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終焉の鐘が鳴る頃に  作者: iv
序章
138/268

ハガネの男



「......」


 打って変わった静寂に取り残された大和は、喪失感にも似た感情に蝕まれる。

 追い詰められた寿ヶ原が残した乱射のせいで穴だらけになった運動場の残り少ない照明器具がぱちぱちとまたたいて、見渡せる限りの敷地も夜の暗闇を孕みつつある。

 右腕は今もなお『毒炉の実(アシッドザクロ)』の汚染が上へ上へと広がりつつある。だが、今は猛毒に蝕まれつつある右腕よりも胸のあたりに鈍い痛みを感じている自分がいた。

 届かなかった。

 またも、あの日を繰り返してしまう。

 届いたはずの手が空を掴み、今度こそ後悔の念で立ち直れなくなってしまう。

 振り返ると、何やら灰色の頭髪の青年がキマイラに後頭部をぶっ叩かれていた。


「何やすやすと逃がしてるっすかアルラさん!!これで態勢整えられてちゃ追い詰めた意味ないっすよ!!」

「うっせーな落ち着けよ。どうせあの足じゃそう遠くへは逃げられないさ、お前から受け取った発信機も蹴りん時にくっつけたままだ。それに見ろよ、流石に焦っていたんだろうな。血痕も残ってる」

「そういう問題じゃないんすよ!!」


 べしっ!!という音とともにまたもや後頭部を強打され、アルラが前のめりに転びそうになる。

 いまいち危機感に欠ける光景に大和は頬を引きつらせるしかなかった。

 ぶっ叩かれた青年は後頭部をさすりながら、何やら黒一色で円形の端末を取り出して画面を覗いている。キマイラはというと、ブツブツと唇を尖らせながらスタンガンを操り、新しい『骨の籠手』を形成して置き去りにされてたティファイを抱きかかえようとしているらしい。『空圧変換エアロバズーカ』の轟音に驚いたのか急に大声を出したキマイラに反応したのか、静寂を今一度塗り替えるように泣いている。

 少なくとも、キマイラたちは悲観している様子はなかった。ここでうじうじ言って足踏みしていても仕方がない。反省の暇があるならその分動け、とでも言われているようだ。

 それもそうだと、大和も気持ちを切り替える。

 とりあえず端末片手に顔をしかめている青年にお礼をと近づこうとして、次の瞬間には目の前に地面があった。倒れた瞬間さえも認識できない。思った以上に体のダメージは深刻なようで、呼吸の仕方を忘れてしまったかのように苦しい。

 慌てたように灰被りの青年が駆け寄ってきた。


「無茶するな。その傷、意識があるだけでも奇跡的だぞ」


 立てるか?とアルラが差し伸べた手は掴まず、なんとか自力で立ち上がる。

 今の大和は『毒炉の実(アシッドザクロ)』というティファイの異能によって汚染されている。接触した物体を次々と連鎖的に汚染するこの猛毒をこれ以上広げるのはまずいと判断したからだ。

 立ち上がることは出来たものの、大和は足腰に力が入らずふらついていた。穴だらけになった地面につまづき、転んでしまう。血や泥でぐちゃぐちゃになった衣服を引きずって、それでも諦めまいと地面に手をついて立ち上がろうとする大和に対して。

 今度はアルラが無理やり肩を貸す形で立ち上がらせる。そのまま右腕を除く大和の体をぺたぺたと触って何かを確認しているようだった。触られるたびにあちこちの傷がズキズキと痛みの信号を発信して、そのたびに大和の脳から意識が奪われかけていることにまではアルラの気は回らないようだ。


「ところどころ骨が折れてるな。骨の破片が内臓に刺さってないだけマシだと思うが、無理して動いていいような状態じゃない。右腕は何だったか、そこのガキの異能で汚染されてるんだっけ?これ以上無茶したらお前ほんとに死んじまうぞ」

