4:最後まで関わるために
ジェスティオがオルディン大公家の応接室に通されるのはこれで二度目だ。今回もまたマリエールが淹れてくれた紅茶を飲みながらエリスティーファを待っている。
「すぐにエリスティーファ様が来られると思いますのでもう少しお待ちください」
マリエールがそう言って頭を下げてくる。マリエールは艶やかな黒髪を頭の後ろで団子状にまとめており、それをシニヨンカバーで覆っていた。化粧は使用人らしく控えめだがそれでもマリエールの美しさは際立っている。ジェスティオは服の上からでも分かる、豊かな女性の象徴に目がいかないように視線を逸らすことで頭がいっぱいだった。
「どうかされましたか?」
「い、いえ。別に大したことではありません」
ジェスティオの様子に気が付いたマリエールが窺うように尋ねてきたが、ジェスティオはまさか性的な目で見ないようにしていたなどと言ううわけにもいかず、誤魔化そうと話題を変えることにする。
「そういえば、マリエール殿は魔術師としてはかなり優秀な方なのですね。先日の防音の魔術は見事なものでした。あのような魔術があるとは魔術の可能性は凄いですね」
ジェスティオは先日の防音の魔術を思い出す。魔術には詳しくないのであのような魔術が存在していることを知らなかったのだ。
「ありがとうございます。でもあの魔術は実は欠陥が多い魔術として有名な魔術なのです」
「欠陥……ですか?」
「はい。あの魔術の発動中は動かせるのはせいぜい口くらいです。さらに外からの音も遮断してしまうので誰か人が近づいてきているとしても気が付けません。なので隠密行動には使えませんし、内緒話をするのに使う際は準備が必要です」
「魔術はもっと何と言うか……その、もっと便利なものだと勝手に思っていました。申し訳ありません」
ジェスティオはよく知らないが故に先日の魔術があれば犯行は簡単だっただろうと思っていたのだが、そう簡単な話でもないらしい。
「あれ? と言うことは犯行は魔術師には不可能なのでは?」
「口が動かせれば魔術師は魔術を使うことは不可能ではありません。まぁ、もっとも人をあのような殺し方をする魔術はさすがに検討が付きませんが」
あまり表情の変わらないマリエールだが、ジェスティオは何となく申し訳なさそうな顔をしているような気がした。
「気になさらないで下さい。私が魔術に関しては素人なのですから、マリエール殿が分からないことをどうこう言える立場ではありません」
「そうですわね、マリエールが出来なければ大抵の魔術師は不可能と考えていいですわ。何しろマリエールは非公式とは言え帝都の魔術学校の主席卒業生ですから。国内でも指折りの実力者と言っても間違いではないかと」
ドアを開けながらエリスティーファがそんなことを言いながら入って来る。その手には中々に分厚い資料が握られていた。
「こ、これはエリスティーファ様。申し訳ありません、お荷物をお持ちします」
ジェスティオが慌てて手を差し出そうとした瞬間、あっさりと手に資料を乗せられてつい落としそうになる。何とか持ちこたえてみればエリザベーは不機嫌を隠さない表情のままソファー座る。
「申し訳ありません、エリスティーファ様。お客様とは言え話に夢中になっておりました」
「それは気にしていませんから問題ありません。私の不機嫌は二人には何の責も無いので気にしないで下さい」
「は、はぁ……」
そう言われても気になるものは気になるのだ。しかも渡されたこの資料はいったいどうすればいいのかジェスティオは混乱してしまう。
「その資料を見てもらう前に大事な話があります……ジェスティオ様、あなた私の護衛をしませんか?」
「え?……それはどういう意味で……?」
(先日の護衛のような話だろうか? それとも正式にと言う意味なのだろうか?)
