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終焉の鐘が鳴る頃に  作者: iv
序章
111/268

嵐のさなかにて



 肉を打つというより、鈍重な槌でコンクリートを砕く音に近かった。キマイラのパンチは圧縮された空気の鎧を突き破り、肉を突き抜け骨まで響かせ内臓を揺らす衝撃を叩き込む。やられた側の白衣の女としては、肺と胃の内容物が一気にせり上がるのを堪えるので必死だったはずだ。まともな受け身も取れず、ダンプカーの突進を受けたような衝撃を殺しきれないせいか、吹き飛びながら体は平衡感覚を失っていただろう。

 しばらく転げまわった白衣の女が、ゆるりと起き上がる。

 なんともない様子......では流石になかったようだ。明らかに体の重心がぐらぐら揺れているし、何より撃ちつけられた腹部を左の掌で覆うように隠していた。明確なダメージの証拠。分かりやすい弱点の形成を実感させられ、しかしなおとしてやれやれといった様子で空いてるほうの手をぶらつかせている。どこまでも人を馬鹿にするような態度は離さず、あくまで彼女らに対する『弱者』としての立ち位置をキープする。

 そうすることでシズクやキマイラは改めて自分の持て余すほどの力を自覚し、無暗に振るえば全く関係ない者まで巻き込んでしまうと再確認させる。


「げぼっがばっがはっ!!?あっ、あー...あー......、しんど」

「あんだけ喰らっといてへっちゃらとなったら、そりゃあんたも十分『怪物』っすよ」

「いいや、私は『人間』だよ。それもピラミッドの最底辺、掃き溜めのさらに底に沈んで二度と浮き上がれない人種の『人間』だ」


 言いながら、するりと細く女性らしい手が白衣のポケットに伸びる。

 何もさせまいと動いたシズクをいくつもの空気砲で吹き飛ばし、ポケットの中から一本の注射器を抜きとった。そう、注射器。急に現れたそれに、吹き飛ばされても新体操みたいな動きで軽く着地したシズクとキマイラ。二人の視線は自然と傾いてゆく。

 何の変哲もない医療器具に内包された鮮やかな紫の液体。得体の知れない者が取り出した得体の知れない薬品を警戒するのは当然だ。

 ()()の正体を、思いつく限り頭の中で羅列する。生涯の経験から培った知識を動員させて、仕組みを知ろうと観察眼を働かせる。

 だが。


「『万能薬パナセア』だ。あんたらじゃ知りようもない。こいつが生まれた過程も、私が()()()()()原因も」

「...自分語りが聞きたいわけじゃないわ」


 引き攣った笑みと共に針先を自ら首元へ突き刺した直後だった。

 空いた手の先でこちらをつんと指差して。それが軽く傾いたと思えば、今度は親指を立ててとある象徴的なポージングを形成させた。先程の......シズクへの復讐のつもりか?拳銃のジェスチャーの、突きつけられた人差し指が僅かに弾かれた。

 たんっ、と......?


「ッ!!?」


 もはや突風とすら呼べなくなった。

 竜巻そのものが小さく圧縮されたのかと錯覚するほどの暴風。それそのものが象徴する暴力。無限に近しい空気の歪みが生じ、向けられた砲身の数を確認する時間すらないと分かった瞬間。キマイラはその時持てる全力全開の脚力で背後へ飛んだのにもかかわらず、暴風の渦の中に再び取り込まれていた。

 直後に、

 ゴオオオオオオオオオォォォォォォォォッ!!という閃光が背後から突き抜けた。

 感覚的には一連のやり取りは数十秒の時が流れたように感じるが、それらはすべてほんの一瞬の出来事だ。背後から斜め下から突き上げるように抜けた莫大な閃光は暴風をも呑み込み、やがては天井すらも抉り取る。

 浮遊感を失った体が、ただ重力に引きずられて落ちていく。

 落下の最中にキマイラが向けた視線、閃光の先には少女がいた。こちらもまた拳銃のジェスチャー。小口径から放たれたとはとても思いがたいレーザー光線のような一撃だったが、結果としてキマイラもこれに救われたのだから信じるしかないだろう。

