技術の街
「アルラ君から連絡があったってぇ!?」
本来静寂が保たれるべきであろう清潔感漂う執務室での声だった。あれからかなりの時間が流れてはいるものの、街は未だ悲惨な状態が続いている。そのため、本来であれば他に回るはずだった作業の山も、事件に密接にかかわってしまった彼に回される羽目となっていた。
気の弱い者では視線だけでも身震いさせかねない顔付を持つ壮年男性。
煉瓦と水の街、ニミセトの重役であり、その街に異常なまでの愛を向けた男。
ノバート・ウェールズ環境委員長その人だった。
ちなみに彼が腰掛けるデスクの正面で、これまた頭を掻く薄青髪の海人族の男はジル・ゾルタス。共に『強欲の魔王軍』侵攻の際、偶然にもアルラ・ラーファと関わり、事件解決に尽力した英雄である。
ジルもジルで警備委員会の重役であったりするわけで、やはり終わらない多忙にひーひー言っていたのだがそこにきてのこの連絡だ。もっとも、受話器を受け取ったのも彼だったりするのだが。
「昨日の夜中に突然ですよ。委員総会のほうに指名の連絡が来てるだなんて叩き起こされて、どうしてもというから仕方なく聞くだけ聞いてみたら」
「彼だったのか?」
「あの図太い神経と『そう言えば忘れてたな』で適当に連絡してみた感は間違いなくアルラですね」
本当に数日程度の短い付き合いではあったが、あの出来事で最も深くかかわったと言っても過言ではないジルにとっては忘れられない存在だろう。ひょんな偶然が重なった結果生まれた関係ではあったが、最終的にはそれも功を奏したのだから、これはまさしく終わり良ければ総て良しって奴なのかもしれない。
あの事件は、ジルが知る中で最も地獄と呼ぶに相応しい光景だった。
実際に守れなかった命も多い。特に最初の襲撃の際など、奴らは手駒を増やすために夜の路地裏でたむろしているような連中を殺めては漆黒に輝く鎧を着せて回っていた。おまけにニミセトの街を守る警察組織の警備委員会にまで内通者が潜んでいたというではないか。
実際この一カ月の間、事件後のあれこれを任されてしまった二人の面たるを崩しにかかってきていた連中との戦いでもあった。そう言ったこちら側の痛いところを的確についてくる陰湿なマスコミ共は何時の時代も厄介この上ない。彼らとしてもネタが無ければ食っていけないのはわかるが、マイクやカメラを向けられるたびに書類の山が積み上がるのでそこらへんは考えてくれてもいいのではないかと真剣に考えついていたころにこの報告だ。
彼の安否が知れてほっとしたのやら、またやるべきことが積み上がってしまったので嘆くべきなのやら。
ジルが昨夜を思い出して思わず苦笑いを浮かべていると、額に手を置くノバートがやれやれと尋ねてきた。
「それで?君も久しぶりにアルラ君と話したのだろう。彼は何時どのタイミングで戻ってくると?」
「戻ってくる気はないそうでーす」
がだんっ!と、いい年した大人が盛大にずっこけたせいでデスクが大きく揺れた。今時コントなんかでも見なくなった表現だよなと変な関心を内心浮かべつつ、大きなため息を吐くジルに対して。
いまいち年齢が周囲に比べてアレなせいで周囲との接し方にいまいち疑問を感じるのが近頃の悩みなおっさんはどうにか顔を上げる。そしてわなわなと震えながら、
「事件の後処理のばたばたに紛れて、気付いたら居なくなってたせいで勲章も授与出来なかったんだぞ!?それに、なんだ?今は戻る予定が無いだって!?それでは私たちはいったいどこの誰に対して表彰状を投げつければいいのだ。大体彼が成し遂げたことはもっと大大と公表してもいいだろうに!」
「街民でも無い上、本人の許可もなく実名報道なんてやってのけても自称正義の伝達者たるマスコミさんからバッシング喰らうだけですよ。ニミセトまで受動的にその対象になっちまうじゃないすか」
「そんなことはわかっているのだジルよ。ただでさえ君にばら撒かれた不名誉極まりない渾名があるというのに、私も私でこれ以上自分の汚点を広げる上に心から愛する故郷まで巻き込みたくはないのだよ!」
「なら大人しく椅子の上で書類とにらめっこすることだなじーさん」
「はんっ、君もそのうち私みたいになるのだぞ若輩が。大体まだ傷が完全に言えたわけでもあるまいし、大人しく保健委員会の世話にでもなっていたらどうなんだ?」
どちらも笑顔なのだが、その表情が逆に二人の間を迸る火花を助長しているようにも見えなくもない。とはいえ、ジルもここに喧嘩しに来たわけではないのでこの辺でストップがかかった。
つい熱くなってしまったなとジルは素直に反省して、本来の目的に戻ることにする。そう、あくまでアルラ・ラーファの件は彼らの個人的な話だ。街の重役としての顔もある二人には、当然仕事として舞い込んでくる話が山のようにあるわけだ。
