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終焉の鐘が鳴る頃に  作者: iv
序章
137/268

真に残虐は誰か



 粉々に砕けた土塊が舞い上がり、粉塵が極彩色を覆い隠す。爆心地となった青年と少女が粉塵の外に足をつけ、地面には中心点から四方八方に亀裂が広がっていた。

 やがて吹き荒れる暴風が収まると、二人の『怪物』が顔を出す。

 自分が死に物狂いで立ち向かった相手がぜえぜえと息を切らす姿が、しばらく大和は信じられなかった。

 一瞬の攻防ながらも、自分と寿ヶ原の戦いを遥かに超越している。自分と同じ人間から繰り出される蹴りとは思えない破壊力だった。まるでダイナマイトを起爆させたかのような破壊が蔓延して、衝撃波と吹き散らされた土の粒が暴風に乗ってグラウンドの隅々にまで運ばれる。自分相手に一方的な攻撃を放っていたあの寿ヶ原が防戦一方で、しかも押されつつあるという事実を呑み込むのに時間が掛かった。

 灰被りの青年。


「終わりだ」


 確か、キマイラがアルラとか呼んでいたその青年が口を開く。

 ゴキゴキッ!と首を横に傾けて音を鳴らしながら、彼は今もなお自身を睨みつける少女へと面と向かって言い放ったのだ。


「その腕と足じゃあもう俺と戦ったって万に一つも勝ち目はない。毒だって今ならまだ間に合うぞ、大人しく降伏するんだな」


 明らかに様子がおかしい。

 アルラが指差しで指摘した先。

 オーロラのような淡い光を帯びた指先を向けられた寿ヶ原が、だらりと両手を下げて奥歯を噛みしめている。左足も引きずるような動きしかできないようで、大和から直接汚染させられた『毒炉の実(アシッドザクロ)』の毒がじわじわと彼女の胴へと昇って行ってるようだった。このまま汚染が進んでしまえば、彼女に残された時間も大して長くはないだろう。

 焦りと激痛からか、寿ヶ原の背筋を冷たい感触が通り抜ける。

 すぐさま新たな砲弾を用意しようと試みるが、電流のように駆け巡る痛覚の異常のせいで、せっかく集めた空気を吹き散らしてしまう。

 そして、だ。

 アルラが足とともに指摘したもの。

 頭上から、地面を陥没させるほどの一撃を受け止めた彼女の両腕。

 アルラの攻撃をガードした両腕が真っ赤に腫れ上がっていたのだ。恐らくは『神花之心アルストロメリア』の衝撃を殺しきれずに骨へと直接ダメージを受けてしまったのだろう。両腕は肘から先のあたりで骨折しているらしく、寿ヶ原はもう両手の指すらもろくに動かせないようだった。


「その腕じゃあしばらくスマホも弄れないな」

「...現代っ子だった頃の自分の姿なんてもう忘れたわよ。今じゃスマホなんて一回使うたびに踏み潰して、痕跡をたどられないようにするので精一杯」


 いっそ彼女は自虐的なまでの笑みを浮かべて、そう答える。

 じわりじわりと、胸の奥から火山の噴火のように込み上げてくる感情を寿ヶ原は感じ取っていた。

 貯め続けてきた負の感情が()()()失敗を重ねたせいで要領を超えて爆発しようとしているのだ。今までのように『どうせ自分だから』と無理して納得していたほうが今は苦しいが後のためになる。こんなところでむやみやたらに感情を爆ぜさせていては、いつの間にやら堪忍袋の緒なんてものは何年も履き続けたズボンのゴム紐のようにゆるゆるになってしまうだろう。


「何なんだお前」


 だが、今回は。

 集大成とも呼べる今回だけは。

 抑えることが出来なかったのかそもそも抑えようともしなかったのか、彼女以外の誰にもわかるわけがない。

 白衣のところどころを赤く染め上げて、へし折れた両腕をだらりと垂らした少女は投げかけていた。疑問を、理不尽極まりない『世界』への憤怒を。

 彼女は小さな言葉で自らの怒りを表現したのだ。


「何なんだよ!!出てきた障害全部上から潰したかと思えばなんでお前みたいなのが出てくんだよ!!」


 例えどれだけ『人間』として間違った方法であろうとも、それこそを理想としていた彼女からすれば、寿ヶ原小隈という少女からしてみれば、だ。

 面白いはずがない。

 ここまでやったのに最後の最後でお預けくらってその場で足踏みだなんて、彼女じゃなくても誰であろうとも面白いと思えるはずもない。

 何でもやってきた。

 本当にそれこそ、()()だ。

 いつの日か新たに()されるであろう『異界の勇者』の第二世代に対抗するため、自らの異能を可能な限り磨き上げた。緻密ちみつな計算を何万回と重ね、0.0001もの誤差すら出ないように何度も調整を行った。己に残された時間を極限まで削り落として錬金術師としての技術向上にも励んだ。