 相変わらずの『怪物』っぷり。

 その『怪物』は指を軸に淡い光の玉を回したまま、改めて左の腕を横薙ぎに振るう。ただし、その手に握るのは彼女の小さな体躯には到底似合わない、大振りにもほどがある大剣。いつ、どのタイミングで取り出したのか、一体何キロあるのか計り知れない得物はあっさりと空を斬る。

 暴風が裂け始める。


「『夏夜の夢の王(オーベロン)』!?調整できるんすか!?」

「元より()()()は力の増幅より力の超精密調整のために用意した魔装よ、むしろこういう場面が一番輝く!」

「にゃーるほどぉ、けど、そう簡単にいくかよぉ!!」


 ゴバッッッッ!!と、大剣と砲弾がまともにぶつかった。最初の一発目を抑えるシズクの大剣。いままに異常に巨大な熱の塊を側面で受け止めるも、さらにダメ押しとばかりに『空圧変換エアロバズーカ』の連弾が叩き込まれ、大剣を両手で抑える少女の足が僅かに背後へずり下がる。

 しかし直後に、もう一方の怪物が飛び出した。

 頭蓋に自分で突きつけたお手製改造スタンガン。キマイラの武器と情報、両方を司る彼女だけの相棒だ。スイッチを押して、己の肉体と精神に『自分以外の何か』を叩き込む。『ゴーレム』の粘土と『スケルトン』の外骨格。更には錘の役割、重量増加を図る『ガーゴイル』の石化まで。とにかく重量を増すことで、『空圧変換エアロバズーカ』によって吹き飛ばされることを未然に防ぐ。

 迎撃のために繰り出された『空圧変換エアロバズーカ』とキマイラの籠手がぶつかり合い、ギチギチギチギチギチギチッッ!?と異音が放たれる。

 が。


(なんだ、これ...威力がさっきまでと段違い!?)


 がぎんっ!?と、籠手は粉々に粉砕されていた。それどころか()がキマイラの腕にまで僅かに魔手を伸ばし、焼け付く鉄板を押し付けられたかのような凄まじい痛みが。それこそまさしく身を焼かれる痛みの直撃に晒されていく。


(さっきの薬、『万能薬パナセア』だっけか!?となるとこれはあの薬品の効果、咎人が操る『異能』の増幅!?)

「考えてる暇なんてあるのかなー?」


 続く。

 熱の砲弾が。圧縮され続けた空気の塊が。おかしな光の屈折で捻じ曲がった空間が。『人間』の怨念が。体勢を崩され、暴風の中に晒されたキマイラの眼前へと迫って、ぐちゃぐちゃの肉塊にまで叩きのめしてしまおうと押し寄せていく。

 しかし。

 命の危険に指差されたところで、キマイラはその一切の表情を変えることはない。

 危うく少女の鼻先を掠めるといったタイミングで、それも壁から飛び出た閃光の矢に撃ち抜かれて消え失せる。白衣の女によって放たれたもはや数えることも出来ない『空圧変換エアロバズーカ』が纏めて消し飛ばされた。全てが計算の内。シズク・ペンドルゴンがあの剣を手にした時点で予想できた未来でしかない。

 吹き荒れる暴風の中で、僅かな舌打ちが聞こえてきた。

 白衣の女が手をかざすと、そこに新たな空間の歪みが生じる。厳密には空気を極限まで圧縮したことにより、光の屈折が夏場のアスファルトに現れる蜃気楼のように捻じ曲がってしまうことで生じる視覚の誤認。そんなになるまで圧縮された空気は、過程として膨大な『熱』を生み出す。そんなものを、人へ向けて飛ばす。

 60度にすら耐えられないような人体へ向けて、計り知れないほどの熱を帯びた塊を。

 ズガガガガガガガガガガガガッッ!!?という猛烈な爆音を轟かせながら、白衣の女は雄弁に語る。


「これでも私は錬金術師アルケミスト、薬の調合?必要式の計算?はははっ!ちょろいちょろい!万能薬パナセアもその一つ。特許出願でもしとけば億万長者だったかもねぇ!!」

「このッ...!?狂人がァ!!」

「は?誰がこんな風にしたと思ってんだ。元はと言えば何の変哲もない『人間』だった私を変えちまったのは『お前ら』なんだぜ?私はそんなの関係ないですあたしはそんなの知りませんでした~?ってか。同罪だよ、この世界の住人ってだけで、お前らは私の復讐の対象になっちまってるんだよ。いじめってのはやった奴だけじゃない、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 言葉の圧が重ね掛けられていく。一枚一枚丁寧に、ベールを上から被せていくように、じんわりと。あるいは人がすっぽり収まったバスタブに、上からどばどばと湯をぶっかけていくように。

