悪役と孤児
結局、ジェラルド様の強い希望もあって、“婚約者親睦会”の開催は週に一度のペースになった。
さすがに彼の負担になるだろうと思った私が、父に相談したところ、国王から直々に「ジェラルドに付き合ってやってほしい」と言われる羽目になった。恐ろしい。
ちなみに、親睦会の会場も、国王達が住まう王居内を指定されることまで出てきた。多くの貴族が出入りする王宮と違い、完全にプライベートな場である王居は、ゲーム内でも登場したことはなく、初めて足を踏み入れた際にはちょっぴり感動した。
そういう訳もあって、今日も私はジェラルド様と向かい合ってお茶を飲んでいる。
用意されている紅茶は以前私が「好きだ」と言ったことのあるもので、そのたった一言を覚えてくれていることに、幸福感のようなものと共に気恥ずかしさを感じる。
「ところで、ミアはどうしていますか?」
そんな思いを誤魔化すように呟いた私の問いかけに対して、ジェラルド様は満足げに答える。
「ああ、よく頑張っている」
ミアは、我がスピアーズ領内の孤児院で育った少女だ。
現状、孤児院で保護できるのは十五歳までの子どもと決まっており、十四歳のミアも来年には孤児院を去ることになっている。しかし、後ろ盾のない孤児が職を得るのは非常に難しく、彼らには選択の余地がほとんどない。
そこで、恵まれない立場にある子ども達であっても、意欲のある者にはチャンスが得られるようにと、少し前から王太子発案の新たな取り組みが試験的に開始された。孤児院に在籍する者の中で、見込みのある者を貴族の屋敷で働かせるというものだ。
条件が合えばそのまま雇ってもらうこともできるし、そうでなくとも、貴族の屋敷で働いていたという経歴は職を探す際に有利に働くから、というのがジェラルド様の考えだ。
まずは発案者である王太子の家、つまりは王宮での受け入れが、つい先日始まったばかりだ。
そしてその記念すべき一人目として選ばれたのが、ミアだった。
「エリスが推薦しただけのことはある。もちろん、王宮の使用人として足りない部分はあるが、前向きに励む彼女のことを、他の使用人達も好ましく感じているようだ」
ジェラルド様からそう言われ、私は胸を撫で下ろす。
「それはよかったです。王宮の方々のご迷惑になっていないこともそうですし、ミア自身が前向きに働けているなら、これほど嬉しいことはありません」
この取り組みを聞いた時、一番に心配したのは“孤児が委縮してしまわないか”だった。
今までとは環境も、そして常識とされる事柄も全く違うであろう場に放り込まれて、それがその子にとってマイナスに働かないかということを、私は最も危惧していた。
私が孤児院に定期的に訪れるようになって約二年。
前世でも今世でも子どもと関わる機会など皆無に等しかった私は、正直子どもが苦手だった。自分の株を上げようという、邪な気持ちで通い始めたことは認めよう。
けれども、悪役である私を怖がることもなく、真っ直ぐな眼差しで「エリス様」と慕ってくれる子ども達に、私はすぐに心を掴まれてしまった。
ラルフを我が家に迎え入れたのとほぼ同時期に通い始めた孤児院。そこで暮らす子達は、私にとってはもはや他人ではない。
ミアも含めた彼らが、孤児院を出た後も幸せに暮らしていくことを心から願っている。
だから、貴族目線での“幸せ”を押し付けることで、彼らの人生を狂わせることだけは絶対に避けたい。
これは、ミアを推薦した際にも、ジェラルド様に伝えたことだった。
「エリス、大丈夫だ。私からも、彼女に変化があれば伝えるようにと言ってある。私とて、不幸な者をつくるためにこの制度を発案したわけではない」
おそらく私の心配を見透かして、ジェラルド様はそう言った。
「エリスが彼女のことを大切に思っていることは知っている。要望があれば聞こう」
問いかけるような視線を向けるジェラルド様の瞳は、どこまでも澄んでいる。
「ありがとうございます。では、もし可能でしたら、彼女と話をさせていただけませんでしょうか? 」
「もちろんだ。今すぐにでも呼び出せるが?」
