訓戒の権利
「ぐぎっ!?ぎががががががががががががっあ...っ」
椎滝大和がこんな間抜けな声を晒しているのも、彼の足が地についていないためだった。何もない空間で、まるで見えない手に首を絞められているようだ。
おそらくこの現象を引き起こしているであろう張本人...金髪を後ろで纏めたポニーテールに白衣の女は両手を腰に当て、にやにや笑いを浮かべて大和の顔を見上げている。
空中で足をばたつかせる。足先が地面にかすりもせず、少しずつではあるが己の体が上へ上へと上昇していくのを感じる。獲物を捕らえた蜘蛛が糸を引き上げるかのように。大和の体がじわりじわりと天井に近づく。
知っている。
この『異能』を。こんなことが出来る力、こんなことを躊躇いなく出来る人物。空気という名の存在そのものに干渉を起こし、圧力の変化から熱の塊やら暴風の流れやらを自由に生み出すことすら可能な『異界の勇者』の序列二位。加えて、異世界特有の学問である錬金術を学び、どこまでも知識に貪欲な姿勢を示していた彼女。
その名を、呼ぶ。
「寿ヶ原、小隈......っ!?」
「ああそうさ、久しぶりだな椎滝大和ぉ」
旧友にして『異界の勇者』の一人の名前だった。
異能の名は『空圧変換』、罪に与えられし名は【独善】。
かつて同じく『異界の勇者』であった序列一位、音賀佐翔が引き起こした戦争によって死亡したとされていたクラスメイトの内一人の少女。
ぎりぎりと首が締め付けられていく中、呻くようなか細い声が口からにじみ出てきた。
「どう、して...っ」
「どうして?何が?私はあの戦争で死んだはずって?それともあんたに危害を加える理由のほう?」
にやにや笑いはとどまるところを知らない。
少女はわざとらしく両手を挙げて、首を傾けたうえで小ばかにしたような態度を挟む。
戦争が終わってから、大和は戦死したすべてのクラスメイトの遺体を見送っている。それは戦争を忘れないため、己の傷口をわざと広げることで『傷跡』を残して、これから先何が起ころうがその日のことを思い出すためにだ。
当然、彼女の遺体もその日のそこにあった。全身血まみれ、焼けた砂が形を変えたガラスの雨に薙ぎ払われて、一つの面に数えきれないほどの傷口を残して息を引き取った少女の凄惨な姿は今でも思い出すことができるというのに。
どうして、死んだはずのクラスメイトがこの場にいる?
死んだ人間が生き返ったとでもいうのか?だとしてら、それは――――。
「ああ、ああ。質問に答えましょ。別に私は生き返ったわけでもなーい。もっと言えば、私はあの戦争で死んでなんかいない。錬金術は万物の起源や成り立ちを解き明かし、再現して、物体構成の仕組みに魔力でもって影響を与える学問。そこら辺の魔獣の死体をかき集めて作った即興の張りぼてでも、骨組みと外見さえしっかりしてりゃばれることはないってわけ」
死者の蘇生、ではない?
「でもってあんたに危害を加える理由のほうだけど、言わなくてもわかるよねえ??」
「っっ!!」
明確な殺意をぶつけられた、まさしくそのタイミング。
ドッッッ!!という爆風の音が大和の一歩手前で掻き消えて、不可視の首輪から解放された大和は大きく背後へ飛びのいた。どうやら『空圧変換』で圧縮された空気も『形を与えられた物体』判定らしく、枷はとっさに上下のいずれかの座標へ飛ばされたらしい。咄嗟にとった苦し紛れの行動だったが、これで自由となった大和は近くのベッドから少女を抱き上げる。
白衣の悪魔のほうに振り替えることもなく、ドアを蹴破ってその場を離れるために走り出す。
(くそっ、くそっ!!)
足を動かすのをやめればその瞬間撃ち抜かれる。
多数の怪我人で埋め尽くされた医療施設では、二人の衝突に巻き込まれる一般人の数などわかったものじゃない。できるだけ遠くへ引き離し、可能であればシズクと合流して寿ヶ原はパスするのが最も好ましい展開だ。人の流れをかき分けるようにして医療施設を抜け出そうと走り続けて、気が付くと掌が汗でびっしょりと濡れていた。
(あいつが相手じゃ、万に一つも俺に勝ち目なんてあるわけない!!単純な異能のぶつかり合いで俺の『万有引力』と寿ヶ原の『空圧変換』じゃそもそもステージが違いすぎる!!)
