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悪女と呼ばれた私、転生先でも悪役です  作者: 小乃マル


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悪役と帰還

 …眩しい。

 ゆっくりと目を開けた私の目に映ったのは、真っ白な天井だった。


 ここはどこなのだろうか。

 そう思って身体に力を入れた私は、脇腹に感じる鋭い痛みに思わず声を漏らした。

「痛っ…」

 私以外誰もいない室内で、その声はやけに大きく響いた。


 ここが乙女ゲームの世界であるならば、目を覚ました時にタイミングよく、誰かがその場にいるのだろう。

 けれどもここは、乙女ゲームの世界ではない。

 元は乙女ゲームの舞台だったこの世界は、今の私にとってはまごうことなき現実世界なのだ。


 痛みを堪えながらベッドの上で上体を起こし、蘇った“絵莉朱の最期の記憶”を反芻する。

 夫である金成に嵌められて、殺された記憶。

 金成への恨みを胸に幕を閉じた、絵莉朱の人生。


 あの後金成がどうなったのか、私には知る術がない。

 きっとどうにもなっていないような気がする。

 絵莉朱の最後の願いは、おそらく叶えられていないだろう。

 そんなに上手くはいかないのが、世の中なのだから。


 けれども決して、嫌なことばかりじゃなかった。

 私のことを認めてくれて、味方になってくれる人。そんな人が確かにいたのだと、それを思い出せてよかったと、心の底からそう思う。


 悪役(エリス)悪女(絵莉朱)も、幸せになれる可能性は十分にあったのだ。

 必要だったのは、ほんの少しの自己肯定感と、ほんの少しの周囲の理解。そして、運も少しだけ。

 それを体現するための場として用意されたのが、この世界なのかもしれない。

 根拠なんてないけれど、なぜだか強くそう思った。



 ◇◇◇



 私の意識が戻ったことが伝えられると、室内には大勢の人が詰めかけた。

 見慣れない天井だと思ったら、どうやらここは王居内の病室らしい。

「目覚めたエリスの顔を最初に見るのは、私である予定だったのに」

 みんながひとしきり泣いた後で発せられたジェラルド様の言葉からは、彼の“悔しい”という気持ちが滲み出ていた。


「この一ヵ月間、ジェラルド様よりも私の方が、エリスの側にいる時間が長かったですから、仕方がありません。まあ、弟ですからね」

 意識が戻った私を誰よりも早く発見したラルフが、得意げな顔でそう言った。

 つい先程まで、その場に蹲って大泣きしていたのが噓かのように澄ましたラルフの様子がおかしくて、思わず「ふふっ」と笑ってしまった私に、ラルフはぶっきらぼうに「なんですか」と言った。

 その耳が真っ赤になっているのを指摘する者は、誰もいなかった。


 そんな中でも淡々と処置を続ける医師に、私はそっと語り掛ける。

「先生が助けてくださったの?」

 私がそう尋ねると、スピアーズ家の元主治医であるその医師は、静かに頷いた。

「本当に、ありがとうございます。生き延びることができて良かった…」

 私の呟きを聞いて何度も頷く彼の目には、涙が溜まっていた。


 伯父が父に薬の作用を偽って投薬していた件で、当時我が家の主治医だった彼は、その責任を問われて国外に追放されたという。

「スピアーズ公爵閣下のお力添えで、極刑を免れることができました。感謝してもしきれません」

 彼はそう言っていたけれど、最後に出会った時よりも随分と老け込んだように見える彼の様子から、その後の彼の人生の過酷さが窺える。


 医学の分野では我が国の数歩先を行く隣国で、医学を学び直していたという彼は、そこで私が伯父に刺されたことを知ったそうだ。

「エリスお嬢様が刺されたと聞いて、『私はこの日のために隣国に来たのだ』と、天啓を得ました」

 彼は様々な医療用具を持てるだけ持って、着の身着のまま我が国へと向かったという。


 無期限の国外追放を言い渡されている彼は、我が国に入国するにあたって、法を犯す覚悟もあったらしい。

「エリスお嬢様をお救いすることができれば、その後私が処刑されても構わないと思っておりました」

 彼が真剣な顔でそんなことを言うものだから、私はまた倒れそうになってしまった。


 しかし彼の入国は、あっさりと認められることとなった。

 目立った反発もなく王家の許可が出せたのは、隣国の第二王子であるアンドリュー殿下の口添えがあったからだという。

「ジェラルドを通して、彼の事情は聞いていたからね。彼のことは注視していたんだよ。とても真面目で、優秀な人物だということを伝えただけさ」

 アンドリュー殿下はなんてこともないようにそう言ったが、殿下がいなければ彼は犯罪者になっていたかもしれないのだ。“軽薄そう”だと思っていたことを、心の中で謝罪する。


