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 とばりを破ったかのように、いきなり視界がまぶしくひらける。

 そのまぶしさの中を、先に飛び出したジンクたち三人が、それぞれ勝手な方向に舞い上がっていくのが見えた。


 巨大な黒い鳥たちが、晴天の空に吸い上げられていくようだ。それを追って矢が飛んだような気もしたが、たしかめる余裕はもちろんなかった。


 エセルを吊り下げたままのラキスは、高く上がることができなかったため、ジンクたちとは正反対に聖堂の裏手にまわる空路を選んだ。

 自分が落ちれば姫君も落ちる。だから射落とされることはないと信じて、下の追手を確認することすらしなかった。


 といっても、冷静な判断ができていたわけではない。頭の中は、混乱と怒りのためにひっくり返りそうになっている。来賓たちの誰もが抱いた感想──まさか婚礼がこんな結末を迎えるなんて──それはまさしく、ラキス自身の心の叫びでもあった。


 予定では、今頃はとっくに姫君を女王陛下の手に渡すことができているはずだった。

 聴衆たちは思いのほか話を聞く体勢になっていたし、エセルを上に引き上げたことも、想像以上の効果をあげていたのだ。あのままいけば、すぐには信じてもらえなくても、徹底的な再調査が必要だとわからせるくらいのことはできたにちがいない。


 そうなれば被害者の地元であるドーミエの村にも、当然きちんと調査官が出向くだろう。そのときこそが、ジンクたち村人の出番だ。実直でひたむきな村人たちの訴えには、嘘八百を並べているわけではないのだと伝える力があるはずだ。


 それなのに──ラキスは歯ぎしりしたい思いで考えた。こんなに早く、しかも頭のいかれた暴漢としか思えないような態度で、彼らが登場するなんて。

 おかげでおれまで、そのお仲間だと判断されて、せっかくの告発も単なる暴言にしか聞こえなくなってしまった。


 腹立ちが翼に力をあたえたため、大聖堂の壁面を飾る彫刻群や細長い高窓の列が、かたわらを加速しながら流れていった。等間隔で飛び出している控え壁に翼がぶつからないよう気をつけたが、雨どいから突き出した吐水口には接触した。


 聖堂の吐水口は趣向をこらした彫像になっていて、彼が翼でひっぱたいてしまったのは、守護聖獣リンドドレイクの赤ん坊時代かと思われる、かわいらしい竜だった。

 だが、もちろんそんなことを気にしてなどいられない。とにかく早くエセル姫を地面におろして、今度は地上を逃げなければならないのだ。


 いま彼女を女王に返すことができないのだけは、はっきりしていた。もしも返したりしたら、すぐにあらたな日取りが決められて、何十倍もの警護のもとに婚礼がとりおこなわれるに決まっている。

 だが、このまま飛び続けることが不可能であるのもまた確実だった。腹筋をきたえてもいない華奢な身体が、ぶらさがった姿勢に耐え切れるはずがない。エセルはひとことも声を出さないが、いまだってかなりつらい状態のはずだ。


 しかも恐ろしいことに、ラキスは抜き身の剣をずっと右手に握りしめたままだった。姫の身体に刃が触れるのではないかと思うと、身が縮みあがりそうだ。

 一刻も早く下におりて剣を腰に戻し、馬を調達してエセルを乗せてあげなければ……。


 大聖堂の敷地は広く、礼拝堂のほかに施療院や学舎も併設されているのだが、馬止めが裏手にあることは知っていた。

式に参列する貴族たちが使った馬車や乗用馬が止められている場所だ。上等の鞍をつけて完璧に手入れされた馬たちが、木につながれているのが見える。


 無我夢中で舞い降りると、大きくよろけたお姫様を片手で支えながら手前の馬を物色した。魔性の翼に動じないほど肝のすわった馬を求めて目を血走らせていたとき、エセルの小さな声が聞こえた。

「ラキス」

 いま説明をしている暇はない。返事をせずにいたところ、今度は警戒したような声とともに腕をつかまれた。

「ラキス!」


 エセルは、ラキスではなく彼の背後の方向をみつめて、顔をこわばらせていた。ラキスも振り向き、そこにひとりの若い衛兵が、腕を組み両足を広げた姿勢で立っているのを見た。


「花嫁泥棒の次は、馬泥棒か」

 こちらをにらみつけながら、護衛兵が低い声で言った。

 胸まで届く淡茶の髪。見開かれた藍色の瞳の中で、激しい怒りが渦巻いている。ラキスがやはり低く呟いた。

「ディー……」


 エセルが驚いたように目をみはり、ふたりの顔を見くらべた。まさか知り合い? でも、たしかマリスターク城の庭園では──。

 ラキスが右手の剣を鞘におさめた。それから知り合いとしか思えない言葉を投げかけた。

「馬がいる。見逃してくれ」

「冗談じゃない。おまえを取り逃がしたおかげで、おれは馬番に格下げされたんだ。だが、それよりも」


 ディーという名の衛兵が一歩前に出た。

 エセルは、兵士なら一番に保護しようと思うはずの自分のことを、彼が眼中にさえいれていないのに気がついた。藍色の瞳はラキスを、というよりラキスの背にある翼だけをきびしくみつめている。


