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悪女と呼ばれた私、転生先でも悪役です  作者: 小乃マル


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悪役と正義

 幸いにも、階段から落下したミアの怪我は、右手首の捻挫だけにとどまった。

 とはいえ、真っ赤に腫れ上がった彼女の手首と、苦痛に歪んだ彼女の表情を思い出して、私は後悔と申し訳なさで押し潰されそうになる。


「ミア、本当にごめんなさい」

「そんなっ! 違います、エリス様のせいではありません! 私が勝手に、階段から落下したのです」

 頭を下げて謝罪する私に、ミアは慌てたようにそう言った。ミアの言葉が彼女の本心であることはわかるし、私が彼女だったとしても、おそらく同じように言っただろう。

 けれども、私に想像力が足りなかったのも事実なのだ。


 私がミアと話し込んだ結果、どのようなことが起こるか。

 私が声を掛けたことで彼女は手を止めることとなり、時間内に仕事を終えることができなかった。もしもミアが時間内に仕事を終えていれば、彼女はあの場で焦ることもなく、階段から落下することもなかったのだ。

 王宮内での彼女の立場と、私に声を掛けられて無下にはできない彼女の立場。それらを考慮していなかった私に、全く非がないとは言えない。


「いいえ、私に配慮が足りなかったのよ。痛い思いをさせて、本当にごめんなさい」

 私がそう言ってミアの手首をそっと持ち上げると、ミアは今にも泣きだしそうな顔をした。

 そんな彼女の顔を見て、私まで鼻の奥にツンとしたものを感じる。しかしここで、私が涙を見せるわけにはいかない。

 そう思って、眉間に力を込めた時だった。

 医務室の扉がノックされたかと思うと、こちらの返事を待つこともなく、勢いよく扉が開け放たれた。


 何事かと思い振り向くと、数名の男性を引き連れた男性が先頭に立っていた。父と同年代の神経質そうなその男性は、私達を一瞥すると重々しく口を開いた。

「…何を、なさっているのでしょう?」

「キャンベル侯爵…」

 慌てて立ち上がろうとする私を、彼は手で制し、眉間の皺をさらに深めた。

「何を、なさっていたのでしょう」

 その言葉の冷たさに、斜め後ろに座るミアが息を呑んだのがわかった。


「おっしゃる意味がよくわかりません。知り合いである彼女と、少し話をしていただけです」

 しかしキャンベル侯爵は、私の言葉を鼻で笑った。

「話をしていた? 私には、あなたが使用人を脅しているように見えましたがね」

 彼の言葉に、そして冷ややかな眼差しに、心臓が鷲掴みにされたかのような心地がする。


「…誤解です。彼女はスピアーズ公爵領の領民で、旧知の仲なのです。侯爵閣下がご心配なさるような間柄ではありません」

 私はなるべく冷静に、彼に事実を伝える。

 しかしそんな私の言葉など聞こえなかったかのように、キャンベル侯爵はわざとらしく溜息をついた。


「私は最初から、こういった事態が起こることを危惧していました。ですから、“特待生制度”にも“孤児の受け入れ”にも、反対していたのですよ」

 彼のその言葉を聞いて、それらの政策に反対する派閥の筆頭がキャンベル侯爵であったことを思い出す。彼自身は領民からも支持を得ている人物だったので不思議に思っていたのだが、「こういった事態」とは一体どういうことなのか。


 頭の中が疑問符で埋め尽くされる私に対して、キャンベル侯爵が話を続ける。

「棲み分けは必要なのです。それは何も、我々が利益を独占しようという訳ではありません。貴族よりも立場の弱い平民が、不当な目にあうことを防ぐためにも、です。…今回のようにね」

