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堂内にいた誰もが、みな声もなく天蓋の上をみつめていた。
その天蓋は、建国女王エルフリーデの像をのせた台座を守る屋根だった。台座自体にもかなりの高さがあるので、屋根はふつうの部屋なら天井に相当するほど高い位置に造られている。
侵入者はそこに両足を踏みしめていたが、抱き寄せられている花嫁のほうは、天蓋ぎりぎりにやっと足をつけている程度だ。
禍々しく広がる黒い翼と純白の婚礼衣裳。彼らのななめ下には虹色の聖火がゆらめく祭壇、上にはステンドグラスの円窓。
それらが組み合わされた光景は、禁断とさえ言えるような凄みをもって人々の目に映っていた。
だが、侵入者自身はその光景を見ることができなかったので、自分たちがどんな様子に見えるのか彼にはよくわからないままだった。
堂内の顔ぶれを冷静に観察しながら、ラキスはただ、こんなふうに考えた。
アデライーダ女王とふたりの王女。ダズリー伯爵をはじめとする女王の側近たち。マリスターク伯爵夫妻に当地のおもだった貴族たち。司教や聖堂関係者。
皆様そろっていらっしゃる。上等だ。
最初に呪縛を破ったのは、感心にもマリスターク伯爵だった。
「衛兵、衛兵! 何をしておる、早く姫をお助けせよ」
伯爵はかん高い声で叫ぶと、その場で足を踏みならしながら、さらに怒鳴った。
「この不埒者め、姫を離さぬか」
衛兵たちは言われなくても行動を起こしていたが、台座の足元に駆け寄る手前で、不埒者の忠告を受けた。
「近づくな! それ以上近づいたら、姫をここから落とす」
彼が姫君を抱えていた腕を無造作にゆるめたので、彼女の華奢な身体がかたむいた。貴族の奥方たちの間からいくつもの細い悲鳴があがり、伯爵がふたたび叫んだ。
「離すな、馬鹿者!」
「そうですね。では、お言葉に甘えて」
次に叫びはじめたのは、祭壇につかまりながら立っていた司教だった。
「いますぐ、そこからおりたまえ。畏れ多くもエルフリーデ様の天井を、穢れた足で踏みにじるとは……。なんという所業だ、天罰が下るぞ」
高齢の司教は、怒りと畏れのあまり支えがないと立っていられない状態だった。まさか天蓋を踏み台がわりにする者が存在しようとは……もちろん加護の窓を入口がわりに使うことだって、魔物のふるまいとしか思えない。
「天罰などありませんよ」
動揺する司教を無表情に見下ろして、ラキスが告げた。
「そんなものが本当にあるなら、そこの男が平然と生きていられるはずがない」
視線を向けて示した先には、婚儀の主役になるはずだった花婿のコンラートがいた。ぶつかられたときに尻もちをついた格好のままで、呆然と上をみつめている。
「創星の神はお忙しいようだ。だから、おれが教えて差し上げにきたんです。その男が、エセルシータ姫の結婚相手として、どれほどふさわしくないかをね」
ラキスは、あらためて堂内の人々を見渡した。それほど声を高めたわけではなかったが、明らかな迫力を帯びた言葉が人々の耳に響いた。
「神の御前で告発する。マリスタークの次期伯爵、コンラート・オルマンドは殺人犯だ。なんの罪もない女を拉致したうえに、情け容赦もなく切り裂いた」
司教が何ごとかを言いかけた。勝手をするなと言いたかったのかもしれないが、ラキスはかまわずに続けた。
「女性の名はカーヤ。ドーミエに住む妊婦だった」
司教以外の聴衆は何の反応もしなかった。何を言っているのか意味が理解できない者が大半だったのだ。
だが、ただひとり正しく理解して動いた人物がいた。告発された本人だった。
「だまれ!」
名指しを受けて立ち上がると、コンラートは告発者をにらみつけた。
「おまえの顔は覚えているぞ。姫を追いかけてマリスターク城に侵入してきた、ラキス・フォルトとかいう男だな。嫉妬に狂い、魔物に魂を売り渡したとみえる。その翼が何よりの証拠」
ついで、彼はマリスターク伯爵のほうを振り向くと言ってきかせた。
「父上、相手にしてはなりません。姫に執着するあまり乱心してしまったのでしょう。哀れな男です」
「乱心しているのは貴様だ」
と、冷ややかにラキスが教えた。
「自分自身が一番よく知っているはずだ」
「ラキス、やめて」
エセル姫が、かすれた声をたてた。
「あなたはコンラート様を誤解しているのよ。わたしは彼と結婚するの。もう決めたことだわ」
