鎮魂歌
「チッ、思ったより時間が掛かったわ」
とある一つの衝突における『勝者』は、そんな風に口にしていた。
気にせず無視すればいいものを、自身とは無関係なはずの咎人を庇った結果がこれだ。もっとも、無視して向かってきたところで勝負になるはずもないのは確かだが。
椎滝大和はもう動かない。
心臓自体が停止したのかは、心臓が弱い子供が破裂した風船で気絶するように気を失っているだけなのかはさておいてだ。とにかく、この瞬間。寿ヶ原小隈の邪魔をする人物は誰一人としていない事実は覆せない。よっぽどのことがない限りこの状況を覆すイメージすら沸かないのは確かだ。
守護してくれる騎士を失った『毒炉の実』が泣きわめいていた。ふんっと鼻で息を吐いて、うつ伏せになったまま動かないかつてのクラスメイトを見下ろす。
「......どうしてあの瞬間、あの子に同じことをしてあげれなかったのかしら」
意図せず口から出た言葉だった。
もはや自身の計画とあの子は一切関係ないというのに、それでも自然と出てきてしまったということは心の奥底ではまだまだ根に持っているということだろう。
内面では年を重ねてもまだまだ子供だと思い知らされる。止まっているのは外見の成長だけでなく、心の成長も同様なのかもしれない、と。
アンチワールドモールドも随分と消費させられた。ポケットの中に潜ませていた透明なカプセルは完全に無くなって、これ以上は追加効果で肉食カビをぶちまける砲弾も放てない。補充すればいいだけの話ではあるが、『毒炉の実』を切り札の『イカロス』に組み込むとなると、一度拠点へ引き返して取りに行く暇も惜しかった。
透明なカプセルを入れていた方とは逆のポケットを探り、道中一般客からパクっておいた通信機器を取り出すと、寿ヶ原小隈は適当に小型化されたハッキング機材を取り出してセキュリティを突破してしまう。そしてその調子で、こじ開けたホーム画面から番号を入力し始めた。
がちゃりという音と共に通話がつながったことを確認すると、耳と金髪の側面に通信機器を差して首を傾ける。
「厄介な国の犬たちは撒けたらしいねえ」
『1対20だぜ?流石に無傷でとはいかなかったさ。何匹かは潰しておいたがありゃしつこい野獣だよ」
「本題に入りましょ」
『自分から振ってきたくせに』
画面の向こうの男性は呆れたように息を吐いていた。
『今どこに?』
「さあ。北区ってことはわかるけど具体的な位置はわからない。そっちで逆探知なり位置情報を参照するなりして調べて」
『『毒炉の実』は?こうしてのんびりおしゃべり出来るってことはあの男を片付けたってわけだろ』
「まだ殺してはいないけれど、まあそうね。生殺与奪は私が握ってるわけだし。導火線も特に問題はないわ、今からそっちに持っていく」
自分自身で口にした言葉のはずなのに、自身の言葉にまで違和感を覚えるのはどうしてだろうか。いくら自分に言い聞かせようが、その違和感をぬぐえないと確信してるのも不思議でならない。
いや、本当はわかっているのだ。わかっていてなお、気付かないふりをしたほうが楽だから、意志が楽な方向に引っ張られようとしているのを押しとどめているだけなのだ。本心からは少しばかりずれてしまったのを見て見ぬふりで済ましている。
長い時間をかけていよいよ実行したという作戦だが、心のどこかでもっと別の道に走らせようとしている自分がいることには気づいている。
計画よりも、私怨を優先しろと。
腸が焼け落ちるほどに憎悪した相手が無防備に倒れているのだから。幾度となく悪夢に見た復讐の対象が目の前にいるというのに、心意を騙して集団の心に身を任せるのかと問いかけてくる自分が付きまとってくるのだ。
何かを察したのか、画面越しに男が口を開いた。
『ボス、無駄なことに時間を割いてる暇はもう無いからな。もっともあんたの世界を徹底的に叩きのめしたいという気持ちに変化がなければの話だが』
