【書籍化記念SS】元悪役の日常
本日、ビーズログ文庫様より『悪女と呼ばれた私、転生先でも悪役です』の書籍が発売されました!
今回書籍化することができたのも、本作をお読みくださり、応援してくださった皆様のおかげです。本当にありがとうございます!
詳細については活動報告に記載しておりますので、ご覧いただければ嬉しいです。
王立学園の卒業を一ヶ月後に控えたその日は、窓の外に雪がちらつくくらいに寒かった。
「エリス様!」
そう言って私の元に駆け寄ってきたマイの鼻先と頬が、寒さのため赤くなっていたほどだ。
マイは学園から自宅まで徒歩で通学しているとのことなので、きっとすっかり冷えてしまっているだろうに、それでも笑顔でこちらに駆け寄ってくる彼女は、なんだか小型犬のようだった。
しかしいつものように私の元へと来た彼女から、いつもとは違う香りがふわりと漂ってきた。
「あら? マイ、香水を変えたの?」
私の言葉を聞いて、マイがぱあっと顔を輝かせる。
「そうなんです! 今、城下町で流行っている香水専門店のものなんですけど、なんとそこでは購入者のイメージに合わせて香りを調合してくれるんです!」
そう言われれば確かに、マイから漂うフルーティーな甘い香りは、彼女の爽やかな可愛らしさを引き立たせているように感じられる。
「確かに、マイにぴったりの香りね」
思ったままにそう伝えると、途端にマイがもじもじとしながら顔を俯けるのがわかった。
「あ、あの……」
なかなか本題を切り出さずに言い淀むマイに「どうしたの?」と尋ねると、彼女が恥ずかしそうに上目遣いでこちらを窺い見る。
「……私からエリス様に、そのお店の香水をプレゼントさせていただいてもいいですか?」
マイは「庶民向けのお店なので、エリスが普段お使いになっている物とは随分と格が違うとは思うのですけど!」と慌てたように言葉を続けるけれども、断る理由などどこにもない。
「甘えてしまってもいいのかしら?」
私がそう言うと、マイはぽっと顔を赤らめてぶんぶんと首を縦に振る。
「四月から、私はエリス様にお仕えすることになりますから、今まで通りの関係でいることはできないでしょう? だから、お友達としてエリス様に何かお渡しできる最後の機会かなと思って」
マイの言う通り、高倍率の選考を自力で突破して王太子妃の侍女として働くことが決まっている彼女が、卒業後も私と今のままの距離感を保つのは得策ではない。
賢い彼女は当然ながらそれを理解していて、だからこそ急に「プレゼントを」などと言ってきたのであろう。
「……そう思ってもらえて、本当に嬉しいわ」
私がそう告げると、マイは堪えきれないといったように「うふふっ」と笑った。
「となると、私がその店に出向く必要があるのかしら?」
先程マイが言っていた「購入者のイメージに合わせて香りを調合する」という言葉を思い出しながらそう尋ねると、マイからは「いいえ」という答えが返ってきた。
どうやらその店では、〝購入者がイメージする第三者の香水〟を調合してもらうこともできるらしい。
「私がイメージするエリス様の香水をお渡ししたいなって、ずっと思っていたんです!」
瞳を輝かせるマイが、そう言った時だった。
「随分と楽しそうだな」
そんな言葉が聞こえたかと思うと、ジェラルド様がすっと私の横に立ち、私の腰に軽く手を添えた。そのすぐ側には、仏頂面のラルフと苦笑いをするアンドリュー殿下もいる。
「ジェラルド様。教室ですよ?」
ジェラルド様の行動をやんわりと指摘した私の言葉は、しかし彼の耳には届かなかったようだ。
「そんな香水があるのか。ならば、ぜひ私からも贈らせてほしい」
「……では、僕も作ってもらいましょう。それぞれがエリスに対してどんな印象を持っているのか、比べてみるのも面白そうですし」
ジェラルド様に続いて、ラルフまでもがそんなことを言い出すのだから驚いてしまう。
ちなみに、アンドリュー殿下は「僕はやめとくよ」と言った。
「さすがに友人の婚約者に贈るには、香水は意味深すぎるからさ」
普段は妖艶で掴みどころのない雰囲気を醸し出すアンドリュー殿下だけれど、なんだかんだで彼はきちんと線引きができる人間なのだ。
「では、完成次第持ち寄ることにしましょう!」
