6
堂内の人々はひとり残らず度肝を抜かれて、飛行する異形の男たちを仰ぎ見た。
最上級の正装で着飾った貴族たちの真上で、男たちの衣服はつぎはぎだらけの炭だらけ、泥だらけだ。彼らは興奮状態にあるらしく、降りながらも不必要に旋回して、壁や柱やステンドグラスにぶつかった。
誰かが呆然と呟いた。
「魔物……」
本来なら、半魔という言葉を使うほうが適当だったかもしれない。翼はあれど、顔かたちや体つきは人間に見えたからだ。
だが、言い方を訂正しようとする者は誰もいなかった。それくらい、頭上から押し入ってきた三人は、人間離れした異様な力を発散していた。
貴族たちの偏見もあったかもしれないが、そればかりではない。ジンクやサンガのことを知っているラキスでさえも、そう感じたのだから。いま頭上を飛びまわる男と、村で世話をやいてくれた炭焼きの頭領とが同一人物なのかと疑いたくなるほどだった。
あの日──身の内に入り込んだ瘴気が、黒い翼となって背中に出現した、あの満月の夜。ラキスは結局、一睡もしないままで夜明けを待ち、村人たちが起き出す前にだまって村を出たのだった。
もともとその日に出発するつもりだったが、反転した姿を見せたりしたら引き止められてしまいそうだったので、時間を早めたのだ。
明け方のドーミエの森の上を、翼の調子をみながら一人で飛んだ。最初はかなりぎくしゃくした飛行だったが、意外なほど短時間のうちにこつをつかみ、森を越えるころにはまともに飛べるようになっていた。
その順応の早さこそが半魔である証明のような気がして、かなり自嘲的な気分におちいったが……しかし、後戻りできない以上、もう受け入れる以外に方法などない。
何よりもそのときのラキスには、自分の問題を脇においてでも成し遂げたいと願う仕事があった。コンラート・オルマンドとエセルシータ姫の縁談が本格的に進む前に、コンラートの始末をつけるという仕事である。
そのためには、突然背負うことになった魔性の翼だって有効に活用するべきなのだ。
ドーミエの広大な森の周辺には、いくつかの村が点在していて、翼をもつ村人たちの姿もめずらしいものではなかった。彼はできるだけ目立たないような宿屋を選んだが、そこではじめて自分自身の人相描きというものにお目にかかった。
それは、マリスターク次期伯爵を暗殺しようとしたお尋ね者の手配書だった。ドーミエとマリスタークは隣接しているから、手がまわるのも早かったのだろう。しかも、なかなかうまく描けている。一番目立つ特徴である両翼が、ちゃんと描かれていればの話だが。
宿屋の主人は、他人の空似だというラキスの言葉を簡単に信用して、部屋を貸してくれた。彼はありがたく泊まり客となり、その数日後、レントリアの末姫の婚礼が正式に決まったことを、主人から知らされたのだった。
それを聞いた瞬間に、足元が崩れるようなショックをおぼえたことは否定できない。予想していたこととはいえ、姫君が心を決めたという事実を突きつけられるのは、やはり打撃だったのだ。
それも、わずか十数日後の開祭とは……。
だが、この日取りの近さが、逆にラキスの心からすべての迷いを吹き飛ばした。自分がやるべきことはたったひとつだけなのだと、彼は強い気持ちで考えた。
マリスターク次期伯爵をただ単に討つという手段は、もう使えない。理由も明らかにしないまま暗殺などしたら、残されたエセルがどんなに嘆き悲しむことだろう。
あの男が討たれて当然だとエセルにも納得できるくらい、事実をさらけ出さなければだめなのだ。誰の目にも明らかになるようなかたちで暴露しなければ。
幸い、それをやるのにもっとも効果的な場所がある。
儀式当日の大聖堂だ。
そのために少々荒っぽい展開になるのはやむをえないと、ラキスは考えていた。翼という便利なものがあるから、まあ、お姫様をかっさらって上に引き上げるくらいのことはやるかもしれない。そうしなければ、聴衆たちはおとなしく話を聞いてくれないだろう。