「...わかってるわダニエル」
口調ではいつも通りの彼女のように聞こえる。が、聞こえるそれ全てが真実とは限らないことを隻腕の男は知っていた。
何故なら自分と彼女は似ているから。
似たような復讐心を胸にネット上の匿名掲示板から集まったのが始まりで、言葉だけでは一見危うく見える繋がりも現にこうしてつながっている。同じ境遇だからこそ、次にどんなことを考えるのかは手に取るようにわかってしまうのだ。
きっと彼女の中の『本心』は納得していないということも。
自分だってそうだ。彼女の立場になって、同じ状況に遭遇したら現時点の寿ヶ原小隈ほど我慢できるとは思えない。今すぐにでも着火して、『集団』を捨てて『個人』を優先してしまう可能性のほうが高いのだから。
しかし少女はそうなっていない。過去を精神力で押さえつけて、『個人へのささやかな復讐』より『世界への大々たる復讐』を優先しようとしている。
ビキビキと通信機器を砕く勢いだった拳の力を抜いて、寿ヶ原小隈が深く息を吐いていた。
目を閉じて、内側で煮えたぎる怒りの業火を抑え込めながら。
振り返るように。過去を今一度己が心臓まで刻み込むように、少女は震えた。武者震いと呼べばいいのかただの緊張なのかいまいち悩むが、とにかくだ。
「...三年」
『?』
するりと出たようで、思い出が喉元に引っかかっている。
目を閉じたまま。瞼の裏の暗闇の中では、何時だってあの日の記憶がよみがえる。人生一番の絶望を味わったあの日。こんな狂った世界に無理やり連れてこられたあの日を遥かに凌駕する『最悪』を植え付けられたあの時の怨嗟は忘れない。
忘れるわけがない。
「ここまで来るのに三年掛けた。私怨で私たちの三年を台無しにするわけにはいかない」
この言葉で向こうも納得したようだった。
『異界の勇者』を辞めてからの付き合いだ。意図せずとも多少は相手の心情も読めてしまうせいで、こちらの葛藤だって奴にはお見通しなのだろう。それ以上心配の言葉は無い。求めてもいない。
『......ボルダの奴は依然行方不明のままだぜ。やられたと見て間違いないだろう』
「―――――また後で掛けなおす」
通話を切る。
計画の大体が明らかとなった今となっては通信手段を消す必要もないと判断したのだろう。もう一度ポケットの中へと盗んだ端末を雑に戻すと、寿ヶ原はちらりと未だ泣き叫び続ける小さな少女へと向き直る。
片手で両目を覆った後に、揺るがない決心を胸に歩き始めた。
もう止まれない。
可哀そうだとは思う。しかし同時に許せないとも思う。寿ヶ原にとっては生まれたばかりの小さな命でさえも憎むべき対象で、復讐すべき世界の一片だから。いくら『復讐』の道から逸れようと模索したところで、この考え方だけは改めることが出来なかった。例え小さな子供だとしても、憎むべき世界の一部であるのだから許すわけにはいかない、と。
現実は残酷だ。
十数年前までは日本中どこにでもいるような学生だったのに、今ではどうだ。この『世界』に来てどう変わった。
元『異界の勇者』で、今では自分をこんな風に陥れた世界に『憎悪』するテロリスト。たった一人の親友を守れなかった男を叩き潰し、巨大な飛行船ごととある島国を叩きのめそうとしているのが自分。
試験や将来を考えて頭をひねるかつての自分はもういないのだ。
少女は思う。
(こいつが言うみたいに)
とある同郷の少女一人救えなかった自分を憎み青年を憎み、そして結果的にこんなバッドエンドを用意した世界を恨んだ自分。今でもこの考え方が間違っているとは思わない。不幸だとは思うが、それも仕方ないとすら考えてしまうあたり、やはり私は狂っていたんだろう。
(あの子はきっと、私のこんな姿を望んでいないんだろうな)
例え天国の彼女が納得しないとしても。自分一人の自己満足に過ぎなかったとしても、これだけは。