いきなり出された提案にジェスティオは目を白黒させる。確かに腕に自信はあるが男爵家の当主でもある。それに事業を抱えているので時間に余裕があるわけではない。もっともその事業は慣れない作業なので上手くいっているとは言い難いが。
「言葉の通りです。私の護衛という仕事をしませんかという意味です。アーレンバーグ男爵家が手掛けている事業には我が家から専門の者を出向させるのでご心配は無用ですわ。そうですわね、給金は一月金貨五枚でいかがでしょうか?」
ジェスティオは提示された条件の良さに驚きのあまり一瞬言葉を失った。騎士として働いていたころは金貨三枚程だったのだから。それに事業に関する専門家を派遣してくれるというのだから。
「何故……そこまでしていただけるのですか?」
「まず、今回の事件は最初に想定したよりも危険なようなので、腕の立つ護衛が欲しいという理由があります。武神ヴァルノーの寵愛者であるあなたなら腕前の心配はありませんから。人柄も問題がない人物だと判断させていただきました」
「人柄って……まだ一週間経っていませんが?」
「騎士時代のことを含めてです。失礼ながらそこも含めて調査させていただきました。後は実際に出会って問題ないと判断しましたので。事業に関する人も派遣するのも護衛に専念して欲しいからです。あなたは男爵です、使用人を養う義務がありますからそのための収入は守る必要があります。オルディン大公家としては私の護衛についたために、あなたの貴族としての面子が潰れることなどとても容認できません」
「……評価していただけるのは嬉しいのですが、それだけでここまでしていただけるのは腑に落ちません」
ジェスティオはそう言って首を振る。上手い話には落とし穴があるのはジェスティオだって理解している。貴族としての格は比べるまでも無いくらい差はあるがそれでも頷けないことはある。ジェスティオからすれば大した理由もなく恵んでもらうことを許容すればアーレンバーグ男爵家の誇りを傷つけてしまうことになるのだ。
「残りの理由ですが渡した資料を見てもらえますか?」
エリスティーファに言われてジェスティオは渡されていた資料のことを思い出す。エリスティーファの提案の衝撃ですっかり頭から抜け落ちていたのだ。
とりあえず目を通してみることにしたジェスティオはこの資料が義姉であるエレーヌに関する資料だと気付いた。
読み進めていくジェスティオの眉間にしわが寄って行く。書かれている内容はジェスティオにとってはあまりにも衝撃的な内容だったのだから仕方がないのかもしれない。書類にはエレーヌが魔物である可能性が書かれていたのだから。
「これはどういうことですか!? 義姉さんが……義姉さんが……」
「アーレンバーグ男爵夫人であるエレーヌ様は魔物である可能性があります」
エリスティーファの一言はジェスティオの感情を刺激するのに十分な威力を持って届いていた。兄の選んだ愛する女性が、あんなに仲の良かった二人が……義姉が魔物であるなど認めることなど出来なかった。
「魔物は悪神が放ったとされる人類の敵です! 義姉さんが魔物だと言うのなら兄は人類の敵を愛したと言うことになる! そんな話を受け入れろと!? それに義姉さんは普通の女性だった、とてもそんな風には見えなかった!」
「ジェスティオ様! 言葉が過ぎます!!」
激昂するジェスティオにマリエールが声を荒げる。いくらエリスティーファの言葉でもジェスティオは黙っておくことは出来なかったのだ。
怒りで気が付けばこぶしを握り締めていた。強く握り過ぎて爪が手の平に食い込んでいたのにも気が付かず血が滴り落ちる。
「マリエール、いいわ。ジェスティオ様が怒るのも当然だもの……しかし、ジェスティオ様あくまで可能性です。それにただ単純に魔物であるとも言い切れない可能性もあるのです」
「どういうことですか?」
エリスティーファの言葉にジェスティオは怒りよりも疑問の方が湧き上がってきた。
「魔物は悪神によって放たれた人類の敵です。同様に悪神の誘惑に負けて悪神の寵愛者となった者も敵です。そして悪神の寵愛者の被害者の中には魔物に変えられた人だっているのです。私は件の魔術師が悪神の寵愛者で、エレーヌ様は魔物にされた被害者だと考えています」
「……どうしてそう思ったんですか? それもその全記の書で調べたんですか?」
「いいえ、これらは全て現場に残されていた情報とエレーヌ様の部屋にあった物からの推測です。。部屋に会ったあの香水には魔物避けの性質を持つ薬草が使われていました。あれらを上手く使えば闇に属するものを抑え込むことが出来ます。夜会に出ない女性があれだけの匂いの強い香水を複数所持しているのは不自然です。しかし、毎日使用していると考えればあれくらいは常備しておく必要はあるでしょう。そう、香水に含まれた成分で闇に属する自分を制御して人として暮らしていたのだと私は考えています」
ジェスティオはあれだけの情報でそこまで考えついたエリスティーファに驚きを隠せなかった。もっとも魔物討伐の知識はあるが魔物自体の知識はそこまで無く、ましてや悪神の寵愛者のことなど今初めて聞いたのだから分からないのも仕方がなかった。