エセルには悪いが、しばらくの間、不安定な足場で我慢してもらって……とにかく女王陛下の前で、花婿の悪行をすべてぶちまけることができれば──。
そうすれば、話が終わったそのときに、お姫様を女王に返すことができる。マリスタークだのドーミエだのといった物騒な場所から、王都へ、安全ですこやかなパスティナーシュの王城へと、連れ帰ってもらうことができる。
いくら女王でも、公衆の面前で容疑をかけられた相手と、すぐに結婚させることなどできないはずだからだ。
と、そんな計画だったのだが……。
ラキスは、人が変わったように荒々しい形相で近づいてくるジンクを、あぜんとして見上げた。なんだってこんなときに、彼らが出てこなければならないんだ。
加勢? そんなこと、誰が頼んだ。
頭領の背負う炭化したように真っ黒な両翼が、ラキスの記憶にあるよりも、はるかに大きく感じられる。これでよく加護の窓から入り込めたものだ。
ジンクは空中から吠えるような声を投げかけてきた。
「よう、若いの。結婚式、ぶち壊せてよかったな。あとはそこの人でなし野郎を始末するだけだ。おれたちにまかせとけよ」
もたれるようにラキスに抱き寄せられていたエセルが、怯えた表情で身体をこわばらせた。
「ジンク、よせ」
ラキスが叫んだが制止など届くはずもなく、ジンクはコンラート・オルマンドめがけて襲いかかろうとした。
先ほどベールをかぶって尻もちをついたコンラートは、すでに立ち上がって、ラキスが陣取っている天蓋の真下近くに立っていた。
ドーミエ男爵とラキスの会話に割り込むべく、身構えた状態だったのだが、もちろんそれどころではない。あせりながら、突進してくる襲撃者から逃げようとする。
台座のそばに来ていた衛兵たちが彼をかばい、長槍がいっせいにジンクに向けられる。槍の先はジンクの足先をかすめたが、ついでに建国女王の像の肩までかすめるという、かつてない暴挙となった。
司教の悲鳴と兵士の怒号が交錯したが、さらに頭上からサンガのわめき声が降ってきた。
「観念しやがれ、悪党!」
サンガは、パイプオルガン近くの空中で、騒々しく翼をはためかせながら停止していた。オルガンが聖なる音色を響かせてから、わずかしかたっていないはずなのに、神聖さは蒼穹の彼方まで吹き飛び、いまや状況は一変した。
サンガのわめき声にかぶさるように、一部の来賓たちが悲鳴をあげはじめた。彼が浮かんでいる空中から、さらに上へと目を向けた人々が、恐怖の叫び声をあげている。
視線の先にいるのは、加護の窓辺で助祭ともみあっていた三人目の男だ。あっけなく勝負をつけて下に降りてこようとしているその男は、木こりのテグだった。
テグを引き止めようとした助祭は、突き飛ばされた格好のまま歩廊の手すりにへばりついている。弱すぎて相手にならなかったのが幸いしたのか、怪我はしていないようだ。
木こりは凶暴な目つきでコンラートの居場所を確認すると、胴に巻きつけていた布をほどきながら怒鳴った。
「待ってろよ。いま、その腹かっさばいてやる」
身廊に突っ立っていた来賓たちは、このときまで、ふるえあがりながらも逃げようとはしていなかった。
ラキスが乱入してきたときはたしかに驚愕したが、彼が自分たちに危害を加えるつもりがないことは、比較的すぐにわかった。どうやら襲撃が目的なのではなく、何かの秘密を暴露したがっているらしい。
マリスタークの次期領主様をつかまえて、どんなばかげたことをしゃべろうというのか、少しは聞いてやってもいいかもしれない──。
そんな思いから、皆おとなしく天蓋の上に注目していたのだが、ジンクたちの乱入を見てまで興味を引きずる貴族はいなかった。
にもかかわらず、皆が逃げずに持ち応えた理由は、ひとえに女王陛下が内陣に残っていたからである。女王を差し置いて先に逃げ出すことなどできなかったのだ。
