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 幌の中で、ラキスは浅い眠りから目覚めていた。ベルターが感じとった嫌な空気を、彼もまたはっきりと感じていたのだ。

 剣身の内側で、炎の動きが乱れているのがわかる。ヴィーヴルの巣窟近くに到着した証拠だろうと思ったが、胸騒ぎはひどくなる一方だった。


 馬車はすでに停止しているのだが、彼をおろして戦地に向かわせようとする気配はまったくなかった。ただ周辺にいる兵士たちの声高なざわめきだけが聞こえている。皆、何かを見て驚いているようだ。

 ラキスは我慢できずに腰を浮かせると、幌の継ぎ目と思われる部分を両手でつかんだ。思い切りよく左右に引っ張り、さらに破って間から外をのぞいた。

 そして、周囲の兵士たちと同様に目を見開いた。


 部隊は、わずかだが傾斜のついた土地の上のほうにいたため、下側に向かっている景色をよく見渡すことができた。

 ひなびた農村にふさわしく、民家や農具を入れる小屋、手入れされていない草木などが見えるのだが、そのすぐ先に、魔物の巣窟の出入り口であろう場所がひらけている。普通なら、開墾途中の荒れ地のような状態になっているべき場所だ。


 だがいま、そこに見えているのは地面ではなかった。

 白濁した蒸気のような何かが一面に覆いかぶさり、土の色は一切ない。朝もやの立ち昇る小さな沼が、一夜にして忽然と現れ出たかのようだった。

 沼の周囲には、遠巻きでありながらも多数の兵士たちが配置されている。昨日から駐留しているドーミエ隊に加えて、王城付き討伐隊も混じっているにちがいない。

 淵をめぐる何か所には小型のやぐらが組み上げられて、上では長弓を握った長弓兵が待機していた。


 と、その兵がふいに動いた。響き渡る角笛の音に反応したのだ。羊飼いが吹き鳴らせばのどかに聞こえる角笛が、ここでは魔物の出現を知らせる合図として使われている。

 左腕で強く弓を突き出した兵士が、矢をつがえた右手を顎まで引き寄せる。水面ならぬ白濁した面に向けて、狙いを定めた。

 ほぼ同時に、一体のヴィーヴルが、沼から噴き上げられてくるように出現した。その後ろからもう一体。

 蒸気が大きく流れ動き、波のごとく揺れている。その波をかきわけながら、二対の黒い翼がはばたき上がってこようとした。


 だがそうなる前に、放たれた矢が最初の一体をたちまち射抜いた。魔物の身体が反り返って下に落ち、水しぶきをあげるように蒸気の中に消えていく。

 もう一体は攻撃を逃れたが、淵の外に向かおうとして、今度は櫓より下の位置から飛んだ矢の出迎えを受けた。淵から離れた場所で弦を引き絞って備えていた、いしゆみ兵たちの仕事だった。

 長弓と弩で連携して、上下の位置からたちどころに二体を仕留める。時間にすればあっというまの迅速さだ。

 沼の景色は奇妙だったが、討伐自体はいまのところうまくいっているらしい。


 ラキスが緊張をゆるめて思ったとき、破った幌の反対側から、男たちの話す声が近づいてきた。会話が聞き取れるほどの距離まで寄ってくる。

 声の主の一方はベルター・ローデルクだった。

「では、あの霧まがいのものは明け方前に?」

「急に地面から湧き出してきたらしい。我々が到着したときには、もうあんな状態になっていた」

「瘴気の吹き溜まりか……」

 相手の男は、先に現地入りした王城付き討伐隊の者だろう。対等な口をきいているから、ある程度の地位があるようだ。

「真下にいるヴィーヴルどもの仕業だな。これだけの瘴気を集めるとは、いったいどれだけの数がもぐっているのか……」

「恐ろしい魔力だよ。それに沼に近づくこと自体が危ない。確認しようとのぞきこんだ偵察兵が……引き込まれるように二人沈んだ」


 どこかで聞いた覚えのある声だと、ラキスは思った。気のせいかとも思いつつ、少し考えてから思い当たる。

 王城にいたころ、討伐隊の一員としてともに闘ったこともあるカシム副長だ。髪を短く刈り上げて、いつ見てもやる気のある人物だった──好かれた覚えがまったくないので、思い出しても特にうれしくなかったが。


 立ち話をしている二人は、そばの幌馬車にはまったく無頓着に会話を続けていた。

 定石通りの手順で行うつもりだとカシムが言い、ベルターも同意する。つまり先制攻撃だ。

 向こうが出てくるのを待っているだけでは埒が明かないので、こちらから巣窟に向けて矢を射掛ける。群れが地上に上がってきたところを一気に叩く。人数がそろっていなくてはできない作戦だ。


