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終焉の鐘が鳴る頃に  作者: iv
序章
125/268

逆立ちの空


「あ」


 実際には一秒にも満たない一瞬の出来事。

 ただし体感時間はその何倍にも膨れ上がって、腹から全身へくまなく響き渡る衝撃と激痛は気絶させることすら許してくれなかった。

 鋭くえぐりこむような一撃。それは勢いを保ったまま、そして深く突き刺さったまま大和の体を壁へと押し付けて...


「げぼあっ......!!?」


 どがばぎぐしゃっっ!!?と。

 最新素材の壁をぶち抜いて余りある威力。それを肉体で中継してしまったのだから、大和も生半可なダメージではないはずだ。

 しばらく呼吸は出来なかった。転がり、血反吐を吐きながらさらに奥の冷たい壁へと叩きつけられて、ようやく肺が酸素を取り込み始める。

 あばらは何本かへし折られたはずだ。医学に心得があるわけではない大和でも、折れたあばらが内臓にでも突き刺さっていたら死は免れないことくらいは理解してる。


(体が、動かない...ッ!?)


 大和の大柄な体が不自然な痙攣を発する。

 彼が思っている以上に肉体のダメージは深刻なようだった。立ち上がろうと壁に手をかける大和の意思とは裏腹に、体のほうは今にも意識をシャットダウンしてしまいたいと叫んで止まない。

 死神の鎌を首にかけられたような気分だった。


(ち、くしょう....!目的地には...せっかく()()まで辿り着いたってのに!)


 威勢を撒いて自分なりの努力を積み重ねた...つもりが、やはり人間そう簡単には変われないということか。『箱庭』入りとはいえ、元『異界の勇者』とはいえ。椎滝大和は所詮『椎滝大和』以外の何者にも成れず、ホードのような情報分析も出来なければシズクのような大暴れも出来なかった。

 一人新たな『箱庭』として飛び出し、順調に事を進めていると調子に乗ったのがまずかったのかもしれない。失敗から学べと言われても、それは失敗が死とイコールな社会の裏側で通用するような言葉ではないことは百も承知だ。

 『箱庭』は世界の裏側、社会の真っ黒なところに潜る集団。そんなところに、失敗した後の『その後』が保証されるはずもなかった。


 だんっ!という発砲音が、大和の鼓膜へと叩きつけられる。

 優しい死神が、引き金の先を大和の顔面から僅かに反らしたところで引き金を引いていた。

 耳たぶへちょっぴりと描かれた赤い線。火器という何よりも凶器的な現代兵器のオーソドックス。耳たぶを掠めた弾丸が大和の背後の鉄の扉へとぶち当たる。

 僅かでも逸れていたのなら、今頃は。


『なるほど緊急脱出ポット...もはや赤子の命なんて捨て置いて、己だけ大海まで逃げ込もうという魂胆だったか』


 煙を吹く拳銃を握る黒スーツは、どこ吹く風でそんな風に言っていた。

 否定はしない。本質は違えども、客観的に見れば彼の言葉の通りだった。

 大和が必死に逃げ込もうとして蹴り入れられたとある一室。紛れもなく、有事の際に乗員たちが脱出するための機器や設備を備えた非常口。

 ロッカーに詰め込まれたパラシュート。更には入るだけでしばらくの安全が保障された人間ドックのようなカプセルに、救助までの日々を耐え抜くための携帯食料まで備えられた一室。

 からからと、壁面がさらに崩れる音があった。

 そこを乗り越えて、更に現れる幾人もの黒スーツにバイザーヘルメットの肉食獣。大和を蹴り入れた者がどれかすらも判断しかねる一貫性だ。しかしながら、連中も連中でそれなりの被害を懸念すらしていなかったらしい。

 イラついた様子で、中央に立つ隊長格が言う。


『しかしまあ、舐めるなだの箱庭だのと。好き放題喚き散らしてくれた割には大したことも無い。君の異能、その気になれば我々を海のど真ん中にポイ捨てすることも出来ただろうに。先の子供の件といい、随分とまあお優しいことで』

