3:被害者に気付けとは言えませんわ
ジェスティオがエリスティーファに依頼をした次の日の昼、エリスティーファはアーレンバーグ男爵家を訪れていた。
事件の起きた部屋をこの目で見てみたいとエリスティーファ頼まれたジェスティオは戸惑いながらも同意した。というのも事件が起きてから既に一年は経っており、片付けなどは最低限済ませているために当時のままというわけではなかったからだ。
ちなみにアーレンバーグ男爵家をあの黒髪の侍女と共に訪れたエリスティーファは護衛を付けてはいなかった。ジェスティオが護衛を付けてくれと言うと笑いながら、ならジェスティオがやればいいと言い出す始末だ。
仕方なく今日はジェスティオが護衛をすることとなったが、ジェスティオはひやひやしていた。エリスティーファがオルディン大公家のどの立ち位置にいるのか怖くて聞けなかったが、どちらにせよ高貴な人であることに変わりは無いのだ。
オルディン大公家の屋敷から出てきたエリスティーファは今日は落ち着いた紫のドレスを着ていた。大人びた穏やかな色で見ているだけで心が安らいでいくような優しい色のドレスだった。肌の露出もほとんどなく。貞淑な雰囲気が伝わってくる。
(確か以前聞いた話だと、未婚の貴族の令嬢はここまで落ち着いた色のドレスはあまり着ないはずだ……)
エリスティーファが事件のあった部屋に行くということで派手にならないドレスを選んでくれたことがジェスティオには嬉しかった。こういう気遣いをしてくれるエリスティーファをジェスティオは少しずつだが信用し始めていた。
アーレンバーグ男爵家は末端貴族の屋敷らしくそこまで大きくはない。かろうじて二階があるくらいでオルディン大公家の人間を入れても良いのか不安にはなるが、文句を言われてもジェスティオにはどうしようもない。
もっともエリスティーファはそんなことで文句を言う性格ではないということは分かっているのでその点は気が楽だった。
「ここですわね」
エリスティーファは封印されている二階のアエリウスのドアの前でそう呟いた。ジェスティオからすれば、正直に言えば思い出したくも無い忌まわしい記憶のある部屋なのだ。実際事件後に部屋を片付けた後はこの部屋には一切立ち入ってはいなかった。
「私は入りたくないのですが……ダメでしょうか?」
ジェスティオは未だにあの凄惨な部屋を忘れることが出来ないでいた。最近こそ悪夢に叩き起こされることは減って来たが、最初の頃は眠ることすらも出来なかったのだ。騎士だった頃に魔物に殺された人の死体を見慣れていなければ、とっくの昔におかしくなっていたかもしれなかった。
護衛の役目があるからすぐに駆け付けられるようにはしておくが、可能ならこの部屋には入りたくはなかった。
「ええ、構いませんわ。色々調べますがそこはご容赦を」
エリスティーファはそう言って優しく微笑んだ後ジェスティオから鍵を受け取る。その手が触れた瞬間、何故かジェスティオの胸の動悸が激しくなった気がした。当のエリスティーファ本人には気づかれていない様だったが。
「いいわマリエール。開けてちょうだい」
エリスティーファは鍵をマリエールと呼ばれた黒髪の侍女へと手渡した。一年以上開くことが無かったドアが静かにゆっくりと開いていく。
ジェスティオはドアが開くと何故か生臭い血のような臭いがしたような気がした。そんなことはありえない、沁み込んだ分はしょうがないとしてそれ以外の分は全て綺麗に掃除したのだ。臭うとしてもそこに血溜まりがあるわけではないのだ。
そう思いながらもジェスティオは何故か今でも部屋の中は鮮血に塗れている気がした。
エリスティーファは部屋に入るとゆっくりと部屋の中を見回わしていく。ベッドなどの家具は一切なく、壁に染みのようなものが見える。何もないがらんとした部屋は当然ながら事件の参考になるようなものは何一つなかった。
部屋の大きさは当主の部屋に相応しく一番広かった。だいたい二部屋分ほどの広さを有しており、隣の部屋に続くドアが見える。血に塗れていたであろう場所は部屋の半分ほどで残り半分んはそこまで染みの後は無かった。
「すみません、家具などはその……もう使えなかったので処分したんです」
部屋の中を見ないようにしながらジェスティオは説明をしておく。ベッドやクローゼットなどは血がこびりついていたし、飛び散った肉片などで汚れていたために処分するしかなかったのだ。
「それは予想の範疇内なので構いませんわ。マリエール、防音の魔術はこの部屋くらいの大きさなら包み込むことは可能かしら?」
「この大きさですと私では無理です、エリスティーファ様。と言いますか、この部屋をすっぽりと包み込めるような魔術師がいたらそれはもう人間ではないかと」
マリエールはそう言うと何やら詠唱を始めた。紡がれた言葉はすぐに力となって部屋の半分ほどを球状の結界が覆っていく。
「あ、あのー、いったい何が起きているんですか?」
