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4・罪滅ぼしと恩返し

『あの宮廷道化師はどうにも危険な感じがするわ』


 命を落としてもおかしくない程の暴行を受けて意識もなく運ばれた先で、一通りの救命措置を受けた後も眠り続けていたセティウスを呼び覚ましたのは、そんな一声だった。

 宮廷道化師と言えば、彼の忠誠の先にいるアルト=クロードに他ならない。主君であり大切な幼馴染でもある……それは、皇太子アシル=クロードにも同様に抱き続けて来た思いであり、彼もまた父と同様に、この不幸な運命に流された兄弟が将来和解して、共に助け合って国を統治出来るようになれば良いと願い続けてきた。

 が、義理の弟になる筈だったアシルには実にあっさりと長年の献身を切り捨てられて、以前から無意識に抱いていた、彼が皇帝の器を備えているかという点にはっきりと個人的に答えを出さざるを得なくなった。故に、アルト=クロードこそがこの国の正統な次期皇帝であり、それがこの危うい国の唯一の救いの道と確信出来、かれが皇帝として立つ未来が実現する僅かな可能性に賭ける為ならば、己の一命など何の惜しみもない……と、その思いだけを支えに謂れなき暴力に耐え続け、遂に、サジウス将軍が執拗に聞き出そうとした事、つまり亡父フィエラ公爵の資産の約半分の在り処……つまりアルトに譲与されたということ……を吐かなかったのだ。あの疑り深いサジウスに、『この男は父親から信頼されておらず、重要な事は本当に知らないのだろう』と思わせる事に成功し、速やかな死をもう少しで得るところだった。宴の場で、誰にも本当の身分を明かせないまま、けちな罪人として座興に首を刎ねられる予定だった。

 彼はそれでも仕方がないと思っていた。少なくとも、そこで生き延びるせいで、前夜己を助けてくれようとした心優しい踊り娘に害が及ぶよりはずっといい。だが、何故か、全ての災いの元凶である筈のシェルリア・ミロスがそれを止めた……。

 その後の記憶は殆どなかった。


 だが、敬愛するアルト=クロードの危険性を説く声に、幽明の狭間にあった彼の意識は呼び寄せられた。それ程に強い絆が、少年の頃からの交流で二人の間には成り立っていたのだ。名前すらなかった孤独な皇子に友人として寄り添えるのは自分だけだと、日ごろから父に諭されていた事もあるが、それ以前に彼自身が、その生い立ち故に言動に少々偏屈なところがあるものの、心は真っ直ぐで優しく、気高い精神の持ち主である皇子が好きだったから、というところが大きい。アシルや同年代の他の貴族の友人と過ごすより、アルトの館で過ごす時間の方がずっと楽しかった。滅多に館から出る事もないアルトの話は、主に書物から得た事柄だったが、その知識の深さは群を抜いていたし、物事を見る目もおとなのようだった。


 それはさておき、シェルリアは、セティウスが昏睡状態と侮っているらしく、続きの間への扉に僅かに隙間があるのに気づかず、扉の向こうでもう一人の誰かと話していた。その声で彼はここがシェルリアの館で、何故か知らぬが自分はここに運ばれて手当てを受けたのだと、朧げな記憶を取り戻した。


『道化師は道化師じゃないのかい、シェリー。もしかして、セレスティーナと怪しげな道化師が組んでいたという噂を気にしているのか?』


 セティウスは、皇太子の婚約者であるシェルリアを親し気に愛称で呼ぶこの男の声を、どこかで聞いた事があるように思ったが、どうしてもそれが誰なのか思い出せなかった。


『そうね、それもあるわ』

『しかし、宮廷道化師はあのフィエラ公の推薦なんだろう。悪事を働くような人間を、皇太子の傍仕えに推薦するとは思えないが』

『でもフィエラ公はもういない。それに、もしあの男がフィエラ公に恩義を感じる者なら、私をよく思わないのは当然だわ』

『後ろ盾をなくした道化師は、アシルの機嫌を損ねない事で精一杯だろう。そのアシルの婚約者のきみに手出しをするとは考えにくいと私は思うが』

『私に何かするというより、アシルに対して何か狙いがあるような気がするの……勿論、勘よ、いまのところ。セレスティーナの件と関連があるのかどうかもわからないわ。それでも、あの男は見かけ通りの道化ではない。だって、セティウスは『アルトさま』と譫言を言ったのよ。フィエラ公の館にあの男が出入りして知人であったとしても、宰相の息子が道化師を敬称で呼ぶなんておかしいでしょう? アシルの后になる前にアシルに何かあっては困るわ。だから、危険な小石は尖って足を傷つける前に取り除かなければと思うのよ』


 淡々とシェルリアは言う。男は暫く考えていたが、


『しかし、じゃあどうするんだ? あいつはアシルのお気に入りなんだろう? いくらきみでも、ただ気に入らない、というだけでは排除できないだろう。迂闊な事は止めた方がよくはないか? おかしな動きで人目をひくのは危険だ。贅沢にしか興味のない綺麗なだけの女だと思わせておかないとまずいだろう?』

『そうね。だから、あの男に役に立ってもらおうかと思ってるの』

『……セティウスか!』

『そうよ。私はセレスティーナとの約束を果たし、あの男の命を救ったわ。ささやかな罪滅ぼしをしたって訳。だから、今度はあの男からお礼を頂こうと思うの。つまり、道化師にセティウスを預け、数日様子を見る。すぐにだと、あの顔では誰だかわからないしね。ある程度傷が癒えてきた所を見計らって、二人が一緒にいるところを押さえるのよ。セティウスは追われる身ですもの、匿っていた道化師も連座は免れないわ』

『なるほど……。流石だ、シェリー』

『目的の為なら何でもするわ。あなただってそうでしょう? この国のどんな人間がどうなったって構わない……。取りあえず、最大の宿敵サジウスはこの手で殺したわ。でも、それでも私は満足できない……喉の渇きが止まらないの。お父さまお母さま、みんなみんな……あの優しい時間を共に過ごし、惨殺された大事な人々が、毎晩私を見ているわ。早く帝国を滅ぼして、自分たちの苦しみを取り除いて欲しいって……』

『……可哀相なシェリー。みんなは、せめてきみには静かで幸せな生活を送って欲しいと望んでいるだろう、という私の考えは、きみには届かない。きみの父上は、きみに復讐なんか望んでいない。きみを縛っていたサジウスは殺せた。もういいじゃないか、一緒にどこかへ行って静かに暮らそう……という私の呼びかけも、届かないのだろうね?』

『私だけ幸せになるなんて出来ない……。私は身も心も汚れてしまった。私が嫌いになった?』

『そんな筈ないだろう。きみが汚れたとしたら、それは不甲斐ないわたしが招いたもの。だが、きみの魂は自身の為でなく、みんなの為にある。それが解るよ、シェリー。だから何があっても、絶対に離れはしないし、罪は共に背負う。愛しているよ、シェリー……』


 これが、セティウスが聞いた会話の全てだった。その後二人は扉を閉めて、別の場所へ移ってしまったようで、セティウスの気力も尽きて、またそのまま意識を沈めてしまったのだった……。

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