天国の彼女に嫌われたとしても、それはそれで構わない。自分なりに精一杯やった結末失敗したなら、それも別に構わない。ただ一矢報いるという願いが叶うのならば。
そうして、芝生を踏みしめる冷酷な足音が始まった次の瞬間だった。
がしっ、と。
泣き叫び、助けを待つ赤子に近寄ろうと歩を進めた足元で、だ。何やら、生暖かい感触に足首を掴まれている感覚があったのだ。人肌の温度じゃない。ぬるま湯で温めたような温度の正体は血液だろうか。とにかく触れてて気持ちのいいものじゃない。払いのけようと足をぱたぱた振ってみるがその手は足首に掴みかかったまま離れない。
寿ヶ原小隈は、誰が?だなんてわかりきった疑問に追及はしなかった。この場所で、自分を止めようとする奴なんて一人しかいない。這いつくばってでも壊したい自分の対局、這いつくばってでも守りたいと願う奴。
そいつは、
「いか...せ、ない...」
風に吹かれた紙吹雪のように弱々しく、まるで死にかけの小動物みたいな声で。ただし力は万力、絶対に離すものかという意志すら感じられるほどの膂力で掴みかかっている。
手首から、線をなぞるようにその根元へ視線を投げかける。一旦、足を止めて、だ。肩を静かに震わせながら白衣の少女は唇を噛む。
手が伸びていたのは寿ヶ原小隈自身の足元からだった。いつの間にか這って移動していたのだろうか。どこかの傷口が開いたらしく、こいつが移動した後には線の形で血の跡が残されている。
チッと、ブレザーに白衣の少女は一度舌を打って。
「目覚めたか」
『空圧変換』でぼこぼこに荒れた地面の上で這いつくばって、椎滝大和が薄っすらと開けた目で寿ヶ原小隈をにらみつけているのだ。
錬金術の修練では、医療関係の知識にまで手を伸ばす者もいる。せっかく足を踏み入れたのだからと、その一人となった寿ヶ原小隈には。裏に潜みながら、別の意味で真っ黒な人体に触れることも多かった彼女にはわかる。
あの出血に、あの傷だ。傷といっても寿ヶ原が最後に与えたあの一発のことではない。むしろ彼のダメージは、ここに辿り着く過程で負ってしまったダメージのほうが深いはずだ。最後の一発は辛うじてつなぎとめていた意識を奪うきっかけに過ぎない。
本当は意識を保つことすらしんどいに違いない。医療職の人間が彼の姿を見たのなら真っ青な顔で救命処置を始めるだろう。本人だって、激痛に泣き叫んで気を失っていたほうが楽なはずなのに。
なのに、どうして。
一度意識を暗闇の中まで落としてしまえばそれまで、傷ついたこいつならなおさらこんなに早く起き上がれるはずはないのに!!
ごぶっ!!と。
もう一度この手を振り払おうと寿ヶ原が動いた次の瞬間。
大和が咳き込むと同時に吐き出した血液の中に、何か透明な物体が混ざっているのを発見したのだ。小指の第一関節から先ほどの大きさで、鋭くとがったそれは血の赤で汚れてしまっているが。
「割れたガラス片...口の中に仕込んでいやがったのか。転んだ時の激痛で目を覚ますように...!!」
寿ヶ原小隈の心臓が小さく跳ね上がる。
ここで、無駄な時間を過ごして足止めされるわけにはいかない。完璧に排除したほうが後々の心配は無くなるが、それ以上に時間が無い。完璧な形で計画を遂行するには。ここで『毒炉の実』を奪って仲間と合流する道を断たれるわけにはいかない。
「この、まま。俺が...異能を発動すれ、ば、寿ヶ原。お前は海に...真っ逆さまだ」
「.........知ってるよ」
「...」
「あんたはもう『異能』を使えない』
静寂の中で告げた言葉が今まで以上に響く。
この言葉をどう受け止めたのかはわからない。が、『毒炉の実』を守るには、奴は今すぐにでも異能を使って私を飛ばすのが正解なはずだ。
それをしないということは、やはり。
「『万有引力』は発動するたびに気力を消費する。4年前と変わってなければだがな。気力ってのは意識をつなぎ留めておく力のことで普段は何の問題もないが、今のお前みたいな状態じゃあ一回発動するだけでも致命傷だろうが」
