12:エピローグ
事件が解決してから一週間が過ぎていた。
結局、ベルハンドのことは表に出ることは無く、帝都に侵入していた魔物が犯人として討伐されたことになった。事件が総隊長預かりになったことにより内密に処理されることとなったのだ。悪神の寵愛者のことを表に出せない以上仕方のない措置だったと言える。
それでも帝都に魔物が侵入したという話は大きな話題となり、何人かの責任者の首が飛ぶことになったようだった。
事件の被害者たちの遺体はその特殊性から誰にも見せることが出来ず、国が主導で丁重に埋葬されることとなった。調べてみれば帝都で行方不明者として探されていた人間が何人かおり、遺族は最後の対面すら行うことが出来ず、異例の葬儀になったことも人々の噂を呼んだ。
やがて事件の話は無責任な噂のせいでだんだんと怪談染みたものになっていき、すっかり広まり切った頃には化け物になった人が人を襲って殺していたという皮肉にも真相に近い内容へと変わっていった。
ある意味一番の被害を受けた第三墓地の地下墓地は聖職者の手により徹底した浄化が行われることとなった。このまま放っておけばアンデッドが発生する危険な墓地になりかねなかったのだ。墓地の汚染は酷い物で、教会から上位の聖職者が派遣されることとなった。
不眠不休の必死の浄化により、ようやく元の清廉な眠りの場所へと戻るのに三日も要したらしい。難航していた代わりの墓守もすぐに派遣されることとなりこれでようやく事件は終息したと言えた。
あれからローデックは連日厳しい取り調べを受けており、今回の事件以外にもいろいろ余罪が出てきそうだとシェルキンはエリスティーファ達に話していた。
公費を横領していろいろな物を買い込んでいたことに加え、事件の揉み消しや特定の貴族からの賄賂なども明らかになってきており、ことはローデック個人の話では済まなくなりそうだとエリスティーファは見ている。
貴族街衛兵隊も規律の見直しと訓練のやり直しが行われることとなり、以前のような無法な振る舞いは無くなるだろう。新しく隊長となったシェルキンは目元に隈を作りながらもそういう後始末の報告をエリスティーファは達に伝えに来てくれたのだ。
シェルキンが管理する以上は何も心配することはないだろうとエリスティーファは一安心することが出来そうだった。
「エレーヌ・アーレンバーグ男爵夫人の魂に安らぎと救いがあらんことを」
司祭の言葉と共に棺に聖別された水が振りかけられる。そのまま深く掘られた地面の底へとゆっくりと棺が下ろされた。
晴れた空に教会の鐘が響き渡る。
「「「あなたの魂に安らぎを」」」
参列者達の祈りの言葉が重ねられ、墓地に吹いた風に流されていく。
棺の中にはエレーヌは入っておらずただ花だけが敷き詰められていた。
事件が終わった後、ジェスティオは正式にエレーヌの死亡を届け出たのだ。こうして今まで行方不明だったエレーヌはようやく夫の隣で眠ることが出来るようになったのだ。
ジェスティオは埋められていく棺を見ながら結局姉のことは何一つ知らないまま終わってしまったことを悔やんでいた。
過去は変えられない。ならば未来のことを考えながら生きていくことが一番の救いになるのではないか。少なくとも兄はいつまでも過去に囚われ続けることを良しとするような性格ではなかったとジェスティオは思い出した。
あの優しい義姉もそんなことは望まないだろう。並んだ二人の墓石を眺めながらどれくらい時間が経っただろうか。
葬儀も終わり参列者達が帰った後もジェスティオはその場を動かなかった。
いつしか空は曇り始めポツポツと雨を降らせ始めていた。
やがて本格的に振り出した雨の中ジェスティオはいつまでも佇んでいた。
雨が瞳から流れる悲しみを誤魔化してくれる。
悲しみはここで断ち切っていくために。
ジェスティオは一人早すぎたその死を悼んでいた。
「以上が今回の顛末かしら」
オルディン大公家の屋敷の一画でエリスティーファはジェスティオとお茶を飲みながら資料をめくっていた。マリエールが淹れてくれるお茶はいつものように美味しくジェスティオの落ち着かない気持ちをなんとかなだめてくれているようだった。
「まぁ、上手く収まったのなら何よりだ」
エリスティーファの方を見ないようにしながらジェスティオは答えた。エリスティーファが女性ではなく男性だと判明してからこの調子だった。エリスティーファに惹かれていたという事実を誤魔化したいという感情もあるが、それ以上に男性だと理解してもいまだに顔を見ると顔が赤らむのをジェスティオは隠したかったのだ。
「あら、ジェスティオったら私の顔を見なくなったわね。随分寂しいことね」
「い、いやそれは……何と言うか」
「フフフ、冗談よ。私がからかい過ぎたせいね。でもねジェスティオ。私があなたに話したことに嘘はないわ。あれは全て心から思ったことよ」
「それは疑ってないぜ……あれは嬉しかったからな」
顔が赤らむのを自覚しながらもジェスティオはキチンとエリスティーファの方を向きながら答えた。
「とは言えちゃんと謝っておくわね。ごめんなさい、あなたが女性だと勘違いしていることを訂正しなくて。悪いと分かってはいるのだけれど、どうしてもやめられないのよね」
「エリスティーファの悪い癖です」
謝罪をするエリスティーファの横でマリエールが珍しく苦言を呈した。
「何度もお止めになった方が良いと申し上げておりますのにエリスティーファ様は聞いて下さらないから……」
止まらないマリエールの苦言にタジタジとなるエリスティーファは話を変えるべくジェスティオの方へと向き直る。
