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終焉の鐘が鳴る頃に  作者: iv
序章
119/268

少年少女



「随分とうなされてたようだけど戻ってこれたようで何より。悪夢の中で遭遇したトラウマのせいで外傷関係なくショック死なんてこっちとしても笑えないからね」


 前を歩くシズクはそう言ってくつくつと笑っていた。色々あって全身びっしょりな大和もそれに続き、入れ替わるようにしてさっきまで自分が寝ていたベッドのある病室へと運ばれる人を自然と目で追っかけてしまう。

 ぎゃりぎゃりぎゃり!!という車輪の音と共に、二人のすぐ横を担架が走り去っていく。乗せられていた男性の片手は風船でも詰め込んだかのようにひどく腫れあがっていて、大和の素人目でも怪我の深刻さが伺えるほどだった。

 心臓を濡れた手で鷲掴みされたような悪寒が奔った。

 戦時中に経験した、あの感覚。

 誰も彼もが生命の保証を投げだして、国のためやら世界平和やらを掲げる地獄のような光景。白衣を纏った医者がせわしなく行ったり来たりを繰り返し、何人になるかもわからないほど膨大な怪我人の手当てに走らされている。もう二度と繰り返すまいと思っていた。なのに。あちこちから流れ出る血液と消毒の香りが混ざり合うことで独特の鉄さび臭い空気が充満しつつある。


「...最善を尽くしたつもりだけど、それでも100人いて100人全員を守り切れるわけじゃないからね。『勇者』でもあるまいし」


 大和には理解できないこの人の流れの原因というのもシズクの言うその辺に理由があるのか。最下層の立ち位置だったとはいえ、椎滝大和も『異界の勇者』時代には幾つもの修羅場をそれとなく潜り抜けた経験のある人物だ。だからこういう時、自分たちのいる場所が具体的にどんな事態になったのかは何となくでも理解できる。

 例えば傷を押さえて呻く被害者の人種。例えば怪我人の人数や怪我の種類なんかも。前者は何時どんな状況に置いて事件が発生してしまったのかを理解する鍵として機能するだろうし、後者も事件に使われた凶器などを知る手掛かりとなる。

 そして丁度良く、歩いている隣の病室の扉が開いてちらりと中が伺えた。

 内出血を伴う骨折に重度の熱傷。

 半分考えることを放棄しようとしていた大和が、口に出して答えを聞くことを躊躇ためらった。

 或いは、『それはお前の思い過ごしだ』と、誰でもいいので否定してほしかったのかもしれない。

 

「......何が、あったんだ」

「戦争」


 ぎゅっと胸の辺りを締め付けられたような息苦しさが増した気がした。

 当然だ。

 ついさっきまで、椎滝大和は己自身の目で過去の戦争をこの惨状へ重ねていたではないか。それに、極端に言ってしまえばこの惨状の原因に嚙んでいるのは紛れもなく『箱庭』の面々だ。そもそも『箱庭』がもっと早期の内に事態を把握し、適切な処理に走っていたらこんなことにはならなかった。無関係の『誰か』が傷つくことも無かった。

 強く握りつけられた拳の骨がぎぎぎと軋む。力不足を嘆くことしかできない。

 『もしも』なんて言い出したらきりが無いことなんてわかってる。しかし、それでもあきらめきれない。元の人間性がそうさせるのか、『異界の勇者』としての本能なのか。どちらにしたって、自分たちのいざこざに巻き込まれた人達を見て見ぬふりなどできない。

 しばらく二人が廊下沿いに歩いていると、不意にシズクが一つの扉の前で立ち止まり、大和のほうへと振り向いた。......こういう時、どうしても身長が足りないので彼女を見下ろす体勢になってしまうのはいつものことだ。こんなんだからいまいちシズクが自分の上司という実感も湧いてこない。

