時に子供すらも引き金を引く
椎滝大和は、ふかふかの白いベッドの上で目覚めた。
そこから意識を本格的に覚醒させて、その上で現状を把握するには少し時間がかかったが、ようやく自分が複数あるうちの部屋のベッドの一つに寝かされていたことを認知した。
白い、白い天井。
ただし病院や医務室と言った雰囲気はない。何より、そう言った施設には欠かせない薬品の香りが決定的に足りていない。
となると。
「俺達の、『箱庭』の部屋、か」
確かニコンとか言ったか、まだ顔も知らない『箱庭』の一人が事前にチケットを取っておいて、大和の勧誘帰りにとある任務をこなさせるために乗船させた飛行船。その一室。
椎滝大和は、科学と技術と研究の島国トウオウの誇る巨大飛行船タイタンホエール号。そのうちの客室が一部屋のベッドで仰向けに寝かされていた。
辺りに人気は無い。寝室の中には新たに呼びこまれた人員の荷物が置き場が無かったらしく散乱していたり、照明が乗せられたベッド脇の小さな棚の上にビニール袋が投げ捨てられていたりと荒れ放題ではあったが、椎滝大和が寝かされているベッドとその周囲は綺麗に整っている。
ふと視線を傾ける。
椎滝大和と同じようにして、すぐ隣のベッドですやすやと穏やかな寝息を立てる小さな影がある。
赤ん坊。
椎滝大和所属する組織......『箱庭』の情報処理を専門とする、大和より遥かに年下の海獣族の少年が突然拾って来た正体不明の存在がそこにいた。どうやら小さなお姫様はサイズ感が違い過ぎるふかふかベッドの感触が余程気に入ったらしく、片手にプラスチック製のガラガラ鳴る玩具を握ったまま深い深い眠りに落ちているようだった。
「うっ、ぐ...」
身を起こそうとして、体のあちこちで激痛が突き抜ける。
両手の負傷とか脇腹、背中と言った『竜』との衝突に伴い発生した怪我の痛みよりも、どこぞの小さな悪魔に蹴り飛ばされた頭部のほうが未だじんじんと内側から撫でられるように痛むのは逆に笑えてしまう。ただ、その原因を作った小さな悪魔はと言うと、気配どころか存在そのものが世界から消失してしまったかのように存在が希薄だった。表現が正しくないかもしれない。
椎滝大和は、彼女が今ここにいないことを不思議と理解していた。
ある種の孤独。
話し相手はいるにはいるが、彼女(?)は夢の中で幻想的な天馬とでも戯れてるかのように安らかだ。大の大人が邪魔するわけにはいかない。
大和はなんとか白い布切れで処置を施された両手を支えに、痛みをこらえてベッドから起き上がった。改めて、自分が寝泊まりする部屋を何の気なしに観察し直してみる。天井で静かな白色の光を灯す小さいシャンデリアのような照明。締め切ったカーテンを通り抜ける日の光。
壁掛け時計に目を向けると、短針はちょうど1の辺りを示している。そもそも現在進行形で大空駆ける飛行船に標準時があるのかなんて大和の知ったことでは無かったが、備品の時計が示してしまっているのだから少なくてもここでの標準時は午後1時らしかった。すっかり昼時だ。
文字通り、誰もがランチのため会社を抜け出し、適当なコンビニやレストランへ足を運んで、人によっては建物の屋上にでも登って用意した弁当を腹の中へと掻き入れる時間帯。そんな時まで眠りこけていたのかと、休日寝過ごした感覚にも近い状態。後悔と言うより取り返しのつかないという焦燥のほうが大きかった。
しかし、忘れてはならない。
ここは敵地。休日の影へ寄り添うように『死』が身を預ける危険地帯の一角であるということ。つい昨晩まで自分たちがやっていたことは『殺し合い』で、殺すか殺されるかの瀬戸際にまで自分が追い詰められていたこと。
そして、それらは終わっていないこと。
(みんなは、もう出てったのか?俺だけ酷く負傷してたからって、気絶させてまで置いていこうとして)
あの行動が彼女なりの思いやりだったことくらいなら、一か月程度の付き合いでしかない大和でもあっさりと想像がつく。何せ身内に対して手加減と言う概念を放棄した本物の『怪物』だ。しかもそんな奴らがぞろぞろと群れを成した組織が『箱庭』であるらしいから、あの程度はまだ序の口だったのかもしれないと安堵の溜息まで吐けてしまう。
本気の蹴りでも喰らった日には、頭が潰れたトマトみたいになっていてもおかしくない。むしろ気絶程度で済んでよかったと胸をなでおろすのが正解なのか、今は判断しかねるのが辛いところだ。
大和がベッドの横へ足を降ろそうとしたところで、寝室の扉が静かに音を立てた。
水滴をまぶしたように表面に付着させた飲み物を持って現れたのは、現在大和が知る限りの『箱庭』の良心みたいな少年、ホード・ナイルだ。こちらが目を覚ましたことに気が付くと、特に表情も変えることなく大和のベッドに腰を下ろし、冷えたコーラを差し出してくれた。