「悪神の寵愛者なんてモノが存在するのですか?」
「します。悪神の誘惑に負けて人としての尊厳を失った者が悪神から力を与えられます。それはどれも強力ですが、全て邪悪なものです。もっともこれは上位貴族でも一部の者しか知らないことですが」
「……そんなこと知りたくなかったのですが」
国家機密に近い情報をサラッと言われたジェスティオからすればいい迷惑である。知りたくも無い話を聞かされるのは心臓に悪い。
「誰にも言わなければ問題ありませんわ。ジェスティオ様、あなたのお兄様を殺害したのは魔物として操られたエレーヌ様かもしれません。もし本当にエレーヌ様が魔物であるならばあのような殺害方法も不可能ではありませんから。ただ、私は依頼人であるあなたを危険にさらすつもりはありません。従ってジェスティオ様が依頼人である以上は解決するまでこれ以上の情報を教えないつもりです……でも、私の護衛なら教えることが出来ます……どうされますか?」
ジェスティオは正直に言えば混乱していた。義姉が魔物かもしれないという想像もしなかった事態に。それでもこの事件を解決せずに未来は無いことだけは分かっている。ならば例え見たくない物を見るのだとしても、ここで立ち止まると言う選択肢は持ってはいなかった。
(ここで逃げれば何があったのかすら分からずに終わってしまう! まだ義姉さんの死体は見つかっていない。ならば生きているかもしれないということだ。それならば俺は義姉さんを救いたい……それにエリスティーファ様は俺に選ぶ権利をくれた。そんな彼女の護衛なら悪くない)
「私は義姉はまだ生きていると思っています。出来ることなら助けたいと考えています。だから……護衛の依頼受けさせていただきます。ここで逃げるなんて出来ませんから」
「そうおっしゃると思っていたわ。それでは今日からよろしくお願いしますわね……あ、そうそう。これからは畏まった話し方ではなくて砕けた話し方でいいわ。私もそうするから」
「……はい? と言われましても……さすがにそれは……」
「私が良いと言っているのよ? さて、そろそろ昼ね。ちょうどいいわ、調査も兼ねて街へ行くとしましょうか。ちゃんとお昼は出すから安心しなさい。あと、これからは卑屈な態度も無しよ。あなたは悪くないのだから胸を張りなさい。でないとあなたのお兄様も安心できないわ」
ジェスティオの戸惑いを気にも止めないかのようにエリスティーファは話し出す。その姿は先ほどまでのお淑やかな雰囲気よりも生き生きとしているようだった。
楽しそうにどこで食べようかと話すエリスティーファの姿が眩しかった。それにジェスティオは元々丁寧な話し方は得意ではなく、正直に言えばこの申し出はありがたかったのだ。
(胸を張れか……ずいぶん久しぶりに言われた気がする。言われてみればそうか。俺が背中を丸めていたら兄さんが安心できないわな)
「……本当にいいんだな? 俺は本来はそんなに貴族的な話し方なんて得意じゃなくてな。後から直せと言われても無理だぞ?」
「構わないわ。むしろそっちの喋り方の方が好きよ。あなたはそっちの方がカッコいいかもしれないわね。成長した男の子って感じで」
そう言って微笑むエリスティーファの姿にジェスティオはどこか儚いものを感じてしまっていた。何故かエリスティーファが泣いているような気がしたのだ。もちろん実際はそんなことは無く、使用人に馬車の用意を生き生きと指示している。
「驚かれましたか?」
そんなエリスティーファを見ていたらマリエールがジェスティオに話しかけてきた。あまり表情の変わらないマリエールだが、どこか嬉しそうな表情でエリスティーファを見ている。
「エリスティーファはあまり畏まった場も話し方もお好きではないのです。必要以上の礼儀も無駄だと言って笑っているくらいですから」
「何となくそれは想像がつきそうだ。マリエール殿は長いのか?」
「母が乳母でして、エリスティーファ様と一緒に成長してまいりました。ですので互いに幼い頃のことも良く知っております。」
マリエールは見た目が二十四、五歳といったところなのだが明らかにエリスティーファとは年齢が離れている。ジェスティオはいったいどういうことだと問いかけそうになってやめた。必要ならエリスティーファ自身が話すと考えたのだ。向こうが話してこない以上、無理に聞き出す権利はジェスティオには無いのだから。
「ですのでジェスティオ様が砕けた話し方を受け入れてくださって感謝しています。これから共に行動することも増えますがよろしくお願いいたします」
「俺で良いなら喜んで……何があっても守りますから」
ジェスティオの言葉にマリエールは頷くと、外出の準備があると言ってこの場を去って行った。
その後、ジェスティオはエリスティーファの生き生きとしたあの表情が頭から離れず、エリスティーファの顔を直視するのにしばし時間がかかるのだった。
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