 もしも。

 ブレザーの上に白衣の彼女の例を借りて、もしも一つの学級でとあるか弱い少年がいじめられていたのなら。加害者と言うのはどこまで広く伝わる枠組みなのだろう。当然被害者に直接手を下す者はその枠組みのド中央、最も最悪な位置に縛り付けられる。だが、それを囲むように枠に押し込められた連中は?『自分には関係ない』とみて見ぬふりでやり過ごし、関わったら次の標的は自分だと恐れおののくことしかできなかった傍観者ではないか?

 シズク・ペンドルゴンは壁へと突き刺した大剣の先を抜きながら、改めて横薙ぎに一閃。たちまち空間上に三日月型の閃光が出現し、とんでもない速度で白衣の女へと突き進む。直撃すれば最低でも首が飛ぶ。

 これでもかなり加減したほうだ。なにせ白衣の女は常に自分の背後や付近に一般人が来るような立ち回りをするので、主にシズクの広範囲高火力の遠距離攻撃を封じてしまっている。それでもなおこの攻撃を放ったのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 極彩色が、黄土色の少女へと押し寄せた。白衣の女は、キマイラが道連れ覚悟で自分への攻撃を仕掛けてきたのかと、そう考えて即座に超高圧の空気を利用した盾を生成する。

 しかし違った。


「ピクシー×ファントム×セイレーン」


 囁き声、莫大な光を背に受けた少女が宙を舞う。

 閃光は捻じ曲がった。全身をフルで動かして、直後にキマイラの体が触れてしまったと思えば、その瞬間から三日月型の極彩色が形を変えた。『夏夜の夢のオーベロン』より放たれ三日月から月光はためかせる惑星の球へ。まるで太陽光を虫眼鏡で一点へと集めて、それを何百倍にもスケールアップさせるような暴挙。サッカーのオーバーヘッドシュートの態勢で、宙を返る少女の乱暴な足蹴りが()()を撃ち抜いた瞬間の出来事だった。

 ゾオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォッッ!!!と。

 虫眼鏡と太陽の奇跡。言わばそれの百万倍以上の威力を秘めた閃光の圧縮形態。例えるなら、かの主神に与えられし稲妻。

 そんなものが。容赦なく『人間』を粉砕する。


 上から斜め下へと滑り落ちる一筋の灼熱。さんざん一連の戦闘でも耐え抜いてきた床が、一瞬にして熱した鉄のような赤熱を帯びて溶け落ちていく。

 圧縮することで酷く物理攻撃に耐性を持たせた空気の鎧?

 それがどうした。

 周囲の空気を著しく加圧することで膨大な熱を与え、それを砲弾のように飛ばして人間をどろどろぐちゃぐちゃのひき肉に変えてしまう『空圧変換エアロバズーカ』?

 それがどうした。

 彼女は、忘れていたのではあるまいか。

 シズク・ペンドルゴンとキマイラ。超特大級の『怪物』が、二人も己の前に立ちはだかっていたという絶望を。ましてや、シズクの真実を知る者であるならばなおさらのこと。一体どういう心境で彼女の前に立とうだなんて考えてしまったのだ。

 『怪物』は、そう簡単に色あせない。一般人の盾だろうがなんだろうが、何時如何なる状況であっても常人を越してしまう存在。故に『怪物』。

 だから、少女は忠告の意も込めて囁く。


 ()()()()()()()()()()――――...。


()()()()()()()?」


 今度こそ。

 シズクの方へと振り返って、サムズアップで全てを終わらせようとしていたキマイラの背筋が凍り付いた。するりと着地したはずの脚が、泥沼に沈んでいくかのような錯覚に囚われかけた。