「でも、早くあいつを探さないと...」

「自分の命より優先すべきものなんてこの船には乗り合わせてないと思うんすけどねえ」


 一体どんなトリックか、ものの数秒で泣きじゃくってたティファイを寝かしつけたキマイラが呆れたように言っていた。

 何重にも層を重ねた強固な骨の籠手は『毒炉の実(アシッドザクロ)』の汚染を無効化こそできないにしろそれなりに効果はあるらしい。腕をゆりかごのように揺らして少女の機嫌を取る少女のほうへちらりと目をやって、大和は考える。

 確かに、キマイラの言う通りだ。

 ここは満身創痍の自分が出張るよりも、ほぼほぼ無傷で戦闘力が何倍も上な助っ人たちに任せたほうが、彼女らの計画を阻止できる確率は高い。むしろ自分が戦力よりも足手まといになってしまう可能性のほうがずっとずっと高いし、これ以上やっても文字通り身が削れるだけでメリットなんて一つとしてないだろう。


「でも...っ」


 反論しようとする大和の肩をアルラが叩いた。

 ある程度の事情はキマイラから聞いているのだろう。大和と寿ヶ原の関係についてまでは知りえないだろうが、彼は大和の気持ちを察したような表情だった。

 しかしアルラ・ラーファはまず根本として部外者だ。当人たちにしかわからない感情の殴り合いだってある。

 問題の解決には、当人たちが必要だ。戦力にはならないかもしれない。これ以上この背中を盾にして、誰かを守ることなんて出来ないだろう。けど自分は必ず必要だ、と。

 大和がそう言おうとした瞬間だった。


「その体で、これ以上お前に何ができる?」

「っ!!」


 アルラは敢えて突き放すように聞いた。


「そんな体でお前に何ができる?こいつに聞いた話じゃお前も咎人だ。が、さっきの女とやりあってるときにそれを使った様子はなかったな。つまり、()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」


 的確に、突いてくる。

 大和が突かれたくないところばかりを、針の穴に糸を通すかのように寸分たがわず、的確に。

 アルラ・ラーファは椎滝大和を知らない。椎滝大和もアルラ・ラーファなどわからない。


「......あの女は強い。一般人を人質に使っていたとはいえ、あたしとシズクさんの二人を相手に生き延びた『怪物』っす。正直ここまで戦い抜いただけでもヤマトさんはMVP、これ以上は無いってくらいの戦果すよ」

「こんなぼろぼろの体でもその気になれば盾にだってなれる!!」

「そいつは『勇気』なんてきれいな言葉じゃない。ただの自己中心的な『蛮勇』だってまだわからないのか?」

「っ...!!」


 赤の他人。

 その言葉以外を当てはめられない関係性だからこそ、ずけずけと踏み入ってこれる。心の内の傷を敢えて抉ることで、これ以上傷つく必要のない人を傷から守ってやれる。

 的を射てるからこそ、大和も反論できなかった。

 椎滝大和が満身創痍である以上、これ以上テロリストたちとの戦闘に身を乗り出す必要なんてどこにもない。

 守る側から守られる側に移ったって、誰も文句はないはずだ。


「安心しろって。休んだって、眠ったって誰もお前を指差しで糾弾きゅうだん出来ないよ」


 アルラはそう言うと振り返り、黒っぽい端末片手に無数の穴の一つへと視線を向ける。

 彼から見たら、椎滝大和は自分自身をどう評価していようと『守られる側』でしかない。アルラは傷だらけの背中に隠れてビクつくことなんてしない。したくない。もっとも、かつてはこの『怪物』もとある一人の母の背に守られ今の今まで生き延びた、『守られる側』の人間だったのだが。


「よく頑張った。お前の活躍を俺が直接見たわけじゃないが、お前はここまで耐えた。キマイラが抱いてるそいつだって、お前が守ったからこうして笑ってられるんだ。後は俺たちが引き継ぐから早く医者に診てもらえ。えっと...?」

「ヤマトっす。シイタキ・ヤマト」


 そう言ったアルラはもう大和の顔を見なかった。

 歩き始めて、壁にぽっかり空いた大穴へと歩を進めて止まろうとしなかった。そのすぐ後ろをキマイラが続いて、一人ぽつんと。立っているのもやっとな人間、異界の勇者にも怪物にも成れなかった大和だけが残される。

