52(王城)
第三王女の婚儀のために出立した王族たちが、未婚の王女をともなったまま都に戻ってきたのは、婚儀から二日後のことだった。
都の人々は、祝福の声をかけて送り出したときとはうって変わった静けさで、彼らを出迎えるよりほかになかった。
マリスターク大聖堂でとりおこなわれた婚礼が、暴漢の乱入で中止に追い込まれたのが、二日前の正午過ぎ。
拉致されてしまった姫君が、守護聖獣のはからいにより<逢瀬の刻>にあらわれたのが、その翌日。
女王をはじめとする一行は、当日中にマリスタークを出発、途中のハストンで宿泊したのち──ハストン伯爵は、王族を一度に城に招き入れるという信じがたい経験をすることになった──翌朝の日の出とともに、ふたたび帰路についた。
そして午前のうちに、王都パステナーシュに到着したのだった。
どうやらマリスタークで、大変なことが起きたらしい──人々は顔を見合わせ、気をもみながら言い合った。
だが、とりあえずエセル姫がご無事であるのはたしかなようだ。その点だけは喜んでもいいのだろう──。
本当に大変なことが起きたのは、マリスタークではなくドーミエだったのだが、遠方の情報はまだ都まで伝わってきていなかったのだ。
情報がないのは王族たちにしても同様で、城に入った一同は疲れ切りながらも、とにかく休息ができることにほっとしていた。
心身ともにもっとも疲弊していたエセルシータ姫は、待ち受ける侍女たちからさえ身をかくすようにして、なつかしい寝室に直行した。
というのも、行くときにはなかった純白の翼を背中に持ったままだったので、人目につきたくなかったのだ。少なくとも今日は、説明したり質問されたりすることに耐えられそうもない。
決別したと思っていた自分の羽布団と枕に身をゆだねると、彼女はすべての悩みを置き去りにして、またたくまに眠り込んだ。
安眠を誘う薬草を処方されていたし、姉姫たちが同じ部屋で休んでくれていることは、もちろん薬草の倍の効果をもたらしていた。
リデル姫とセレナ姫は、翼の存在が妹の眠りを妨げないことに、あらためて胸をなでおろした。
誰にも触れることのできない両翼は、エセルの背後に何かの壁があると、それにとけこむように見えなくなってしまう。
おかげで馬車の中でも、いつもと同じようにすわっていられたし、こうして布団にはいり仰向けに寝ても何ひとつ支障がない。
それでいて、布団からエセルが出てくると、たたまれていたものが自然に伸びひろがるように、純白があらわれ出るのだから──守護聖獣お気に入りの鳥、エデの翼の不思議さは、本当に人には計り知れないものがある。
一方、娘たちとひとまず離れたアデライーダ女王は、もし自分の体力が許すなら、正午からおこなわれる加護の儀に顔を出したいと考えていた。
王城近くにあるパスティナーシュの大聖堂で、今日は赤子たち数人に加護があたえられることになっているという。婚礼はなく加護だけのようだ。
都の住人と喜びを分かち合うため、ときに街におりて祝福の時間を同じくするのは、歴代女王たちのしきたりのひとつだった。
だが、いくらすぐそばの場所と言っても、帰ってくるなり公務に出かけるのは難しかった。廷臣たちからも止められたし、女王自身もさすがに身体を休めたかったからだ。
ところが、最低限の報告だけで私室におもむこうとしていた彼女を、あわただしく寄ってきたダズリー伯爵が呼び止めた。
女王の側近としてつねに付き従っている彼だったが、そういえば先ほどから姿が見えなかった。しかも、冷静を通り越して冷たいとすら言えるその顔に、めずらしく明らかな狼狽の色がある。かける声にも迷いがにじみ出ているようだ。
「申し訳ございません、陛下。実はいま、陛下にお目通りしたいという者たちが……。わたしだけでなく、ぜひ陛下ご本人にもお話をと」
「おや、休めと一番強くすすめたのはそなたなのに?」
「はい。ですが火急の用向きで……」
アデライーダは眉をひそめたが、断ることは考えなかったので、行先を私室ではなく謁見の間に変えた。
王城の西翼には謁見の間がふたつあり、ひとつは大勢が集えるほどの広間だったが、もうひとつは数人程度が近く話すのにちょうどいい部屋になっている。
ダズリーが案内したのは、奥の壁に星冠のための御座が置かれた、小さめの部屋のほうだった。
女王が入っていくと、すでに控えていた三人の来訪者たちが、臣下の礼をとって迎えた。おそらくリデルライナ姫と同じくらいの年頃であろう、若者と娘たちだ。
手前で膝をついている娘は黒髪で、彼女の後ろにいる若者は赤毛、その隣の娘は栗色の巻き毛だった。
三人とも、たったいままで馬に乗っていたとわかるような旅姿だったが、ただの旅行者でないのはまちがいなかった。みな芯の通った隙のない風情で、こんな場所であっても臆したところがない。
