6:陽だまりの血だまり
繁華街で情報屋に会ったその日の夜に情報屋の男は情報を持ってきていた。門番を通して渡された手紙にはエレーヌに関する情報がいろいろと載っていたのだ。
エリスティーファは下男に命じて情報屋の男のいるであろう酒場に報酬を持っていかせるとマリエールを呼び出した。
「明日ジェスティオが来次第、孤児院に行くわ」
「かしこまりました、エリスティーファ様。しかし、孤児院ですか?」
不思議そうな顔をするマリエールにエリスティーファは手紙を見せながら答える。
「どうやらエレーヌ様は慈善事業は熱心なタイプだったようね。寄付の金額こそ普通だけれど、ちょくちょく寄付先の孤児院に顔を出しては刺繍の指導や香水の作り方などを教えていたようよ。あと、エレーヌ様のことをコソコソ嗅ぎまわっていた怪しい風体の男もいたそうよ。情報によると雰囲気が魔術師の様だったらしいわね」
「珍しいですね。そこまで面倒を見ようとする貴族は。それにしても魔術師ですか……例の魔術師の可能性が高いですね」
「何か理由があったのかもしれないわね。そう、例えば子供に関わる……いえ、関わりたい理由が。それにエレーヌ様を探していた魔術師のような男……」
マリエールの言葉に返事をすることなく、エリスティーファはそう呟くと思考の世界に入り込んでしまっていく。こうなると下手に声をかけても反応が無いことを知っているマリエールはエリスティーファを放っておくことにする。
このまま何もせずに待っておくよりかは、エリスティーファが思考の世界から帰って来た時に、リラックスして眠れるように心の落ち着くお茶でも淹れておこうとマリエールは考えながら自分の主を微笑ましく見つめていた。
次の日、ジェスティオとマリエールを連れて平民街の孤児院へとエリスティーファは向かっていた。エレーヌのことを少しでも知ることが今一番の近道だとエリスティーファは考えていたからだ。
今回の事件のように情報が極端に少ない場合はまずは関係者の人となりを知ることが案外近道だということをエリスティーファは経験から知っていた。
「もうそろそろ着きます。エリスティーファ様」
御者のイレイラがそう声をかけてくる。イレイラはオルディン大公家に昔から仕えてくれている御者の家の娘である。幼い頃から御者の仕事に慣れ親しんだおかげか、馬車を操るのが上手く、素直な性格はエリスティーファに気に入られていた。
たまにイレイラの癖っけのあるオレンジ色の髪を結んであげるのがエリスティーファの密かな楽しみだったりする。
孤児院がもうすぐ見えてくるであろう角を馬車が曲がった瞬間だった。どこからか悍ましい悲鳴があがった。
「今のは!?」
エリスティーファは急いで馬車の窓から身を乗り出すと声のした方角を探す。しかし、どこから聞こえてきたかが分からなかった。平民街の住人達も何事かと家から出て来たりするが、悲鳴だったせいか誰も見に行こうとはしなかった。
「あっちだ! エリスティーファ!」
ジェスティオは悲鳴の聞こえてきた方角を把握していた。騎士としてこういう音の出所を探る訓練は受けていた。
「先導して!」
エリスティーファの指示にジェスティオは頷くと先に現場まで駆け出していく。エリスティーファとマリエールもまたそのすぐ後をついて行く。いくつか角を曲がって行くと少し狭い空き地へと出た。奥まった人が来ない場所なのだろう。
そこには一つの男性だった物とフードを被った人物がいた。フードを被った人物はジェスティオ達に背を向けて、引き裂かれて男性だった物のすぐ側に座り込んで何かを啜っていた。空地は男性だった物の血が飛び散っており、フードの女性の足元には血溜まりが出来ていた。
空き地には陽が差しており、血溜まりが日に照らされて鮮烈な赤を強調していた。
「エリスティーファ、下がってろ」
「気をつけなさい。相手はおそらく……魔物よ」
ジェスティオが静かに頷いた瞬間、手に飾り気の少ない剣――魔剣デュランダーナが現れる。黒い握りに白刃が印象的な魔剣だった。
ジェスティオ達に気が付いたのかフードの人物がゆっくりと振り向く。フードに隠れた顔は女性の様だったが血に濡れた口元に光る牙、爛爛と輝く蒼い瞳が人間ではないことを物語っていた。