「いえ、仕事の邪魔はしたくありません。それに、できることなら普段の彼女の様子も見ておきたいのです」
「そういうことなら、メイド長に話をしておこう」
ジェラルド様はそう言うと、部屋に控えている使用人に指示を出した。
「すまないが、ミアの今日の予定をメイド長に聞いてきてくれないか」
「はい、承知いたしました」
「ありがとう、助かるよ」
ジェラルド様と使用人のやりとりをぼんやりと眺めながら、改めて彼のすごさを認識する。
生まれた時から王族である彼は、人から敬われるのが当然の環境で生きている。
それにもかかわらず、彼の城内の使用人への態度には、相手への敬意が感じられる。もちろん城内の人間のみならず、城外に出ても彼のそんな態度は変わらない。
私は、彼のそういうところを心から尊敬している。
「殿下、ありがとうございます」
私がそう言うと、ジェラルド様は少しムッとした表情をした。
「殿下ではない。ジェラルド、だ」
少し拗ねたようなその顔が可愛くて、私はくすりと笑ってしまった。
◇◇◇
親睦会後、城外での公務があるというジェラルド様を見送った私は、一人でメイド長に伝えられていた場所へと歩を進める。
一階のホールから階段を見上げると、そこには階段の手摺を懸命に磨くミアがいた。
「ミア」
周囲に人がいないことを確認してそう呼びかけると、ミアは目を丸くして「エリス様!」と弾んだ声で私の名を口にした。
彼女が私に会えたことを喜んでくれているように感じるのは、自惚れではないはずだ。
ミアが慌てて階段を下りてこようとするのを制止し、ゆったりとした歩調で二階に上る。
そんな私を待つミアの背筋が、美しくピンと伸びていることに気づいて、私は誇らしい気持ちになった。初めて会った時からは大きく成長した彼女の姿に、これまでのミアの頑張りが透けて見えるような気がする。
「ミア。ジェラルド殿下があなたのことを『頑張っている』とおっしゃっていたの。あなたを推薦した身として、とても誇らしいわ」
階段を上り切った私は、ミアに頭を上げるように言った上でそう声をかける。
「そんな、もったいないお言葉です。みなさんとても親切にしてくださって、たくさんのことを学ばせていただいています」
ミアのキラキラと輝く瞳を見て、私は思わず笑みがこぼれる。心配していたことが杞憂に終わったようで何よりだ。
「それはよかったわ。もしも困ったことがあって、助けが必要な時には言ってちょうだいね」
「ですが、公爵家の御令嬢であるエリス様に、私のような者がそんな…」
私の言葉を聞いて、途端に表情を曇らせるミアに、私は強い口調で続ける。
「ねえ、ミア聞いて? 確かに、平民であるあなたが公爵の娘である私に気軽に話し掛けることはよくないわ。でもね、“私のような”なんて言わないで。私はあなたのことを、大切に思っているのよ?」
たとえミア本人であったとしても、私の大切な人を軽んじるような言葉は使ってほしくない。私を敬うのに、自身を卑下する必要はないのだから。
「大切な人の力になりたいと思うのは当然でしょう? 特に今回は、新しい政策の可否を決定するためにも、あなたの意見が必要なのよ。何かあれば、きちんと報告してちょうだい」
私がそう言うと、ミアの瞳が僅かに潤んだ。
しかしミアが何かを言う前に、数人の足音が近づいてくる音が聞こえた。徐々にこちらに近づく音を耳にして、ミアが焦ったような表情を浮かべる。
今回は私がわざとその時間を狙ってきた訳だけれど、普段は使用人が掃除をしている姿を王宮内で目にすることなどない。高貴な人間が頻繁に出入りする王宮では、人目につかないように考えて掃除の予定が組まれていると聞いたことがある。
だからミアは、すぐにこの場を離れなければならないと考えたのだろう。
ミアがたじろぐように半歩下がったその先に、足場はなかった。
その瞬間、小さな声で「あっ」と声を上げた彼女の身体が、大きく傾くのがわかった。
ミアが、落ちちゃう。
「ミア!!」
そう叫んで必死に手を伸ばしたものの、私の手は彼女に触れることはできなかった。
私は、階段を落ち行く彼女を、ただ見ていることしかできなかった。