 そんな彼らの決意と行動のおかげで、今私は生きている。

 「外科手術が未発達な我が国の医療だけでは、命が救えたかはわからない」と、王宮の専属医すら言っていた。私が今ここにいることは、奇跡のようなものなのだ。


「本当に、本当に、ありがとう。私のために、頑張ってくれて」

 私がそう言うと、涙で滲む視界の向こうでみんなが微笑んだのがわかった。



 ◇◇◇



「あの…。伯父は、どうなりましたか?」

 私が意識を取り戻して一週間。

 毎日三回はお見舞いに来てくれるジェラルド様に、意を決してそう尋ねる。

「…三日前に、刑が執行されたよ。もう君の前に現れることはない」

 かなり言葉を濁して伝えられたけれど、おそらく処刑されたのだろう。


「私の幸せへの道は完全に閉ざされた。ならば、できるだけ多くの人間を道連れにしようと思った」

 伯父は、今回の事件を起こした理由をそう語ったという。

 あれだけ多くの人がいる中で、一直線にジェラルド様へと向かって来たのだ。ジェラルド様を傷つけることで、国家にも、そして身内であるスピアーズ家にも、打撃を与えようとしていたのだと考えられる。


「スピアーズ家は、どうなりますか?」

 当主殺害未遂の罪によって既にスピアーズ家から除籍されているとはいえ、伯父と私の血の繋がりがなかったことにはならない。

 大罪人の姪である私が、王太子の婚約者であり続けることに問題はないのだろうか。我が家に、何かしらのお咎めはないのだろうか。

 

 「どんな答えが返ってこようと受け入れよう」という、私の覚悟が表情に現れていたのだろう。

 ジェラルド様は困ったように微笑むと、私の頬に手を当てて、言い聞かせるように語った。

「先の事件が発生した際、公爵家に無理を言ってカイン・スピアーズを生かすことにしたのは王家だ。今回の事件の責任は、危険人物であることがわかっているにもかかわらず、奴をきちんと管理できていなかった王家にある」

 ジェラルド様はそう言って、親指で私の頬をするりと撫でた。


 顔の皮膚の表面だけを撫でるような絶妙な力加減に、首筋がぞわりと粟立つ。

 不快感とは違うその感覚に羞恥を覚えて、ジェラルド様に文句を言おうと口を開きかけたけれども、今にも泣きだしそうな彼の表情を見ると、苦言を呈することなどできなかった。


「大丈夫ですよ」

 そう言いながらジェラルド様の手に自身の手を重ねて、頬へと強く押し付ける。私が眠っている間中、「婚約者を失うかもしれない」という恐怖を抱いていたであろうジェラルド様に、私の存在が感じられるように。

「私はここにいますから」

 そう言って微笑むと、ジェラルド様は瞳を潤ませた。


 私がジェラルド様の身代わりになったことで、おそらく一番傷ついたのはジェラルド様だろう。

 自分の代わりに刺された婚約者が、息も絶え絶えに「他の女性を婚約者に」と言うのを、ジェラルド様はどんな気持ちで聞いていたのか。

 冷静な頭でその時の彼の気持ちを思うと、やるせない気持ちに蝕まれる。


 そんなことを考えなら「マイは」と呟くと、ジェラルド様の視線が鋭くなったのがわかった。

「彼女が、どうしたと言うのだ?」

 そう言うジェラルド様の口元は弧を描いているけれど、瞳は全く笑っておらず、今度は別の意味で首筋が粟立つ。

 想像以上に怒っているジェラルド様を前に、私は慎重に言葉を選び取る。


「いえ。マイはいないのかと思って」

「なぜだ?」

「…私が、マイと会いたいからです」

 “私が”を強調して言うと、ジェラルド様が纏う空気が幾分和らいだのがわかった。


「エリスと親しいとはいえども、彼女は平民だからな。王居内に入るとなると、それなりに手続きが必要になる」

 「会いたいなら連れて来るが」と続けるジェラルド様は、それでもやはり不機嫌そうで、私は「いえ」と言うほかなかった。


「さあ、名残惜しいがそろそろ出ねばならん。公務が終わったら、また立ち寄ろう」

 そう言いながら席を立つジェラルド様を、私はありったけの勇気を振り絞って呼び止める。ずっとずっと、言わねばならないと思っていた言葉を伝えるために。


「ジェラルド様、ごめんなさい」

 私の謝罪を聞いて、ジェラルド様はぴたりと動きを止めた。その表情は固く、見ているこちらにまで緊張が移る。


「何に対する謝罪だ?」

「“最期”だなんて言ってしまって。生きることを、諦めようとしてしまって」

「…もう少し元気になったら、たっぷりと叱ってやる」

 彼はそう言うと、私の額にそっと口づけを落として、満足げな表情で病室を後にするのだった。

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