蛹は眠り羽化の時
これからまた登校頻度が変わります
『隊長殿、来ると思いますか』
『わからない。が、もうじき約束の時間。結果はすぐにわかるさ』
ヘルメットと軍服を特撮系にアレンジしたような姿の、機械を通して加工したような声での会話だった。同じような格好、背丈の人影がずらりと並ぶと、流石に圧巻の光景だ。一体内側にはに何を仕込んでいるのか、身につけられた軍服からは妙なふくらみが浮き出て輪郭が不自然に偏っているので、明らかに『か弱い一般人』なんて器ではないのだろう。
それどころか、もはや腰の辺りにばっちりとホルダー付きで拳銃がぶら下がっていた。
一目でわかる非平凡。さらさら隠すつもりもないらしく、一部の連中に至ってはこの場で兵装をパーツごとに分解し、部品を一つ一つ並べてまで精密検査を行う者すらいる。一般人の目からは遠いとはいえ、常識とやらはどこへやったのか。
トウオウ国軍対テロ特別沈静部隊ジャッカル。28名の彼ら精鋭が立つ子の建物こそが、正体不明の仮想敵との集合地点だ。
交番を大きく拡張したような拘留場、その入り口となる場所。
輸送品のコンテナが積み込まれた貨物室や、従業員たちの簡易な宿泊施設など...一般客の立ち入りを禁じられた東区。そこと、レジャー施設など蔓延る北区の境界線に当たるこの位置は、先程飛行船タイタンホエール号へと到着したばかりの軍人どもで溢れかえっていた。
言わずもがな、船からの緊急通信を受けた国家の上層によって派遣された者たちだ。不甲斐なくも、飛行船タイタンホエール号の現状がぱっとでで理解できるような状況とも限らず、混乱のさなか受け取った通信に藁をもつかむ思いで申し入れた情報提示に賭けるしかなかったのだ。
曖昧な情報を下手な暗号に変換して散りばめているあたり、相手は恐らく主犯組織ではないのだろう。文章も所々不自然、その上タンスの中に無理やり押し込んだ衣服のような散らかりすら見て取れる当たり、この手のプロとは程遠い初心者。
ただし、敵の敵が味方と馬鹿正直に近づくというのは、それこそ全体を危険に巻き込む愚行としか言いようがない。
出来ることなら直接的な接触は避けるべきだったと、隊長と呼ばれたバイザーヘルメットの男は今更になって後悔する。
柄にもなく漁ってしまった結果がこれでは、隊長と呼ばれ無くなる日も近いのかもしれない。現時点でその称号が手に収まってる以上は、与えられた仕事をこなすだけだが。
そうしているうちに、
かつんっ、と。自然と音を殺して歩いてしまう仕組みを持つジャッカルの装備からはあり得ない、ありふれた足音が連続して聞こえた。
誰が言うまでもなく静まり返り、ジャッカルに属する誰しもが音の方角へと視線を投げかけている。ぴったり時間通り。相手への信頼も、少しばかりは目を出してきた。
『止まれ。一般人のこれ以上の侵入は許可されていない』
「人様呼びつけておいてなんだそれ。ジャッカルってのに呼び出されて来たんだけどご本人様?」
『ジャッカルとは個人を示す単語ではないぞ』
軽く忠告が入ると、思ったより随分と風格に欠けるというか普通というか。とにかく、そっちの業界にはあまり精通してなさそうな、一般人と呼ばれた方がまだ信じられる風貌の青年が振り返る。
やや高身長で目付きが鋭いくらいしか感想が浮かばない。
「......失礼だが、貴殿が』
「人の回線勝手にチャネリングしてきたのはそこのあんたか?悪いけど全員の顔なんて覚えられないぞ、何しろ全員似たような声にヘルメットだから区別がつかないんだよ」
青年はひらひらと手を振ってそう答えるとこちらから求めた握手に応じる。
スーツを通した握手の感触は、つるりとした植物の葉のように何とも不思議なものだった。そしてなんだかな。サングラスみたいに真っ黒なバイザーで遮られているはずなのに、他の連中からの突き刺さるような視線が着実に胃にダメージを与えてくる。どんだけ覚悟を決めたところで、椎滝大和の根本的なチキンはそうそう身を隠さないのだった!