部屋の外でジェスティオが尋ねるがエリスティーファ達には一切聞こえていない。エリスティーファはそんなジェスティオを見た後、聞こえないのを理解した上で楽しそうに笑いながら言う。
「大したことではありませんわ。ジェスティオ様が私に見惚れていたことは黙っておいて差し上げますので」
「エリスティーファ様、私に聞こえていれば意味が無いかと……」
呆れたように呟くマリエールのことなど気にしていない風にエリスティーファは笑っている。
当然ながらエリスティーファとマリエールの会話はジェスティオには聞こえておらず何を話しているのかは分からない。もっとも聞こえていないことは幸いだったかもしれないが。
「とは言えこれで被害者が殺害されたのは部屋の半分側と言うことね。おそらくそこにベッドがあったようね」
エリスティーファはベッドのあったであろう場所に近づいて行く。窓がすぐ近くにありそこから外を見てみれば古株の侍女のラデリアが外を掃除しているのが見える。
「使用人は残ってくれたようですね」
「は、はい。昔から仕えてくれている者ばかりだったので辞めたのは若い使用人ばかりです。昔からの使用人は全員残ってくれ、若い使用人も二人ほど残ってくれました」
「なるほど、だいたい分かりましたわ。すくなくともこれで一つの事実はハッキリしましたわよ?」
エリスティーファは部屋から出てくるとジェスティオを見てどこか楽しそうに笑いかけた。不覚にもドキッとしてしまったジェスティオだったが、事件のことに関係があるのだ。あまり鼻の下を伸ばすわけにもいかなかった。
「それでいったい何が分かったのですか?」
「単純なことですわ。この事件はそもそも本来はそう難しくはない事件だったということですわ。それを衛兵の怠慢が迷宮入りへと導いてしまったということですわ」
エリスティーファはそう言うと大きく息を吸い込むと叫び出した。
「ヤッホー!」
「エ、エリスティーファ様!? いったい何を!?」
いきなり叫び出したエリスティーファにジェスティオは驚いた。エリスティーファの叫び声を聞きつけたラデリアが「何かございましたか!?」と駆け込んでくる。
「申し訳ありません、大したことではありませんわ。ちょっとした実験ですので」
「は、はぁ。そうですか……?」
ラデリアは不思議そうな顔をした後仕事へと戻って行った。
「これでお分かりかしら?」
「……すいません。全然分かりません」
ジェスティオはいったいエリスティーファが何をしたかったのか全く分からなかった。大声と事件と何の関係があるのか理解できなかったのだ。
「今、侍女の方が駆け付けて来られましたわね?」
「は、はい。あれだけの大声ならば聞こえるかと」
「でしたら何故事件、当日誰も悲鳴を聞いていないのでしょうか?」
「そ、それはあの時誰もが外にいたからで……」
「今駆けつけて来られたのは先ほど外を掃除されていた使用人ですわよ?」
「あっ……」
ジェスティオはエリスティーファの指摘に言葉が出なかった。言われてみれば単純なことだった。何故誰も事件当時に何も気が付かなかったのかという至極当たり前の話を気にしなかったのかということに。
「当事者であるジェスティオ様や使用人達がパニックになってそこまで頭が回らなかったことは理解できますわ。一年も経てば落ち着いて気が付くと思われがちですが、意外と人間と言うのは自分で気が付かなったことは後からでも気が付きにくいものですわ。だからこれは衛兵の失態ですわね」
「衛兵のですか?」
「最初にちゃんと捜査をしていれば気付いてしかるべき話ですわね。そうすれば自ずとこの事件には魔術師が関わっていることが判明したはずですわ」
「……魔術師」
「先ほどマリエールが使用したのは防音の魔術ですわ。血で染まったであろう部屋を見た際に半分だけ異様に染まっていたのでもしやと思いまして。半分なら優秀な魔術師であれば防音の魔術で悲鳴を消せるかどうか検証したのです。私達の話は聞こえなかったのではありませんか?」
「……は、はい」
ジェスティオは驚きのあまり呆けたような返事しか出来なかった。言われてみれば簡単な話なのに今まで気づくことも出来なかった自分が情けなかった。それにしても魔術師が関わっているなど予想していなかった。兄の死体の状況から化け物の仕業としか思えなかったのだ。
「しかし、兄の死体の状況から考えれば人間の仕業ではないとしか思えないのですが……」
「ええ、ですからこの場合は殺害犯と魔術師という二人の人物がいるか、殺害犯が魔術師であるかという話になりますわね」
エリスティーファはそう言うとジェスティオの方に向き直りアエリウスの部屋の奥にあるドアの方を指さした。
「あのドアは奥方であるエレーヌ男爵夫人の部屋へと繋がっているのですわよね?」
「ええ、はい。そうですが?」
「中を見てよろしいでしょうか?」
エリスティーファはそう言いながらジェスティオへ手を差し出した。
ジェスティオからエレーヌの部屋の鍵を借りてエリスティーファは部屋の中に入る。
