悪役と幼馴染
あの騒動から半月程が経過した頃、特待生制度の発案者が私であることが公にされた。
ジェラルド様からは何年も前から打診をされていたものの、私が断り続けていたのだ。
しかし「スピアーズ公爵令嬢は特待生を嫌っている」という噂が流れ始めた頃から、学園関係者からも事実を公にすべきだという意見が多数挙がったという。
もちろん“学園関係者”の中には学園長も含まれており、結局は学園長の強い要望により公表に踏み切ったとのことだ。
「君が自分の功績をひけらかしたくないということはわかっていた。だが、これ以上あのような噂を聞くのは耐えられなかったのだ」
後日、学園長からは謝罪の言葉と共にそんなことを言われた。
その時の学園長は、まるで孫を見るかのような目で私を見つめていた。
特待生の発案者が私だということが周知されたからといって、大きな変化が訪れることはなかった。
しかし、一つだけ困ったことがある。
レオ君との話し合いから逃れる口実がなくなってしまったのだ。
「どうしてもエリスに会いたいと、毎日のように言い続けているのだ。もちろん私も同席する。ぜひ彼に会ってやってはもらえないだろうか?」
ジェラルド様からそう懇願されて、断ることなどできようか。
そういう訳で、今私の目の前には入学以来避け続けてきたレオ君が、私の横にはジェラルド様が座っている。
「はじめまして! 本日はお時間をいただきありがとうございます!」
私が部屋に入った途端、野球部員かのように元気な挨拶をしてきたレオ君からは、私に対する憎悪の気持ちなどないように思えて、まずは胸を撫で下ろす。
しかし、彼が私に伝えたいこととは、一体なんなのだろうか。
「いえ。何度もお声掛けいただいていたのに、なかなか時間がとれずにいてごめんなさいね」
そう言って微笑みながらも、頭の中には不安が渦巻く。
一体彼は何を言い出すのだろうか。
今までの人生を何度思い返してみても、彼との接点など思いつかない。
一国の王太子であるジェラルド様に何度もお願いする程の出来事が、私と彼の間にあったのだろうか?
そう身構える私に、レオ君から切り出されたのは、思いもよらない内容だった。
「俺の兄の命を、救ってくださってありがとうございます!」
ハキハキと告げられた彼の言葉は、もちろん耳に入ってきた。けれど、その内容を理解するのに数秒かかってしまった。
なぜなら、全く身に覚えがないから。
「ええっと…レオ君? 申し訳ないのだけれど、相手は私で合っているのかしら?」
キラキラと目を輝かせながら私を見つめているレオ君には悪いが、おそらく彼のお兄さんを助けたのは私ではない。
ハンカチを拾ったとか、食料を分け与えたとか、その程度のことであれば忘れている可能性もあるけれど、さすがに人命を救ったのであれば覚えていない訳がない。
しかしレオ君は、「いいえ!」と力強く否定する。
「間違いであるはずがありません。今はもう別の職に就いていますが、兄はスピアーズ公爵家で働いていたことがあるのです。その際、エリス様に助けていただいたことがあると言っていました」
確かに我が家では、職種によっては平民を雇っている。従って、平民であるレオ君のお兄さんが我が家で働いていた可能性も、十分にある。
けれども…誰?