 しかし、思いのほか彼女の表情は冷静だった。というよりは、静寂。いつものようにみんなでバカ騒ぎして、明るく場を盛り上げてくれる彼女。しかし今はまるで息子へ不治の病を伝える母のような真剣さを帯びて、そして静かな口調で話しかける。

 ノックもせず、扉へと手を掛けた。


「...残念ながら、あいつはここでリタイアよ」


 がららら、と。

 静かに扉が開いた。

 そこは大和が寝かされていたような六人一部屋の大部屋ではなかった。部屋の広さ自体は大して変わらないだろうが、代わりにぽつんと敷かれたベッドは一回りくらい大きい。一つしかないベッドの周りには点滴やら大和の素人目では理解できない機械などが繋がれていたのだ。

 ケーブルで繋がれた心電図モニターの機械音だけが静寂の中で彼の生存を示す記号となっていた。

 幾本のもチューブを通して、ベッドの上で静かに横たわる影があった。

 真っ白なシーツの上からでもわかるほど特徴的な、まるで海面のような薄い青髪。人工呼吸器を取り付けられ、包帯の中から飛び出た幾つものチューブはサイケデリックに感じるほど色鮮やかな液体の入ったパックに繋がれ、ゴミ箱の中には真っ赤に染まったガーゼやタオルが無造作に投げ捨てられていた。

 ホード・ナイル。

 顔の一部しか見えなくとも、自然と姿が重なった。全体のフォルムは元の面影もないくらい歪んでしまっているはずなのに、直観が正体を訴えかける。

 同時に。

 大和の中で、夢とばかり思いこんでいた幻想の記憶が重なっていく。突きつけられ、紛れもない椎滝大和自身の目で目撃したはずの記憶。散らばる瓦礫と肉の塊。壁や天井を彩る殺戮の赤に、天高く咆える一匹の獣。地獄を鏡で映したような惨状の断片を知っている。勇敢にも出会ったばかりの子供を救うため、怪物へと立ち向かった少年はこうなった。今ではその子供の所在すらつかめない。無事であるかどうかすらもわからないのだ。

 見たことも無いような、白銀の衣を纏う魔獣の姿だった。

 しかし同時に、記憶の視点はとある人物の主観へと固定されていた。

 そいつは、()()()()()()()()()()()()()()()()()


「一命はとりとめたものの、輸血量は異常だし体中の骨はあちこち砕けてる。特に左足は障害が残るかもしれない。これでも、まだ四肢がくっついてるだけいい方よ。しかもどういうわけか血液中の赤血球が大量に崩壊してる。そのせいで血液の色が少しずつ薄くなっていってるの」


 シズクの言葉は、今の大和に対して心理戦の追い打ちをかけるようなモノだ。『仕方が無かった』『どうしようもない事故だった』『お前は悪くない』なんて言葉も、慰めではなく余計に彼の心臓を締め付けるだけだろう。

 体の力が風船に針を刺したように抜けていく。膝が今にも病室から逃げ出したいと叫んでいるようにがたがたと震え、全身の毛が逆立っている。

 いや、それ以上に、彼の体が拒んでいるのだ。無意識化とはいえ、己自身が少年を叩き潰したという紛れもない真実を。抗いがたい己自身への恐怖。今までこんなことが起こったことなんて無かったというのに、ここにきて開花してしまった未知数の『椎滝大和』に。

 他の誰でもなく、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 もはや蚊の鳴くようなか細い声が、掠れて絞り出されていた。よくよく注意して聞こうとしなければあっさりと部屋の外から漏れる騒音に掻き消されてしまいそうだった。泣きそうな表情で、受け入れる覚悟もないというのに問うしかなかったのだ。


