その『人間』は故郷の空を夢見るのか?
人混みの喧騒の中に居ても、不思議とその声だけはハッキリ届いていた。声自体が大きかった......という意味ではない。頭の中に直接文章を叩き込んだ......そんな感覚でもなかった。ならばどうして、『箱庭』の怪物とイレギュラーが。どうして二人が揃いも揃ってその声を聴いていたのだろうか。
わかりやすく、脅威はすぐそこまで迫ったのだ。
レストラン街の出入り口の一つ、その閉め切られてしまったシャッターの傍で蠢く集団の最も後方。靴底が軽く床を擦った音と共に、二人の怪物が切り替えた。
途端に、今までの喧騒がわかりやすく押し黙る。目に見えない『圧』を感じ取ったのか?小動物が肉食獣の気配を感じ取って息を潜める。サバンナのわかりやすい構図みたいに、殺意の中心に居座る彼女らを避けるように人の群れが広がった。
「あっはははぁ、そんなに警戒すんなっての」
対して、これまたおかしな格好の女がいた。
広がる圧の中で堂々と、腰に両手を当てて微笑む女の全体は、年齢ならまず十代の後半程度の少女だった。ただし先述したように恰好がおかしい。アレは確か主に学生が着用する『学校制服』とかいうジャンルのブレザーだ。しかも、どういうわけか、その上からどう見てもサイズが合っていない、前を開けたぶかぶかの白衣。金髪のポニーテールもおかしな方向へと姿形のイメージを狂わせているし、爪は蛍光っぽいピンクで塗り固められている。
仮にこのコーデにタイトルを与えるとするなら『普段は地味な女の科学経論が思い切ってギャルに変貌してみました!』辺りになると思う。
「遊びに来たぜぇ怪物共」
友人宅の玄関を潜った後のような、軽い挨拶は無視された。
砲弾の如き勢いで飛来する『怪物』が、『襲撃者』の顔面を躊躇ない撃ち抜いた。ボゴッッ!!!と奇怪な音が弾けると同時に、『襲撃者』は大きく背後へ吹き飛ばされる。がががががっ!!と、ぶっ飛ばされた少女が床を巻き込んで粉塵が僅かながらに立ち昇る。
即死。
どう足掻くことも出来ない。強烈と言う枠組みなんて一足で飛び越える鉄拳を正面から喰らった彼女の顔面の形は、果たして現在どんな風に歪んでしまっただろう。潰れたトマトみたいにひしゃげていたって、何らおかしくもない。それはまるで自然の摂理のように確定的で、竜巻に人間が立ち向かうのと同義なのだから。
遅れて民衆が騒めき立つ。
突如として発生した馬鹿げた光景を、ちらほらとだがようやく人々が受け入れ始めたのだ。ざわわわわわわわわわわわわわわわわわ!!と。一瞬にしてガソリンに火を垂らすように広がった喧騒は、即ち誰をも身の保身へと走らせる。
まさに蜘蛛の子を散らすように。
と、
「げほっげほげほっ」
転がっていったはずの死体からだ。
常人なら即死していないとおかしいレベルの攻撃を受けて、何故だかそいつは吸い込んでしまった粉塵を吐き出すように咳を掃っていた。
これで確定だ。
彼女は『敵』
『箱庭』の第二の王と、魔獣の名を冠する少女に敵対する『襲撃者』
手に残る感触を、握りしめるように再確認し直してみる。奇怪な音の正体は肉を打つ音なんかじゃなかった。間にクッションを挟んだみたいに、途中で『何か』がシズクの邪魔をしていたのだ。
確かに、少女は吹っ飛んでいる。何度も何度も床に叩きつけられたせいで粉塵まで巻き上げて。やがて仰向けに転がった。
「世界のルールって奴にゃもう慣れたよ」
ぱらぱらと飛び散る粉塵の向こうからだった。猛烈としか言いようのない攻撃を受けてなお、少女が、くすくすと僅かに笑みを浮かべて立ち上がった。
「むしろ、うん。そういうわかりやすいほうが私好みだ。ちょっと安心したかも」
白衣に着いた埃を落していた。やけにあっさりと立ち上がったものだから、シズクもキマイラも一瞬たりとも警戒を抜くことはなかった。相手の一挙一動を静かに分析し、どんな手段を用いてくるかを静かに待っていた。
するりと。
白衣に金髪の少女の手が伸びる。
『怪物』共を指差して、まるで指摘するかのように顔が引きつっていく。
少女は次に、嘲笑うかのような表情を見せていた。
次の瞬間。
ボンッッッ!!と。
風船が弾けるような音を伴い、得体の知れない不可視の砲弾がシズクを撃ち抜いた。
「あ...?」
キマイラは、確かにその瞬間を目撃していた。得体のしれない白衣の女が人差し指を突きつけると同時に、とある『怪物』があっけなく吹き飛ばされる瞬間を。断言できる。ほんの一瞬だって、瞬き程の一瞬たりとも目は離さなかった。確実に網膜に焼き付けていた。なのに。
まともに。正面から、避けるタイミングすら与えられず......