「......うるせえよ」


 どこに潜んでいたのか、ぞろぞろと現れる同じような黒スーツの集団に吐き捨てた。

 依然ピンチには変わりなし、そして獣はどれだけ獲物が弱り切っていようと一切手を抜くことはないのだ。

 ざらざらざら、と。

 飛び散った瓦礫を踏み砕いて。砂浜を踏みしめるような音があちこちで連鎖する。

 背中に全ての重みを預けて立ち上がった青年へと。口の端から深紅の裂け目を覗かせる青年へと、その糞野郎は何の気もなしに話しかける。


『ここまでのようだが』


 ここまで。

 終わりの意、終焉の意。

 ゴール...目的の達成とはまた違ったベクトルの意味を孕む言葉だった。

 青年の必死の足掻きすらも嘲笑い、否定する。持たざる者の牙を、人口の牙でもって噛み砕くような理不尽な言葉に対して、大和はまずどんな風に怒りを向けただろうか。

 大勢のために一人の赤子を平然と犠牲にするような男に、どのような感情を抱いて立ち向かっただろうか。

 意識が揺れ動く。

 どうにか立ち上がったのはいいが、壁から少しでも離れようものなら直ぐにでも崩れてしまいそうな状況だった。まるで己の体が、泥を固めて乾燥させただけの素材で出来ているような、二足による『支え』すらままならない不安定。

 痛みはあれど痺れはない。内臓が中で爆ぜたわけでも、神経が途切れたわけでもないはずだ。が、受け身も取らずに床に壁にと叩きつけられたのが悪かったのだろう。交通事故で遅れてやってくるむち打ち症を何倍にも濃くしたような全身打撲。もはや、自分の体をあちこち探ってみても痛みの無い箇所のほうが少ないくらいだった。

 こう囲まれた上での数の暴力には、大和の『万有引力テトロミノ』は対応しきれない。

 触れた物体にのみ効果を発揮する大和の異能は、大勢に距離を保たれたまま一気に叩かれてはどうすることも出来ない。

 しかし。

 それがなんだ、と言葉を呑み込んだ。

 『出来ない』を理由に逃げる言い訳など、『万有引力テトロミノ』を受け継いだ意味がないと思っていた。やっと見つけた自分の『正義』を、簡単に手放して後戻りなんて。

 かの者に与えられし罪状を思い出す。

 【敬虔】とは

 平和を願い、天に祈りを捧げた少女に与えられた罪名。

 誰よりも誰かを愛せ。の言葉に添い遂げるようにして。

 己を顧みず誰かを愛し続けて、遂には最愛の青年の代わりに犠牲となった少女の力。


「......はっ」


 『異能』、だけじゃない。

 大和が受け継いだのは、そんな少女の『心』も同様に。

 もしかしたら、ひょっとしたら、一歩間違えたらこの広く広大な世界。巡り合うことすらなかったであろうか弱き命を見捨てない。

 大和が受け継いだ『敬虔』とはそうあるべきだと。


「いいや?そうでもないみたいだぜ」


 相手には負け惜しみにしか聞こえなかったらしい。

 ぼろぼろの肉体を引きずる青年の、それでも堂々と絞り出した言葉だった。


『強がりもいい加減にしたまえよ。箱庭だがなんだか知らないが、この状況をどうやって覆す?その半端な異能で。半端な覚悟で。半端な力で』

「確かにな、どれもこれも中途半端。最初から最後まで突き進んだことなんて一度だってありゃしないよ俺って生き物は」

『......我々とて、不用意に()()を傷つけたくはない。大人しく()()をこちらへ渡すんだ』


 ぐいっ!と。

 真っ黒な手が伸びている。ゴムで出来ているように見えて、実は全く違う素材。人類の身体機能大きく底上げする機能を有したおぞまし気な黒スーツ。

 手を差し伸べた男から横に弧を描き、壁に背を付く大和をぐるりと他の『ジャッカル』メンバーが囲んでいる。わざわざ言うまでもなく絶望的な状況だった。この場でティファイの手掛かりであるタブレットまで失えば、単品の大和ではどうしようもない。大人に振り回されて生きてきた哀れな少女を救うことも、先輩との約束も果たせずじまいになってしまう。