マイのその言葉に、ジェラルド様とラルフが重々しく頷く。
なぜか意味深な視線を交わし合う三人を前にして、私は首を傾げるしかなかった。
◇◇◇
その日はすぐに訪れた。
聞けば、三人ともあの会話を交わしたその週のうちには、私への香水を用意したという。王太子であるジェラルド様はもちろんのこと、次期公爵であるラルフや、四月から王宮で働くことが決まっているマイも、それぞれにやらねばならないことは山積みであろうに……。
「そんなに無理しなくてもよかったのよ?」
私がそう呟くと、マイは真剣な顔で「いえ、これはある種の戦いなのです」と言った。
「エリス様のことをどれだけ私が理解しているか、お二人に見せつける機会ですから!」
なんだかよくわからなかったけれど、そう言って胸の前で拳を握りしめるマイの表情は真剣そのものだった。
香水を手にした三人に、私とアンドリュー殿下を加えた五人が集まった空き教室は、〝プレゼントを渡される場〟であることが信じられないくらいに緊張感が漂っていた。
「では、まずは私から」
そう言ってマイは、お店で分けてもらったというムエットに香水を吹きつけた。
「誇り高く美しいエリス様をイメージして調香してもらいました!」
マイが言った通り、ローズを主体としたフローラル調のその香水からは、華やかな中に大人っぽさと気品を感じさせるような香りがする。
「素敵な香りね。背筋が伸びるような気持ちがするわ」
ありがたく使わせてもらうわね、と続けると、マイは花が綻ぶかのように笑った。
「では、次は僕が」
その言葉と共にラルフが前へと進み出る。
「優しく清廉なエリスをイメージして作らせました」
そう言いながら手渡されたムエットからは、先程のものとは印象の異なる香りがした。
石鹸を思い起こさせる清潔な香りでありながらも、上品さも感じさせるその香水は、まさにラルフの言う〝優しく清廉〟という言葉がぴったりだ。
「こちらもとても良い香り。穏やかな気持ちになれそう」
私のその言葉を聞いて、ラルフの耳がほんのりと色づいたのがわかった。
「では、最後は私だな」
そう言ってジェラルド様が小瓶を取り出す。しかしそれを見て、私は「あれ?」と思った。
「……ジェラルド様がご用意してくださったのものは、マイやラルフのものとは形状が異なるのですね?」
二人が持っていたアトマイザーと比べて、ジェラルド様の手の中にある小瓶は、随分と重厚な作りのものに感じられた。そのことに疑問を抱いたのは私だけではなかったようで、マイとラルフも首を傾げている。
そんな私達の反応を目にして、ジェラルド様はなんでもないことのように言葉を発した。
「ああ。私が用意したのは、マイが言っていた専門店のものではないんだ。王太子である私が店に行くとなると、迷惑をかけてしまうかもしれないからな」
ジェラルド様はそう言うと、私の右手をとり、そのまま手首の内側にシュッと香水を吹きつける。
柑橘を思わせる爽やかな香りが、辺りに漂う。それは、年齢や性別を問わずに使えそうな、万人受けしそうな香りだった。
しかしすぐに、私はあることに気がついた。この香りが嗅いだことのあるものだということに。それどころか、慣れ親しんだものであるということに。
その香水を既知のものだと認識したのは、私だけではなかったようだ。目の前の三人が一様に呆れたような表情を浮かべ、ジェラルド様へと視線を向ける。
「ジェラルド、ほんとさぁ……」
「『エリスのイメージの香水を作る』が、今回のテーマだったじゃないですか……」
「失礼を承知で言うと、重い彼氏みたいですよ」
三人から冷ややかな視線を投げ掛けられながらも、ジェラルド様は全く気にする様子もなく、私の耳元に口を寄せる。真っ赤に染まってしまっているであろう私の頬を目にして、耳のすぐ横でジェラルド様が小さく笑うものだから、肩がぴくりと震えてしまった。
しかし彼はそれを気にする素振りも見せず、囁くように言葉を発する。その声色は、重大な秘密を打ち明けるかのような響きを有していた。
「……せめて香りだけでも、常にエリスと共にいさせてほしくてな」
満足げな表情を浮かべながらそんなことを言うジェラルド様からは、私とお揃いの香りが漂ってくるのだった。