髪は血に塗れているせいか赤く染まっており元の色が分かりそうにない。フードの女性の爪が異様な長さに伸びていき、今にもジェスティオ達に襲い掛かりそうだ。
気付けば邪悪な気配が辺りに満ちていくのをジェスティオは感じていた。この気配は北の大公家で魔物を狩っていた時によく感じていた気配だ。ならばやはり目の前の女性は魔物なのだろう。
――血に濡れた髪の一部が陽の光を浴びて白銀に光る。
「ツッ!! クソがっ!! 普段は鈍い癖にこういう時はすぐに分かるのか俺は!! だが……ここで放っておくわけにもいかない!」
フードの女性に剣を向けるのは躊躇われたが、そんなことを言っていれば簡単に殺されてしまうだろう。今まで経験したどの魔物とも違う殺気を感じる。気を抜いていい相手ではなかった。それに例え誰であろうと魔物である以上はここで止めないといけない。
魔物を見れば戦えるように訓練されてきたジェスティオの体は勝手に動いていた。足に瞬間的に魔力を流し込み強化する。決して魔力が多い方ではないジェスティオは必要な部位を瞬間的に強化することで魔物と戦う力を手に入れていた。
一気に踏み込むとデュランダーナを右肩から斜めに振り下ろす。そのまま斬り裂くかと思われた剣はフードの女性が素早く後ろに下がったことで空を切った。
後に下がったフードの女性はグッと腰を落とすと全身のバネを使ってジェスティオ目がけて突進してくる。心臓目がけて正確に突き出された右手の長い爪をジェスティオは剣で払う。払われたフードの女性は右腕を上げる形となり、そのまま無防備な胴をさらけ出す。
ジェスティオはその無防備な胴目がけて横薙ぎに剣を振りぬく。肉を斬る感触にジェスティオは眉をしかめる。魔物とは言え人間の形をした相手を斬るのは決して愉快なものではなかった。ましてやそれが斬りたくない相手ならばなおさらだ。
腹部を斬られたフードの女性は斬られた腹部を押さえながらそのまま膝をつく。流れ出る血は赤く魔物でも流れ出る血の色は同じだった。いや、同じ血の出る者が魔物になっただけなのだ。
「もう止めてくれ! これ以上はあなたを傷つけたくはない! 大人しく捕まってくれれば悪いようにはならないから……だからもう止めてくれ! 義姉さん!」
ジェスティオの叫ぶように訴える声に反応するようようにフードの女性――エレーヌは顔を上げる。エレーヌの瞳は先ほどとは違い、少しだけだが理性が宿っていた。
ジェスティオは慌てて駆け寄るとエレーヌの肩を抱いて呼びかける。
「ジェ……スティオ……さん」
「義姉さん俺です。ジェスティオです。気が付かれましたか?」
「わ、私は……」
「今は何も考えなくていいんです。とにかくここを離れましょう」
「は、離れる……あぁ……あああああああああ!!」
ジェスティオの言葉に反応したエレーヌは急に両手で頭を抱えだした。そしてそのまま苦しみだす。爪が頭に食い込み血が流れていく。頭を振りながら苦しむ姿にジェスティオはこれ以上自分を傷つけないように抑え込もうとする。
「義姉さん!?」
「離れなさい!! ジェスティオ!」
エリスティーファの警告に咄嗟に反応したジェスティオはそのままその場を飛び退いた。今までジェスティオがいた場所を鋭い爪が通り過ぎていく。
再びエレーヌの瞳に魔の光が宿る。自ら付けた頭の傷から血が滴り落ち、エレーヌの口元を濡らしていく。
「義姉さん!! 目を覚ましてください!」
ジェスティオの声にも反応は無くそのまま背を向けて逃げ出そうとし始める。ジェスティオがそのまま素直に行かせるはずも無く、回り込んで止めようとした時だった。
「進めー!」
突如、空地へ貴族街衛兵隊がなだれ込んでくる。衛兵に気を取られた一瞬の隙をついてエレーヌは高く跳躍すると屋根を飛び越え走り去って行ってしまった。
「動くな!! 貴様らを殺人の現行犯で逮捕する!」
なだれ込んできた貴族街衛兵隊達の後ろから四十代後半くらいの男性が現れ、エリスティーファ達に剣を突き付けた。鎧に付けられている剣が三本重なっている飾りは隊長の証だった。