 きれいごとだけで通用しないことは誰に言われることもなく理解していたから。

 人殺しだろうがなんだろうが両手で数え切れるような数字はとっくにオーバーしている。かつての仲間だろうが何だろうが、利用できるものは最大限利用して最後にはポイ捨てしてきた。

 そうして、己で作り上げた汚れた道を歩いてきたのだ。寿ヶ原小隈は。ただただ自らをこんな風に変えた『世界』に対する憎しみを晴らすためだけに。自ら進んでゴミだらけの汚れた道を歩き続けた。

 いつの間にか、奥歯ががちがちと音を鳴らしている。

 青筋が浮かび上がり、全身の血液が脳まで昇っていくのが分かる。


()()()の死に目には誰も現れなかった!()()()も、私も、間に合わなかったのに!!なんでそんな糞野郎の時ばかり...っ!」

「やめとけって無駄だよ。言っただろうがこっちは3()()だ。一人ぼっちで手負いのてめえが叶うわけないだろ」


 冷静な一言が続き、その背後で簡単な治療を終えたキマイラが立ち上がる。

 またもや生み出された『空圧変換エアロバズーカ』の砲弾が何ら害の無いただの空気に還っていく。

 大和にとっての力の象徴。恐るべき破壊と殺戮の権化が、あっけなく。

 だが寿ヶ原小隈も流石といったところか。辛うじて形を保つことのできた砲弾が一つ、グオンッッ!と暴風を伴い放たれる。

 対して、だ。どこぞの誰ともわからない灰被りの青年はと言えば、


「やめとけって」


 小さく警告すると、いつの間にか手の中に収めていた丸っこい物体を宙へと放って、キャッチの瞬間とともに大きく振りかぶったのだ。

 次の瞬間、ズドンッッ!!という衝撃が寿ヶ原の腹部を貫いた。

 発射されたのは何の変哲もない。何処にでも転がっているような石ころだ。恐らく『空圧変換エアロバズーカ』で破損した壁の破片か何かだろう。だが時速150kmやその程度の速度で放たれたところで『空圧変換エアロバズーカ』の砲弾の中心まで貫いて吹き散らす、なんて結果は生まれない。ビルをもへし折る『空圧変換エアロバズーカ』をたかが投擲で打ち破るにはどれほどまでの速度が必要なのか。正確な数字なんて知りたくもない。

 瓦礫は体を突き破ってこそいないものの、衝撃だけでも十分内臓を揺さぶれる。

 背中から地面に叩きつけられて、寿ヶ原は自身に何が起こったのかわからなかった。内臓がせりあがっているわけも、肺にため込んだ空気が一気に吐き出されていることも。


「ぐおば...っ!?」

「諦めろ」


 幾つか隠し持っていたのか、アルラがもう一つの破片を取り出しつつそんな風に忠告する。

 衝撃を加えられた腹部を折れた腕で押さえつける白衣の少女への警告のつもりか、ぽんぽんと手の中で弄んだ破片を何の気なしに弾くと、着弾点となった遠くの壁から轟音とともに粉塵が撒き散らされる。

 そして、


「今なら命までは取らない。ここら辺で引き返せ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 ぴくりと。

 【憎悪】の咎人が放った言葉には、どうしても反応するしかなかったのだ。


「その程度、だと?」


 その程度。

 夢も世界も友人も奪われた憎しみを、その程度と。

 与えられるだけ与えられて満足そうに強者の椅子にふんぞり返っているような異世界人は、そう言ったのか。この理不尽の権化とすら思えるような灰被りの男は、この果てしない憎悪を『その程度』の一言だけで切り捨てたのか。


「私のこの憎しみが、怒りが、ちっぽけだとでも?」


 嗚咽をこらえてゆっくり立ち上がる。

 腹の奥からせりあがってくる何かを、気力だけで押しとどめた寿ヶ原の語気が強まる。


「あんたに、あんたみたいなのにわかってたまるか!!ある日全部奪われたんだ。何もかも奪われて残ったのは自分の身一つとくっだらねえ力だけだった。こんな力要らなかった。もっと大切なもん守れるってんなら、『異能』なんて喜んで差し出せる!!」