「ははっ、こんくらいじゃあ死なないっしょ?」
誰もがその少女に視線を奪われる。幼稚園児くらいの子供と戯れるような口調で軽く。しかし行動は真逆を辿る残忍さを帯びて。一足遅れて幾つもの悲鳴が飛び交う中を、その白衣の女は笑っていたのだ。
グシャッッ!!?と。
砲弾のように突き抜けていくもう一人の『怪物』が、固く閉ざされたシャッターに激突した音だ。どうやら彼女は、その小さな顔面で受け止めてしまったらしい。可愛らしい表情の一切が、真っ赤に塗りつぶされ煙を噴き上げている。至近距離で火炎放射器でも突きつけられたのかと疑うくらいには悍ましく。
肉が、赤熱を帯びた鋼鉄のように焼け爛れていたのだ。
「『空圧変換』って言うんだけどさぁ。まあ仕組みは結構簡単でね、私周辺の空気を圧縮しまくって一点から放出させてんのよ。分かるだろ?空気ってのは加圧すればするほど熱を帯びるもんだ」
あっけらかんとした物言いだが、相手の視線ははっきりと一点に据えられている。プスプスと煙を上げる顔無し死体...いいや。みるみるうちに、焼け落ちた肉と皮膚が蘇る、シズク・ペンドルゴンへ。
まるで、最初から全てを知っていたような挙動だった。
今度は『怪物』が、ゆっくりとした動作で立ち上がる。
「......咎人、か」
「ひゅー、すっげえ、もう回復しちゃったの?あっははははははははは!うちの連中にも似たような能力のやつがいたけど、あんたほどじゃなかったね!何?一応、中央書庫機関で調べたもんだから知ってはいたけどさぁ!」
「...」
「そっちのおっぱいちゃんはちょっと情報ないんだけどォ...。『箱庭』じゃあないよね?存在を秘匿されるほどの『切り札』ってんなら別だけど」
「まず一発当てちゃったもんだから調子に乗っちゃったんすか?」
「やだねえそんなわけないじゃん。聞いてたろ、私はそいつを知っている。間接的とはいえそいつを恐れてる。つまりはビビってんだよ、私は」
少なくとも、態度は彼女の言葉を示す材料とはならなかった。へらへらと人を小ばかにするような身振りではそう判断せざるを得ない。先生の説教中にクラスの問題児が騒ぎ立てるようなモノだ。
わざわざ自ら相手の失言を誘発させるようなその言葉遣いに、キマイラが静かにスタンガンを手の中で握り直す。
戦闘開始の準備。現在取れる最善手を常に選択することは出来なくとも、周りを圧倒するほどの火力の持ち主でなくとも、キマイラはそのどれにでも成れるという特性の持ち主だ。行動パターンのコマンド化にはある程度の時間をかけて方程式を入力する必要があるものの、だからと言って即興でパターンを組み上げる必要もないキマイラには、今まで使って来た数多くのセーブデータが手元に残されている。必要な時必要なだけ、AさんとBさんの動きを混ぜて自身の脳に入力するだけで、キマイラは『怪物』へと昇華する。
(『空気』を操る咎人...間違いなさそうっすね。シズクさんをぶっ飛ばしたのは熱の塊、空気を最大限圧縮することで膨大な熱量を生み出して、それをそのまま叩きつけたってことすか)
自身の目線の位置に気を配って、少しずつ。
考えられる相手のパターンを予測して並べていく。
『竜』の時と、やるべきことは変わらない。自分には自分が得意とする技術があり、無理にその他へと手を出す必要はない。異能をキーワードごとに切り分けて、一語一語を丁寧に読み取っていくだけでも技術の先は見えてくる。『何が出来るか』『何が出来ないのか』は想像力次第。むしろありとあらゆる『他人』を自分の中へと取り込んできた者が、そういう技術に特化してないはずがない。
例え友人の言葉で聞いただけの話でも、内容から情景を想像することくらいは容易い。
相手の解釈と自分の解釈が100%合致してる場合のほうが圧倒的に少なく、ましてや価値観でも自分外の友人に共通の感覚が設置されているのであればだが。
「傷は?」
「もう治った」