たるんだ腹を揺らしながら重そうな体は衛兵とは思えない姿だった。脂ぎった顔には嫌らしい笑みが浮かんでおり、生理的な嫌悪をエリスティーファとマリエールは感じてしまっていた。
貴族街衛兵隊がなだれ込んできたタイミングとエレーヌが逃げたタイミングが同じだったために衛兵はエレーヌには気が付かなかったようだった。そのままエリスティーファ達を取り囲む様に動いてくる。
「私達は犯人ではないわ。この状況を見て分からないかしら?」
エリスティーファ達が血に塗れた空き地を指さしながら呆れたように答えた。貴族街衛兵隊の隊長はエリスティーファの言葉に顔をしかめた後、広場を見渡した。
「状況も何も貴様らの犯行現場ではないか! 何をバカなことを言っている!」
「……事件が起きてからあなた達が来るまでにそんなに時間は経っていないわ。それなのに返り血の一つも浴びていないのはおかしいとは思わないの?」
「そんなものは着替えれば済むことだ! これ以上くだらんことを話すな! おい、こいつらを捕まえろ!」
隊長の言葉に従い衛兵達がエリスティーファとマリエールについてくるように促してくる。さすがに一目で貴族と分かる女性と従者相手に縄を打つことは出来ないようだった。
「……参ったわね、マリエール。言語は同じなのに会話が通用しないわ」
「仕方ありません。ここはこれ以上騒ぎを大きくしないためにも大人しく捕まっておきましょう」
エリスティーファとマリエールは抵抗すること無く大人しく衛兵達について行くことにした。ここで抵抗しても時間の無駄でしかない以上、そんなことに時間を使うことがもったいないのだから。
衛兵に連れられて行く際に、エリスティーファはジェスティオの目を見てきた。その目はハッキリと胸を張って堂々としていればいいとジェスティオに告げていた。
(忌々しい衛兵共め。こいつらが来なければ義姉さんを行かせることも無かったかもしれないというのに! とはいえ仕方が無いか、ここは大人しくしておくか。エリスティーファ様の言う通り堂々としておくか)
「……そうだな、りょーかい。ほら、抵抗しないからあまりきつく縛らないでくれよ」
ジェスティオは魔剣をしまうと素直に手を後ろに回す。衛兵達はジェスティオの手を縛るとようやく自分達が犯人扱いしていた人間だということに気が付いた。
「お、お前は! ジェスティオ・アーレンバーグ!」
「……せめて男爵をつけてくれよ。仮にも貴族だぜ?」
「貴様、とうとう尻尾を出したな! どうやってあんな殺し方をしたかは知らんが、今度こそ吐かせてやる!」
隊長がそう言いながらジェスティオを突き飛ばす。突き飛ばされたせいでたたらを踏んだジェスティオは危うく転びそうなった。
「大人しく付いて行くから暴力は勘弁してくれよ」
「貴様! その態度は何だ!!」
少し前まではジェスティオが自分達に卑屈に接してきたために無意識にジェスティオのことを下に見ていたのだろう。隊長は顔を真っ赤にしながら怒鳴り散らした。
ジェスティオはエリスティーファと共に行動するようになってからというもの少しずつ自分らしさを取り戻していた。それにオルディン大公家の人間であるエリスティーファに慣れてしまえば衛兵隊の隊長などもう怖くは無かった。
「あら、いつから貴族は縄を打たれるようになったのかしら? ねぇ、隊長さん?」
その状況を見ていたエリスティーファが隊長に面白い物を見たという口調で話しかけた。楽しそうに笑っているが目は笑ってはいなかった。
「そ、それは……」
「衛兵隊を取りまとめる総隊長に抗議の文を家から出した方が良いかしら?」
エリスティーファは普段は使わない扇まで取り出して口元を隠して笑い顔を隠す振りをする。
「……分かりました。おい、縄はいい。アーレンバーグ男爵を丁重にお連れしろ」
エリスティーファに気圧された隊長は不満を押し殺した表情で部下に指示を出す。エリスティーファもそれ以上追及するつもりはなかったので大人しく詰め所まで向かうこととなった。
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