 それはきっと、寿ヶ原小隈という人間の、紛れもない本心だったのだろう。

 遠くで彼女を見つめていた大和も、ようやくその考え方の一端が見え始めたような気がした。本心に触れて、今にも泣き出してしまいそうな白衣の少女。

 道は間違っているけれど、掃きだめのように汚れ切った道ではあるけれど。

 覚悟だけは本物だった。

 ゴミを踏みしめて暗い道を歩く覚悟。敢えて陽の光が差しこむ道を嫌い、日陰だけを歩いて彼女なりのけじめをつけようとする覚悟。

 だからこそ、大和は思う。

 どうして、()()()()()()()()()()()()()()。と。


「こんな世界さえ無ければ良かったんだ!!そうすりゃ私たちが勇者だなんてもてはやされて戦場に出張る必要もなかった。別世界のくだらない情勢に巻き込まれもしなかった。いつもみたいに学校の帰り道に寄り道して、惣菜屋で買ったコロッケを頬張るくらいの小さな幸せがずっと続いた!!こんな世界さえなければッ!!!」


 多分、彼女はずっと孤独だったのだ。

 正してくれる『誰か』を失ってしまって、【独善】を指摘してくれる誰かを失った咎人の結末。間違っているのに、自分でもわかっているのに踏みとどまれなくなってしまう。限界を超えてまで、それでもすがることのできる誰かがいなかったから、憎悪に全身を浸食されてしまった哀れな被害者の一人。

 彼女は、もう一つの大和の姿なのだ。

 日向に傾けなかった、日陰を歩いた場合の。


「イカロスはもう止まらない」


 白衣の復讐者

 無理やりにでもその指を曲げて、痛みなんて知ったことかと言わんばかりに拳を固めて、


「ここで私が倒れようとも!!もう爆弾は止まらない!最初の爆破で既にメイン動力と予備電源は僅かな機能を残して停止した。このままトウオウまでゆっくり降下しつつ気圧の変化で爆破は更に激しくなる!!島とまで形容される質量の塊だ。『毒炉の実(アシッドザクロ)』の汚染効果なんて無くたって、これだけの質量が国の中枢に降り注げば国家の一つや二つ簡単に崩壊させられる!!」


 しかし、だ。

 ここまで全てを聞いていて、寿ヶ原の言葉を大和やキマイラよりも間近で聞いて、それでも、


「哀れだな」


 灰を被ったような頭の青年は、確かにそう言った。寿ヶ原小隈という少女の全てを聞いて、完全にとは言えないとしても彼女という人間を作り上げた何かの一端くらいは垣間見たはずなのに。

 ふざけんな、ではなく。

 可哀そう、と哀れんだ。

 直後だった。

 びちゃびちゃびちゃ!!という音が生まれていた。


「ぐ、あ...?」


 口元を抑えたまま腰を丸めた寿ヶ原の手の隙間から、ホースを指で押さえつけたかのような瞬間速度で、唾液とはまた違う粘度を持った半透明の液体が飛び散ったのだ。

 それがきっかけだった。

 アルラも、キマイラも、一番遠かった大和も気づいた。

 彼女の体のあちこちに広がった傷口の()()()()()()()()()()ことに。真っ赤な鮮血の出口が、絵具を水で薄めたかのように希薄になっていく。

 どう見ても異常な現象だ。

 普通じゃない。

 そう思い困惑している大和の前で、極彩色を拳から消したアルラが一歩前へ出た。

 そして、


「やはり使ったな」


 氷のように冷え切った眼差しで、そう言った。

 円形の黒い端末を取り出しながら。

 そのディスプレイに表示された文字の羅列を読み上げるように、どさりと今度こそ膝をついて動けなくなりつつある白衣の少女から視線を移して、だ。


「てめえで開発した『万能薬パナセア』とかいう薬物。正式名称は咎人専用異能暴走化薬品、だったか?」


 かはっ...!?とまともに呼吸も出来ない様子の寿ヶ原へと、『ウィア』が手に入れた情報に目を通したアルラが今一度視線を投げかける。


「ぱな、せあ...?」


 信じられないものを見たかのように大和が呟いていた。

 『万能薬パナセア

 確か、隻腕の男が持っていた薬物。寿ヶ原が錬金術を修める過程で生み出したという、『異能』そのものの力量を底上げする薬物の名前だ。大和自身も一度それを体に打ち込まれて大変な目に会っている。『異能』が暴走して、自分だけでは何もできなくなるあの感覚。

