悪役と真相
もうすぐ、春が訪れる。
ようやく学園にも復帰できた私は、その日のうちにマイの元へと向かった。
伯父に刺されたあの時、私がジェラルド様に「マイを婚約者に」と言ったあの時、マイもその言葉を聞いていた。
彼女の気持ちを無視した発言をしてしまったことを、直接謝っておきたかったのだ。
迷惑をかけたのはマイだけではない。
あの時あの場にいたアンドリュー殿下とラルフにも、私の言葉は聞かれている。
ジェラルド様曰く「エリスの発言に首を傾げていた」という二人にも、自分の口からきちんと説明をしておくべきだと思った。
人払いをした無人の教室で、頭を下げながら「ジェラルド様がマイに恋心を抱いていると勘違いしていた」と言うと、みんなが驚愕の表情を浮かべた。
「あんなにあからさまだったのに?」
「鈍感にも程がありますよ」
「さすがにジェラルド殿下が可哀想です」
そう言いながらジェラルド様に憐みの目を向けるものだから、私はひたすら縮こまるしかなかった。
しかし、あまりにも一方的に長々と責められたのでは、私だって面白くない。止まることのない“ジェラルド様可哀想”発言に耐えきれず、ついつい不満を口にしてしまった。
「だって、“優しくて聡明”なんておっしゃるんだもの。私の事だなんて思わないわ」
「ねえ?」と同意を求めるようにラルフの顔を覗き込むと、ラルフは呆れたような顔をした。
「エリスは優しいですよ。自分の父親を殺害しようとした人間の息子に、実弟のように接してくださるんですから」
「聡明というのも、その通りだろう。目立った功績を挙げれば特待生制度だが、それだけでなく、エリスは私に“私に見えていないもの”の存在を何度も教えてくれた」
ラルフの横ではジェラルド様が、腕を組みながら頷いている。
「でも、“放っておけない性格で仕草が可愛らしい”は当てはまらないのでは? 公爵令嬢としても王太子妃としても、わりと厳しく躾けられていますから」
今度はアンドリュー殿下に同意を求めるけれど、返ってきたのは苦笑いだった。
「いや、その通りだと思うけどなあ。エリスって私的な場面では案外危なっかしいし、わりと感情豊かだよ? ジェラルドを好きな気持ちが滲み出てるっていうか…」
「…っ! “庇護欲を掻き立てる”ことはないでしょう!? 守られなくとも、強力な後ろ盾がありますもの」
生暖かい視線を感じながらも、「せめてこれだけは!」と声を張り上げるが、全員が示し合わせたように首を横に振る。
「数々の厄介ごとに巻き込まれてきたのは、どこの誰だか。婚約者を庇って刃物に刺されにいくような人間、庇護の対象でしかないだろう」
ジェラルド様のその言葉には心当たりしかなかったので、私はついに何も言うことができなくなってしまった。
「王太子殿下の前で言うべきことでもないですが、ジェラルド殿下を異性として意識したことはありません」
帰りがけにマイは、そんなことを言った。
「例え指名されたとしても、私は王太子妃にはなりません。逃げます。だからあの言葉も、全く気にしていません」
マイは「不敬ですよね」と言って笑ったが、その言葉からは私に対する気遣いが感じられた。
「そもそも、他力本願な“シンデレラストーリー”も、あまり好きではないんです」
おどけるようにそう付け加えたマイに、ジェラルド様が険しい表情を向ける。
「どういう意味だ?」
「あっ…。“平民が王子様に見初められて結婚する”だなんて、お伽噺の中だからハッピーエンドなんですよ。常識的に考えて、そんなの茨の道でしかありません。だから、遠慮しておきます」
そう言って微笑んだマイは、私に懐かしい人物を思い起こさせる。
この時になってようやく、初めてマイに出会った時から感じていた違和感の正体がわかった私は、雷に打たれたかのような衝撃を受ける。
あの時のあの感覚は。あの時のあの言葉は。
小さな違和感が繋がって、一つの大きな形が姿を現したような気がした。
…ひょっとして私は、とんでもない思い違いをしていたのかもしれない。
「マイ…あなた…」
「はい?」
けれどもあまりの突拍子のなさに、それを口にすることはできなかった。
◇◇◇
衝撃的なニュースが飛び込んできたのは、春休みまでもあと僅かという、穏やかな日のことだった。
「ちょっと一時帰国してくるよ」と言ってアンドリュー殿下が隣国に帰ったのは、つい先日のこと。
「相手の気持ちを知るには、話を聞くしかないのだと、相手に気持ちを伝えるには、きちんと言葉にするしかないのだと、そう思わされたんだよ」
帰国の理由を、彼はそう語った。
王太子であるお兄さんと話をするために、前向きな気持ちで帰国を決めたアンドリュー殿下を、応援してあげたいと思う気持ちも本当だけれども、彼がいない教室は静かで、少し寂しくもあった。
そんな気持ちを引き摺る私に、ジェラルド様から伝えられたのは「レオが結婚するらしい」という情報だった。
「レオ君が…ですか?」
この世界のレオ君についてはあまり知らないものの、『ガクレラ』のレオ君は、幼馴染であるヒロインのことを昔から一途に想っていたはずだ。
もちろん、ゲームの攻略対象者であるレオと、この世界のレオ君を全くの同一人物とみなすべきではないけれど、それでもこんなに早いうちに彼女以外の人間と結婚を決めるというのは、なんとなく想像がつかなかった。