考えながら、持てる自身の脚力の全てを出し尽くして走り続ける。追ってくる様子こそないものの、明確な敵対の立ち位置にある彼女から離れておくに越したことは無い。もし衝突の必要があるとすれば、それはシズクか現在消息不明のキマイラといった『怪物』少女たちに任せるしかないと、真にそう考える。
自分でも情けないとは思う。が、現実は残酷だった。
これは諦めたわけではなく確信なのだ。草食獣がライオンを前にしたら逃げ出すしかないように、椎滝大和は絶対に叶わないと理解していて、なおかつ相手の異能の詳細を知っていることだけは幸運だったといえるだろう。
何度も何度も純白の壁と床を走り過ぎて、ついに四つある区域ごとの入り口の一つまで辿り着く。すれちがう一般客の誰もが猛スピードで走り抜けていく大和の姿にぎょっとしているが、今の大和はパニックで気にする余裕もなかった。
と、次の瞬間。
「は~い☆」
「なっ!?」
めぎょっっ!!?という生々しい肉を打つ音と同時に、ティファイを抱えた大和の顔面に白衣の少女の拳が突き刺さった。施設の入口の扉を再び蹴り開けて、北区の案内板を確かにとらえていたはずの視界が拳に埋め尽くされていく。
とても少女の腕力とは思えなかった。
ギリギリのところで意識をつなぐことには成功したが、これが大和のようにトレーニングを積んでいなかったごく普通の人間であれば、受け身も取れずに地面か壁にたたきつけられて頭蓋骨までぐしゃぐしゃにされていたかもしれない。
「『空圧変換』。異能によって圧縮された空気は膨大な熱を帯びる」
「くそッ!!」
ティファイを抱えたまま横に飛びのくような動作をとった大和のすぐ隣を通過した不可視の砲弾が、今さっき蹴り開けられた扉を跡形もなく吹き飛ばす。
砕けた破片が周囲にまき散らされると、背中を向けて手の中の少女を守ろうとした大和の背中にもいくつか突き刺さっていく。歯を噛みしめて、背中から浅く突き刺さった破片を引っこ抜き、がむしゃらに白衣の少女へと投げつける。
寿ヶ原と呼ばれた少女は少女で軽く指先を翻すと、鋭利に先端をとがらせたガラスの破片は今度こそ、彼女の一歩手前で粉々に砕けてしまった。
まるで、上下から見えない圧力にでも押しつぶされたかのように。
潰れて、砕ける。
子供がビスケットをたたき割るような感覚で、防弾仕様の強化ガラスが粉微塵に消えていく。
それがいったいどれだけ恐ろしい現実か。たとえ大和がどれだけ握った拳であのガラスを殴りつけようが、ヒビ一つ入るかも怪しいというのにだ。
まるでお菓子の包装を引き裂くような気軽さだった。
ぱちん、と。白衣に金髪ポニテの少女が指を鳴らした直後。目を凝らしてようやくわかるような、球状の歪みが彼女の周囲に漂っていることに気づく。
主成分は窒素、酸素、二酸化炭素からなる『大気』。0.0なんちゃらパーセントではそれ以外の物質も織り交ぜられてはいるものの、この星のどこにいたって『大気』は人間について回るだろう。それが寿ヶ原小隈...彼女の武器であり、異能の本領だ。引き金を引くよりも容易く、頭の中で指示を起こすだけで無数の熱の塊が敵を焼き焦がす。正しく研鑽を積んだ異能が引き起こす事象は、生半可な兵器など軽く凌駕する。
数年前とは明らかに異能の『質』そのものが違っているということは、死んだふりの時期に『異能』を鍛え上げていた...?
「『異能』は個人に宿る超常的な力、筋力思考力同様に、正しく磨けば今以上に輝くこともできる。つまり、あの頃の私とは比べ物にならないってわけ」
それはわかる。わかるのだが、それにしてもだった。レベルというのは、たった数年でここまで跳ね上がるものなのか?数年前まで、圧縮熱の砲弾を一つ生み出すのにも五秒以上は必要だったはず。一度で同時に操れる砲弾の数も確か三つ程度で限界だったはず。それが、今では一瞬のうちに両手でとても数えきれないほどの砲弾を量産し、自由自在に操れるようになるためにはどれほどの『努力』が必要だというのだ?