アデライーダ女王はダドリー伯爵にかばわれ、護衛兵たちに囲まれながらも、避難せずその場に踏みとどまっていた。愛娘のエセル姫が囚われたままだというのに自分だけが逃げることなど、思いもしていないらしい。
リデル姫とセレナ姫も同様で、少しでも壁際に移動させようとする兵たちと、ほとんどもみあうような状態になっている。それで、荒々しい場面にふるえあがっていた貴族たちも、彼女たちをお守りしなければと必死に考えていたのだが……。
その立派な忠誠心も、テグの次の行動を見てはとても保てるものではなかった。
木こりの胴に布でまかれていたのは、使い込まれた手斧だった。上空で手斧を握りしめると、彼はそれを振りまわしながら内陣に向けて降りてこようとした。ねらっているのはコンラートかもしれないが、わずかでも手をすべらせれば斧がどこに飛んでいくのか見当もつかない状態だ。
だが、人々がなだれを打って逃げようとした、その刹那。
どんなにあわてふためいた者でも瞠目せずにはいられないほど強い光が、いきなり堂内を突き抜けた。
光は、炎だった。銀色に輝く炎の帯が、テグの鼻先を突き抜け、大聖堂のほの暗い天井まで達して梁を白く浮き立たせながら消えていく。
祭壇の聖火が悪者に向けて噴き上がったのだと、勘違いした貴族たちも多かった。しかし、炎の出どころは祭壇ではなく身廊にあった。
王城側の招待客の中にいた大柄な男が、微動だにしない姿勢で上を仰ぎ、テグをにらみつけている。目鼻立ちが大きくきつい顔に動揺の色はなく、貴族の服装をしてはいるが、発散しているのは強烈な剣士の気配だ。
深緑色のマントの胸には、揺れる炎を内側にかたどった円形の縫い取りが見える。魔法剣の使い手たちを擁するギルド、ステラ・フィデリスの紋章だった。
刀身が銀色に輝き続けている魔法剣をかまえたまま、使い手は女王のほうに目をやると、慇懃な口調でたずねた。
「浄化してもよろしいですか、陛下?」
女王が護衛兵たちの間から答える前に、あやうく炎を浴びるところだったテグがわめいた。
「じょ、じょ、浄化なんてできるわけねえだろ。おれはれっきとした人間だ。人間は魔法炎なんかで浄化されたりしねえんだよ」
テグは手斧を胸にかかえ、壁にへばりつきながら縮みあがっていた。
その態度にも口調にも、素人としか言いようのないつたなさがあり、本来は気弱な面も持っている木こりの顔が舞い戻ってきたようだった。
使い手の男はテグの言葉を否定しなかったが、同意する気もないようで、こう返事をかえした。
「炎が反応している。やってみる価値はある」
そして、女王陛下の返事を待たないまま、ふたたび魔法剣を振り切った。
浄化の炎が剣の先からほとばしり、今度はテグではなくサンガに向けて一直線に伸びた。
サンガはぎりぎりの線でなんとかよけたが、テグは自分が標的になったときよりも仰天して、手斧を胸から取り落とした。斧はたちまち落下し、真下にあった木製の聖書台を叩き割った。
何しやがるんだ、とジンクが叫んで男のほうに突進した。司教やマリスターク伯爵夫妻、その他堂内にいるほとんどすべての人々が、それぞれの声をあげて自分勝手な行動をとりはじめる。
天蓋上に立ち尽くしながら、ラキスは唇をかみしめた。だめだ、このままではテグもサンガも、そしてジンクもやられてしまう。
炎があそこまで反応している以上、当たれば三人ともひとたまりもなく墜落するだろう。たとえ浄化まではされなくても、下では衛兵たちが槍と剣で待ち構えている。この騒ぎをなんとしてでも止めなければ──。
ラキスは深く息を吸い込んだ。生まれてこのかた、こんな大声を出したことがないというほど大きな声で、気合いをこめて叫んだ。
「そこまでだ! 全員、動くな。これを見ろ!」
そして、腰に刷いていた長剣を抜き放つと、エセルシータ姫の喉元の手前で水平にかかげた。