 ぎぎぎぎぎぎぎ...?と振り返りなおす。

 赤くドロドロに溶け落ちた床も、閃光の残骸であろう粉塵も、近寄りがたい攻撃に乗せた『意思』も、確かにそこに存在していたというのに。何故、あの女は笑って立っている。

 あれだけの灼熱を受け止めて、どうしてまだこの世に降り立つことが叶っている。

 何が起こったのか、わからなかった。

 ただよく目を凝らすと、あの奇妙な格好の少女の手の中にあるものが見えてくる。一本の、中身が空になった注射器。彼女が『万能薬パナセア』と呼んだ何か。

 ざぎんっ!!と。

 粉塵はこじ開けられ、三人の間にもはや互いを隠す物体は無い。景色の奥底から、無数とも錯覚してしまうほど膨大な()が顔を覗かせる。


「空気を操る異能が、この程度だとでも?地表を覆う膨大な気体の集合体、生物の生を支える根幹を操る異能が、この程度でくたばるとでも?」


 からん、と軽い音が立てられた。

 無造作に投げ捨てられた注射器が、白衣の女から離れて床で砕けた。

 直後に、それも()()()。歪んで、消え失せた...?


(光をおかしな方向に乱反射させるほど圧縮を施した、空気...?)


 彼女自体が『気象』であった。

 標的を定めることも無く、無数の『空圧変換エアロバズーカ』の砲弾が辺り一帯へと散りばめられる。一つ一つが膨大な熱の塊、これは、白衣の女からの『最終警告』だろう。わざと一般人から離れた地点へ着弾させることで『何時でも殺せるのだ』と遠回しにその場の全ての者を脅しているのだ。

 確実に無力化したはずだった。

 空気の鎧のおかげで即死までは行かないだろうと、そう予測を立てていたというのに。最低でも全身をずたずたに引き裂かれ、熱によって全身を覆う皮膚くらいは焼け焦げているはずだった。

 今度は、シズクからの舌打ち。


「鏡で狙った方向に光を届けるみたいに。幾つもの圧縮空気のレンズで光を捻じ曲げて、焦点ごと攻撃の狙いをずらしたってことか」

「ぴーんぽぉ~ん☆やっぱ『怪物』は違うねぇ!あっさりと見破ってくれる。あんたらがやったことと同じだよ、あんたは何らかの術式を用いることで仮想的な虫眼鏡と太陽を創り出したみたいだけど、レンズの使い道が収束だけとは限らないでしょ」


 これが、彼女たちの言葉が真実であるなら。

 『異能』をその領域まで到達させるのに、通常どれほどの努力が必要なのだろうか。『万能薬パナセア』の効果もあるだろうが、それだけでいきなりその領域まで到達できるものなのだろうか。

 キマイラは咎人ではない。

 よって彼女らがいとも簡単に扱って見せる『異能』とやらの勝手はわからないし、こればかりは個人に与えられた本質的に宿る才能の一種であるためコピーすることも出来ない。ただ、そこにあるという漠然とした感覚があるだけ。

 与えられることのなかったキマイラにとって、『異能』というのはそれほどまでに遠いところにある。キマイラだけじゃない。むしろこの世には『異能』どころか、シズクら『箱庭』のような世界の暗黒面を知ることなく死んでいく者のほうが多いだろう。

 だから、逆に考えてしまう。

 自分がそんな力の持ち主だったなら。自分とあの子が逆だったら。あれほどの細工を施すのに、いったいどれほどの苦労を強いられたというのだろう、と。


「......そんななりでも一応の努力は積んでるってわけね」

「お互い様っしょ。んで、無駄話はこの辺でいいわよね?」

「もちろん」


 軽い会話の後に爆音が吹き抜ける。身の丈余る大剣を構える少女と無数の空気砲弾をはべらせわらう少女。間に挟まれたキマイラの頬を、ゴオオォォォォォォォォォォオオオ!!という暴風が吹き荒れて、あっという間に戦場の空気が辺り一帯を埋めつくす。

 改めて、キマイラと呼ばれた少女が久しぶりに感じるであろう緊張感が背筋をなぞった。キマイラもキマイラで改造を施すことで自分専用の入力端子へと組み替えたスタンガン、彼女だけの『オリジナル』を構え直す。

 仲良しこよしの運動会でもあるまいし。

 よーいどんで開始の合図だなんて甘い始まり方で済むはずもない。周囲の瓦礫などが吹き荒れる風に舞いあげられるたびに、新しい粉塵がぱらぱらと霙のように降り注ぐ。

 その後は――――.......。



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