「その背中にくっついている妙なものは、いったいなんだ。いまどき流行りの装飾品か?」

「………」

「はずしてやる。来いよ」

「けっこうだ」

 ラキスが大きく後ろにさがった。

「あいにく便利に使っている」


 言うなりエセルを抱え直して、便利な両翼をはばたかせた。

 それとほぼ同時に、ディーが腰に刷いていた剣の柄に手をかけた。彼は二本の長剣をさげていたのだが、そのうちの片方を目にもとまらぬ速さで引き抜き、前に踏み出しながら叫んだ。

「なら本体ごと叩っ斬るまで!」


 明るい日差しの中にあってさえ、明らかにそれとわかる浄化の炎。銀色の光の束が、剣の切っ先から空に向けて噴き上がる。

 宙に浮かんでいたラキスは、危ういところで逃れてさらに遠くに移動した。炎はそれを追いかけるように細く伸びたが、エセルのドレスの裾をかすめたところで勢いをなくし、水しぶきが散るように銀色のしずくを散らしながら見えなくなった。


 エセルが愕然とした様子で下を見下ろした。炎の使い手……!

 眼下からは使い手の若者の叫ぶ声が聞こえてくる。

「逃げんな、半魔!」


 もちろん言うことをきくつもりはなかったので、ラキスは知り合いを置きざりにすると、迷わず馬止めの敷地を飛び越えた。

 大聖堂の巨大な建物をあとにして、空中からマリスタークの街区に入っていく。

 聖堂をかこんでいるのは、白い漆喰壁とこげ茶色の木骨で外観が統一された、美しい家並みだ。道もきちんと整備されているようだったが、一番必要な馬の姿は、まずいことにどこにも見当たらなかった。


 けっこう人通りがあるのだが──そしてむろん全員が、あんぐり口をあけながら見上げているのだが、運悪く徒歩の人々しかいないらしい。

 この際、乗用馬ではなく荷車用の馬でもいいのに……いや、こうなったらロバでもいい、しかしロバというのは二人乗りしてもちゃんと走ってくれるものだろうか……。


 むなしい考えが頭の中をかけめぐっていたため、街角をふらふらしている黒いものをみつけたときは、それが天の助けであるかのように見えた。

 思わず大声で呼びかける。

「チャイカ!」


 うす汚れた身なりの女の子が立ち止まり、ぽかんとしながら声の方向を仰ぎ見た。

 それから、いちだんと大きくなったように思える黒い翼をひろげると、なんの疑問ももっていないような顔つきで、パタパタと空中に舞い上がってきた。


 ラキスも、傾斜が比較的ゆるい屋根の上まで上がり、低く突き出している煙突のきわにエセルをおろした。彼女の身体を支えながら、自分も屋根瓦に足を踏みしめる。

 素焼きの瓦は赤茶色で、目を上げればとなりの屋根も、そのまたとなりも、赤茶色の勾配がはるか向こうまで続いている。こんなときでなければ、なかなか見応えのある眺めだったかもしれない。


「おひめさま」

 煙突のふちに腰かけて目を丸くしている姫君を、半魔の女の子がうれしそうにみつめかえした。

「ジンクを追いかけてきたのか?」

 ラキスがたずねると、子どもはうなずき、若干ずれた答えを返してきた。

「チャイカ、まいご」

「そうか。でも帰り道はおれが知ってる。だから、いまからおれとお姫様を背中に乗せて、ドーミエまで戻ってほしいんだ。重いだろうけど、やってもらえるかな」


 子どもを巻き込むのは不本意だったがしかたない。頼まれたチャイカは、得意げな様子でふたたびうなずいた。

「チャイカ、ちからもち」

 そして、身構えることもせずにいきなり反転した。エセルにひとこと説明しようと思ったのに、あまりにも早すぎだ。


 瓦の上に浮かんでいた女の子の姿は一瞬にして消え去り、かわりに出現したのは、耳まで裂けた獣の口と鱗だらけの太い胴、巨大化した真っ黒な飛膜の翼──まさしく力持ちとしか言いようがない、一匹の魔物だった。


 チャイカをみつめていたエセル姫が、突然がくんとラキスにもたれかかった。神経の限界を超えてしまったらしい。

 なんの前置きもなく鼻先で変身されては、大の男だって失神したくなるだろう。

 ラキスは深く同情したが、同時に、いまの場合は失神していてくれたほうがむしろありがたいとも考えた。これから魔物の背に乗ってさらに上空に上がり、レントール川を越えていかなければならないのだから。


 チャイカの背中はたいへん頼もしく、エセルの身体を抱えたラキスが上に乗ってもびくともしなかった。両翼の力強さはそれ以上だったが、天馬の騎乗にくらべれば身も心もすり減る旅になりそうだ。

 ラキスの心配をよそに、はりきった様子の魔物が飛行を開始する。往来では大変な騒ぎが起きていて、その喧騒が風の中にまで届いてきたが、知ったことではないとはまさにこのことだった。



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