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刃がきらめき、姫君の細い喉を切り裂くばかりの位置まで近づけられる。
反射的に振り向いた人々は、目に飛び込んできた光景に言葉を失くして動きを止めた。振り向かなかった人々も、連れ合いや知人に腕をつかまれて足を止め、やはり同じ光景を目撃することになった。
戦闘態勢に入ろうとしていた炎の使い手が、剣を構えた手はそのままに瞳を大きく見開いている。驚きのあまり静止したのは、空中にいるジンクやサンガたちにしても同じだ。
その光景は、沸騰しかけていた堂内に叩きこまれた氷の楔だった。楔に打たれた人々は凍りついて立ちつくし、大混乱におちいりかけていた堂内に一瞬、異様なほどの静寂がひろがった。
沈黙の瞬間を逃すことなく、ラキスはふたたび声を放った。今度の声は多数の貴族ではなく、武器を持った使い手と衛兵たちに向けられたものだった。
「剣をおろせ。槍もだ。ほんのわずかでもおれたちを……おれとそこの三人のことを攻撃したら、その時点で姫の首を掻き切る。容赦はしない」
エセル姫が、目だけを動かして凶刃を見下ろし青ざめた。ラキスは天井付近を振り仰ぐと、ぽかんと口を開けて下を見ている荒くれ男たちに命じた。
「あんたたちも暴れるのはやめろ。三人とも、すぐにここから出て行くんだ。早く!」
命じられた三人は、わけのわからない命令を聞かされたような顔つきで空中にとどまっていた。一番近くにいたサンガが、もごもごと文句らしきものを呟いた。
「でも、まだ来たばっかりじゃねえか。せっかく悪党が目の前にいるってのに」
「いいから早く外に出ろ。おれも出る。一番後ろについて、あんたたちに手を出す奴がいたら姫の首を……」
その言葉を最後まで言うことはできなかった。彼の声を断ち切って別の鮮烈な声が飛んだからだ。
「いい加減におし!」
護衛兵たちの囲いを強引に押しのけて、アデライーダ女王が前に出たところだった。
輝く王冠の下で女王の瞳は燃え上がり、祭壇の聖火でも魔法炎でもない第三の炎に、全身が包み込まれているかのようだ。激怒している彼女の姿が公衆の目にふれたのは、即位する前後を通して、もちろんはじめての出来事だった。
「招待されてもいないのに押し入ったうえ、こんなばかげた余興までしようとは……」
怒りにふるえる声で女王が言った。
「ラキス・フォルト、茶番劇はやめなさい。いますぐ、その無礼な剣を下げるのです。エセルを斬るなど、おまえにできるはずがない」
マリスターク側はむろんのこと、王族側も司教たちも皆が息を呑む中で、動じずに声を返すことができたのはラキス一人だった。どれほど熾烈なまなざしであれ、以前、女王の部屋で素肌をさらしたときに受けた視線にくらべれば、彼にはまだ耐えやすかったのだ。
耐えやすい証拠に、彼は恐れげもなく女王を見下ろすと、唇の片端だけで笑った。
「意外と甘くていらっしゃる。できますよ。ほかの男のものになるくらいなら、殺したほうがましなんだ」
腕の中にいた姫君が、茶色い瞳をみはって何か言おうとした。単に名前を呼びたかっただけかもしれない。
だが、そんな暇をあたえることなく、ラキスはいきなり姫を抱いたまま天蓋から飛び上がった。黒い翼を大きくはばたかせて青くきらめく円窓の高さまで上がり、正面扉のほうを向いた。
とまどっていたジンクたちが、その勢いにつられたように翼を動かし、向きを変える。
「姫様!」
花婿になるはずだったコンラートのあわてた声が聞こえたが、それをかき消す強さで、王族側から兵たちへの命令が響いた。
「はったりだ! まに受けるな、逃がすんじゃない」
ダズリー伯爵の叫び声だった。その叫びに、リデルライナ姫の悲鳴のような必死の声が重なった。
「やめて、攻撃しないで。ラキスは本気です。どうか彼の言うとおりにして!」
大聖堂の大扉はすでに開き、外にいた衛兵たちが入ってきていた。両開きの扉の向こうに、日差しにあふれた広場が別世界のような明るさで広がっているのが見える。
闇色の翼を持つ荒くれ男たちは、風を起こしながら一斉に日差しの方向に向かった。
堂内の貴族たちは頭上を突っ切っていく暴漢たちを見送る以外に、何ひとつなす術をもたなかった。なんという恐ろしい事態だろう。創星の神に祝福されるべき婚礼が、こんな結末を迎えるなんて……。
最後尾を飛ぶ男は花嫁を拉致し続け、花嫁衣裳の長い裾が尾をひくようにたなびいている。彼らが外に飛び出すと、衣装が陽光を浴びてひときわ白く輝いた。




