紅き決意の『怪物』
宣戦布告と同時に消失した青年の影を追って、ジャッカルの面々が走る。狭い廊下を一人抜けて27名のパワードスーツ部隊が、足場を滑るように移動していた。軍服を特撮系のスーツにアレンジしたようなごてごての服装が線となって通路を駆け抜け、全身各部より漏れる発光の痕が宙に取り残される。
黒髪の青年は明確な敵対の意を示した。
ジャッカルは対テロ特別制圧部隊として、国の上層から直接的な任務依頼を受けてこの場に存在している。わざわざ燃料効率を設計の段階から諦めたようなジェット機で外部から侵入し、事件の解決に努める彼らはトウオウ国の意志とも呼び変えて良い。そんな我々に対し、殺意と敵意で言葉を返すというのはつまりトウオウに対する敵意とも見なせる。
それが、ジャッカルを率いる隊長の認識だ。
自意識過剰でも自己中心的思考でもなく、国家の維持をまず第一とする思考。つまり、国家に渾名す族は許されないという、また一人の青年に対する敵対の意。
隣を走る隊員の一人が、機械のような冷たい声で確認を入れてきた。
『信号、この先200メートル地点』
『出し惜しみはナシだ、全員で全力で叩く。例のタブレットは破壊するなよ』
『『『『了解』』』』
凄まじい体感速度の中で、特に悩むことも無く的確な指示を出した隊長格は考える。
恐らくは彼も咎人。それも、予備動作も無く消えたり出たりを繰り返し、信号も幾度となく消滅と出現を繰り返していることから考えると、世界にも十数例しか確認されていない空間移動系。
そして、『箱庭』
この世界の裏側では最もポピュラーであろう組織の名前だった。
世界中の奇人変人。メンバーの一人だけでも、一国の騎士団を壊滅まで追い込めるとさえ言われるある種の伝説。あの自身と決意に満ちた瞳の色を見るに、ただただ苦し紛れの虚言というわけではあるまい。
惜しい人材だ。
『箱庭』などという組織に加わってさえいなければ、何としてでも捉えてお国に差し出したというのに。空間移動の原理が解明されれば、トウオウの技術は更なる発展を遂げるだろうに。
今からでも遅くはない。
奴を捕え、端末を奪い、テロリストを排除してから拘束した奴の身柄を国へと持ち帰る。これこそ達成すべき最善の結果。
嘲笑うような声があった。
ぽつりと、高速を移動する誰にも聞こえないくらい小さく。
『我々とて、貴様が『箱庭』に非ずとも容赦はせんよ』
同じ飛行船の別の場所。
そしてまた暗がりの中で極めて一般的な速度で走る影があった。彼の異能が上下以外にも作用するようであれば、こうして息を切らしながら必死こいて走る必要も無かったろうに。学校行事のマラソン大会後半みたいな息遣いの大和は、本来一般人の立ち入りが禁じられる飛行船タイタンホエール号の東区を走る。
他の区域のような人目を気にした装飾もない通路の中。絶対に渡してはならないタブレットを抱えて。
(交渉は失敗、連中はテロリスト共と俺を同列視し始めたし、『箱庭』の名を語った以上俺も引くに引けなくなった!)
とはいえ。それを一切後悔することなく行動できるようになったのは、今回の件で彼が得た数少ない利益の一つともいえるだろう。過去の自分自身であれば、尻込みと後ずさりだらけの道を這いつくばってでも進もうとは思わなかったのだから。
これもまた『箱庭』の恩恵。
許せない言葉に対して、自分の言葉で『許せない』と発言できるようになる。それはつまり、この世界にきてようやく一般人から勇者と呼ぶにふさわしい気質の欠片を獲得したという証明だ。
もう迷わない。
正しいと思うことのために突っ走る。
「くそっ!拳銃の構造とか知らねえぞ!?」
大和の腰、タブレットを抱える左手とは逆の方面には、ジャッカルの一人を埋めた際に抜きとっておいた拳銃が引っかかっていた。奴らの装備が奴ら自身に通用するかどうかはさておいて、丸腰で立ち向かうよりは遥かに安心感が増す。
しかしだからといって、それがトウオウの特殊部隊とやらに通用するかどうかは全くの別問題。ましてや、これから対峙することになるであろう...シズクとキマイラがぶつかったという咎人も。
たかだか上下百ちょっとメートル間を自由に移動できるなんて異能の『万有引力』では、どちらも正面からぶつかったとして粉々に粉砕されてしまう。拳銃はつまり正面突破以外の道を示すためのモノで、こいつだけに身を預けて戦うにはあまりにも小さすぎたのだ。
がががっ!と。
コンクリートに金槌を振り下ろすような音が連続した。慌てて方向を変えようとするも、次の瞬間には彼が走る廊下の床に穴が開く。中から、奇妙な光沢を帯びたスーツとヘルメット姿の男が何人も飛び出す。
『発見』
「っ!!」