「俺...なのか...?」


 わなわなと、体が意志に反して震えてしまう。シズクがふと目を細めたことにも、俯いたままの大和はわからない。


「俺が、こんな姿にさせちまったのか!?」

「さあ?」


 『怪物』はあっさりと流した。青年の葛藤をばかばかしく思わせるように、変わり果てた仲間がベッドに横たわる姿を見てもなおいつもの調子でいられた。というよりまず、ホードを哀れんでいる様子すらない。まるでこんなこともあると最初から覚悟して、その通りに発生した事態を容易に受け止める準備が整っていたかのように振舞っている。

 『怪物』と『人間』の違いというのは、こんなにも遠いものなのか。それとも、『箱庭』という枠組みはこうなることがもはや日常の一部として組み込まれているとでもいうつもりか。

 遠い。

 あまりにも遠すぎる。

 人間性の欠落。当たり前の恐怖を失った者たちの集いで、仲間を傷つけ叩きつけた青年をとがめることも無い。シズクもシズクなりに責任を感じているのか、偏らせた戦力に分けて行動してしまったことを悔いて人知れず唇を噛んでいた。『竜』の襲撃後ということで気を抜くことも出来ず、雪崩のように一気に押し込まれることを想定に入れてなかったのは彼女の責任だ。今ではキマイラすらも連絡が途絶えて足取りを掴めなくなってしまった。

 そして次に、ここだけは。


「私は万能な神様じゃない。目の届かないところで起こった悲劇には、手は届かない」


 きっぱりとシズクはそう告げた。むしろ嗚咽を撒き散らして泣き出しそうになっている大和のほうが場違いだと思わせるほどいさぎよく。だれに弾劾されるでもなく、彼女は自分を偽らない。出来ないことは出来ないとはっきり言わなくてはならないし、それを怠った結果生まれるであろうみっともない責任の擦り付け合いも御免こうむりたいと。

 この結果すらも想定しうる可能性の一つだったのか。

 不穏な考えが浮かぶ程度には人間離れ。或いは、この世界ではこれが常識で、『人間』で在り続ける椎滝大和のほうがズレていたのか。


「私たちの誰もがこうなる覚悟背負ってこの場にいる。例外なくこいつも同じでしょうよ」

「で、も」

「あなたは、悪く、無い」


 それこそ大和の胸の内を覆すような一言だった。触れてはいけない禁忌と言ってもいい。足手まといでいることを常として、差を埋めるべく乏しい腕力を振るい続けてきた彼にとっては、ある意味で最も効果のある言葉でもあるはずだ。

 小さく細い指先、シズクの人差し指がゆっくり伸びて、大和の胸の中心へと突きつけられている。ほっそりとした彼女の輪郭を捉え改めて思う。こんなにも細く、少女らしい指だというのに。その内側には自分では計り知れないほどの力が眠っているという事実。この距離で奇襲を仕掛けたところで、シズクは顔色一つ変えずに自分の命を両断できるだろう。

 更に。青年は知る由もないが、シズクがその気になれば今すぐにだってこの飛行船を海面へと叩きつけることも出来る。そんなんだからいつも、シズクと知り合った人物たちは、『この人が悪人でなくてよかった』と心から安堵するのだ。

 『怪物』が眉を寄せて、青年の胸を突く指を引っ込める。しかし腕は引き抜かず、引っ込めた指先を手の内側へと丸めて違う形を作っているようだ。

 ドッッ!!と軽い衝撃が突き抜けて、気付けば大和は病室の床へと尻もちをつかされていた。ただのデコピンだというのに既にこの威力なのだ。やはり基本構造が大和とは違いすぎる。

 尻もちをつかされたまま、そして視線を大和へ合わせるためだろう。腰を落とした少女は至って冷酷に語る。


「こいつに止めを刺したのはヤマトだった。でもヤマトを止めたのもこいつだった!そんでもって『あの子』をヤマトから守ったのだってホードだった!その覚悟を、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!」


 こういう場合、()()()大和がやるべきことは何か。

 シズクは、そう尋ねていた。奪った者から守られた者へと肩書を改めてもらえた。そうして新たな犠牲を生んでしまったせめてもの償いとして。椎滝大和が取るべき行動はどうあればいいのか、と。