受け取って、怪我人への見舞いでコーラはどうなんだと思うも流し込む。キンキンに冷え切った炭酸があっという間に口の中を埋めつくして、乾いた体をみるみるうちに潤していくようだ。意図せずして、居酒屋のおっさんがビール飲んだ後みたいな声が出ていた。
「怪我はどうですか?」
自分でも持ってきた別の飲み物を口に含みながら、ホードが短く訪ねてきた。
どうこたえるべきかと大和は肩をすくめ、
「それは『竜』に負わされた怪我?それともシズクの奴の蹴りのことか?」
「まあ、あれでも加減したんだと思いますよ。それについては、その、すみません。何を言っても大和さんなら付いてきそうだなとこちらで勝手に判断してしまって」
「別に構わないさ。俺もさっきは頭に血が上ってて、すまなかったよ。確かにそうだ。あの時の俺なら誰かに噛みついてでも付いていこうとしたと思う。ほんと、悪かった」
奇妙な和解を手早く済ませると、大和はまずボロボロだった衣服を取り換えるために自分の荷物へ手をかけた。適当なジャケットでも取ってやはり自分が寝ている間に看病してくれていたらしく、あくまで仮止めに過ぎなかった包帯も新しく巻き替えられてる。それでもやはり痛みはそう簡単に引いてくれはしないのだが、精神的には少しばかり楽になった気がする。
膝小僧をすりむいて、絆創膏を貼ったとたんに痛みが引いたように錯覚するのと同じに。
と、すぐ横で海獣族の少年も、何やら自分の銀色のスーツケースの中身を漁っていた。適当な食べ物でも取り出そうのかと大和は横目で見ていただけだが、ごそごそやりながら取り出したものを見て思わず目を細めた。
「それは...?」
「『クリーチャーズエンジニア』まあ、持ち運び可能な集中治療室とでも思っていただければ」
「ところでどうしてそのお医者さんカバンみたいなのから何も言わず針と糸なんて取り出したのかな......?怖いっ怖いよ!?傷の縫合って麻酔とか打って意識を奪ったりなんだりしてからやるんじゃなかったっけ!?」
「怪我の位置にもよりますけど、位置が悪いと逆に麻酔も悪い方向へ働くことがあるんです。内臓出血とかだと逆に筋肉がたるんだりして危ないことも」
「なんで丁度気絶してるときにやってくれなかったんだよ!それ俺の意識が本格的に覚醒してからやることじゃないだろう!?」
ぬるりとどす黒い笑みから逃げるようにして寝室を出るも、やはり思っていた通り。リビングルームにシズクとキマイラの姿はない。ぬるりと扉の向こうから顔だけ出した少年は、思い出したようにそのことについて述べてくれた。
「二人なら出かけてますよ。ショッピングなんて楽しいお出かけじゃないことは確かですけど」
「そうか、そうだよな。本来なら俺だって行動するべきなんだ。一番の下っ端でも、『箱庭』の一員なんだから......くそっ『顔』を割られてる可能性ってやつのせいで船の医療設備を訪ねれないってのがもどかしいな」
「あの子に関してはお気になさらず。既に僕と『未来探索』は飛行船内のあらゆるネットワークを掌握しています。それらしい情報も、全く関係ない情報も、日々の一ページのつぶやきだって閲覧し放題です。
「俺はお前が時々怖くなるよ」
「治療を」
「後でいい。ってかマジで勘弁してくれ!注射が怖いとかじゃないけど普通の縫合手術に針はともかくその大振りのナイフみたいなのは使わないはずだ!!ってかマジで何の用途だよそれ!腕とか脚でも切り放すのに使うのか!!?」
結局、例の物騒な工具箱もとい救急箱は帰るべき場所へ帰っていった。
そして、うー、というどう構えていても気の抜けてしまう声もあった。恐らくは、寝室でぐっすりだったあの|
子が目覚めたのだろう。急ぎ足でそちらへと舞い戻る少年の背中にはすっかりそれらしい立場の雰囲気が備わっていた。
とりあえず、やることも無くて腰掛ける。
大和が座った椅子の正面に構えるテーブルの上、ここも寝室同様に無残にも大量のビニールが不当にも占拠済みだ。中身は大量のベビー用品やら玩具、もしくは衣服の類。恐らくは、ホードがあの子を保護した際に急いで揃えたものだろう。中にはいくつかメーカーが違う同じ製品をそろえたものもあるようで、その内の一つ。銀色の缶にビニールでラベルを印刷した、缶詰のような離乳食が袋から漏れてテーブルにいくつか散らばっている。
その一つ、本当に子供に食べさせてもいいものなのか、赤い汁が底の方に残る缶を拾い上げた。まるで、飛沫のように飛び散る血液のような赤。
握って、自分の両手も同じように染まっていたことを思い出す。
(そう言えば)
空いた手に、今度は別の銀を拾う。半透明な液体と、レーション状の固形物が取り残された状態の銀の缶を。
(あいつは、あの野郎は結局ホードでも何でもなかった。けど、ホードとの接点すらもなかった)
