5:調査は地道な一歩から
だいたい一つの事件を十二話前後で抑えるつもりです。
「そもそもなんで繁華街へ行くんだ? 事件の真相をその全記の書で調べることは出来ないのか?」
街へと向かう馬車の中でジェスティオはエリスティーファの持つ全記の書を見ながら訊ねた。オルディン大公家のある上位貴族街から目的地である繁華街まではそれなりに距離がある。ちょっとした質問程度ならする時間はあるのだ。
「無理ね。便利そうに見えるかもしれないけれど意外と制約も多いのよこれは。まず、これは魔器だから私の魔力を使用して使うのは分かるわね? 質問に答えてくれる魔器だけれど、消費する魔力は質問の内容によるわ。例えば今回の事件の真相が知りたいなど言えばとんでもない魔力を要求されるわね。基本的にこの全記の書は知りたい情報が増えれば増えるほど魔力の消費が増えるの」
「ということは犯人の名前だけなら情報が増えるわけじゃないから少なくなるんじゃないか?」
ジェスティオの質問にエリスティーファは首を振った。そして困ったように笑うと全記の書を開いて見せながら何も書かれていない白紙のページを指でなぞる。
「そう思うでしょう? でもそれは出来ないの。そういう真相に近づくための近道のような質問は何故か魔力の消費が増えるわ。だからもし犯人を特定することに使いたいのなら、犯人が分かった上でこの全記の書にこう聞くの。犯人はこの人物で間違いないかって。そうすれば教えてくれるわ、正解か間違っているかを」
「何と言うか……それは使えると言っていいのか? 聞く限りじゃあまり役に立たないようなんだが……」
「何をもって真相に近づくと判断されているのかは不明だけれど、私がちゃんと調べた上で正しい推測が出来ればそれが正しいかどうかの確認はできるもの。例えそれが百年前の真相でもね。だからようは私次第だわ。ちなみに通常の使い方をする場合は一日に五回は使えるわ。質問によってはこの五回の内三回とか要求されると考えれば分かりやすいでしょう?」
「なるほど理解した。俺には絶対使えない魔器だということもな」
ジェスティオは自分が使う場合を考えて眩暈がしそうになった。自分の頭では到底使いこなすことなど出来そうもない。やはりあの剣が自分にはお似合いだとジェスティオはそんな感想を抱いていた。
「寵愛者ではない私からすると少し羨ましくはあります」
黙って話を聞いていたマリエールが残念そうに呟いた。マリエールは寵愛者ではない。しかし、彼女の魔術の腕前は寵愛者を相手にしても勝てずとも負けない程の腕前であることは間違いなかった。
「こればっかりはどうしようもないわね。もっともあなたは魔器なんか必要としないくらいの魔術の腕があるわ。それは与えられたものよりも尊いものだと私は思っているわよ」
「エリスティーファ様……ありがとうございます。そういえば、ジェスティオ様も魔器をお持ちだとか」
深々とお礼を述べるマリエールの口元には嬉しさが滲み出ていた。もっともあまり表情が変わらないマリエールなのでジェスティオは気が付いてはいないが。
「マリエールさん、ジェスティオでいいですよ。同僚ですし」
「分かりました、ジェスティオ。私もマリエールとお呼びください。それで確か魔器は剣だったと聞いているのですが、やはり噂に聞く他の魔器の剣のように風を巻き起こしたり炎を出したり出来るのでしょうか?」
マリエールの眼はキラキラと輝いており隠しきれない興味が光っていた。あまり表情を変えないマリエールにしては珍しいことだった。
「お、おう。もしかしてマリエールは魔剣が好きなのか?」
「はい。魔器の剣、通称魔剣は話だけでも好きです。きっと子供の頃に読んだ英雄譚に出てきたのが理由だとは思いますが……すみません、ぶしつけなことを聞きましたね」