「…どういう意味でしょうか?」

「ご自身がよくご存じなのでは? あなたが、彼女を階段の上から突き落としたように見えましたが?」

 キャンベル侯爵の言葉に、血の気が引くのを感じた。


 おそらく先程聞こえた足音は、キャンベル侯爵達のものだったのだろう。

 階段から落ち行くミアに向かって手を伸ばす私を見た彼は、どうやら私が故意にミアを突き落としたと勘違いしているようだ。

 医務室内で私がミアの手を握っていたのも、私が彼女を脅しているように見えたと言っていた。

 …厄介なことになってしまった。


 公爵の娘である私と、侯爵家当主の彼。

 私が王太子の妃候補であることを踏まえても、子どもである私よりも彼の方が社会的な信頼度は高いだろうと思われる。

 今この場においても、キャンベル侯爵の後ろに立つ人々は、彼の主張を支持していることが見て取れる。私がいくら無実を訴えようとも、彼らを納得させることはできないだろう。

 悪役であることの弊害か、この世界でも私の第一印象はあまり良くないらしいから。


 そして何よりも、最も厄介なことは、キャンベル侯爵が私を陥れようとしている訳ではないということだ。

 彼は、私がミアを傷つけたと本気で思っており、ただただ平民であるミアを守ろうとしている。

 これは彼にとって、彼自身の正義に従った行動なのだ。


 しかしここで、耐えきれないとでもいうように、ミアが口を開いた。

「違うんです! エリス様は、私を助けようとしてくださったのです」

 発言を許可されていないにも関わらず、庶民が貴族に話しかけるのはご法度だし、貴族間の会話に口を挟むことなどもってのほか。ミアも当然それくらいのことは理解しているし、だからこそ今まで黙っていたのだろう。


 しかしキャンベル侯爵は、ミアの無作法を咎めることはせず、代わりに優しげな笑顔を浮かべた。

「心配しなくても良い。真実を述べてほしい」

「違います。本当に、私の不注意で足を滑らせてしまったのです」

「君の心配はもっともだ。しかしこれは、さすがに見過ごすことができない。私は、君に不利益が生じないように最大限努力しよう」

「ですから、私はエリス様に突き落とされてなどいません」

「君は、そう言うしかないだろう」

 キャンベル侯爵はそう言って、労わるような表情をミアに向けた。


 ミアの言葉すら、彼には届かない。


 ミアもそのことを感じ取ったのだろう。唇を震わせて黙り込んでしまった彼女は、真っ青な顔をしている。

 そしてそんな彼女を慰めるように、ミアの肩に手を置くキャンベル侯爵は、間違いなく“善人”だった。

 彼はひたすらに、“弱い立場の平民を横暴な公爵令嬢から守る立派な人間”に見えた。

 

 確かに、キャンベル侯爵がそう思っても仕方がないのかもしれない。

 もしも私がミアを階段から突き落としたとして、ミアはそのことを正直に話せるだろうか。

 おそらく、無理だろう。現実的に考えて、貴族に理不尽に傷つけられた時に、平民は泣き寝入りするしかないのだ。

 キャンベル侯爵だけを、責めることはできない。

 むしろキャンベル侯爵の弱者に寄り添おうとする姿勢は、称賛されるべきものだとすら言えるだろう。

 今回はそう、たまたま誤解があっただけで。


 キャンベル侯爵達の手によって、身に覚えのない“事実”が形作られるのを聞きながら、私はぼんやりとそんなことを考える。

 ここでもまた、当事者の関係性を元に、第三者によって“事実”が決定されてしまうのか。

 そう思うと、いろいろなことが急激にどうでもよくなってしまった。


 こうなってしまったら、私ができることなど何もない。

 キャンベル侯爵が私を陥れようとしているなら徹底的に対抗するけれど、そうではないのだ。

 私にも落度はあったし、何よりもキャンベル侯爵の行為自体は“善”なのだから。

 そう自分に言い聞かせ、対話を諦めかけた時だった。

 

「発言を、お許しいただけませんかっ!」

 突如として医務室に現れたその人物の悲鳴のような声が、部屋中に響き渡った。

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