9:それがあなたの限界だったのよ
エリスティーファ達はまだ陽も昇っていない時間に帝都の第三墓地にいた。
暗い墓地はやはりどこか恐ろしく、死者が安らかに眠っていると分かってはいても、ジェスティオは何とも言えない気持ちになっていた。
マリエールもそれは同じでジェスティオの側から離れようとしない。
反面エリスティーファはジェスティオがすぐに守れる位置にはいるものの、先導するようにカンテラを持ちながら墓地を歩いていく。その足取りは恐れは感じられずその肝の太さにジェスティオは素直に感心していた。
「怖くないのか? 普通貴族の令嬢なんかはこういう場所は怖がるだろう?」
「あら、心配してくれるのかしら? 嬉しいわね。でも大丈夫よ、これぐらいで怖がっていたら死体なんて見れないわ」
「……そりゃそうか」
「それに亡くなった方たちは怖くないわよ。皆安らかに眠っているのだから。もちろんアンデッドには注意する必要はあるけれど、ここは管理された墓地ですもの。アンデッドは発生しないわ……誰かが作らない限りはね」
「一番怖いのは人間だな」
ジェスティオの言葉にエリスティーファは頷いた。
しばらく歩いていた三人はやがて一つの大きな鉄の門の前で立ち止まる。門の向こうには地下へと続く階段が見えておりここが地下墓地の入り口だと分かる。
「ところで地下墓地にベルハンドと義姉さんがいるのは分かるんだが、地下墓地のどこにいるんだ? もしかして地下墓地って狭いのか?」
地下墓地へ続く鉄の門の鍵を開けながらジェスティオがエリスティーファに尋ねる。鍵がカチリと音を立てると扉は低い音を立てながら開いた。
「いいえ、地下墓地は結構な大きさよ。当てもなく探していればあっという間に時間が過ぎていくわ」
「おいおい、ならどこにいるのか分かっているのか?」
エリスティーファは全記の書を取り出すとそのまま開く。そしてジェスティオを見るとどこかいたずらな表情を浮かべて告げた。
「いいジェスティオ。これはとても反則な魔器だわ。その分制限も多いけれど使い方を理解していればこれ以上ないくらいの成果を出してくれるわ。今回ベルハンドがここにいることはもう把握済みよ。だから今どこにいるかを知る程度のことなら決して無理ではないの……全記の書よ! ベルハンドの居場所を示したまえ!」
エリスティーファの求めに応じるかのように全記の書が輝きを放つ。やがて光が収まると全記の書には第三墓地の地下墓地の地図が表示されていた。さらに赤く輝く光も表示されおり、おそらくこの光がベルハンドを表しているとジェスティオにも分かった。
「消費は二回分と言ったところね。ここまで情報が集まっていればこの程度で済むから楽だわ」
「驚いた……だがこれならどこにいるか分かるな」
ジェスティオは全記の書がどういうモノか理解していたつもりだったが、使いこなせるのならばこのような使い方が出来ることに素直に驚いていた。
もっとも今はそれよりもベルハンドとエレーヌを止めることが最優先だった。どこにいるか分かるのならのんびりしている理由は無い。
「マリエール、魔術で灯りを付けてくれないかしら? ここから先は手を塞がない方が良いわ」
「かしこまりました。エリスティーファ様」
マリエールが光の球を浮かべる。そのままジェスティオが先に入ろうとした時、マリエールがジェスティオに声をかけた。
「そう言えばジェスティオ。魔剣ですが以前、魔名を顕現させても魔力を放出するだけで何の意味も無いと仰っていましたよね?」
「ああ、何の方向性も無い魔力には意味は無いからな。正直に言えばただ魔力を垂れ流しているだけだ」
マリエールの質問にジェスティオは苦笑しながら答える。しかし、マリエールはそんなジェスティオに首を振って返した。
「魔術師としての観点からの意見ですが、そういう魔力は総じてコントロール出来ることが多いのです。ですからその魔力をジェスティオ自身が取り込んでみてはいかがでしょうか?」
「……あの魔力を取り込むか。他の魔剣のように上手く放出することは試していたが、取り込むことはやったことが無かったな。出来そうなら試してみるよ」
そう言いながらジェスティオは魔剣デュランダーナを召喚する。白い刃が魔術の灯りを反射してその鋭さを表しているようだった。