鮮やかな青の広がる窓の外では、そろそろ冬の始まりだというのにとんてんかんと金属質な音響があちこちから響いてくる。あれから一月以上も時が流れたというのに、現在もこうして街の復旧作業が続いているわけだ。つまり、それほどの大惨事だった。
あの日から、ありふれた生の感覚を問いただされるような毎日が続いている。当たり前の平穏が底にあるという幸福を噛み締める。もしまたこんな事態に陥ったのならば、今度はどのように動くのが最善かと嫌でも考えさせられる。
思い出したかのように胸元から取り出した一枚の手紙。蝋で封された紙切れをひらひらと見せつけるように取り出したジルは、一目見て明らかに視線を泳がせるノバート・ウェールズへと差し出した。
「国の上層部から、直々に」
「やはり、見ないわけにはいかないよなあ...」
「好きでその椅子に座ってるんでしょう」
「まあそうなんだが」
ため息が木霊するかのような憂鬱さえも、社会の中では通じぬというのか。今以上の労働時間は本格的に身体面に影響を及ぼすのではと危惧する環境委員長サマだったが、『配達員』の彼もノバートが手紙に目を通したのか確認するまで帰れないようだ。仕方なく、受け取った手紙の封を切る。
最上部から直々ということもあってか、一目で値段がわかるほどの良質な紙の上から丁寧な手書きの文字が端から端までびっしりとだった。これには二人もにっこり。
大きなため息を吐いた後に、逃げ場も塞がれたので仕方なく読み進めてみると、
「......復旧作業の進行状況に関する資料の要求に、ちょうど一か月後に迫る中枢茶会の招待状...加えて以前から進行させていたプロジェクトの最終調整の報告、か。まあ前後の二件は仕方ないとして、中枢茶会のほうは私ではないだろう」
「本来であれば委員総会のトップに与えられるべきでも、あの老人共は自分たちが一番忙しいだなんてのたまいやがって国が今で逃亡旅行中ですから。巡り巡って辿り着いたのが...」
「あいつらマジでふざけやがって!私だって本来景観整備の作業配分程度で済むはずの業務内容を数倍まで引き上げているのだぞ!?大体なぜ環境委員長が、他の委員会の役割分担まで、決定せねばならんのだ!」
「仕事っすから」
「君はなんだ、私に恨みでもあったりするのか?」
「俺みたいな中間管理職がそんな国の運営にかかわる重要事項を指示できるわけないじゃないすか」
呆れた口調で言い返されてしまった。
思わずもう一度目を泳がせてしまうが、視線の先にはまた別の書類の山が待っているだけなので余計の心苦しくなるだけだ。ほのかにインクの香る手紙に視線を預け直し、眼精疲労でくたくたな瞼を引き上げる。気分は残業開けに上司から電話でもう一山頼まれてしまったサラリーマン(境遇はかなり近いのだが)、気を引き締めて、一言一句へ理解を及ばすためデスクの上で手紙を何度も繰り返し読み漁ってみる。そして三秒でやめた。
こんなの見てるだけで現実が嫌になるからだ。誰だって今からストレスによる毛根の心配などしたくないのである。
「納得がいかない...確かに修繕作業の書類はすべて請け負うとは言った。言ったが、明らかに別件の書類まで雪崩れ込んでいる...」
「そうそう手紙にもありますけど、今進めてる他国との共同プロジェクトの意見交換会で、開発部の技術顧問として出席してほしいだとかなんとか」
「それはわかったがなんかこれ日付間違っていないか?内容の通りだとするとあと数時間で意見交換会が始まってしまうことになるのだが」
「ってことで準備おなしゃす」
「やはり君は私に恨みがあるんだろう??」
YESともNOとも取れない表情で返されてしまった。もういっそのこと潔く、せめてどちらかには傾いてほしい。
なんだか胸が詰まる思いでいっぱいだった。年下の若造にここまでされて、腹が立つより先に疲労が出てしまうのはそんなにもおかしいことなのだろうか......?もう何が何だか自分でも信じられなくなり、哀れな壮年男性ノバート・ウェールズはより一層重たい息を吐いた。どう足掻こうが労働時間は増すばかり、黒い革張りの椅子に座ったまま小刻みに震えるしかないのである。よってジル・ゾルタスのほうからも結構滑稽なノバート・ウェールズが見られただろうが、彼もまた国によって課せられた法外な労働の犠牲者なのだった。
同情の視線で直視されて、ぽつりと。
これぞまさしく四面楚歌な状況を打破するため。追い詰められた壮年の公務員、買い物途中にふとメモを忘れてしまったような軽さで切り札となる一手が投じられる!