後から聞いた話だが、ホード・ナイルの皮を被り、姿を装い大和ら三人を襲撃せしめた『竜』とホード・ナイル本人には、繋がりと呼べるつながりなどどこにもなかったのだ。確かにその時、ホード・ナイルはホード・ナイルで独自に『行動』していた。何処か彼が気付かないど小さな『接点』が転がっていたとしても、おかしくは無かった。
ホードと呼ばれる少年には『未来探索』という『異能』が備わっている。これは、情報の整理でも大いに役立つ万能型の異能だ。それがNOと言い切ってしまった。可能性と現実を明確に区分し、切り分け、判断することで状況の『最善手』を導き出す異能。目には見えないほどの小さな傷の集合体を一つの個性として捉え、レコードが傷をなぞって定型の音楽を作る様に情報を組み立て直す『異能』
それが、言い切る。
ホード・ナイルと『竜』との間に、直接的にせよ間接的にせよ『接点』は無かった、と。
(機械みたいな肌に色の抜けた血液。機械でも何でもなく、あいつは確かに生きていた。機械とかAIでもなくて、俺に対して明確な憎悪を抱く生き物だったってことくらいしかわからないんだよな)
かたかた、カタタタタタタタタッ!と、小さい小刻みに震える音があった。
不思議に思って探してみるも、その子気味良い連続する音の出所は何となくわかりそうもない。寝室の壁、天井、床の下と視線を次々にずらしていって、ようやく辿り着いたのは自分自身の手元だ。
そう、無造作にテーブルへと投げ捨てられた缶が震える音。赤っぽいほうの手に持っていた缶を手放して、その一角を掴み取る。見てわかるほどの『音の原因』は突き止められない。
何処か、例えば過去居た世界の日常の一ページで、こんなことはしょっちゅうだった。何せ、国の立地が立地だから仕方がない。いくつものプレートが重なる様に埋められた地点の真上の島国だったし、火山だって少なくなかったから。
「地震?」
テーブル全体の振動。
でも、それはおかしいじゃないか。子供でも分かる事実だ。環境という枠を、完全に飛び越えている。
「あれ、で、も...?ここは、飛行船で、そんな、だって......」
次の瞬間だった。
どぐぎががががあああああああああああああああああああああああッッッ!!!と。
突如として、椎滝大和の眼前に生じた土砂崩れの如き瓦礫の雪崩を。いいや、ビル解体などに使われる巨大な鉄球に当てられたような衝撃波を。
椎滝大和ではどうしようもない。
まるで砲弾。衝撃を全身でまともに受け止めてしまった青年の体がどんな格好で吹き飛ばされたかなんて語るまでもない。
わかりやすい破壊が目の前に広がっていた。
目どころか心そのものを背けさせる領域にまで達する、そんな馬鹿げた破壊の渦を吹き飛ばすように叫ぶ。叫び散らさなねば、大和自身が崩れていた。
「う、わあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!?」
がががが、ががががががががががが!!という掘削音で、それすらも途中で掻き消えていたのだ。
叩きつけられた背骨の辺りの鈍痛に歯を食いしばっていると、『襲撃者』は遂に粉塵の中から現れる。
光沢を放つ銀色の『兵器』クレーン車と地下鉄開通用のドリル、それとショベルカーなんかを組み合わせたような、機械的なフォルムを持つ巨人。何とか人型を保ってはいるものの、腕は完全にそういう機能だけで満たし尽くされている。
つまりは、殺戮。
これまでにない、新たな形の『襲撃者』は、ボイスチェンジャーに通したように艶やかな音声を発して、先ずこう切り出したのだ。
『やっほっほい『箱庭』の怪物共。あっちはあっちで始めたっぽいしおっぱじめようじゃんか』
メタリックな銀の塊。
『襲撃者』は、そのショベルカーのような両腕を振るっただけだった。高さは、3メートルほどの。ギリギリ天井に頭をぶつけない程度のサイズの『兵器』
重機のように重い一撃は、壁どころか部屋全体を破壊して一つに繋げてしまう。分かりやすい破壊の形の猛威から、咄嗟に身を低く屈める。次の瞬間には、鉄塊のような掘削ショベルが大和の真上を横薙ぎに通過していった。
ぶわっっ!!と言葉にならない汗も噴き出す。もはやその部屋に原形など与えられてすらおらず、薙ぎ倒されたテーブルも残骸となって散らばり、ひしゃげていた。
「大和さんッ!!」
ほとんど反射的に声に反応して、視線が大和の意思とは別に少しだけ反らされる。インパクトの瞬間、ホードも子供を抱きかかえて飛び出していたらしい。怪我と言う怪我こそどこにも見受けられないので、ひとまず安心だ。
『おうおうもう一匹いたか。まあいい、仕事の内容は大して変わらねえんだ。一応しきたりみたいなもんだから勝手にやらせてもらうぜ?これより回収任務を開始する』
もう一つのせめぎ合い。火薬を詰めたのは、椎滝大和自身だ。ただその『襲撃者』は、引き金を引いただけに過ぎない。