「さぁ、行くわよ。ここからは気を抜いてはダメよ」
階段を降りて地下墓地へ続く扉を開けると不快な湿った空気がまとわりついてきた。どこか重苦しい空気はエリスティーファ達の肺の中を汚していくような気がした。
かすかに香る百日花の香の匂いが鼻に届く。それと同時に死臭のような臭いが流れてくる。ちゃんと管理されていればこうはならないのだが、管理人がいなくなってから誰も管理していないせいだろう。
墓守は簡単な仕事ではなく、誰でもやれるというものではなかった。従って後任がすぐに見つからないということは決して珍しくは無い。
本来は死者が眠る穏やかな空間であるはずの地下墓地は死の匂いが濃く臭う忌まわしい場所へと変わっていた。
全記の書により内部の構造は全て把握できているのでエリスティーファ達は迷うことが無かった。死臭漂う地下墓地を進んで行くと少しひらけた場所へと出た。そこには祭壇が置かれており、ここからそれぞれの埋葬されている場所へと進んで行くための道が五つに分かれている。
そんな場所なのでそれなりの広さが用意されており、本来はここは最も明るく綺麗に整えられているはずの場所なのだが、床には何かを引きずったような血の跡が存在していた。
エリスティーファ達は何も言わず血の跡をたどって行く。血の跡が向かっている方向はちょうどベルハンドがいるであろう空間へと向かっていた。
祭壇のある広場から十五分ほど歩くと一つの鉄の扉に突き当たった。血の跡はここに来る途中に元は人間だった物が打ち捨てられていた場所で止まっており、死体には一滴も血は残っていなかった。
(あらかじめ全記の書で調べておいて正解だったわ。ここまで複雑な造りになっているとは流石に思わなかったわ。血の跡があったから調べたのは無駄かと思ったけれどそうでもなかったわね)
そもそも地下墓地がここまで複雑になっていったのは過去に災害で大量に死者が発生したためだと言われている。地上では管理しきれない亡骸を地下を掘り進めることで対処したのだ。もっとも地盤の関係で最近はこれ以上の拡張はされてはいないが。
この向こうにベルハンドがいる。そう思ったジェスティオの胸中には言いようのない怒りと憎しみが沸き上がってくるのを感じた。
敬愛する兄を殺し、義姉に過酷な運命を強いた魔術師。そんな存在を前にして果たして自分は冷静でいられるのだろうか?
知らず知らずのうちに拳を強く握り絞めていたらしく爪が食い込みそうになっていた。ふとジェスティオの拳を柔らかい手が包んできたかと思うと優しく握りこぶしが解かれて行く。
「大丈夫よ、ジェスティオ。あなたの役目はエレーヌ様を助けることでしょう? ベルハンドは任せておきなさい」
そう言ってジェスティオの手を解いたエリスティーファは背中を優しく叩いた。背の温もりに力を貰ったような気がしたジェスティオは気が付けば気分が落ち着いていた。
そのまま決して油断すること無く扉を開く。扉の向こうには一人の灰色のローブを着た小柄な老人が歪んだ笑みを浮かべて立っていた。隣にはローブで体を隠し、フードを被ったエレーヌがうつむいたまま立っている。
部屋の中にはいくつもの死体が打ち捨てられており、濃厚な血の匂いにジェスティオはむせ返りそうになった。
「ヘヒッ! これはこれは。我が家へようこそお嬢さん方。こんな場所に何の御用かな?」
老人――ベルハンドはへばりつくような濁った瞳でエリスティーファを見てくる。
瞳は昏く濁っておりどろりとした何かが言葉を発するたびに零れ落ちるようだった。ベルハンド自身は枯れ木のような老人なのにどこか異様な迫力を有しており、生理的な嫌悪を受けた。
エレーヌは顔を上げることは無かったが、全身から隠しようのない魔の気配が溢れ出していた。ローブで隠している体は外から見ても明らかに人のものではないことは分かった。それは以前会った時とは比べ物にならない程であり、既に取り返しのつかない所まで来ていることは明白であった。
「ええ、あまりに悲しい事件に幕を下ろしに来ましたわ。幸せに生きる権利があったというのに無残にも踏みにじられた人々のためにもここで駆除が必要だと判断したので」
「……駆除? まるでネズミでもいるかのような口調ではないか。ここにはネズミなどいないというのに」