咄嗟に奪った拳銃を引き抜いて引き金に指を通す。直後に、だんっ!という金属板を弾いたような音が大和の耳元で炸裂した。
『無駄だよ』
握った拳を前に突き出すだけの単なるパンチでも受け止める体勢が整っていなかった。
反動で大きく状態が逸れて、がら空きになってしまった顎をまともにスーツの光沢が撃ち抜いていた。その時の大和の脳裏に浮かんだイメージはパンチというよりも、ビルなどを撤去するのに使うクレーンに吊るされた大型の鉄球。
あの奇妙な形状のスーツの能力なのか。そもそも弾丸は蚊でも払いのけるような仕草で弾かれ、明後日の方角へと着弾していた。
酷く響く声だった。
背中から転がされつつも、起き上がろうとしたときには次の攻撃が目の前に迫っていた。弾丸、大和が奪い取ったものと同じ、生身の肉体などパンを毟り取るように削り取ってしまう死の導き手でしかない。
射線を避けるように身をかがめ、即座に万有引力を発動させていく。
一瞬にして風景が切り替わる。上下の移動、咄嗟だったので自分が上か下どちらに移動したのかも把握できないが、焦りから生じるミスで半身が地面や天井に埋まる...何てことも無かった。
床から数十センチ浮いたところから着地しようとして、視線を前方の暗闇へと向ける。
次の瞬間には、鉄拳が大和の腹部へとめり込まれていた。
「が...ッ!?」
『推測通り、隊長の仮説は正しかったようです』
めぎめぎめぎっ!?という不快な音が自らの体内で発生する。体内の酸素が根こそぎ吐き出されて、空っぽになった肺が新しい空気の受け入れを拒んでいる。
わかりやすい殺傷道具の類も必要なかった。
鉄球の重みを乗せた拳、それを人の身で創り出す装置から放たれた、至って普通の蹴り。宙に浮かされ、吹き飛ばされ、宙を舞いながらの吐血が大和に与えられたダメージを示す。
滲み寄る敵の影の前、蹲って、必死に呼吸をただそうとする大和へ投げられる言葉はどうしようもなく冷たい。機械を通しているせいか、それとも元の人間からしてそんな冷徹さで誰かを殺すことが出来るからなのか。
理解が追い付かない。
何故、『万有引力』で飛ぶ先を自分でも指定しなかった大和の転移先を予測できる?空間移動系の異能、上下に限られるとはいえ、それだって可能性は無数にあったはずだ。予測してから行動するようでは絶対に追いつけない。行動が実際に場に追いつく頃には、大和は既に違う場所を走っている。
「なんっ...で...!?」
『単純な理屈ですよ』
この口調、最初に大和を案内した側近か。そもそも全員声が同じだから誰が誰とか判断が付かないので、同じような喋り方の別人でも個人の特定には繋がらない。
見下ろしながら、その男(?)は語る。理解させたところでジャッカルに利益はない、大和に現実を理解させたうえで彼の絶望を誘い、自ら降伏させるというのが目的か。
(まさか、あのお茶にっ!?)
『追跡に関しては貴方が子供にやったのと同様です。そして貴方の『異能』ですが...転移は転移でも限られた座標、それも三次元構造の上下にしか移動できないのでしょう?』
バイザーで顔が隠れていようとも、中身は嘲笑っているようだった。
実際に、声のトーンの中には隠し切れない冷笑が紛れて居た。肉食獣が手負いの得物をじっくりと追い詰めるように。そこに一切の加減はない。ただ全力で奔り抜けてただ全力で狩り殺すという意志だけ。
もはや敵とすら思われていない。
爪を立てれば死ぬ存在、牙で喰らい付けば死ぬ存在。その程度の認識、危険度、優先度。技術の大国トウオウにとって、たかだか椎滝大和程度取るに足らない存在だ、と。つまるところこの連中はそう言っているのだ。元『異界の勇者』でありながら現『箱庭』の一員、怪物集団『箱庭』の名にふさわしい功績を残そうとする大和に対して、だ。
げほげほと咳き込んで、上から滑り落ちるように飛んできた踏みつけを転がって回避する。だが避けられたからといって、大した感情の変化はない。
むしろ、バイザーの紳士は面白そうに。
『お忘れならないように、貴方が『一』なのに対して我々は『二七』数が揃うということは、それだけ手札も増えていく。貴方の信号を頼りに追いつくのは一部で構わないのです。上から下まで全ての階層に部隊を編成して一斉に動けば、どの階層に移動しようが確実に貴方を叩ける!』
単純な理屈だった。
単純にして、最も効果のある戦術とも言える。大和を遥かに上回る速度で追ってくる肉食獣の群れから逃げおおせるには、まず『万有引力』で上か下かに転移を繰り返して錯乱させるほかない。
『そして大抵の空間移動系は、咎人本人が直接触れた物体しか転移できない』
何から何まで看過されたことによる手札の消失。
頼りない奪った拳銃に、完璧な対策を講じられた『万有引力』
