくてはならない者もいる。
彼は私のようには成れない。だが、私も彼のようには成れない。
だったら互いに振り向くな。後ろは私が、前は彼に任せるとしよう。新入りとはいえ、気持ちは『箱庭』の誰よりも強い彼に。
「我を巡りし純粋なる『力』よ、顕現せよ!!『純化せし無秩序なる魂』!!」
薄暗い夜の廊下を、機械仕掛けのメタリックシルバーが疾走していた。
「もっと速度出せ!!このままじゃ追い付かれる!!」
『無茶言うなよ、ただでさえ腕一本バイバイしてるんだ。片腕じゃこいつは操縦できないから、脳波リンクと神経接続でどうにか動かしてる状態なんだよ!!』
ぐわんぐわんと巨大なメタリックシルバーが揺れて、その片方のアームにしがみ付く形で寿ヶ原小隈が叫んでいる。
人型の足のほうが何かと便利だろうという理由だけで採用された下半身パーツのせいで、ぶっといレッグが床を蹴るたびに足音が目立ちすぎる。これならまだタイヤをつかった4輪駆動やキャタピラー式のほうが出る音は小さい。それともセルフでジェットエンジンでもくっつけて、無理やり某鉄人ヒーローのように空を飛べるようにしたほうがよかったか。
アームから器用に背中へと飛び移り、片手でしがみ付いたまま背後に視線をやる。と、次の瞬間、弾丸かと見間違う速度で通過したガラス片が僅かに寿ヶ原の髪を切り離した。
寿ヶ原がチッと舌打ちして前を向くと、やけくそ気味な叫び声がスピーカーから大音量で鼓膜を揺らす。
「畜生、まさかこんなに早く追い付いてくるだなんて!」
『アレが話に聞いたイレギュラーってやつか。なんだか思ってたよりは『怪物』っぽくねえな』
「『異能』の相性が最悪なんだ。奴本体の実力自体はせいぜい中の上、ただし『異能』のパワーが桁外れだ。圧縮空気弾を蹴り飛ばすんだぞ!?」
『愚痴なら後で聞いてやるから今は撃て撃て!!どうせ居場所はバレてんだ、出来る限り足止めに徹しろ!』
「わかってるっつーの!!」
と、空気を弾く。
発射された『空圧変換』の圧縮空気弾が暗闇の中へ吸い込まれるように消える。
奇妙な光景だった。
普通なら、この一発だけでも致命傷に成りえる、全身カーボン繊維で固めたアーマーでも装着していない限りは。奴の肉体はそこまで強固に固めてあり、ロケットランチャーだろうが劣化ウラン弾だろうが通さない合金製だとでもいうのか?
悲鳴どころか、あるはずの爆発音までもが掻き消える。
当たっているのかどうかすらも暗がりの中でうやむやになってしまう。
それだけじゃない。
奴の存在は確かに問題だが、もう一人いる。奴の仲間はキマイラとか呼んでたか...前情報にはなかった、『箱庭』の外にいながら『箱庭』に加担する存在。他人の魔法を自分の脳へと移植する謎の技術を使う少女のことだ。アレの戦闘力もバカにならない。というか、相性の問題なだけで単純な火力ではそちらの少女のほうがイレギュラーよりも上の可能性だってある。
考えれば考えるほど、積みあがった問題が崩れ落ちてくる。
その内の一つを解決しようとする間に、問題は二つ三つと増えていく。
『ってかこれ何処へ向かえばいいんだ!?とりあえずで走ってるが当てはあるのか!?』
「出来るだけ人が多そうな場所へ向かえ!乗客を盾にすりゃあ奴らのが不利だ。何なら見せしめに二、三人ぶっ殺してやればいい!!」
『相変わらず鬼みてえな女だなてめーは!』
民間人を盾に暴れまわるという行動自体はいたってシンプルな作戦だが、奴らのような偽善者丸出しの連中には案外効果的な手段ではある。奴らは体裁を気にしている。自分たちの...『箱庭』というブランドの名前が落ちることを恐れているのだ。そりゃここまで巨大に膨らませた組織の看板だ。膨れ上がった風船ほど割れやすいように、ちょっとしたミスだけでも業界には大きく広がってしまうのだろう。奴らは民間人を巻き込まないことを掲げているようだし、それが崩れたら組織としての信用にかかわるというわけだ。
実際、最初に『箱庭』の怪物と戦闘になった時だって、周りに無数の盾があったからただの『人間』でもあそこまでやり合えたといっても過言ではないのだから。
鬼と言われようが何と言われようが、今はこのくそったれの命すら惜しい。
別にあの子の敵討ちってわけじゃあない。自己満足に過ぎない。糞野郎の言う通り彼女は望んでないだろうし、私は別にあの子のためにやっているというわけでもない。
これは、一種のケジメなのだ。
トウオウに、世界に、私たちを知らしめる。恐怖による抑圧だろうがなんだろうが、私たちが全世界共通の恐怖の対象に成り替わる。ヘブンライトがまたバカな計画を始める前に、『異界の勇者』というブランドを真っ黒に染め上げてしまう。
追加で三発もの『空圧変換』を放った、その直後だった。
「スケルトン×ピクシー」
その言葉の瞬間、二人の視線が反転していた。
反転?どちらかといえば、放り込まれた虫かごを振り回されたような気分だ。一瞬で視界がぐるぐると乱立しては消えを繰り返し、体を地面に打ち付けられる。骨まで伝わる衝撃が全身を叩いて、振り落とされた寿ヶ原の体はごろごろと床の上を転がされる。
「ぐっ、があ!?」
口から息が洩れる。
息だけではない。唾液か血液かもわからないような半透明の液体もだ。
はっとなって振り返ると、地面から白っぽい突起が1メートルくらいの高さまで隆起している。スピードをつけすぎたのが災いしたのかタイミングを読まれたのが問題だったか、とにかく自分を乗せたメタリックシルバーは突然現れたそれにつまずいてしまったらしい。
がづん!!と、総重量500キロ近い鋼の塊の衝撃を受けた床が陥没している。
「一度やられたんでね。そう来るとは思ってたんすよ」
そこは丁度十字路のような形で道が伸び、中央には噴水などが取り付けられている円形の休憩スペースが設けられた場所だ。500キロもあるような金属の塊が突っ込んだせいで噴水やらは壊れ、むき出しの給水管から水がドバドバと流れている。多色発光で水の色を染めるためのライトでも設置してあったのか、メタリックシルバーのものとは違う機械片やガラスも散乱していた。
ぴちゃん、と。
足音が水面を揺らした。
『......まずいぞ』
一人は、キマイラ。
他人の魔法を電気信号に変換し、脳へ直接叩きこむことでそれを自由自在に操る魔法使い(?)。お手製の携帯型スタンガンには無数の魔法がデータの形で保存されており、他人と他人の魔法をセルフで自由に組み合わせることすら可能な『怪物』。
一人は、アルラ・ラーファ。
【憎悪】の咎人にしてその身に『神花之心』の異能を宿す咎人。自らの寿命を代償に、ありとあらゆる『力』を増幅させることができる灰被りの青年。
そして、一人は......
「...椎滝」
「おう」
全身を包帯で固めていたが、何となくでも判断ついた。
応答した声は力強かったが、奴の体はボロボロだった。
どうして普通に歩けているのかなんてわからない。
どうして私の前に立つのかはもっとわからない。
だが。
こうして、相対してしまった以上は。
因縁は千切れない。