「ちなみに、お相手は?」
「レオの幼馴染だそうだ。相手も特待生だから、エリスも顔くらいは見たことがあるかもしれん」
ジェラルド様からの返事に、私の頭の中は疑問符で埋め尽くされる。
「…マイ、ではなくて?」
私がそう尋ねると、ジェラルド様は呆れたような顔をした。
「どうしてエリスは、誰彼構わずマイを相手にさせたがるんだ」
マイとレオは入学式が初対面だったぞ、と言われて、ますます謎が深まる。
そんな会話をしていると、丁度マイがこちらにやって来た。
「ねえ、マイ。あなた、レオ君の婚約について何か聞かされてる?」
私の言葉に、マイがぱあっと顔を輝かせる。
「ちょうどその話をしようと思っていたんです! レオ君のお相手、とっても美人なんですよ! ほら、噂をすれば」
マイがそう言って指差した先を辿ると、レオ君が女性と手を繋いで歩いているのが目に入った。
腰の辺りまで伸ばされた茶色の髪に、ぱっちりとした桃色の瞳。
小柄で細身でありながらも、女性らしい身体のライン。
透き通るような白い肌には、シミひとつ見当たらない。
…すれ違った十人が、十人とも振り向くであろう美しさだった。
「彼女、特待生なんですよ。まさに才色兼備ですよね。“エラ”って名前なんですけど…」
―――エラ。
童話『シンデレラ』の主人公と同じその名前、そして溢れ出るヒロインオーラに、レオ君と手を繋いでいる彼女こそが、乙女ゲーム『学園シンデレラ』の真のヒロインだったのだと確信する。
やはり私は、とんでもない思い違いをしていたのだ。
そもそも、なぜ私はマイをヒロインだと勘違いしたのか。
マイの容姿と、特待生であることと、そして彼女の名前が理由だったはずだ。
『ガクレラ』のパッケージに描かれていたヒロインは、目元がわからないようになっていた。
わかるのは、茶色のセミロングヘアということだけ。つまり、マイとヒロインの容姿の共通点は、髪型だけ。
そしてこの髪型は、この世界ではよく見る、平凡だとすら言える髪型だ。
そして特待生という地位も、マイが努力によって掴み取ったもの。彼女が生まれながらに天才だった訳でも、チート能力を有している訳でもない。マイが成績を維持するために、とてつもない時間と労力を費やしていることを、私は知っている。
「ずっと勉強したくてもできない環境にいた」というのが、“マイとして生まれるよりも前からずっと”という意味であるならば、彼女の努力の原動力にも納得がいく。
最後に、“マイ”という名前。
この世界では珍しい名である一方で、前世ではわりと一般的な名前だった。
実際、私の頭に浮かんでいる彼女の名も、“まい”だった。
思えばずっと、頭の片隅で疑問には思っていた。どうして私はマイに懐かしさを感じるのか、と。
マイがヒロインだからだと、前世で画面越しに見たことがあるからだと、そう思っていた。
けれども、そうでなかったとしたら。前世で、実際に出会っていたのだとしたら。
突拍子もない考えであることはわかっている。
けれども、私がこの世界に転生しているということ自体が、突拍子もないことなのだ。私以外にも、いわゆる“転生者”が存在する可能性は十分にある。
それこそ、レオ君とエラの結婚祝いパーティーについて嬉々として語るこの子が、転生者である可能性だって。
「伊井野、舞…?」
私がぽつりと呟くと、マイが信じられないものでも見るような目をこちらに向けた。
「エリス様? 今、なんて…?」
そう言うマイの表情には、驚愕と共にほんの少しの期待が混じっているように感じられた。
そんなマイを見て、私はやはりそうなのだと確証を得る。
前世、同じ高校に通っていたあの子。すぐに辞めることになったから、言葉を交わしたのは一度きりだったけれど、やはりあの子がこの子なのだと。
おそらく病気を患っていたであろうあの子が、毎日母親に付き添われて登校していたのを、私は知っている。
学校行事の度に、あの子の両親が揃って見に来ていたのを、私は知っている。
側から見ても彼女は大切にされていた。そんな彼女の両親のことを思うと、マイがこの世界にいることに、ちょっぴり心が痛んだ。
けれども私は、あの子が登下校中の車内から、歩いて駅に向かう私達を羨ましそうに眺めていたのを知っている。
体育祭で、あの子が応援席で「いいなあ」と呟いたのを、私は知っている。
だから、これで良いのだとも思う。
彼女が心身共に健康なマイとして生まれ変わったことは、彼女がマイとして自由に生きていけることは、きっと幸せなことなのだろう。
一瞬、絵莉朱から伊井野舞に、声を掛けようかとも思った。「あの時はごめんね」って、謝ろうかと思った。
けれども私は、何も言わなかった。
私達はもう、絵莉朱ではなくエリスで、伊井野舞ではなくマイだから。
食い入るように私を見つめるマイに対して、私は優雅に美しく微笑む。“悪女”と呼ばれた絵莉朱ではなく、公爵令嬢で、王太子の婚約者であるエリスとしての自分を誇りながら。
「結婚祝いパーティー、『私も参加していいの?』って、そう聞いたのよ」
私がそう答えると、マイはほっとしたような、残念なような、そんな顔をしたのだった。