足の筋を絶たれ、動けなくなったサバンナのシマウマに等しい。ただ静かに餓死を待つか捕食者による殺戮を待つか。数という椎滝大和一人ではどうしても埋められない差と共に、その上敵には大和を悠々と吹き飛ばすだけの火力が備え付けられている。
拳銃を突き出したまま立ち上がる。
そして、この状況を楽しむかのように笑って見せた。
「だから?」
『......?』
あろうことか、次の瞬間には拳銃が宙を舞っていた。放り捨てられ、敵目掛けて一目散に走る青年の手には武器と呼べるものは何一つとして存在しない。対して敵は、巨大な鉄球を明確にイメージさせるほどの腕力と分かりやすい銃火器のダブルコンボだ。
絶体絶命。
なんてことも、無い。
がしゃん、と後方から。
今更になって、大和の捨てた拳銃が床に激突した音だった。
突進。パワーの差からしてまず無謀な選択だった。むしろ自分から勢いを付けてしまっている分、カウンターを貰ってしまえばそのダメージは計り知れないものだ。
敵もそれをわかっていて拳を構える。
その程度の浅知恵、どうにでも粉砕できる。しっかり握った拳が大和の顔面を捉える頃には、既に彼の意識も刈り取れる。都合よく奇跡が連続しない限り、予め定められた結果が180度反転しうることなどまず無いのだから。
スーツの各関節部位から吹き出された可動域冷却用のスチームが煙幕のように視界を遮った。それが晴れる頃には二人の距離はもうどうしようもないくらい縮まって、『異能』を使わない限りここからの回避は不可能だ。しかも、異能を使って上下どちらかに逃げおおせたとしても、そこにはまた同じような黒スーツのジャッカルが待ち伏せている。
一切の装飾のない拳の一撃だった。狙われたのは大和の顔面、ボーリング玉くらいの重量を持つ人間の頭部を、パンチの威力だけで吹っ飛ばす勢いで。
唐突に、突き出した拳がぴたりと止まった。ほんの僅か。あと少し勢いを殺すことなく突き出していれば、まず間違いなく椎滝大和は自動車にはねられたかのような勢いで床や壁に叩きつけられていたというのに。
つまり、今度は大和がにやける番だったということだ。
『こいつ...ッ!!』
相も変わらず顔は見えないが、分かりやすい焦燥があった。
(タブレットを盾にっ!?)
寸での所でかざす様な仕草だった。
それだけで全て止まる。全て守れる。
椎滝大和の弱点の一つ、ホード・ナイルが残したタブレット。独自の改造を施したこの機材は別途の超小型発信機を仕込むことで数キロ圏内の大まかな位置を把握し、しかも常時電波を発信し続けるタイプでもないのでその手のプロにも感づかれにくいという特別性。既に奪われたティファイの位置を記憶する前段階が整い、いつでもボタン一つで発信機が起動する。
しかしどうだ。
それはつまり、ジャッカルにとって最も重要視されるのはタブレットであり、あくまでも椎滝大和自体はおまけ。アサリの中に紛れた小ガニが精々だという事実。
どんな場合においても、タブレットを破壊することは許されない。おまけに執心のあまり、本職であるテロリストへの道のり開拓を疎かにするなど。
そして。
ここまで近づいてしまえばこっちのものだ。
椎滝大和の『異能』は、触れたモノを物体生体問わず転移させる。転移には一瞬のラグも生まれず、発動した瞬間には転移が完成されて、対象の景色は一瞬にして書き換わることになる。
宙へ置くように放ったタブレットが空中で縦に回っていた。唯一の武器を捨てたのだって、注意をあまり自分へと集中させないための布石だった。思い切り床へ押し倒すように全身の体重を一点へ。
置き去りになったタブレットへと、両サイドで佇むだけだった黒スーツが手を伸ばす。大和もそれらに触れて、次の瞬間には消えている。
改めて。
体勢を崩した紳士的な黒スーツへ。空いた左手でヘルメットを掴み、地面へと叩きつける勢いで力を加える。
「触れたぜ」
『ぐっ、この...ッ』
大和の『万有引力』は触れたモノにしか作用しない。裏を返せばこれも、触れたらそこで終わってしまうということだった。
つまり。
「対人に関しちゃ、俺の『万有引力』は一撃必殺の威力を持つってことだよくそったれが!!」
ドッッ!!という着地の音は発生しなかった。
仰向けで海に浮かぶような格好、床から黒スーツのヘルメットの一部だけが突き出ていた。
まずは前哨戦。
宙に置き去りだったタブレット、落ちてきたところを改めて掴み直す。まるで最初からこうなることがわかっていたかのようにすっきりとした表情だった。数か月前の自分では考えられまい、数か月後の自分が質量の中にヒトを埋める抵抗を失うことなんて。
ここが『怪物』への第一歩。
あけましておめでとうございます




