いつからそんな恥ずかしいお姉ちゃんになっちゃったの?
「苺さん、苺さん!」
「へ?」
私はいつの間にか結乃さんに肩を揺すられていた。
どうやら思考が闇に落ちていたらしい。
一度精神を病むと陥る癖みたいなもので、負のスパイラルに陥るやつだ。
ほら、一度腰や膝をやると癖になるみたいなやつだよ。
あれの心バージョンさ。
これがまた厄介で、楽しいことを考えてた時ですら気付けば闇に落ちてる時があるからね。
こういう時に心許せる相手がいると助かるんだよ。
やっぱり私はひとりじゃ生きていけない弱い人間なんだな。
「結乃さん、ありがとうございます、助かりました」
「大丈夫ですか? 急に死んだような目をするからびっくりしましたよ」
「あ、すいません、癖みたいになっちゃって」
「そんな癖、なんとかしてくださいよ……」
結乃さんが疲れたような表情でジト目をむけてくる。
珍しい表情だと思ったけど、今は何となくわかるようになってきた。
きっと本当の結乃さんはこんなにいつもニコニコしている人じゃないんだろう。
いくら女神様とはいっても、過去に色々つらいことがあったんだ。
私たち人間と同じように、悩んだり泣いたりもする。
生きていれば当たり前のことだ。
それを表に出すか出さないかの違いだと思う。
結乃さんは強い人だから、よほどのことがない限り抱えていられるんだろう。
でも私はいつか、結乃さんの本当の心を支えられるようになりたいと思う。
そのために私はもっと強くなりたい。
まずは目の前のことを精一杯やろう。
一つ一つを成長につなげて、そしてみんなを助けられる人間になろう。
みんなが笑顔で生きていくことができれば、きっとこの心にあるモヤモヤも晴れてくれるはずだから。
「ところでお金が『ユーノ』に変わったんですね、なんかすごく女神っぽいですね」
「うっ、それは結奈さんが無理やり……」
「あらら」
「ひどいんですよ、最初は『ユーナ』でいこうって自分で言ってたのに、突然『ユーノ』の方がユーロに響きが似てるとか言い始めて……」
心底嫌だったのか、結乃さんが少し涙目になって珍しくプンプンしていた。
「まあまあ、私はいいと思いますよ、なんだか結乃さんがいつもそばにいてくれる気がして」
私はフォローのつもりで言ったのだが、結乃さんには伝わらずますますプンプンしてしまった。
「そんなもので私を感じないでください、それなら私を連れていけばいいじゃないですか~!」
「お、落ち着いてくださ~い!」
どうやらこの話は地雷だったようだ。
結乃さんの前では気を付けた方がよさそうだな。
でも結乃さんのこういう珍しい表情を見れたのは少し嬉しいかもしれない。
いつもニコニコしてるだけだから、たまにしか怒ってるところ見れないし。
それに結乃さんは怒っててもかわいいだけで怖くない。
そういうところは雫さんとも似てるなぁ。
ちらっと雫さんの方を見ると、なぜか顔を赤くしていた。
私に気付くとにっこりと笑って小さく手を振ってくれる。
おお、何だろう今の、ちょっと秘密の恋人関係みたいで嬉しかったぞ。
「さあみなさん、この世界をしっかりと楽しんでくださいね、みなさんの意見が世界をよくしていくんですから」
「うわっ、なんかそう言われるとうさんくさく聞こえる」
結乃さんの言葉を聞いて、桃ちゃんがなにやら失礼なことを言っている。
でも気持ちはわからないでもないかな。
「みなさん次第で、世界の人たちが幸せに生きていけるか決まるんですよ」
「なんか責任が重くなった!」
「桃ちゃんが余計なこと言うから……」
「私のせいなの!?」
なぜか桃ちゃんが雪ちゃんからも責められている。
「まあまあ、結乃さんは改めて教えてくれただけで、最初から変わってませんから」
私が桃ちゃんをかばうと、嬉しそうに笑った。
「聞いた? 苺さんが私のことが好きだって!」
「誰もそんなこと言ってないよ」
はしゃぐ桃ちゃんに雪ちゃんがツッコむ。
本当になんであれがそんな解釈になるのか。
もちろん、桃ちゃんのことは好きですけどね。
「で、結局私たちは何をすればいいんでしょうかね」