「いや、気にしないでくれ。まぁ、俺も魔剣持ちだが……俺のその何と言うか……地味なんだ。滅多に欠けないし欠けても再召喚しなくともその場で魔力を使えば修復できる。魔名を顕現させても魔力を放出するだけで意味はないしな。正直未だに扱いきれているとは言えないんだわ。まぁ、剣は壊れずに斬れればそれでいい俺からすれば十分なんだがな」
「……なるほど、確かに地味ですね。でもそれはそれで剣の本質なのではないかという気もします。だからやっぱり立派な魔剣ですよ。今度見せてくださいね」
マリエールはそう言うと少しだけ微笑んだ。ジェスティオも褒められれば悪い気はしないのだ。
「それでどうして義姉のことを調べるのに繁華街に?」
ジェスティオがそもそもそこが分からないという顔をする。と言ってもジェスティオもエレーヌ様のことをほとんど知らないと言っても良い。兄がある日連れてきた女性で穏やかで優しい人と言うことぐらいしか分からなかった。
兄はしっかりしていた人だったので兄が良いという女性ならジェスティオは何も言う気が無かったのだ。
「ここに知り合いがいるのよ。いわゆる情報屋と言うやつね。彼ならこれの出所もわかると思ったのよ」
エリスティーファはそう言うとエレーヌの部屋にあった香水の瓶を取り出した。
「いつの間にくすねておいたのやら」
「そのことは謝るわ。でもこれは結構重要な手掛かりかもしれないわよ。エレーヌ様がご自分で香水を作っていたにせよ、瓶はさすがに作れないでしょうからどこからか買っていたはずよ。まずはそこから調べてみようと思っているの」
「なるほど。それがどこのものか知るためにも情報屋の下へってことか。そういうことまで全記の書を一々使っていたら到底魔力が足りないだろうしな」
「そういうことよ。それに今回の件は衛兵は当てにできないわ」
「……それはもう骨身に沁みているが、何か理由があるのか?」
「あなたが準優勝した剣術大会覚えているかしら?」
「ん? ああ、覚えているが?」
ジェスティオ自身はあの大会で自分の実力が分かったので個人的には満足していた。なので忘れていたわけではないがどうでもよかった面はあった。もう興味もない話なので流れていく外の景色を眺めながら返事を返す。
「今回の事件に関して衛兵の動きがおかしいのはあなたが優勝を譲った相手が色々圧力をかけているせいよ。捜査が杜撰だったのもしつこい取り調べもそのせいね」
ジェスティオは思ってもいなかった話に驚いてエリスティーファの方へと振り返った。エリスティーファはそうそうその顔と言わんばかりに面白そうに笑っている。
「理由までは分からないけれど、あなたが犯人であるという前提の捜査の流れを作った原因は間違いないわ」
「……手加減したことがそこまで腹立たしかったのだろうか?」
「それは分からないわ。ただ、今回は運の悪いことに南の大公家とそれなりに近い血縁関係があるせいで衛兵達も圧力に屈したようね」
エリスティーファは苦々し気に吐き捨てた。南の大公家とは言え、こんな形で大公という権威を利用されるのはエリスティーファの矜持からすれば許されることではなかった。
「結果あなたが犯人だという前提で捜査が進みまともな捜査にならずこの体たらくよ。こんなことは大問題だけれど、当時はあなたが最も有力な犯人だったから内部ではあまり問題視されなかったようね。これだから貴族街の衛兵はダメね。動きがおかしいから調べてみたらすぐに分かったわ……あら、着いたようね。話はここまでにして行きましょうか」
そんな話しをしているうちに馬車は繁華街へと到着していた。賑やかで人通りの多い繁華街は今日も帝都の繁栄を現わしているようだった。エリスティーファはジェスティオとマリエールをと共に繁華街へと歩き出していった。
「これがどこのかは分からねぇが、素人相手でも瓶を売っている工場なら知っているぜ」
エリスティーファの知り合いだという情報屋はそう言って瓶を返してきた。
情報屋がいたのは繁華街の隅の方の小さな酒場だった。薄汚れた酒場で客も二人しかない。酒場の主人は暇そうにグラスを磨いている。