「......忘れていたが、そう言えば私はこの後とってもとっても重要な会議の予定があるのだ」
「『噓発見器』」
「異能はずるいだろう異能は」
軽い冗談は通じなかった。
そっと受け流されて、しかもなんだか目の前の若造は悲しげな表情でこちらを見つめていて、それがどうしようもない同情だと察したころには、なんか無言で手渡された。
「...ああ、これか」
「持ってくる途中、ちらっと目を通したけど結局なんなんすかねそれ、技術系に関心がないもんだから」
「あのなあ、一応これ機密文書扱いだぞ」
とはいえ、とノバートが付け足す。
ここで忘れてはいけないのが、煉瓦と水で彩られたトルカスの最南端ニミセト。この街は部分的とはいえ、あの科学と技術と研究の変人が集うトウオウと同等以上の技術を独占している場所でもある。それが、逆式マ素変換技術。空気中を漂うマ素を体内変換によって魔力へと変換し、水や風(空気の流れ)といった物質生成の逆算...物質をマ素へと変換したうえで、魔力を介せずして他の技術装置へ接続する独自技術。
世界中が求めてやまないほどの、まさしく魔科学の到達点とも呼べる最終形。
「我々もフラン・シュガーランチの件で莫大な修繕費が必要となってしまった。観光資源と国からの援助だけで到底足りることのないほどに、な」
こういう場合は、『付け込まれた』という表現が正しいのかもしれない。
資金が大きく不足していたニミセトの街へ、先ず真っ先に援助を申し出た国があったのだ。
それこそ、先述のトウオウ国。どういう意図があってのことか、世界中に存在する無数の技術を搔き集めることを目的の一つとしておくちっぽけな島国。莫大な研究費用などを研究成果でもって何十倍にも膨れ上がらせるという、何から何まで未知数に満ちた国。
「......我々に対し、真っ先に援助を申し出たトウオウ。世界中から技術という技術を吸いつくして成長しようと目論む彼らにとってニミセトは好都合だったのだろう。なにせ世界最高クラスの技術を独占する街だ、復興費の代償として、トウオウは我々にとある兵器の共同開発プロジェクトを持ちかけてきた」
技術開発者の弟子という立場上、さぞその発明を外へは出したくなかったのだろう。しかし、街の元の姿を取り戻すには、どうしようもなかったのだろう。
「トウオウとトルカス...いいや、正確にはニミセトか。その二種類の異常技術、世界中の至って普通な研究者が震えあがるほどの技術で、このわずかな期間で生み出されたってのがこの...」
「ああ」
小さく言葉を返し、ジルは適当な書類の束をデスクから引き抜いて文面に目を通してみる。
やはり書類は端から端まで小さな文字の束や赤青緑とカラフルな線が織りなすグラフ、そして、数値化された何らかのデータで埋め尽くされていた。辿っていくと、最終的に小さな写真が添付されていることに気付く。
同様にノバートも、ジルから受け取った書類の束を指でぺらぺらとめくっていた。きっと一枚一枚の細かな説明をさほど重要視していなかったのだろう。疲れ切った表情で、ホッチキスでまとめられた書類の最後の一枚で指が止まる。
そこには、小さな赤文字でこう記されていたのだ。
「『対魔王搭乗型魔科学兵装』......科学大国トウオウと共同開発を進めていた、魔工学の伝達経に科学の外装とコアを与えた新世代兵器だよ」