この世界で暮らしていく実験のようなものなんだろうけど、私たちには元の世界での生活もある。
前は時間を止めてもらってたから気にならなかったけど、今回はそうではなさそうだ。
「ゲームなんだからどこかにダンジョンとかあるんじゃないですか?」
「いや、ゲームじゃないみたいですけど……」
桃ちゃんから見てもここはゲームの世界のように思えるようだけど、夢とデータの世界であってゲームではない。
だからゲームみたいに次々とクエストが用意されたりとかはしない。
ここを現実世界のように生活の場として利用していくのだから、やるべきことは自分で見つけていくべきだ。
といっても、家を与えられたとはいえ、いきなりここで生きていけと言われてもなぁ。
衣食住でいうと、あとは食の部分だろうか。
あとは娯楽かな。
夢の世界ですらデータ通信ができてたし、今回はデータの世界でもあるんだから、当然通信はできるだろう。
これで現実世界のアニメとかゲームができれば一応は困らないか。
私がスマホでアニメ配信サイトへのアクセスを試しているときに、ずっとそわそわしていた雫さんが急に口を開いた。
「と、とりあえずこどもを作ればいいんじゃないかしら」
「……」
「……」
一瞬でその場が凍り付く。
私は手から思わずスマホをこぼし、空中で再キャッチした。
「お姉ちゃん、みんなその話を避けてるのになんで言っちゃうのかな、さっきから頭の中のなかそれでいっぱいだったでしょ」
「はう、ごめんなさい……」
「まったくもう、いつからそんな恥ずかしいお姉ちゃんになっちゃったの? 私のお姉ちゃんはもっとしっかりした人だったはずだよ」
なんか懐かしいなぁ、雫さんが桃ちゃんに怒られてるのを見るの。
そう言えば学生の頃はたまにあったんだよね。
過去から戻ってきた記憶も持ってるせいで、ちょっとそういう未熟な部分が残ってるみたいだ。
でもその方が私はかわいいと思う。
雫さんは髪の毛を切った後、頼りになる先輩のような存在として私を支えてくれていた。
それはすごく頼もしかったけど、昔みたいにお互いが甘えるような部分はかなり減っていたと思う。
私はそれが心のどこかで引っかかりつづけていた。
あの雫さんは本物だけど、本心の雫さんではなかったように思う。
何が原因で、何がそうさせてしまったのかはわからないけど、なんとなく私が理由なんじゃないかって思ってしまっていた。
だから、私は今の雫さんの状況は正直嬉しく感じてしまう。
一番楽しかったころの、一番幸せだったころの、私たちの関係みたいだから。
雫さんの変化に合わせて、桃ちゃんも昔の頃に戻っている気がする。
桃ちゃんが雫さんと少しだけ距離を置いているように見えていたのが、今はそう感じない。
大人になったからだと勝手に思っていたけど、雫さんが髪を切ったのと何か関係している気がする。
私の知らないところで何かがあって、それが少しだけ私たちの関係を変えてしまっていたのかもしれない。
雪ちゃんも声を失っていないし、なんかすべてがいい方向へ進んでいるんじゃないだろうか。
今ならきっと現実世界でも幸せになれる気がする。
でもせっかくそんな状態になれたのに、あの世界は失われようとしているんだね。
なんとかできないのかな。
この世界はとても素晴らしいと思う。
きっと現実世界よりもずっと楽しくて、楽に生きることができて、幸せな毎日をおくれるんだろう。
でもこれは本物と呼べるのかな。
住めば都、とはちょっと違うけど、ずっとここに住んでいればこんな気持ちもどこかへ行ってくれるのだろうか。
ここを本物だと思うためには何が必要なんだろう。
それは思い出だろうか。
みんなと過ごした思い出がここにあれば、私はここを本物だと思うことができるんだろうか。
だとしたら、私たちはここでただ生活をしていればいい。
そうすれば少しずつ思い出ができて、生活にも慣れて、やがて現実世界での記憶が少しずつ過去に追いやられていって。
いつの日か、こんな気持ちになっていたことすら笑い話になるのかな。
これは人が大きな決断をするときに、つい現状維持を選んでしまうというあれにすぎないのかもしれない。