「知ってた、のか?」
「何度でも言うからな。私は、あの子の、親友だった。どういう原理で『罪』が移ったのかは知らないが、特性を丸々引き継いでいるってんならあんたはこれ以上何もできない。その手を離せ」
「嫌、だ」
「最後の警告だよ。手を、離せ」
「嫌だっつってんだろうが!!」
グチャアッッ!!と。ただ脇腹をつま先で蹴りぬいた音にしては生々しい音があった。サッカーボールのように蹴り飛ばされた大和の体が芝生の上を転がって、傷口から吹き出た血しぶきが深緑の芝を上から塗りつぶす。暴力の前には固く結んだ意志なんて紙切れのように頼りなくて、離しちゃならない手も離していた。
辛うじて掴んでいた意識が飛びかける。離したら今度こそおしまいだというのに、脳みそが勝手に休みたがっているようだった。口の中をずたずたに引き裂いてまで取り戻した意識をまた暗闇に戻されては今度こそおしまいだ。ティファイは奴らに連れていかれて、くだらない計画のパーツとして消費されてしまう。子供のように駄々をこねて、気に入らないことを受け入れようとしないテロリストたちの欲望に加担させられてしまう。
それだけは、何としてでもさせちゃならない。
だから。
「っ!!?」
指先一つで空気の砲弾を形作ろうとしていた、まさしくその時だ。
ぴしり、という鋭い痛みが。電流を流すかのような、或いは画鋲のような棘をいくつも突き刺されたかのような鋭くとがった激痛が寿ヶ原の足首に現れていたのだ。今まで感じたことのない種類の痛みが。
椎滝大和に掴まれていた足首。彼が決して手を離そうとしなかった、まさにその所で。電圧を次第に増していくかのように、突き刺すような激痛が徐々に強くなっていくのだ。
次の時には激痛の発生源から決定的なものが流れ落ちていた。汗とも涙とも違う透明の液体。どこからともなく表れたそれが彼女の足を伝って芝生へ垂れると、明らかな変化が現れた。
「これ、は...?」
アンチワールドモールドのカビの浸食とも違うように思える。滴り落ちた液体に触れた芝生が、あっという間に枯れていくのが見てとれる。まるで即効性の除草剤でも撒かれたかのような劇的な変化だ。寿ヶ原が造った肉食カビとは広がり方が違いすぎる。
しかし。
思い当たる節は、ある。
つい先ほどまで通話で話していた男のことだ。組織の幹部、地球出身の元米国軍人の男。組織に地球では埋もれてしまった技術の詳細を提供し、世界の全人類に対する復讐でもかなり重要な立ち位置に立っていたあの男のことだ。
彼が片腕を失った原因は何だった?
いいや、片腕だけで済んだのは幸運だったのだ。本当は、もっと体の深いところまで侵入されてあっという間に死んでいたはずだ。生き延びたのは奴が機転の利く人間だったから。
逆に、そうしないと生き残れなかった、ということでもある。
この『液体』が。寿ヶ原小隈が推測した通りのものだとすると、寿ヶ原も、自らの腕を犠牲にした大和も。生き残るために残された道は...
「まだ、わからないか?」
死にかけにしては妙に力強い声だった。
ふらふらと起き上がろうとしていた大和がそんな風に言っていたのだ。まるで自分は何も問題ないかのように振舞って。
寿ヶ原小隈と同等か、それ以上。想像できないほどの激痛の渦の中にいるはずなのに。
「俺がティファイを突き飛ばして、お前の『空圧変換』から守ったあの時。既に、ティファイは大声で泣いていたんだ」
「まさ、か」
決して、勝利を確信した者が勝ち誇るような言葉ではなかった。むしろ、その逆。苦痛を全力で堪えようとして、体を浸食される痛みのために大声で叫ぶことすらままならないように。
この結果を招いた椎滝大和ですらも死にかけだ。今までの傷と『空圧変換』によるものではない。
これは...
この、傷と症状は...!?