「そうそう、ベルハンドの研究成果は全て処分しておいたわ。これであの忌まわしい実験のことを新しく知る者はいないわ」
「……助かる」
ベルハンドの研究室をすべて調べ上げたエリスティーファはそこにあった資料を含む全ての研究成果を灰に返したのだ。
悪神の寵愛無くして成功するような代物でもないのだが、それを知らない愚か者に悪用されるとも限らないのだ。ならば全て灰にしてしまう方が一番いいに決まっている。
「ただ、これはあなたに預けておくわ」
そう言ってエリスティーファが取り出したのは書類の束だった。言われるままに受け取ったジェスティオは書類に書かれている内容に驚きを隠せなかった。
「これは義姉さんの?」
「ええ、エレーヌ様に関する記録よ」
そこにはベルハンドがまとめていたエレーヌに関する記録が書かれていた。エレーヌに行われたおぞましい実験の詳細も書かれていたがそれよりも重要なことが書かれていたのだ。
「エレーヌ・ルベリエ……ロンバルド王国のルベリエ男爵家の長女だったのか義姉さんは」
エレーヌはロンバルド王国の男爵家の出身だった。資料によるとベルハンドが十五の時に拉致したらしく、それから五年後に逃げ出しその後アエリウスと出会ったようだった。
運悪くベルハンドの実験で成果を出せる体質であったために固執されたのがエレーヌはの最大の不幸と言えるだろう。
「調べてみたのだけれど、今はルベリエ男爵家は無いみたいなの。どうやら政争に巻き込まれて没落したようね。家族の消息も不明だわ」
今となってはエレーヌのことを報告する相手もいないということにジェスティオは何とも言えない悲しみを感じていた。
ジェスティオの家族と言える相手はもういないのだ。それはジェスティオにとって埋めることのできない穴を開けられたような気がしていた。
「ありがとうな、エリスティーファ様。おかげで少しは義姉さんのことが知れた」
「気にしないでいいわ。それよりもあなたはこれからどうするつもり? もう事件は終わったわ」
正直なところジェスティオは何も決めていなかった。事件のために護衛になったがそもそもジェスティオは男爵家の当主だ。これからアーレンバーグ男爵家を維持していく義務がある。
「まだ何も決めていないというのが正直なところかな?」
「……そう。もし良ければ護衛を続ける気は無いかしら?」
「……事件は終わったんだろ? なぜ俺なんだ?」
ジェスティオとしては自分よりも強い人間などいくらでもいることは理解していた。オルディン大公家の力があればいくらでも優秀な人間を用意出来るはずだった。
現にマリエールのようなとんでもない人物がこの屋敷では侍女をしているのだ。
「腕はあっても信頼できる人間は少ないわ。私は結構多くの秘密を抱えているから誰でもいいというわけにはいかないのよ」
「ずいぶん高く買ってくれるんだな」
「一緒に事件に関わった仲よ? 信頼できることは保証済みだわ」
エリスティーファは焼き菓子をつまみながら話す。今なら分かるがエリスティーファがここまで無防備な姿をさらすのは信頼されているということなのだ。
「雇用条件に変更は?」
「無いわ。むしろこれからも事件に関わることは確定だから給料上げてもいいわよ」
「……マジかよ」
「どうする? 止めておく?」
ジェスティオの答えなど分かり切っているくせに、からかうように尋ねてくるエリスティーファにジェスティオは少しだけやり返したくなった。
エリスティーファのすぐそばに跪くとその白魚のような手を取ってそっと唇を落とす。
「我が主、エリスティーファ・オルディン様に忠誠と剣を捧げます。この身は御身の剣。この魂は御魂の盾。永遠の忠誠をここに」
そうしてデュランダーナを取り出すと掲げるようにエリスティーファへと捧げる。
エリスティーファは予想外の展開にしばらく固まるも、なんとか復活するとその剣を受け取りジェスティオの肩へと添える。
「あなたの忠誠と剣を受け取りましょう。あなたを私の騎士として認めます。我が騎士はいかなる命にあっても死ぬことは許しません。いいですね?」
顔を赤くしながら恥ずかしそうに告げるエリスティーファはにジェスティオはニヤリと笑うと一言答えた。
「御意」
「そういえば聞きそびれたがどうして女装しているんだ?」
冷静になったジェスティオは先ほどのやりとりを思い出して顔を赤くしながら気になっていたことをエリスティーファに尋ねた。
「女装の理由かしら? そうねぇ、あえて言うとすれば女装が一番私に似合うからかしら?」
あっけらかんとエリスティーファはそんなことを言ってのけた。本当に大したことでは無いと言わんばかりの態度のせいでジェスティオは呆気にとられた。
「いや、いやいやいや。貴族が女装しているなんて大ごとだろうが!? そんな理由だって言うのか?」
「そうよ、その程度の理由よ。でもね……ジェスティオ。その程度の理由が私には大事なのよ」
先ほどとは打って変わって真面目な様子のエリスティーファにジェスティオは言葉を詰まらせた。何故だかこのことはこれ以上今は聞いてはいけない気がしたのだ。
「そうか……ならしょうがねぇよな」
「そう」……これはしょうがないのよ。ジェスティオ、私はあなたの大人になり切れない少年みたいなところも好きよ」
エリスティーファはそう言うとまた以前見たどこか儚い笑顔を浮かべた。
これで今回の事件は終わりです。
いかがだったでしょうか?
もし他の事件が読みたいとかありましたら感想で言ってもらえると作者のモチベーションがグンと上がります(笑)
読んでいただいてありがとうございました。