エリスティーファの言葉を面白そうにベルハンドは笑う。その態度に我慢が出来なかったジェスティオが魔剣デュランダーナを突き付けながら叫んだ。
「ふざけるな!! 義姉さんに対しての惨い仕打ちや大勢の人間の命をもてあそんできた貴様のことだ!」
「もてあそんできた?……ああ、実験生物十五号のことか。そんなくだらんことのためにここまで来たと言うのか。それに義姉さんだと?……そうかお前はエレーヌの義弟か。へヒヒヒ、見るが良い! どうだ素晴らしい出来だろう! 私の作品は!! これが私の偉業だ! 誰も成しえなかった人と魔物の融合だ!!」
ベルハンドはそう叫ぶとエレーヌのローブを剥ぎ取った。
美しい顔は今や血管が浮き出ており口から大きな牙が出ていた。そして血走った眼は落ち着くことは無い。
全体的に筋肉質な姿になり、爪は以前より大きく鋭くなっていた。
そして何よりも特徴的だったのは、全身に生えた獣のような毛皮だった。その姿はまるで獣人のようであり、しかし獣人と決定的に違う何かの生物であった。
そんなエレーヌは先ほどから唸り声をあげており口から涎を垂らしながらも従順にベルハンドに従っている。
「元々吸血鬼の特性を融合させた実験生物十五号であったが愚かにも逃げ出したのだこの実験生物は! ようやく捜し出してみれば笑えることに結婚などしておる。調べてみれば吸血鬼としての本能も聖なる力で抑え込もうと涙ぐましい努力をしておるではないか! だからわしが背中を押してやったのだ! 心置きなく魔物として生きていけるように夫などと言うくだらない存在をその手で殺させてやったのだ!」
ローデックは興奮しながら嬉々としておぞましい所業を騙る。なに一つとして自らの行いが悪であるなどと考えてもいないその姿にジェスティオとマリエールは恐怖を感じていた。
「吸血鬼の怪力があればただの人間一人など引き裂くのはたやすかったわい。しかし、この実験生物15号はまだ未完成。よって獣人の耐久力と凶暴さを兼ね合わせた化け物として!」
「……もういいわ。あなたさっきからうるさいのよ」
ベルハンドの興奮が最高潮に達そうとした時、エリスティーファがベルハンドの言葉を遮った。いい気分で話していたベルハンドは自分の言葉を遮ったエリスティーファを不快気に睨みつける。
「なにか有益な情報が聞けるかと思って喋らせたけれど無駄な時間だったわね。どうせその魔物と人を融合させる技術も悪神から貰った物でしょう?」
「ああそうだ! 悪神サーディカス様から授かった偉大なる智恵だ! 貴様のような愚かな者には決して理解できない高度な技術を使用した偉業なのだ!」
「無力な人を踏み台にしても辿り着くことすら出来ず、その悪神の偽賢を授けられなければ成しえなかった偉業にどれほどの価値があると?」
「人と魔物の融合は今まで誰も成しえなかった大偉業じゃろうが。 そんなことも分からんのか?」
エリスティーファの言葉に蔑んだ表情を浮かべてベルハンドは諭すように言ってきた。しかし、足はこまめに動かしており、落ち着きを失っていた。
ベルハンドはエリスティーファの何も感情の宿っていない瞳に苛立っていたのだ。
「知らないのかしら? 実は今までに何度もあなたみたいな悪神の寵愛者が似たような事件を起こしてきたわ。要は表に出ていなかっただけであなたが初めてではないのよ」
「ば、馬鹿な……わしが……わしが人類初の人と魔物の成功者では……」
「何も成すことは出来なかった、それがあなたの限界だったということを証明したに過ぎないわ。何を語っても所詮負け犬の遠吠えよ。ベルハンド……あなたは今でも結局、偽りの金剛石のままだわ」
「わ……わしを……わしを……その名で呼ぶなぁぁぁぁぁぁ!! 殺せぇぇぇ実験体十五号! こいつらを生かしておくなぁ!!」
「アアアアアアアアァ!!」
ベルハンドの命を受けたエレーヌが獣のような雄たけびをあげると同時にジェスティオが飛び出した。その目はしっかりとエレーヌを見据えて離さない。
「行きなさい! ジェスティオ!」
エリスティーファの声を背にジェスティオは駆け出していく。
「義姉さん、もうこれ以上誰も傷付けさせはしない! 兄さんのためにも!」
デュランダーナとエレーヌの爪が激しくぶつかった。
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