 取り残される。

 道の真ん中で雨に打たれて立ち竦むかのように。その先に続く道が延々とあるというのに、踏み出すことが許されない。

 最初から分かっていたことだった。

 正義のヒーローになんてなれやしない。

 突き詰めれば、誰かの正義は誰かの悪だ。見え方は一つじゃない。ここで諦めることが大和にとっての敗北だとしても、大和以外の誰から見ても彼は勝利者だと称賛されるに違いない。全世界の誰に聞いたって、誰が見たって。椎滝大和がとある少女を守るための一連の行動は彼らの目にヒーローとして映り、人々は皆椎滝大和をやれ英雄だやれヒーローだともてはやすのだろう。

 ただ一人。

 椎滝大和本人を除いて。


「ダメなんだ」


 固めた拳の中から血がにじむほどに力んでいながら、その声は蝋燭に灯る一欠の炎のようにか細く弱々しい。

 歩き始めたアルラがそれを聞いていたかなんてわからない。ちらちらとこちらへ振り返ってるキマイラには届いているだろうが、灰被りのほうは反応すら示してくれなかった。

 それでもいい。

 聞こえていて無視してるだけなら、耳に届いてさえいるならそれでいい。

 大和は、大きく声を張り上げた。


「ここで全部諦めて任せたら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()なんて考えたら。きっと俺はダメになる。もう二度と立ち上がれなくなる。『異界の勇者』を辞めた意味も『箱庭』に加わった意味も無くなっちまう」


 論理的じゃない。効率的でもない。より大勢の命を救いたくばアルラと大和のどちらが正しいか......言うまでもあるまい。こんなものは所詮大和個人のエゴに過ぎず、個人的な願いの域を出ない。

 一+一の答えを聞いて全員が二と答えるのは当然だ。とどのつまり大和のやってることは、AかBどちらが正解か既に回答が出た問題で、正解とは逆の回答へ突っ走るようなもの。メリットどころか、得られるものは大和たった一人の自己満足だけ。それどころか満足の得られる回答を得られたはずの大和以外をないがしろにして、満足いかなかったというだけの一個人の意見ですべてをひっくり返していると言い換えてしまうと、大和のそれはとっくに我儘の領域をはみ出しているだろう。

 けど。

 他の誰が何と言おうとも。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 誰が彼女を止めるべきか。


「あんたが誰だろうが、どれだけ強かろうがダメなんだ。あいつだけは、寿ヶ原(ことぶきがはら)小隈(こくま)だけは俺がこの拳でぶん殴って止めないといけないんだよ。他の誰でも、キマイラでもシズクでもホードでも、もちろんあんたでもダメなんだ!!」


 そこまで聞いて。

 ぜえぜえと息を荒げていた。興奮して更に流血が激しくなったのか、衣服を染め上げる血液の赤がより一層濃くなっていた。

 アルラの足は止まっていた。

 いいや、止められたのだ。


()()()()()()()()()()()()()?」


 アルラが、答えを求めた。

 大和は、一秒も迷わず即答する。


「これは俺から始まった問題だから」


 アルラは、その言葉で大和の意志は曲げられないと判断したようだった。大きく深く息を吐いて、それでもう一度歩き始めたのだ。呆れたように頭を掻いて、しかし一方では彼の意志を認めたかのような、どこか満足気な表情を浮かべていたことに本人は気付かない。

 大和の足が彼らと並ぶ。

 全身の血管という血管が悲鳴を上げて、骨や筋繊維がぎりぎりと歪な音を立てている。右腕もほぼほぼ使えないようなものだし、例え万全の状態だとしても一対一タイマンでは寿ヶ原小隈に叶わない。

 大和は、それをすべて理解していてなお進むことを選んだ。

 テロリストの好きなようにはさせない。忌々しい二人の因縁にも決着をつけて、あの日の繰り返しを繰り返させないために。『憎悪』の連鎖はここで終わらせる。

 何としてでも、ケリをつける。


「...命の保証はないぞ」

「既に一度捨てた命さ。二度目の使い方は自分で決める」



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