定期的に掃除されているのか埃が積もっているようなことは無かった。
「定期的に掃除しているのかしら?」
「はい、いつでも帰ってこられるように……兄がいないのに無駄でしょうが……それでも兄が愛した女性なので」
「家族を大事に思う感情におかしいことも無駄なこともありませんわ」
エリスティーファは部屋の中を注意深く観察していく。女性らしい柔らかな印象を受ける家具が使われており、中でも裁縫箱はとても繊細な飾りの施された見事な品だった。裁縫箱の中には使い古された刺繍枠が入っていた。大事にしまわれていることから考えるとエレーヌは刺繍が好きだったのだろう。
エリスティーファはそんなことを考えながらふと部屋の中の違和感を感じた。いったん部屋から出て外側から全体を見渡すように眺めてみる。
「どうかなされたのですか? エリスティーファ様」
侍女のマリエールが怪訝そうな顔で尋ねてきたのでエリスティーファは部屋の中を指さすとこういった。
「マリエール、部屋の中の魔力灯はいくつあるかしら?」
「魔力灯ですか?……十二個ですね。十二個もあると言うべきでしょうか?」
「ええ、そうね。部屋の大きさは普通の部屋のおよそ一・五倍ね。通常よりかは広いけれど、それでも八つもあれば十分だわ。ジェスティオ様、エレーヌ男爵夫人には何か変わった所は無かったかしら?」
「義姉さんの変わったところですか……一緒に住んでいたので知っていることは少ないのですが。そうですね、夜に出歩くことは嫌がっていましたね。その関係で夜会などは行ったことが無いようでした」
「なるほど……ん、あれは?」
ジェスティオの答えに少し考えこむそぶりを見せた後、エリスティーファは鏡台の上に置いてある六本の香水に目を止めた。
「同じ香水ね……それが六本」
それぞれ匂いを嗅いでみると全て同じ物でしかなかった。流石に一年以上前の香水は劣化していてもう使えそうにない。付けて試してみることは出来そうになかった。
「どうかしたのですか? エリスティーファ様?」
ジェスティオ様が不思議そうに香水を真剣に見ているエリスティーファに声をかけた。
「ダメね、匂いが劣化していて何の香水か分からないわ」
手で扇ぎながら匂いを嗅いでいたエリスティーファはそう言うと香水の瓶の蓋を閉める。マリエールにも分かるかと聞いてみたものの、やはり分からない様だった。
「ジェスティオ様、本当にエレーヌ男爵夫人は夜会には参加していないのですね?」
「え、あ、はい。夜会には参加しませんでした」
「だとすれば多いのよね、この香水。劣化しているとはいえ系統的に匂いタイプの香水だわ。お茶会などには決して向かないタイプの香水……なのにどうしてこんなに大量に用意しているのかしら?」
誰へ向けるともなくぼそりとエリスティーファは呟いた。しばらくエリスティーファは考えた後、またもや全記の書を取り出し始める。明らかに通常の魔器とは一線を画すその力がジェスティオは恐ろしく感じていた。
「これを調べるのは二回分と言ったところかしら?……全記の書よ、この香水の成分を開示せよ!」
全記の書が淡く光ったかと思うと何も書かれていなかったページにずらりと香水の成分が全て表示されていた。そこには一般的な材料から珍しい物までいろいろあったが、いくつかエリスティーファの目を引く物が映し出されていた。
「ティベリア草にネルの根……アモリエの花まであるわ……どういうこと? 考えられることはいくつかあるけれど、今言えるのはこの香水は自作の可能性が高そうと言うことかしら」
「あのー、何ですかその植物の名前は?」
「ティベリア草は鎮静作用のある薬草で、匂いを嗅ぐだけでも効果があります。ネルの根はネルの木と呼ばれる聖なる木で魔除けの効果が少しだけあります。……アモリエの花はこれも魔除けの花です」
考え込んでいるエリスティーファの代わりにマリエールがジェスティオの疑問に答えた。エリスティーファはもう完全に自分の世界に入り込んでおり、何も聞こえていないようだ。
「エリスティーファ様はこうなるとどうやっても気付いてくれませんのでお気になさらずに」
思考の世界に入り込んでしまったエリスティーファの真剣な表情からジェスティオは目が離せなかった。つい見惚れてしまう美しく整った顔立ちもジェスティオの視線を釘付けにするが、それだけではなくここまで真剣に自分のために考えてくれるエリスティーファの姿勢が嬉しかったのだ。
(まさか、これが恋というやつか!?)
婚約者にすら抱かなかった感情故にジェスティオはどうしていいか分からなかった。騎士団にいた頃に娼婦すら買わなかったジェスティオは全くと言っていいほど女慣れしていないのだ。
それから散々部屋を調べたエリスティーファはその日はそれで満足したのか帰っていった。
それから二日後、事件のことで話があるとジェスティオはまたもやオルディン大公家の屋敷へと呼び出された。
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