「姫様」
コンラートが感動したように叫んで、足元に走り寄ってきた。
「どうぞ、わたしを信じて飛び降りてください。必ず受け止めます」
彼は両手を広げたが、白く光りながら落ちてきたのは花嫁ではなく、花嫁の長いベールだった。
頭からそれをかぶったうえに足がもつれたため、次期伯爵はふたたび尻もちをつくことになった。
と、ふいに緊張感をそぐような小さな声が、内陣の脇のほうから聞こえてきた。
仕立て屋の母に抱かれていた赤ん坊が、むずかっている声だ。証人の仕事がなくなり退屈したのかもしれない。
ちらりとそちらに視線を投げて、ラキスが声をかけた。
「加護の儀は成立している。あんたたちは外に出な」
夫婦は赤ん坊を抱きしめたまま、聖水盤のそばで縮みあがっていた。おさげ髪をたらした長女も、父親の腰にしっかりとくっついている。
先導役だった司祭が飛び上がるように寄ってきて、長女の手をひいた。家族はあたふたとその場から逃げはじめた。
「カーヤ殺しの件を持ち出すとはどういうことだ」
静まり返った来賓たちの中から、たまりかねたように初老の男が歩み出てきた。マリスターク側から招かれていたドーミエ男爵だった。
「あの事件はすでにかたがついている。おまえにも……まさか半魔とは知らなかったが、おまえにもちゃんと説明して、あのとき納得していたではないか。犯人のべイドはわが領内できちんと裁かれた」
この人物が嫌いなわけではなかったので、ラキスは多少ていねいな物言いになった。
「ベイドは共犯がいると言っていたでしょう」
「もちろん共犯者たちも裁かれた。法律以前に神の裁きを受けたのだ」
「裁きを受けていない共犯者がいるんですよ」
ドーミエ男爵は少しだまったあと、いくぶん自信がなさそうな様子で口をひらいた。
「それはワルテンのことか? ベイドが、もう一人だけ仲間がいるとわめいていたのはたしかだ。そいつは長い黒髪の大金持ちで、適当な妊婦を探すための資金の大半はその男が出したと。だが」
ドーミエ男爵は思い出したように胸をはった。
「わが領内の捜査官たちは、その言葉を捨ておいたりしない。ドーミエの豪商だというから、もちろんあちこちをまわって調べた。しかし、みつけたワルテンは病床に伏せっていて、ここふた月ばかり外出できる状況ではなかった。ベイドは自分の罪を軽くするために嘘八百を並べおったのだ」
「へえ」
ラキスが感心したようにコンラートのほうを見下ろした。
「その豪商の名をかたって仲間を集めていたわけか。たいした念の入れようだな」
コンラートが言い返す前に、男爵が声を高めた。
「失敬な。ドーミエがちゃんと調べていないと思われるのは心外だ。女王陛下!」
と、彼はいきなり、無言のまま立ちつくしているアデライーダ女王のほうに向き直った。
「陛下、お信じ下さい。わたくしはけして調査をおろそかにしたわけでは……」
「そんなことはどうでもよい」
怒鳴るように割って入ったのは、女王のすぐ横に立っていたヴィアン・ダズリー伯爵だった。典礼用の正装をきっちりと着こなしているため、いつもよりもさらに神経質そうに見える。
彼は男爵同様に進み出ると、女王ではなく天蓋のほうに向き直って叫んだ。
「まずエセルシータ姫を返したまえ。ラキス・フォルト、かつて勇者だったおまえの名声は、とうの昔に地に落ちている。だがそれでもたりず、さらに落とそうとしているとは驚きだ。こんな大それたことをして、無事にここを出られるとでも思っているのか」
そのとき、加護の窓がひらいている方角からわめき声があがった。と同時に何かが落下してきたが、それは衛兵が持っている短弓だった。
話が長引く間に歩廊に駆け上がった衛兵が、不埒者を弓で狙おうとしていたらしい。
だが、それは果たされなかった。
弓兵は突き飛ばされて歩廊から飛び出し、あやういところで必死で手すりにしがみついている。加護の窓を入り口にしたのは、ラキスだけではなかったのだ。
しかも今度の侵入者は一人ではなく三人だった。
そのうち一人は加護の窓辺で助祭ともみあい、二人は派手にはばたきながら天井を飛び回った。
「加勢に来たぜ!」
ラキスめがけて舞い降りながら、ジンクが意気揚々と叫んだ。
あとについてきたサンガが、これもうれしげな様子でつけたした。
「悪党をやっつける役、おれたちにもやらせろよ」