現在雇用している使用人でさえ膨大な数なのだ。“以前働いていた人物”まで覚えている程の記憶力は、残念ながら持ち合わせていない。
もう一度、レオ君の顔を正面からじっと見つめる。
『ガクレラ』の攻略対象者なのだから、彼の顔は画面越しでは何度も見たことがある。
けれどもそれとは別に、確かに似た顔の人物と出会ったことがあるような…。
そしてふと、とある人物の顔が頭に浮かんだ。
「あの時の…護衛の?」
伯父が父を殺害しようとしたあの時、父の寝室の前に立っていた、その人。私の言葉で号泣していた、その人。
呆然と呟いた私の言葉に、レオ君は大きく首を縦に振る。
「多分そうです! 兄は当時から腕っ節が強かったので!」
そう言うレオ君が、あの時の護衛の面影と重なる。
「『自身の判断ミスのせいでスピアーズ公爵令嬢を危険な目に遭わせたのだから、処刑されてもおかしくなかった』と、兄は常々そう言っております。もちろん“判断ミス”の内容については聞かされていませんが、兄はあなたに感謝し、心から尊敬しています」
レオ君のその言葉を聞いて、ようやく『ガクレラ』で彼がエリスを憎んでいた理由を思い出す。
「前スピアーズ公爵の死を防げなかったからという理由で、多くの使用人が処刑されたと聞いている。俺の兄さんも、その時…。兄さんに、何が出来たと言うんだ!? 俺は絶対、奴らを許さない」
幼馴染であるヒロインに、レオ君が怒りをぶちまけるシーンが脳内で再生される。
そうか、だから…。
そう言われてみると、『ガクレラ』内のレオ君は、もう少し暗い雰囲気の人物だった気がする。少なくとも、こんなに勢いのある喋り方をする、子犬のような子ではなかった。
目の前のレオ君の、幸せな家庭で育った子特有の溌剌とした様子に、思わず頬が緩んでしまう。
あまりにも締まりのない顔をしていたのだろう。私の顔を見て、レオ君が動きを止めた。
目の前で彼の顔がじわじわと朱に染まるのを不思議に思って見つめていると、レオ君は堪えきれないという風に私から目を逸らした。
「スピアーズ公爵令嬢にお会いするために、必死に勉強してこの学園に入学しました。お伝えすることができて本当によかった…」
レオ君の口から溢れたその言葉に、鼻の奥がツンとするのを感じる。
ゲーム内では「憎むべきエリスに会うために」と言っていた彼が、この世界では前向きな気持ちで頑張っていた。自分がその理由になれていたなんて、これほど嬉しいことはない。
いつの間にか私は、テーブルの上に置かれたレオ君の手を、両手でぎゅっと握り締めていた。
レオ君がびくりと肩を震わせたような気がするけれども、それよりも先にきちんと伝えてしまわねば。
「ありがとう、とても嬉しいわ。そう言ってもらえて、私はとっても幸せよ」
そう言ってにこりと笑い掛けると、レオ君はそのままの姿勢で固まってしまった。
何かまずいことを言ってしまっただろうかと、不安に思いかけた時だった。
「エリス。君に他意がないことはわかるが、異性に気安く触れてはならない」
ジェラルド様から不意にそう声を掛けられて、慌てて自身の手を引っ込める。
「あ…すみません。レオ君も、許可なく触れてしまってごめんなさい」
いくら気が緩んでいたとはいえ、公爵令嬢としてはしたない振る舞いだったと反省する。
ジェラルド様に呆れられてしまっただろうかと、ちらりと様子を窺うと、私の視線に気づいたジェラルド様が眉を下げる。
「そんなに不安げな顔をする必要はない。怒っている訳ではないのだから」
ジェラルド様はそこで一旦言葉を区切ると、声のトーンを落として「ただの嫉妬だ」と呟いた。
もう一度、ジェラルド様の言葉を頭の中で反芻する。
ジェラルド様が妬いているという事実に加えて、口端を僅かに上げるジェラルド様からは色気まで感じられて、顔に熱が集まる。なんなら、頭もくらくらしてきた。
ジェラルド様への恋心を認めてから、私はずいぶんとポンコツになってしまったものだ。
現に今も、どんな反応を返せば良いかわからず、「あの、えっと、そんな」と繰り返す私の姿は、王宮の教育係に見られれば叱責されるだろうと思われる。
しかしそんな残念な姿を見せる私に、ジェラルド様は愛おしいものでも見るような視線を向けるので、ますますどうすれば良いのかわからなくなってしまう。
「未来の国王夫妻がこれほど愛し合っておられるのですから、この国は安泰ですね!」
巻き込みをくらったレオ君が、爽やかな笑顔でそう言ってくれたのを聞いて、彼への好感度が急上昇したのは内緒だ。