 それだけは絶対にダメだ。

 他はどうなってもいい。自分自身の体の一部がはじけたってかまわないが、今ここでこれを失うことだけは看過できない。

 ひび割れた液晶の、表示されたタブの一つが点滅を繰り返す。左手で無造作につかんだそれの画面を、握りの要の親指でそっと触れる。

 チェックメイト。

 チェスで言うところの『勝利宣言』の言葉を投げかけられてもおかしくない状況であった。

 ここからの巻き返し。暴力による解決は不可能もいいところ。『怪物』シズク・ペンドルゴンならまだしも、椎滝大和は都合よく奇跡を振りまく超幸運でも何でもないのだから。

 椎滝大和の顔は下へと向けられている。泣き始めの女の子のように肩を震わせて、もうそろそろおもちゃ屋さんの入り口正面で駄々をこねる子供みたいに泣き始めたっておかしくない。

 そっと、時間にして十秒未満。ゆっくり...ゆっくりと差し出した左手の先、タブレット端末の背面を相手に向けて、背を預ける鈍重な鋼の扉の冷たさが背中に伝わってきた。

 大和の行動が意味することといえば他にあるはずもなく、紛れもない敗北宣言。

 遂にはあの少女の唯一の手掛かりであるホードのタブレット、それを差し出して、ぎゅっと唇を結んだ少年が顔を上げていたのだ。

 

 特に会話を挟むことも無かった。

 両手を左右に挙げて、全てを受け入れるように歩み始める敵側の大将。気味の悪い黒スーツの集団と拳銃が見守る中で。

 しかしジャッカルの大親分は気付いていただろうか。

 裏側を相手に向けているということはつまり、画面は一定して大和の側にあるということに。


「......一分」

『...は?』


 顔は見えない。が、ぽかんと口を開けた間抜け面の男性像が、大和にははっきりと見えていた。


「ここから飛び降りた場合、何秒後に『万有引力テトロミノ』を発動すれば行きたい場所に辿り着けるかの計算。()()()によれば一分ジャストらしい。...まあテンゼロゼロがいっぱい連なってるのを端折はしょってくれてるとは思うけど大体一分だ」

『......!!?そいつを取り押さえろッッ!!早く――――......』

「もう遅せェよ!!」


 がんっ!!!と。

 握った拳を横にして壁に叩きつける。丁度壁のその位置に点在していた真っ赤なスイッチを、隣のテンキーのようなタッチパネルに入力して開けるはずのカバーガラスごと叩き割る。

 直後に、内側から外側へ。まるで巨大な掃除機にでも吸われているかのような暴風が室内を埋めつくした。

 職員用。万が一の際に、入り口のロッカーに収納されているパラシュートを掴み飛行船から脱出するための扉。何重にも重ねられた鈍重な扉が一つ一つズレて行くことで、遂には青空が広がり始める......。

 

 誰よりも勇敢でなければその一線は跨げなかった。であれば、元勇者という肩書を持つ青年は十分な資格者だ。ただし彼が必要とした肩書はそんな生半可な物じゃなかったというだけで、最初から備わっていたというのに気が付かなかっただけなのかもしれない。

 こんな時、にっこり笑って踏み出してこそ。

 『怪物』の称号は燦燦と青年を照らす。


 たんっ、と。

 それはそれは軽く、まるで登下校路の階段を一段飛ばしにするような気軽ささえ伺える一歩だった。

 そうして直後にジャッカルの隊長は、震える声でもって。猛烈な突風の渦から身をかがめるようにして守りながら、


『何の装備も持たずに...ッ!?()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!?』


 上等だ。

 こちとら元『異界の勇者』にして、世界最悪の怪物集団『箱庭』が一員。

 挑むようにして真っ逆さま。

 高度一万メートル越えの落下が始まった――――。



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