いつの間にか隣の位置にまで舞い戻ってきていた少女はそう返したが、顔面の皮膚にはまだちらほらと赤み掛かった染みみたいな点々が残る。痛みの概念をシズクは当の昔に忘れ去ってしまったようだが、彼女の傷は逆に痛覚の糸をこちらにまで伸ばしたかのように痛々しい。
改めて、首にぶら下げておいた紐を引きちぎる。
旧型の携帯電話......に見せかけた手製のスタンガン。これは自分の目で見て耳で聞いた情報を電流の形に変換することで、自分の頭の中に直接電気として叩き込むためのモノだ。故に、保存してある情報を頭の中から引っ張り出すたびに、その人物に成ることが出来|る。
次の瞬間に、白衣の女が口を開いた。
「臆病者って蔑まれんのも、もうこっちは慣れちまったんだよ。お前らみてえな連中からよぉ...散々散々散々散々散々散々ッッッ!!!こっちに来てからずっとそう言われてきたんだからなぁぁ!!」
ぐおんっ!?と。
今度は熱の塊以前に、ただのとてつもない突風が二人へ向けられる。威嚇のつもりだろうか、はたまた自身の力に対して絶対の自信を持っていたのか。
そんなことはどうでもいいといった様子で。
本物の『怪物』は心底面倒くさそうに、
「チッ、自意識過剰な妄想病み女っすか。そんな奴ほど自分は持ち上げて他人は下に叩き落としてるってことに気付いてない辺り本物だ」
「そう言うなよ、こっちだって色々あるんだ。あんたらみたいな怪物、ほんとなら私だって相手にしたくなかったさ。でもさ、しょうがないよな。私の復讐の途中に石が転がってんだ。躓かないようにするにはどっかに投げ飛ばすしかない」
そこだけはきっぱりと、しかもどこか自嘲気味な口調だった。
風は次第に強くなる。逃げ惑う一般人の何人かがこの暴風のせいでぽつりと取り残されて、風の牢獄はますます狂気の拡散に努める。この勢いで強さが増し続ければ、その内人なんてあっけなく宙に浮かされる程度の風力にまで達してしまうだろうが、白衣の女の限界量がどこまでなのか導き出すことこそが解決のカギとなるだろう。
がりり、という音が足元から鼓膜を撫でる。隣でシズクが直ぐにでも飛び掛かれるように、吹き荒れる暴風の中で体勢を整え直した音だった。
その間も、あいつの声は風を突き抜けてはっきりと聞こえてきた。
「私は『怪物』には敵わない」
最初から全力で行く、と。少なくともキマイラはそう判断した。余裕かまして思ってもみなかった一撃を喰らうのは勘弁だ。ならば最初から全力全開で叩き潰すだけで巣の問題も解決する。
「でも、抵抗する権利くらいなら与えられてもいいよなぁ?私みたいな『人間』でも、怪物に立ち向かう勇気くらいは称賛されるべきだよな?」
風が。
吹いていた。
「なによりあたしは」
三人の少女を囲む暴風は、包み込むような嵐は、渦巻く殺意は。どれもこれも真っ黒に濁ってしまって見るに堪えない。だから。そんな黒より真っ黒な『濁り』を叩きのめす。二度と立ち上がれないように、二度と立ち向かってこないように。結果は既に明らかで、やっぱり自分はこうなってしまった。道の先に佇む未知がどんな存在なのか知っていたはずなのに、突き詰めてしまったものだから。
ぽつりと、その少女は憎悪する。
「テメエらクソがのそのそ生き延びちまってんのが何より許せねぇ」
直後に、突風が再来した。
台風の目の中で立つ、あの女。殺気と憎悪と憤怒と鬱憤とその他諸々を合わせて合わせて合わせて合わせて合わせて合わせ尽くした、ブレザーの上から白衣を羽織ったあの女は。どうも理解できない怨念の矛先を突きつける。
ここは既に、あの女の縄張りだということを、忘れようとしていた。少女らの立つ足場がガラスや瓦礫などの破片によって少しずつ抉り取られていく。ぎゃりぎゃりぎゃりぎゃりぎゃりっっ!!という猛烈な嵐の中で、『怪物』は両手を広げてこう宣言した。
「テメエらクソ野郎共の罪を、噛み締めながら死んで逝け」