客の一人は冒険者だろうか、酒場の隅にあるテーブルに座って安酒をチビチビ飲んでいる。粗末な革鎧にショートソードを挿しており、酒場に入って来たエリスティーファ達に見向きもしなかった。
もう一人は小汚い外套を纏った小柄な男だった。酒場のカウンターに座ってつまみを片手に安いエールを飲んでいた。伸ばし放題の無精ひげが余計に男の不潔さを増していた。
エリスティーファは男を見つけると迷うことなく近づいて行く。ジェスティオはこの男がエリスティーファの言っていた情報屋だと分かった。エリスティーファは何も言わずに男の側に香水の入っていた瓶を置いた。
「いつもその安いエールね。もう少しいいエール飲みたくないかしら?」
「……あんたか。悪いが俺はこの安いエールが好きなんでね」
「あら、じゃあ仕事は必要ないようね」
情報屋の男はエリスティーファに背を向けたまま答える。エリスティーファはそのことを気にすることもなく置いた香水の瓶を回収しようとする。
「そうとも限らないさ。この安いエールを飲むための金が要るんでね。そうそう、ついでに失踪した第三墓地の墓守の情報なんかどうだ? あんたの好きな事件の匂いがしそうだぜ」
男はそう言うと素早く置かれた瓶を手に取るとエリスティーファに隣に座るように促した。エリスティーファも特に気にすることなく隣に座ると香水の瓶の出所を情報屋の男に聞き始めた。
それにしてもこんな場末の酒場に、エリスティーファのような美しい貴族の人間がいるのはかなり場違いだなとジェスティオは思っていた。
「その工場の情報は?」
「銀貨一枚で良いよ。それで、今度はどんな事件に首を突っ込んでんだ?」
瓶を返した情報屋の男は面白そうにエリスティーファに尋ねた。瓶を受け取ったエリスティーファはどうしたものかと少しだけ考えた。タダで男に情報をくれてやる義理は無い。それにジェスティオの許可無しに勝手に話すことは出来ないのだから。
「話しても構わないかしら?」
ジェスティオ頷いたのを確認したエリスティーファは情報屋にアーレンバーグ男爵家で起きた事件の話をする。もちろん悪神の寵愛者等の話せない情報は黙ったままだが。
「……なるほどね。厄介な事件に首を突っ込んだわけだ。まぁ、あんたらしいがな。それなら少し時間をくれ。アーレンバーグ男爵夫人の情報を調べてみるからよ」
「任せたわ。私達はその工場に行ってみるわ。もし何か分かれば屋敷まで連絡して頂戴」
「りょーかい」
情報屋の男はそう言うと手を振りながら酒場を出ていく。情報屋の男を見送った後、エリスティーファ達は教えられた工場へと向かうことにしたのだった。
その後、エリスティーファ達は教えてもらった工場で聞き込みをした結果、エレーヌがこの工場からこの瓶を購入していたことが判明した。どうやら自分で買いに来ていたようで、職人達もよく覚えていたようだった。
「香水の材料も自分で買いに来ていたということね?」
「はい、いつも籠の中に色々な薬草やら香料やら入っていたのを覚えている、ます」
エリスティーファの質問に親方が答えた。一目見ればエリスティーファが貴族であると分かるため慣れない丁寧な言葉を必死に使っていた。
ジェスティオは自分も得意な方ではないことは理解していたので、端から見れば同じようなものだったのかもしれないと思った。
「そういうのを売っているのはこの職人街かしら?」
「そうだ、ですね……ここら辺で素人相手でも売ってくれそうな店なら限られていますので教えてやる、です」
こうして親方から聞いた店にも行き聞き込みをした結果、エレーヌは職人街には結構な頻度で来ていたということが分かった。この日はこれ以上のことは分かりそうになく、情報屋の情報を待って動くこととなったのだった。
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