雫さんたちのそばが私の居場所なんだ
「……ん」
目を覚まし、ゆっくりと意識が覚醒していく。
えっと、今日はお休みの日だったっけ?
体を起こし伸びをすると、布団がめくれたところに人の姿があることに気づく。
驚いて布団をめくると、そこに寝ていたのは雫さんだった。
え、なんで?
もしかして私、過ちを犯してしまったのか。
いや、大丈夫だ、お互い服も着てるし、何もなかった。
そう信じたい。
私は雫さんを起こすためにほっぺたをぷにぷにしてみる。
とてもやわらかい。
しばらくぷにぷにを堪能していると、ようやく雫さんに反応があった。
雫さんは目を開けると同時に体を起こし、ちいさなあくびをする。
その姿もとても愛らしい。
「おはようございます、雫さん」
「あ、苺ちゃん、おはよう……」
そしてその五秒後くらいにばっと私の方を見て固まる。
「あれ? 私なんで?」
この状況が理解できず、混乱しているようだ。
「大丈夫ですよ雫さん、私も覚えてませんから」
「ええ~……」
まったく慰めになってないな。
あ、そういえば雫さんの髪の毛が長い?
どうなってるんだ、まるで学生の頃のよう……。
って、そうだ!
私、学生の頃に戻ってたんじゃないか。
そして最後は大橋の上で結奈さんと……。
なんで忘れてたんだ。
夢の世界に行ったことすら、きれいさっぱり記憶から消えていた。
スマホで日付を確認すると、どうやら雪ちゃんが連れて行ってくれた旅行の後だ。
つまり現実世界の続きということか。
それじゃあこの雫さんは、いまどういう状態なんだろう。
髪の毛を切ってないってことは、完全に元の世界の雫さんではないはずだ。
「あの雫さん、覚えてますか? 昨日のこと」
正確には昨日ではないけど、これで雫さんがどの時間を生きているかわかるはず。
「え? えっとあれ? 私たち会社を辞めてみんなで旅行に……、あれ? でも私まだ学生で……」
もしかして私と同じように両方の記憶を持っているのか。
でも私と違って、いきなり記憶を統合されているみたいだ。
結奈さんがやったのか?
これはかなり無茶だよ、雫さんが大混乱してるじゃないか。
「雫さん」
「あ」
私は雫さんを落ち着けようと、包み込むように抱きしめる。
よく私が雫さんにしてもらったように。
「雫さん、その記憶はすべて本物です。ゆっくり説明していきますから安心してください」
「苺ちゃん……」
私はしばらく雫さんを抱きしめながら、その長いさらさら髪をなでていた。
「私、雫さんの長い髪、好きなんですよ」
「そうなの? ……じゃあ切らないでおくね」
「はい」
雫さんの長い髪は個人的にもすごく好きだけど、それだけじゃなくて世界を変えることのできた証のひとつのように思えた。
これはきっと雪ちゃんの声が失われないことと同じくらい大事なことなんじゃないだろうか。
次の日から私たちは現状を確認するための情報を集め始めた。
お互いの覚えていることを話し、それから過去についても調べた。
基本的には元の世界の時間を進みつつ、そこにいろいろ変化があるような状態だった。
今は、私が心を病んで退職し、旅行へ行って帰ってきたあたり。
雫さんの髪だけではなく、雪ちゃんの声も失われていなかった。
声が出なかったこと自体がなかったことになっている。
これらの変化は維持されているようだった。
そして私と雫さんが現在ニートであることも判明。
私はともかく雫さんにニートという言葉は似合わないな。
でもこれでいいと思う。
これから幸せになる方法を見つけていけばいいんだから。
なかなか清々しい気持ちだった。
現役の頃はいろんな理由をつけて踏みとどまっていたけど、辞めてしまえば何の未練もない。
潰れる前に決断すべきだったのかもしれないけど、結果的に結乃さんとも出会えたわけだから、それはよかったのかもしれない。
現状確認をある程度終えたあと、私たちにはもうひとつ見ておきたいものがあった。
あの大橋でみた世界の端っこのこと。