周囲からの視線に表情こそポーカーフェイスを気取っているものの、内心心臓バクバク大和は気が気でない。リーダー格と思われる人物の案内だけが耳に届くも、周囲のざわざわも似たような声なのだ。混乱してしまうに決まってる。
案内されるがまま施設の中に入ると、意外にも中は病院のように白で清潔にまとまっているようだ。東区の入り口となっているであろう扉を通り過ぎ、一歩一歩階段を降りていく。
拘留所だと聞いていたので身構えていたがなんだか拍子抜けだ。と、思ったまさしくその瞬間だった。
なんか獣っぽい、でもって紛れもなく嘆き叫ぶ人間の咆哮が、踊り場の横に空いた扉から突き抜けてきやがった。
「心配ございません。狂気に煽られた一般の方々です。医療設備のベッドが空いてませんので間に合わせの処置としてここを使っています」
横から側近の添えるような言葉があったが、出来ればその情報はいらなかった。一歩間違えれば自分も檻の向こう側だということは忘れてはならないし、忘れたら命の保証は無いらしいので胸に刻んでおこう。
とまあ、なんやかんやあってだ。
校長先生がにこにこしながら待ち受けてそうなガラス張りのテーブルとソファーの部屋に応待された大和は緊張しながらも席に着く。隊長格と二人だけでいいものを、部屋にはやたらめったらぞろぞろと同じような格好の危ない連中が入ってくる者だから気が気でない。しかも腰にはばっちり拳銃がホルダー入りでぶら下がているし。
その気になればいつでも集団で袋叩きにできる状況というのは、完璧な信用を築かぬ相手とはただただ恐ろしく付きまとうだけだというのに、席に着く二人を取り囲むように壁にずらりな本人たちはそれに気づいていない様子だった。夜中に横並びの地蔵群を見かけた日と似たような威圧感があることを自覚してほしいところだ。
とはいえ。
大和も大和で暇ではない。出来ればこんなところでびくびく震えるより、ちゃっちゃと用事を済ませてあの子の元へ駆けつけてやりたい。そんな気持ちだけが大和を急がせる。
その気持ちこそが、罠かもわからないこの場へと彼を赴かせた原動力。
横から出されたお茶に手を付けて、ふと気を抜いた時に慣れない合成音声の声があった。
『......早速だが』
「頼む。あの子を助ける手伝いをしてくれ」
まず率直に先手を切り出したのは大和だった。
『あの子とは?』
「本名はわからない。ただ、その...『敵』はティファイって呼んでいたから、俺もそう呼んでる。連れ去られたんだ...あんたらが追ってるテロリストたちに」
『その子というのは貴殿の家族か何かか?』
「......違う、赤の他人だよ」
『知り合ったのは』
「一日も経ってないさ。名前どころか顔も覚えられてないだろうよ。本当に、偶然のめぐりあわせみたいなもんだったんだから。人と人との縁というか、なんというか」
『ふむ』
一息置いて、だ。
顎に手を添えて、前かがみでこちらへ向き合直るヘルメットの男。見栄もしないその口の中から、大和の沸点をギリギリで掠める言葉が飛び出した。
『ならば、どうして赤の他人のためにそこまで本気になれる?』
怒りを抱くには十分だった。
むしろ、そこまで話を聞いといてどうして冷静を保てるのかが不思議でならない。信用されていないのは十分承知の上で、それでもこいつの態度が気に入らない。『力』を持つくせに、幼い子供の命を仕事の範囲外という理由だけであっけなく切り捨てていいはずがない。
『力』を持たざる大和との根本的な違い。
一瞬で大和から信頼の類を抜きとった男は、それでも追撃するかのように畳みかける。
『もっとも、その子を助けることとテロリストの鎮圧にどのような関係が?我々の仕事はあくまで連中の殲滅であって、人命救助は警備スタッフや警察の仕事だろう』
「...彼女は咎人だ。テロリストが連れ去ったのもあの子の異能を利用するためだし、その子の体内には追跡装置......とにかく、このタブレットで居場所を突き止められる」
『発信源を追えば、おのずとテロリストとも巡り合うと?一応万全の警備体制をすり抜け、被害をここまで広げた連中がそこまで間抜けとは思えないのだが』
......きっとこれ以上の対話による信頼の奪い合いは無駄なことだ。
納得したように首を傾ける連中の頭に、大和が自身の身の回りをこれ以上打ち明ける必要はないだろう。それにしても話の流れを聞いて一言目に見捨てる選択肢を口走るということは、やはり対テロ制圧部隊だなんて名乗るだけあって経験は豊富か。大和も恐らく連中から信用されていないが、それに関してはお互い様だ。
真に互いの信用を語りたければ、連中は全員で黒々しく光沢を帯びるスーツを脱ぎ捨て、腰に引っ掛けた拳銃を海へ捨てなければならない。
それからの説明は簡潔に進んだ。
仲間に関する知識だけは何が何でも与えるわけにはいかない。事実の中で『箱庭』の情報だけ伏せることで、あたかも己が一般客として紛れ込んでしまっただけの人間を装う大和。