「椎滝大和...ッ!あんた、『毒炉の実』に汚染されていたのか!!?」
叫ばずにはいられなかった。
一瞬にして、何年も何年も。何度も何度も何度も何度も試行錯誤を繰り返してようやく実行に移したという作戦を覆されてしまったのだから。まるで、ジェンガで一番下の土台を蹴散らすような暴挙だ。反則と言い換えてもいい。かつては真に大切にしていた親友まで奪われたのに、今度も邪魔するのか、と。
大和も、規格外れの痛みにようやく実感がわいてきたようだった。即ち、覚悟の実感。失う覚悟で汚染させた右腕に、傷だらけの体を鞭打つようにしてわざわざ立ち上がったのだ。もう『死』がすぐそばまで迫っているのは明らかだった。そして、心の底から思った言葉をぽつりとつぶやいた。
「片腕であの子を守れるってんなら、この腕も本望だろうさ」
ぴくりと、白衣の少女の眉が動く。
「見ず知らずのガキのためにそこまでするのか」
「ああ」
「自分の恋人には手も伸ばさなかったくせに、自分の恋人を殺した世界の一部には優しく丁寧に手を差し伸べるのか!!?」
二人の間には十メートル程度の距離がある。この距離なら、寿ヶ原の一方的な間合いだ。空気の砲弾を撃ち込まれれば今度こそ椎滝大和は助からないだろう。
もちろん、当の大和も理解している。理解したうえで、向き合って、敵対していたとしたら、それは寿ヶ原小隈とはまた別の狂気だろうか。
「あの時僕は恋人を助けることができませんでした。だからせめてこの子だけは~ってか?贖罪のつもりか!?笑わせんじゃねえぞ糞野郎!!それでお前の過去が変わるわけじゃあない。繰り返せば繰り返すほど虚しくなるだけだよ。人殺しのお前が人助けなんて一層過去が目立つだけなんだよ!!」
「償えば消えるほど罪とか罰とかが単純じゃないことはわかってる。過去の過ちからは逃げられないんだ。だったら全部受け入れて、これから救える命のために全力で手を伸ばす!!俺はこれからもそうするぞ。彼女が俺を助けてくれたように!!それが俺から彼女へ贈る『償い』だ!!」
ズドンという衝撃があった。
即興で作ったからか小さく威力は低かったものの、『空圧変換』を叩きこまれたらしかった。大和はもはや痛覚までもマヒしているようだ。撃ち込まれたという事実に気づいたのは、自身の顔の隣に地面が現れたその時...足元に衝撃を喰らって、だるま落としのように地面へ叩きつけられた直後だ。
もはやどこの骨が折れていて、どこの血管が千切れているかもわからない。
満身創痍という言葉が今までの人生で最も似合う瞬間だった。苦痛に対する恐怖はとっくに過ぎ去り、むしろダメージを忘れるためにどばどば放出されるアドレナリンで気持ちが昂ぶりつつあったのだ。たとえ地べたに這いつくばって土塊に頭を押さえつけられていようがその意志は砕けない。
「今ならまだ間に合う。出頭して、しかるべき治療を受けるんだな寿ヶ原。俺がお前に触れた時点で、お前の『勝ち』はもう無い!!」
どちらが善でどちらが悪なのか。
あるいはどちらも悪なのか。救おうとする大和も、壊そうとする寿ヶ原小隈も。少なくとも、どちらも『善』という線は無さそうだ。互いに自分だけの善意の基準くらいは持ってるようだが、決して相手とは理解しあえないほど『対極』に位置しているのだろう。
だから。
もう。
「殺してやる」
今度こそ。
なけなしの情に塗りつぶされたような上っ面もなく。組織のパーツとして働かなければならないという責任も捨てて、白衣の少女が呟いていた。
「もう計画なんてどうだっていい!!組織なんて知ったことか。そんなに死にたきゃ今すぐぶっ殺してやる!!殺した後上下に引き裂いて彼女の墓から一番遠い場所で焼き払ってやる!!!」
つまり、ただ己の胸の内で渦巻く『憎悪』のために戦う、と。寿ヶ原小隈はそう言っている。
肺から吐き出る息の温度がおかしかった。全身の傷口から飛び出した血のぬくもりが衣服にしみつき、ねっとりと全身を埋め尽くすようだった。
大和は、立ち上がれなかった。
直前に受けた足のダメージ。痛覚がマヒしているせいか、逆に自分の体の異常に気付くことができなくなっていたらしい。立ち上がろうにも、膝から下の感覚がすっぱりと遮断されている。
『毒炉の実』に汚染された右腕はというと、手のひらから始まった汚染は既に肘と手のひらの中間ほどの位置まで進行しているようだ。全身の痛みが抜け落ちたせいか、ここの痛みだけはより際立って感じてしまう。
これで最後かもしれないと考えると、やはり虚しく残るものがある。
だが、稼いだ時間は寿ヶ原の『計画』に十分な損害を与えたはずだ。
あとは本物の『怪物』に託すしかない。今どこで何をしているのか、どうして何も告げずに消えたのかはわからないが彼女のことだ。簡単にやられるとは思えないし、今もきっとテロリストたちの計画を破綻させるために動いているのだろう。
希望は十分残されている。
あとは繋ぐだけだ。
「ほんとにあの子が大事なら」
禁句だとわかっていても。
この言葉を口にするかしないかで、次の瞬間の生存が絶望的になったとしても、だ。大和には我慢できなかったのだ。自分が誰よりも悲しい風に語る白衣の少女を見て、心の底から我慢ならないのだ。
自分だけが恨んでいると思うな。
自分を自分で呪った誰かがいないと決めつけるな。
自分が罪人なことくらいわかってる。償わなくちゃならないことも、ここを乗り越えた先にその『道』が開けていることも。
でも。
それでも。
同じ罪人に。本当に想っていたはずの彼女の気持ちさえも無視したテロリストに、彼女を語る資格は無い!!
