ある少女へ捧ぐ哀
......遡ること10年もの年月。
始まりは、何時思い出しても忌まわしいあの日の授業終わりだった。
ある日、いつものように平凡な学校生活を過ごしていた私たちを襲った悲劇。
見たことも無いような金色の壁面、真っ赤な絨毯。
隣を歩くのは私にとって唯一と言っても過言じゃない、友達。属性診断?とかいう、異世界では誰もが受ける健康診断みたいなのの帰り道。とはいえ、私たちをここに呼び出したお姫様が言うには当分このお城で過ごしてもらうことになるらしいので、目的地は私たちに割り振られた個室だった。
めちゃんこ広い城内は案内板を貰ってなければまず確実に迷っていたであろう。これからのトイレなどを不安視する私であったが、何やら呑気そうな表情でぽかんとしてる親友は言う。
「いやー...凄いことになっちゃったね」
「...どうしてそんな平然としてられるのよお...?」
「うーん、なんだかよくわからなかいけど、要するに私たちが正義のヒーローになって悪の魔王と戦うって話でしょ?怖いけどそれと同時にわくわくしてるっていうかなんというか」
「雫ってそういうゲーム好きだったよねえ」
クラスメイトの誰もがヘロヘロになり、案内されるがままお城の大浴場に吸い込まれる中。私と彼女だけが個室のベッドを求めて、抑えきれないこの涙を枕にぶつけようとしている。本当は私も純金塗れの大浴場とやらに興味はあったしどっちかと言うと行きたかったけど。
まだ一日も経っていないというのに、既に脳みそが『在り得ない』でパンクしかけていた。
それは彼女も同じはず。私と違って彼女には、帰るべき家も家族もあったはずなのに。失ったモノの大きさで言えば、彼女のほうが、私より何倍も苦しいはずだ。
彼女は割と大丈夫そうに取り繕っているだけ。
周囲のクラスメイトが彼女を強い人間だと勘違いしてるだけで、でも本当は違うことを私は知っている。彼女だって私と同じ『人間』
「超能力者になったって言われても実感ないね」
「『万有引力』...だっけ?講習では確か空間移動系列の能力は珍しいって言ってたけど」
「まだどうやって使うのかもわからないし、練習が必要だって」
「人生どう転ぶか分かったもんじゃない。ある日突然、私たち含めて13人...クラスの約四分の一が超能力者になるなんて」
「『咎人』って呼ぶらしいよ、私たちみたいな人のこと」
「それって罪人って意味の?意味わかんない。一方的に呼びつけられた私たちは被害者なのに」
「まあまあ」
「それにあいつが指摘しなかったら男子共はほぼ全員王女様の口車に乗せられてたんじゃないの?」
そう言う私を、彼女はまた笑って宥める。
否定しない辺りやはり普段は温厚な彼女でも募る思いはあるらしかった。かと言って愚痴をこぼすわけでもないのは、彼女本来の温厚性もあってそういう態度を知らないのが原因だろう。
彼女は、いつの間にか携帯を取り出していた。
当然、契約会社の電波も飛んでいない異世界で使えるはずがない。彼女がなぞる様に広げた画面は虚しくとある個人の名前を記しているが、その人物も一緒にこの世界へやってきてるのだからわざわざ電話越しに会話する意味も必要もないだろうが。
(まったく、この子の容姿と人望なら男なんて選び放題だっただろうに)
敢えて口にしないのは、口にしたらしたで彼女から反感を喰らうからだ。なのであくまでもやんわりと指摘してやることにする。
「電波が届かないのでケータイは使えませんけどお?」
「あっ!?あ、ははは、そっか...つい癖で」
「流石の雫さんもこうぶっ飛んだファンタジー展開には動揺せざるを得ないってことなのかね。いつもの笑顔が剥がれかけてる」
「......」
「そんなに気張ってたらさあ?いつパンクしたっておかしくないよ。たまには弱くなるのも必要だって」
「こんなこと聞いてくれる友達があなたで本当によかったよ」
絞り出すような掠れた声を聞いていた。
もうずいぶん長いこと同じような通路を歩いているが、渡された案内板によると二人の個室はまだまだ遠かった。だからだろうか。さっきから同じ景色の中の少女が、普段から太陽のように活気を振りまく彼女が言葉を絞り出す一瞬が、時間を圧縮したように長く感じられた気がしたのは。
「あの人が言うように、本当に...ここの人達を信用してもいいのかな...?」
「するしない以前の問題で、私たちはもうあの人たちに依存しないとこの世界でまともに生活することも出来なくなってる」
私は首を軽く横に振る。私たち二人を除けば、広すぎて人気も感じられないような通路の絢爛な灯りが揺らいで、誰かさんの心の内側を反映したかのように振る舞う。
彼女は彼氏持ちの順風満帆リア充だったが、いや、だからこそでもいうべきか、本来であれば『幸福』を知らない者たちよりも遥かに打たれ弱いはずだった。『不幸慣れ』していないので、いざという時のハプニングで対応できず真っ先に崩れるタイプだ。
そんな彼女が今持ちこたえている要因は、やはりあの男と共に来たというのが大きいか。これがもし彼女一人が呼び出されていたとすれば、もしや今頃は...。
そして。
「怖くないはず、ないよ」
再び、ぽつりと訪れた小さな悲観を聞いた。
その日の二人の会話はそこまでで終わる。別々の個室の扉を開けて、二人は別れた。
......