 思い出すだけでもぞっとする、あの感覚。

 自分だけでなく、彼女もずっとその身に宿して戦っていたというのか。


「マ素を含んだ薬品内の成分が酸素の代わりに血中のヘモグロビンと結合し全身に行きわたることで効果を発揮する。咎人が分泌する独自のホルモンのバランスを敢えて崩すことによって、通常では得られないほどの出力を一時的に引き出すことが可能、か。恐ろしい薬物造りやがって。てめえがその()()にやられてたら世話が無いけどな」

「副作用...?」

「そうさ」


 大和は小さく問うように呟き、それから少しずつ痛覚を取り戻しつつある体をどうにか起こしてふらふらと立ち上がる。聞かれたアルラが大和に背中を向けたまま何の気なしに答える。


「『万能薬パナセア』の成分は()()()()()()()()()()。やがてヘモグロビンそれ自体が耐え切れなくなって勝手に崩壊するし、急に心臓を酷使するんだから全身の血管は一気にズタズタに引き裂かれる」


 一瞬で一気に情報を詰め込まれたせいだろう。

 大和の思考は完全に真っ白に塗りつぶされていた。


「血が赤いのは血液中に赤血球があって、その約三割がヘモグロビンだ。そのヘモグロビンが赤血球ごと崩壊しちまうから、使用者の血液は色が薄まって不自然な透明色になる。酸素を全身の細胞に運ぶ役割を持つ赤血球が酸素を運べなくなって、細胞が勝手に死に始める」

「ぐ、ぬっうううううううううううううう...っ!!」


 もはや、誰の目にも明らかだった。

 このままでは助からない。既に『万能薬パナセア』は全身に回りつつある。どうにか手を打たなければ手遅れになってしまう間違いなく、寿ヶ原小隈は自らの『作品』に殺されてしまうだろう。

 そのまえに。

 かつて自身の恋人を救うことができなかった大和が叫んだ。

 もうやめろと。今ならまだ助かると。目の前の少女の親友を助けることができなかった過去を繰り返さないように。せめて、かつてと同じ過ちを犯すまいとした大和が大声を張り上げたのだ。


「もうやめろ寿ヶ原!!これ以上やったって何にもならないはずだ、もう終わりにしよう!!ただでさえその副作用で弱ってるのに、『毒炉の実(アシッドザクロ)』まで全身に回ったら何をやっても手遅れになっちまう!!」


 聞こえているのかいないのかもわからなかった。

 あくまでも『怪物』を貫き通す。

 死すらも覚悟の内で、何が何でもやり通すという意志すらも感じられるほどに。

 もう彼女にはブレーキなど存在しないのだろうか。椎滝大和がその役割を果たさなければ、同じ少女を想い続けてきたもう一人の少女まで死んでしまう。狂気に憑き殺されてしまう。それでまた後悔の念に締め付けられるなんてまっぴらだ。

 狂気に蝕まれ叫ぶ白衣の少女に向かって、大和が走った。

 自身も『毒炉の実(アシッドザクロ)』の汚染の影響を受けているというのに、それすらも忘却に過ぎ去って手を伸ばそうとしていた。

 しかし。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおあああああああああああああああああああああああああああああああッッ!!!」


 大和の手は空を掴んだ。

 寿ヶ原は最後の最後まで諦めるつもりは無いようだった。

 白衣の少女の、獣に勝る咆哮の直後。これまでにない数の『空圧変換エアロバズーカ』の砲弾が一斉に生み出されたことで、グラウンド全体に凄まじい暴風が吹き荒れる。大出量の空気弾が一斉に放たれ、暴風が形となって破壊の限りを尽くす。

 ズギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャッッッ!!!という爆音に次ぐ轟音が生まれた。


「チィッ!!」


 言うまでもなく彼女の最後の底力だろう。

 放たれた『空圧変換エアロバズーカ』の内、自分たち目掛けて飛んできた砲弾を極彩色で吹き散らそうとしたアルラの体が数メートル背後へ押し出され、ずざざざざざざ!!と芝生へ食い込ませた足が引きずられて茶色の二本線が生じた。

 アルラはすぐさま地面を蹴り、寿ヶ原小隈へと追い打ちをかけようとしたが、


「......逃げられたか」


 そこには既に、寿ヶ原小隈の姿は無かった。

 天井に床、あちこちの壁までも『砲弾』で貫かれ、どこから脱出したのか迷わせようとしたのだろう。

 どこもかしこもくりぬかれたグラウンドの粉塵が止むと、今までとは打って変わっての静寂がその場を包み込む。

 大和の言葉は彼女に届くことなく、彼女の爆音に埋もれて消え去っている。



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