『『毒炉の実』にメタリックシルバーのロボット、か』
「ティファイ......『毒炉の実』に関しては本人の意思は関係ないんだ。ただ何も知らないことをいいように利用されて、兵器扱いされてるだけなんだ。あの子に罪は無い。咎人なんて、そんなの大人の都合でしかないんだよ!!」
『落ち着いて、焦りは神経を鈍らせるだけだよ』
「......被害者を被害者のままにしておくなんて悲劇だ」
例えばの話。
外来から人の手によってもたらされた動物が生態系を狂わせたとして、果たしてそれは外来生物の罪として断罪することが許されるのだろうか。本人たちの意志とは無関係で、ただ強大な力に従わざるを得なかったというだけなのに。後になって都合が悪いとひたすらに殺されるその動物たちは果たして本当に『悪者』なのか。
答えは、否だ。
真の悪者は人間に従わざるを得なかった動物たちではない。ただの身勝手で彼らの住処を奪った挙句、勝手もわからない土地へ放り出したと思えば後になって人間そのもの。食物連鎖の頂点に君臨するからといって、自然を好き勝手にしてもいいとは何たる傲慢か。
彼女も...ティファイも何ら変わらない。
ただ少しばかり人とは違う個性を得て生まれてきたというだけで親から引き剥がされた彼女は、教養どころではなかった。言葉を教えてくれる大人はいなかった。愛情を示してくれる大人はいなかったのだから。
暫く説明に時間を費やし、やがて納得したように小さく呻くような声があった。
『なるほど』
向かい側のソファーに座り、しかしそれでも珍妙なスーツを脱ぐつもりは無いらしい。暖房ガンガンな部屋の中で厚くないのかとちょっと心配な大和。相手はそんなことを気にする様子もなく、業務連絡のような冷静を保ちつつ、
『飛行船タイタンホエール号に置ける今回の事件、全て把握した。これも全て貴殿のおかげだ、協力感謝する』
「あの子が少しでも救われる可能性が広がるならなんだってするさ」
『そうだな。国のためにも、一般人の命のためにも。我々も最善を尽くすことを約束しよう』
顔こそ見えないものの、今一度差し伸べられた手に悪意はないはずだ。
そして次に、大和は最も重要な言葉を何気なく投げかけた。
「それで、その...あの子はどうなるんだ?」
『貴殿が気にすることは何もない。毒炉の実は我々ジャッカルが責任を持って処理しておこう』
......血管に、鋭い棘が食い込むような感覚があった。
それは。
その行為だけは、決して許容しちゃだめだ。
この世に生まれ出たというだけで罪の名を背負わされ、最愛であるはずの親からも引き剥がされた上に散々利用されて終わるだなんて。
『さあ、そのタブレットをこちらへ』
確かに多くの命を守るためというならば、それが最善かもしれない。把握しきれないほどの人数を危険にさらすくらいであればたった一人の子供を捧げるという贄のシステム。ティファイさえこの世から消えてしまえば、少なくとも奴らの目的が100%の形で成すことはなくなるのだから。
立ち上がる。
力なく垂れさがる両手は震えていた。この腐り切った社会のシステムに対する怒りが、そうさせた。善か悪か、多くの命の保証を奪うという立場の彼は、分類するなら悪の枠組みなのだろう。
知ったことか。
「あの子を命として扱わない限り、あんたらもあいつと同じなんだよッ!!」
ズドンッッッ!!!と。
数多もの銃身が火を噴いて爆音が炸裂した。
しかし足りない。壁を彩るはずの赤の色彩がどこにもない。
『消え...ッ!?』
とんっ、と。
目の前に発声した異常現象に、思わず叫びかけた隊員の一人の肩を叩く。男は振り返らず、周りの視線を一人で請け負うこととなる。
言うまでもなく、背中に立っていたのは消えた目付きの悪い黒髪の青年だ。がちゃちゃ!と容赦なく向けられる銃身を前に、もう彼は立ちすくむこともあり得ない。隊員を盾のように扱い睨みつける。
明らかな敵意を孕んだ言葉が滑り込む。
『......巻き込まれた一般人という話は、どうやら信用できないらしいな』
そして。
「一つ、もうジャッカルは信用しない。二つ、あの子に近づくことは許さない。最後に、三つ」
降り注ぐ敵意に臆する必要すらない。
むしろ、言わねばならない時がある。どうしても曲げたくない考えを、どうしても通したい我儘を押し通そうとすると人は争う。
自らが放とうとする言葉の意味を、当然ながら椎滝大和は理解していた。そうして、体重をかける。ぐっ!と肩から加わった力がすんなりと溶け落ちて、気付くと盾として扱われていたスーツの男の膝の辺りから下が床に埋もれている。
『万有引力』
世の理を超えし『異能』の力の一つ。大和が持つ、かつて愛し愛された者より受け取った贈り物。その効果は単純にして明快。触れた物体を上下の二方向のみで瞬間移動させる。
分かりやすい宣戦布告の合図があった。
「『箱庭』を舐めるなよ。クソ野郎」