あれはこの世界でも同じなのだろうか。
結奈さんの言っていることが本当ならそうなのだろう。
次の日、私と雫さんはその大橋を調べるため、電車で舞子へむかう。
外から見る分にはごく普通に車も通っているし、何も問題はなさそうだ。
「苺ちゃん、あれは夢か何かじゃないのかな」
「どうでしょう、でももう現実で何が起きてもおかしくないような気がするんですよね」
「やっぱり確かめて安心したいね」
今の雫さんは学生の頃の記憶に引きずられているのか、少し甘えてくる感じがある。
なぜか今も手をつないでいるし。
やはり髪の毛を切った時に何か自分の中で変化があったのだろうか。
それがないと雫さんは大人になっても学生の頃のようにいられたのかもしれない。
「それでどこからあの場所までいけばいいんだろう。あそこって高速道路だよね」
「う~ん、高速バス乗り場まで行ってみましょうか」
とりあえず他に行き方がわからなかったので、高速バス乗り場にむかうことにした。
駅から移動し、エスカレーターを使って登っていく。
そしてそこから階段へむかうところで異変に気付いた。
まわりから人の気配が消えた気がする。
さらには階段の入り口が封鎖されていて、結界まで張ってあった。
あきらかに現実のものではない。
と言うことは、あの妙な空間はこの世界でも存在するということなんだろう。
もう行かなくてもわかってしまったけど、それでもこの目で確かめたかった。
「苺ちゃん、どうする?」
「行きましょう」
「そうだね」
結界が張ってあったけど、それは人の侵入を防ぐようなものではなく、普通に通りぬけることができた。
そこから階段を駆け上がり、バス乗り場にでる。
人は誰もいないし、車もまったく走っていない。
間違いなくダメなやつだった。
私たちはバス乗り場から車道へ出て、大橋の方へ歩いていく。
橋の入り口辺りで再び結界のような壁があり、それを超えるとあの空間が目の前に広がった。
不気味な色の空とオーロラのカーテン。
やはりこの現実世界も檻の中に存在するということになるのか。
まるで夢を見ているような話だ。
現実世界でこんな非現実的なことが起きているなんて。
もはやなにが本物なのかわからない。
私の信じてきた日常とは何だったんだろう。
結奈さんは知っておいてほしかっただけと言っていたけど、これは本当に放っておいていいのかな。
私はさらに壁を越えて外の世界を見る。
この世界は鳥かごの中のような世界。
檻によって守られているのか、閉じ込められているのか。
私の目の前でこちらにむかって飛びかかってきて、柵に当たって消滅する黒い霧のような者たち。
この夢魔たちからずっと世界の平和は守られることができるのか。
そもそもこの小さくなった世界は平和だと言っていいのだろうか。
いずれこの結界を越えられてしまう時が来たとしたら、対抗する術はあるのだろうか。
それに檻の中にも敵はいる。
このままじゃずっと幸せに暮らすなんてことできない気がする。
……楽園創造計画か。
ユーノさんが連れて行ってくれたあの夢の世界。
そして詠ちゃんが進めているという、『夢の中で生活を完結できる世界』というのもきっとこの計画のものなんだろう。
いろいろ強引だったり、無茶だったりするけど、世界のために頑張ってくれていたんだな。
ちょっと変な人たちだけど、もっと感謝しないとだね。
私たちにできることってあるのかな。
「雫さん、帰りましょうか」
「そうだね」
なんだか大きな話過ぎてそこまで実感がでてこないというか、思考が追いついていない感じがする。
でも自分の居場所、安心して暮らせる場所を失ってしまったような、そんな漠然とした不安が襲ってくる。
そっと雫さんの腕に抱きつくと、雫さんは静かに微笑んでくれた。
今はこのやさしさが心の支えになってくれている。
私はみんなのことを失いたくない。
雫さんたちのそばが私の居場所なんだ。
もし私にできるのなら、必ずみんなのことを守って見せるよ。