そして、後ろの男女の間にはどういうわけか、女王の御前に置くには不似合いな、黒く大きなぼろ布が投げ出されていた。
女王は、厚い紺地のベルベットが張られた椅子に腰かけ、丈高い背もたれに身体をあずけた。同色の肘掛けに両手をのせると、話を聞く体勢に入る。
黒髪の娘が顔をあげ、拝謁にふさわしい口上を述べてから身分を明かした。
「わたしはレマ・シュナイツ。ステラ・フィデリス第五座に属する炎の使い手です。ローデルク家の命を受け、クリセダでずっと調査をしておりました」
「ローデルク……ではマドリーンに命じられて?」
「いえ、弟のほうです。ディークリート・ローデルク」
女王は金色の眉を軽く動かした。その名前は知っていたが、おもてに出てくることは滅多にないので意外だったのだ。
残る二人もそれぞれ名乗り、三人とも魔法剣の所持者であるとわかったため、アデライーダはさらに話を促そうとした。
だが、レマが口をひらく前に、突然ぼろ布がはねあがり、場違いなきいきい声がやかましく申し立てをはじめた。
「あ、あ、あたしゃ何も悪いことなんてしてないよ。女王様、信じておくれ。このヘルガは誓って何もやっちゃいない」
ぼろ布に見えたものはヘルガ嬢ご愛用のマントであり、老婆は頭からそれをかぶって床に這いつくばっていたのだ。
真横にいたアレイが、すばやく手を伸ばして、逃げ出そうとする黒魔術師を軽々と押さえた。アレイとともに老婆をはさんでいたグリンナが、ひざまずいた姿勢のまま、あきれたように呟いた。
「長旅だったのに、ずいぶん元気が残ってるのね……」
レマが振り向き、淡々とした声で黒魔術師に告げる。
「悪いかどうかは女王陛下がお決めになるわ。あなたはただ申し上げればいいの。自分がやったことをひとつ残らずね」
「何もやっちゃいないと……」
「忘れたの? では思い出すのを手伝ってあげる。コンラート・オルマンド卿とはじめて会ったのは、いつだった?」
アデライーダ女王が口を差しはさまなかったのは、謁見の際にいつも心がけていることを、今日もおこなおうと思ったからだった。
この部屋に入った者の話は必ず最後まで聞き、そのうえでしかるべき言葉をかける。それがどんなに荒唐無稽な話であったとしても。
だが話が進んでいくにつれ──女王の碧眼は見開かれ、唇は乾き、知らず呼吸が早まった。
すべて聞き終わっても、彼女は言葉をかけられなかった。かける言葉がみつからなかったからだ。
何も言わず無意識のうちに立ち上がり、目の前にいる四人の者を見下ろした。
静まり返った謁見室の窓からは、高くなった太陽の光が差し込んで、いまが正午であることを教えている。
曇り空のドーミエとはちがい、本日の王都の空は快晴だった。これからはじまる加護の儀では、恵みの光がいっぱいに注がれることだろう。
だが天気のちがいはいざ知らず、時の進みはどんな場所でも平等であり、レントリアのどこにおいても、いまこのとき正午にならない場所はなかった。
どこの聖堂もそうするように、王都でも大聖堂が正午の鐘で時を告げる。
鐘楼からあふれ出した鐘の音が、街中へ、王城へ、空へと、これも完璧な公平さで響きわたりはじめた。
── 第二部 終 ──
あとがき
ここまで読んでくださった皆さま、どうもありがとうございました。
ほぼ月イチ連載になってしまうほどゆっくり更新でしたが、どうにかこうにかここまでたどり着くことができました。
連載中は自分の未熟さを痛感しました……。一番予定外だったのは長さです。作者の脳内では、第一部よりちょっと長いかな、程度だったのですが、ちょっとどころではない長さになってしまい……。
話数は大体同じなのに文字数が大違い。おかげでヒロインが延々と出て来ないまま終わる展開で、冷や汗かいております。
内容的にもまあいろいろあり、読み直したり感想を受けたりして加筆訂正した部分もあちこちに。キャラの名前も、いまだにしっくりきていない人が何人かいて、変えてしまうかもしれません。
と、このように修業不足ですがそれでも、小説を書くという作業に対して自分が持っているスキルは、すべて出し切ったつもりです。いまの時点では、もうこれ以上書けません。
そういう意味では、自己満足であれ何であれ、本当にほっとしています。
物語はまだ途中ですが、一応三部構成を考えていますので、次で完結する予定です。とにかくキャラも作者も休憩して、じっくり準備したいと思います。
どうもありがとうございました!
*瑞月風花さまからFAをいただきました。
早くこんなふうに笑える日が来ることを願っているとのこと。私も同感です。