これは、彼女が得意とする『錬金術』のテリトリーにもない力技だ。
何度も何度も何度も何度も繰り返し行った反復運動の末に、一つ一つ失敗を塗りつぶすようにして成果を生み出し続ける練習の果てに得られる力。それだけの時間があれば、彼女は別のジャンルの学問をもう一つ収めることもできたであろうに。
そこまでの『努力』をしてまで、
「どうして...」
「あ?」
「どうして...あの子の最期を知ってるお前が!!よりにもよってお前がテロリストなんかになりやがった!?」
ぴくりと。
少女の眉が、大和の必死の叫びでかすかに動いた気がした。
「本気で言ってんのか?」
ズンッッ!!と。
彼女が空中に侍らせていた砲弾の一つ。それが、彼女の怒りを示すようにして、椎滝大和の足元に数発叩き込まれた。巨大な鉄杭でも叩きつけられたかのようにへこんでしまった床から立つ粉塵の先で、彼女のニタニタ笑いがついに途絶えていることに気付く。
数段落ちた声のトーンに、明らかに増した殺意と怒気。いいや、この場合『怨念』という表現が最もか。
それこそ、今まで誰からもぶつけられたことのないような声質でだった。
「あんたが我が物顔で振り回している異能は、私の親友のものだ」
静かに震える白衣の少女はそう言いながら、しかし体の内側では鋭く殺意を研ぎ澄ます。片手の人差し指を突きつけると、まるでその指が銃口だといわんばかりに『空圧変換』の砲弾が向けられる。
椎滝大和と寿ヶ原小隈に直接的な接点は存在しない。
特に仲がいいとか一緒に下校するとかそういう仲ではなかったわけだし、クラスの中でも用事がなければ特にお互い話しかけるようなこともなかったような相手だ。確か中学時代から一緒だったはずだが、それでもだ。互いに関心を持つこともなければ特に嫌うことも好くこともなく自分の人生を楽しんできた。
それは『渡り』の後でも変わらない。
接点がここであることは、大和の頭脳でも容易に予測出来ていたのだ。
互いに元『異界の勇者』という肩書と共に、それぞれ己が肉体に『異能』を宿した咎人。片や、使い方によっては狂気的なまでの兵器を生み出すことさえ叶う咎人の少女を抱きかかえ。片や、触れたところから焼き尽くす空気の塊を大量に侍らせたテロリストとなって。
「けど、それとこれとはまっっっっっっっっっっっっっっっったく関係ないんだよ。これも偶然って奴さ。たまたま標的に見据えた船にあんたが乗ってたってだけでね。まあ最初から『箱庭』は潰すつもりだったけど、よりにもよってあんたが底の新メンバーに加入してるとはねえ」
「だからついでにあの日の復讐を、って?」
「そゆことお」
「ふざけんな」
「お前がだよ」
受け止める。
発射された砲弾の一つ、ティファイを片手で抱きかかえた状態から空いた片手を突き出して、掌でもって言葉と同時に砲弾を受け止めたのだ。一瞬で皮膚の表面が途轍もない高熱に晒され鋭い痛みが神経をえぐる。しかし吹き飛ばされるようなことにはならなかったのは、大和が痛みを認識した瞬間に、『万有引力』で砲弾を別の座標へ飛ばしたためだろう。
度重なる轟音に反応してしまったティファイが目覚めて、こんな状況だというのにきょとんとした表情でこちらを見つめているようだった。自身の命が狙われているだなんて、欠片も考えていない表情だ。当然か、彼女はまだ自分の頭で何かを考えるということができないように『抑制』されて育ってしまったのだから。
今この場でティファイだけでもどこかへ飛ばして逃がしてしまおうだなんてことは出来るはずもなかった。そもそも彼女は赤子にも等しい知能と運動能力なので自分一人でどこか遠くまで逃げるだなんて可能性を信用できるはずもない。むしろ、敵が一人とは限らないのだから、今この場から彼女を孤立させてしまうほうがまた彼女を奪われるリスクを増大させてしまう。
表情は崩さない。互いに。
曲げられない思いがあるからこそ、何があろうと一歩たりとも引くわけにはいかない。
「本来守るべきの恋人に繋いでもらった命ってどうなの?恥ずかしいとは思わないわけ?あんなことがあってもしばらく国に所属し続けたってのも信じられないけど」
ぎりぎりと奥歯が嫌な音を発するが、彼女の言葉に否定できる点など一つだってありはしないのだ。どれも、紛れもない事実なのだ。これを否定してしまうとただの負け惜しみにしかならない。
正しいことを突きつけられているからこそ、誰の言葉よりも胸の奥をえぐるような痛みが止まらない。
「あと私がこうなったのは、私の意志だよ。何よりもこの世界が憎い。私らから『普通』を奪い、人生設計を奪い、当たり前のように生きてく道を根こそぎ奪っていったこの世界が」
「大体あの男と似たような考え方だな。やっぱりお前も『世界の住民全員死すべし』思想ってわけかくだらない」
「ダニエルのこと?あいつほど極端じゃないけど確かに大体は一緒かもね。一応、私としては一緒にされたくないというか、けど『傷口の蛆虫』全体の思想としてはそれが正しいから否定できないのもつらみよねえ」
「てめっ...!」
「つーかごちゃごちゃぬかすのは構わないけどさあ、あんた状況わかってる?この数を捌く秘策でもあるってんなら私は見てみたいかなあ?」
ひりひりと今も残る火傷の感触は本物だ。一発ずつならまだしも、あの数をガトリング砲のように連射されてしまえば流石に先ほどのようには受け止めきれないのは明白だし、次の一撃だけでもまた片手でいなせるかどうかもわからない。
今、再び彼女と衝突するのはまずい。
何時不可視の砲弾によって全身をあぶり焼きにされてもおかしくない状況だった。自分だけならまだしも、年端もいかない少女を抱えて格上との衝突だなんて見える未来は一つしかないのは明らかだ。
椎滝大和は備えるようにして、腰を静かに落とす。全身の力を足のばねに集約させることで、いつでもその場から飛びのける状態をキープする。
対して。
突き出していた人差し指を自身の頭の隣までもっていった白衣の少女は天井を指したまま、『そして』と言葉を紡ぐ。
もう一度、悪魔が嘲笑うかのような笑みが表情の中にうっすらと舞い戻る。
「他の人がどうであれ、あんただけは偉そうな口調で私に説教かます権利はねえだろうが」
次回投稿は2/20になります