「おいっ!!雫!!」
次のシーンは、あの日から四年がたったある日の会話だ。
自分の表情なんて気にしている場合でもなかったが、今の私はきっと鬼のような表情を取っているのだろう。
詰め寄ると、彼女はまたいつものように笑っていた。笑って、私から顔を逸らすと、俯いたまま手元で作業を再開し始める。まるで私の言葉から目を逸らそうとしているみたいに。
「あんた正気!?あの一番が吹っかけた戦争でよりにもよって前線に立って参戦するだなんて!!」
「あははどうしたのそんな血相を変えて」
「どうしたのじゃ!!ない!!」
バンッッ!!と。
全力で手を叩きつけられたテーブルがみしりと軋んだ。
自分で叩きつけといて痛む手も、今はそれどころじゃない。どこぞの馬鹿に即発されてハイになってるクラスメイト達はもはやどうでもいいが、彼女だけはその領域から救いあげなければならないと必死だった。
「第一、この国の連中のために私らがそこまでやってやる義理もないだろう!!?恨みこそあれど、奴らに恩義なんて感じたことは私は一度だってない、ただそうしないと生きてけないから従うしかなかったというだけだ。あんただってそれは同じハズだし、そんな連中のために私たちが命を脅かされる意味がない!!」
私もあの子も、他のクラスメイトも。見た目に変化がないのは、私たちが『渡り』を行った際に年齢を重ねる機能を失ったという話があったためだ。そこに対した悲壮は無いが、何も感じてない私みたいなのが多いとも限らない。身体の成長はモチベーション向上の一因でもあるだろう。
せっせと道具や鎧の手入れを続けながら、やはり彼女は笑みを保ったまま私の言葉に答える。
「今までだって私たちは戦ってきたでしょ?きっと大丈夫だよ」
「本当にわかってるのお...?戦争だよ?今までの小競り合いとは...地球の紛争なんかとはレベルが違う、地球を超越する技術とオカルトの世界、ドラゴンや魔王なんてフィクションみたいな存在が実在する世界規模の大戦争!!生きて帰れる保証がない!!」
彼女は手だけ動かしたままで、視線を私と合わせようとしないのは私の言いたいことを言う前から理解していたからだろう。理解していてなお、私の言葉を聞き入れたくはないという意志表示でもあるように思える。
返答はない。
舌打ちの後に、私は拳を握る力を強める。
どうしても。
彼女が私の制止を一切聞き入れず、何が何でも戦場に向かうだなんて口走ったときにどう行動するべきか。カッコつけて、彼女の隣に立って戦場に赴くか、引きずってでも戦場から遠ざけるかだ。
どちらを選ぶかなんて最初から決まってる。
「行かせない」
彼女の意思を尊重する...。
なんて、ない。
例え私の行動の先に友情の崩壊が待っているとしても。それでも、親友そのものを失うよりは何百枚もマシに思えるから。この場で、何が何でも引き留める。最後の一線だけは何としても死守する。
『空圧変換』という私の手札を使って。
最悪、私と彼女の異能の相性なら軍配は私に上がる。それはあくまでもサポートに長けた彼女の『万有引力』と物理的攻撃手段としては最高峰の『空圧変換』では力の差どころか異能の種類の時点で異なっているため。
『異能』を扱う技量で言えば、彼女は他のどの『異界の勇者』よりも抜きん出ていた。
「この4年間で私の『異能』は『異界の勇者』の中でもトップクラスの性能と攻撃性に成長した。雫、ここであなた一人を止めるくらいなんてことは...」
「小隈ちゃん」