「お前はあの子を何一つ理解していなかった。お前の敗因はそれだ、寿ヶ原ァ!!!」
グオンッッ!!!と。
空気の砲弾、どころではなく。這いつくばりながらも椎滝大和が辛うじて捉えたのは、視界の端から端まで覆いつくすほどの空間の捻じれ。極限まで圧縮された空気が光の屈折を独自に歪め、射線上の全てを薙ぎ払う力で発射された砲弾は一直線に大和へ向かってきたのだ。
避けることは出来ない。
この距離、あの速度だ。たとえ両足が動かせたとしても、いくらなんでもあのサイズを完璧に避けきることは不可能だろう。
「あの世であの子に詫びてこいッ!!椎滝大和ォォォォオオオオオオオ!!!」
寿ヶ原小隈が叫ぶと同時に風船がはじけたような音が炸裂した。
『空圧変換』。それも、これまでとは一線を画す規模のサイズの砲弾。食人カビの追加効果も無い、寿ヶ原小隈の『咎人』としての力だけで生み出された純粋な『憎悪感情の塊』とも呼べる砲撃だ。肉を切らせて骨を切る、どころの騒ぎじゃない。肉も骨も外側から弾け飛んでしまう。
が、何かがおかしい。
痛みが。致命的で決定的で絶望的な痛みが。今すぐにでも来るはずの痛みが無い。
死んでなきゃおかしいはずの自分が生きている。
砲弾は確かに発射された。この距離だ、数秒は前に体に衝突して、喰らった大和自身は木端微塵に吹き飛んでいないとおかしいのに。
確かに、砲弾が爆裂する『音』は聞こえてきたというのに。
恐る恐る目を開ける。
暗闇の中から、一筋の光が差し込んでくると。
そこには。
「......は?」
大和は見た。
己の前に立った誰かの姿を。
『空圧変換』の熱砲弾を蹴り壊すという力業を披露して見せた、とある青年の背中を。
ありえない。
どう考えても、現実とは思えない。
直径5メートルは超えていたであろう圧縮空気の砲弾。今までのスケールをはるかに凌駕したそれだが、圧縮範囲だけでなく圧力そのものの力も今まで以上だとすると、加わった熱量は計り知れない。生身で触れようものなら肉は焼けただれるか焦げ落ちる以外の結末は無い。
はずだった。
しかし、現実は違う。
吹き散らされた『砲弾』の残骸...ばらばらに砕け散った熱風が大和の頬を通り過ぎて行ったのだ。
そして。
「誰だか知らねえが大丈夫か?小僧」
突然飛び出してきたその青年の髪の色は、まるで頭から灰を被ったかのように濁っていた。
その青年の全身からは、どこかで見たような極彩色があふれ出ていた。
アルラ・ラーファ。
【憎悪】の咎人であり、『神花之心』の異能を宿す青年。
彼は自身が守った大和の無事を確認すると、すぐさま自身が敵と見定めた少女の方へと向き直る。
短く問う。返答は待たないが。
「てめえがテロリストだな?」
何が何だかわからないといった様子で。ブレザーの上から白衣を着込んだ少女が、再び動こうとしていた。
指先一つで作り出す『空圧変換』の砲撃。それを今一度自らの周囲に作り出そうとして、アルラが蹴り飛ばしたガラスの破片が彼女の頬を突き抜ける。
やらせない。
これ以上、テロリスト如きの好きにはさせない、と。
殺意マシマシで現れたアルラは、こきりと首を横に倒して骨の音を鳴らすと、こう宣言したのだ。
機嫌を損ねた子供が自分の周囲へ八つ当たりし始めるように。自身が部外者であることなんて知ったこっちゃねえといわんばかりに。
極彩色に拳を固め、アルラ・ラーファが吼えたのだ。
堂々と。高らかに。救いを求めた誰かからすれば、これ以上とない『救済』の言葉で。
「ぶっ潰す!!」