 やはり足はがたがたと震えていた。大和の心情を代弁するかのように。『異界の勇者』としての覇気などとは程遠い。事件に巻き込まれただけの一般人と呼ばれた方がよっぽど信じられる。

 ぽつりと、その言葉は独り言のように呟かれた。


「凄いって思ったんだ」


 当然ながら、勝算など持ち合わせてはいない。

 あったなら最初から全部出しきって、『竜』だろうがメタリックシルバーの兵装だろうが片っ端から捻じ伏せている。


「俺達がホードと合流して、そんでこいつが俺たちの知らないところで。ちゃんと戦って見ず知らずの子供を守ったってわかったとき。心の底からそう思ったんだよ」

「そうね。しかもヤマトと違って一人きり。頼ることも出来なかったホードはきっと一度だって泣き言なんて口走ってもないでしょうね」

「心の底から尊敬した。それに比べて、俺はなんて情けないんだとも思った」


 紛れもない本心だった。ずるずると三人で必死に戦って、連絡もつかなかった少年とようやく合流出来た時に、ホードは一人で戦っていたのだから。そんなことをしたって、守った誰かにお礼を言われるわけでもないのに。自分の利益に何て一切繋がらないというのに迷わずその行動をとれた少年がいたのだ。比べてしまうのは仕方のないことだった。


「だったらどうするの?」

「何がだ」

「あんたはどうしてやりたいの?」


 言葉が、詰まる。

 やりたいことと出来るかどうかは別だ。出来ないとわかっていながら窮地に立つなど、言い換えれば火事だとわかっているのに取り残された友人を救おうと飛び込むのと等しい。

 しかし。


「うんざりだ」


 ドッ!!という鈍い音が響いた。

 震える膝は殴って黙らせた。縮こまった心はホードの姿で奮い立たせる。光を失った瞳は、見失ったはずのやるべきことを見据えてぎらぎらに冴えわたる。

 ゆっくりと、立ち上がる。


「もうこんな思いはうんざりなんだよ」


 呻くように。

 今度はちゃんと向き合って、『異界の勇者』は拳を固める。どういうわけかその覚悟を見て、シズク・ペンドルゴンも笑っていた。これも最初から全てわかっていてのことらしい。椎滝大和がどのような結論へ達するかなんて、一か月以上も彼の隣にいた彼女なら手に取る様に理解していてもなんらおかしくない。

 彼女が差し出していたのはホードがずっと使っていたタブレットだ。恐らく一連の収拾がついた後に崩れた部屋の中から引っ張り出してきたのだろう。液晶はあちこち小さくひび割れていた。


「俺のせいでホードは動けない。なら、俺がやるしかない。あいつのやりたかったことをやるさ」


 もう迷うことも無かった。ある『名前』を思い浮かべて、シズクのほうへと向き直った。

 タブレットを受け取って、『異界の勇者』は見えない敵に向かってこう宣言する。


「あの子を...ティファイを取り戻す!絶対にだ!」


 ここが新たなる『怪物』の目覚めとなるのか。はたまた今まで通りの地続きな平凡な結果が待ち受けているのか。そればかりは彼女でも検討付かなかいようだ。彼の答えに頷く代わりに、少女もまた獰猛に笑いかける。


「よく言った」


 救うべきは『命』

 悪い大人たちの手によって攫われた、何の変哲もない『咎人』の子供。悪者に奪われた子供を助けるだなんて、まさしく勇者向けな展開を『異界の勇者』が見捨てるわけにはいかない。

 これからはもう『異界の勇者』じゃなくていい。そんな薄っぺらな名ばかりの肩書では、大事な時に取りこぼしてしまいそうだ。『箱庭』に属する者として。

 眠り続ける少年が目を覚ました時、笑って報告できるようにする戦いが始まった。



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