制するような一言とその次の瞬間、声を荒げた私の肩に彼女の手が乗っていたのだ。
久しぶりに名前を呼ばれた気がした。
名前を呼んでくれるのが彼女しかいないというのもあるが、それにしても、だ。今にして思えば、それだけ二人の間に生まれた溝は深かったというわけだ。
やっと視線を合わせた雫はこんな風に言っていた。
「彼、自分が『咎人』でも無くって、かといって魔法とかも得意じゃないからってね。とにかく前へ前へって突っ込んじゃうの」
「...雫」
「この前もそれで大怪我して帰ってきて、全く私の気も知らないんだから」
「雫っ!!」
きっとどれだけ言っても聞く気は持ってくれない。
たかが親友程度の優先順位では、彼女の『最愛』の優先順位には程遠い。それでもいい。友人として、彼女を想う者として。
立ち上がった彼女の背後で、私は竜巻にも匹敵する風を指先に集める。人なんかが巻き込まれればどうなるかなんて語るまでもなく、死にはしないだろうが暫く前線復帰など出来ないくらいにはズタボロにできるはずだ。
しかし。
彼女は、最初から分かっていたかのように、私の『異能』に反応を示さなかった。気が付けば竜巻は掻き消えて、扉へと歩き出す彼女の背中を歯を食いしばって見つめることしかできなくなっている。
私は力づくでもあの子を止めなくちゃならない。
ならなかった、はずだった。
「私が守らなくちゃ」
そう言って。
扉を潜り抜けていく少女の背中が、自分から無限に離れていく気すらした。
戦争が始まった。
世界に七人存在すると言われる『大罪の魔王』の一人。数億もの魔獣を従えしその軍勢が波のように押し寄せて、『異界の勇者』をじわじわと追い詰めつつある。
砲弾が飛ぶ。刃が折れる。飛び交うのはそれらだけとは限らず、風の刃に炎の弾丸...魔法どころか、『異界の勇者』の咎人たちが放つ異能は一撃で多くの魔獣を屠り去っていく。
当然その場には私もいた。命は惜しいが、もっと失いたくないものがあったから。『最愛』を守ろうとする親友を守るため、その場で『異能』を振りかざす。
結果から言えば、私は守れなかった。
彼女は死んだ。
あっけなく、彼女は彼女の恋人を庇って死んだのだ。
少女は後悔し、嗚咽と涙を枯らして、己を恥じる。あの時、無理やりにでも止めていればこうはならなかった。たった一人の親友の背中を見送った自分自身を殺したいと心の底から後悔するほどに、初めて大切と思えた自分以外の命を失った事実を認められず、ただひたすらに後悔の念に襲われ続けた。
彼女が恋人の盾となる瞬間を。
遠目でその光景を見ていた。見ていたのに、動けなかったのだ。
いつもにこにこ笑って、私たちを明るく照らしていた少女。恋人の男が無能だったばかりに、そいつを守ろうとして飛び込んだ哀れな親友の姿を。
「ああ」
爆風と、それを伴う膨大な熱が少女を包み込む。
悍ましい魔獣の群れが殺到し、大粒の涙を垂らす少女を取り囲んでいた。周囲は焼けた死体と散乱する魔獣の血や臓腑がとてつもない悪臭を放ち、渦巻く風の中心に立つ少女の体はどこもかしこも返り血で汚れている。
ぺきん、と。
何かが壊れる。彼女を『人間』の領域へと押しとどめていた何か。『倫理』、『道徳』......?失ってはならない支柱が、はっきりとへし折れる音を聴いた。
こうして。
この孤独な少女は哀を知る。
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