 総指揮をとるのは、地元をよく知るドーミエ隊の隊長がふさわしいので、そちらとも打ち合わせておきたいとベルターが言った。

 それから、ふと思い出したようにたずねた。

「第五座の使い手も来ているはずだ。彼はいまどこに?」

「……ディークリート殿のことか」

 答えるカシムの声が、若干くもった。

「実はおれも会っていないのだ。昨夜から姿が見えないらしくて」

「なんだと。まさか魔物の襲来で」

「いや、それはない。ドーミエ兵から聞いた話では、この討伐に気がのらなかったようだから離脱したかもしれないと。昨日もけっこう取り逃がしていたらしいし……」

 相手の顔に怒気が走ったのを見て、あわてて付け足す。

「あくまで聞いた話だ」

 するとベルターは、怒りの表情のままこう呟いた。

「肝心なときにいないとは。あの役立たず……!」


 義弟のことを悪く言われて怒ったのかと思ったのだが、ちがったらしい。

 ベルター・ローデルクはふいに動くと、つかつかと幌馬車に近づいた。そして勢いよく幌の後ろをひらき、つられてのぞいたカシムにその内部を披露した。

「第五座が迷惑をかけて失礼した。だが幸い、このとおり別の戦力を連れてきている」


 はたしてそこには、もと勇者様という肩書を持つ黒翼の半魔が、緑の瞳をカシムに向けてすわっていた。

 カシムは口をパクパクさせた。驚きすぎて台詞が出なかったのだ。

 ラキスのほうも無言だったが、これはいま聞いたばかりの話──ディーが行方不明だという情報で頭がいっぱいになり、気の利いた挨拶が出てこなかったためだった。

 もうすぐ掃討開始だから準備しておけ、と、ベルターが厳格な調子でラキスに告げた。

 近くにいた配下の兵士には、囚人の足枷をはずすよう命じる。鎧は無理でも、肘や膝当てくらいはちゃんとつけさせろという指示も追加した。


「ベルター、これはいったい」

 ドーミエ隊長のもとへと歩き出したベルターを、カシムがあわてて追いかけた。

「あいつは収監されたはずじゃないか。どうしてまた外になんか……」

「戦力になる。きみはいっしょに闘ったことがあるんだろう?」

「それはそうだが……」

 カシム副長にとって、いまのラキス・フォルトはどこをどう考えても罪人だった。

 マリスターク城の庭園で次期伯爵を襲い、大聖堂にまで乱入、エセル姫を拉致して逃亡──牢獄行きも当然だと思われる相手なのだ。


「魔法剣を持っている。使えるかどうかは正直言ってわからんが、だめならただの剣で闘わせるつもりだ。責任はわたしがとる」

「いや、しかし……戦力なら、ほら、あそこにもあるぞ。何もわざわざ罪人をかり出さなくても」

 カシムが何かをみつけたように声を強めたので、ベルターもそちらの方向を振り向いた。そして、わずかに眉を寄せた。

 坂道の上のほうに、遅れて到着した分隊の姿が見えている。意外にも、次期伯爵とお供の一行が追いついてきたのだ。オルマンド家の紋章を染めた旗が、かかげた槍の先でひるがえり、援軍であることを主張していた。


 伯爵が援助してくださったのだな、と、カシムが言った。

「ああ……次期伯爵たっての希望もあって」

「参戦なさるおつもりか。それは頼もしい……」

 だが、二人の会話は尻すぼみになった。

 なぜかぐずぐずしている分隊から、二人の人物が歩み出てこちらに近づいてくる。その様子が明らかに異様な雰囲気だったのだ。


「コンラート様、落ち着いてください。激励だけとお約束したではありませんか」

「半魔が先に手柄をたてたらどうするのだ。わたしとて魔物の一匹や二匹は討てる」

「そう簡単にできるものではありません。あなた様は魔物の恐ろしさをご存じないのです」

「恐ろしいことくらい知っている。邪魔をするな」


 大声で言い合う内容からして、片方はコンラート・オルマンド、もう片方はその従者のようだった。

 コンラートはかろうじて長剣を腰に佩いているが、従者はまったく武装していない。どうやら本当に、激励だけで帰るつもり──少なくとも従者のほうは、そういう話法で主人を説得してここまでやってきたらしい。

 あたりには何人かの兵士たちが散っていたが、みな、貴族の内輪もめをあぜんとしてみつめている。

 同じくあぜんとして眺めていたカシムの口から、自然とこんな呟きがもれた。

「あれはいったい……誰だ?」


 カシムは次期伯爵とは直接の面識がなかった。しかし、いまその質問を口にしたいのは、面識が十分にあるはずのベルターのほうだった。

 誰だ……? まるで何かにとり憑かれたような様子でこちらに近づいてくる、あの男は。

 マリスタークの次期伯爵、評判がよく人望も厚いオルマンド家の跡取り息子──あれが本当にそうなのか?


「お気をたしかに、コンラート様」

「気はたしかだ。わたしは魔物を討って手柄をたてる。そして今度こそエセル姫と結婚する。半魔などに渡すものか」

「エセルの名前を貴様が呼ぶな!」

 ふいに激しい声が割り込んだ。

 はっとして振り向いたベルターたちの視線の先で、怒りに身をふるわせたラキスが、青ざめながら馬車の外に立っていた。

 

 同じく振り向いたコンラートが、まわりに聞かせたいかのように叫ぶ。

「見ろ。罪人だというのに、あいつはまだ姫様をあきらめていないようだぞ」

「おやめください、コンラート様」

 ラキスが反論する前に、勇敢な従者が主人をいさめようとした。軽いもみあいになり、コンラートの長髪をまとめていたリボンがはずれる。

「そこをどけ」

「そうはいきません。わたしは伯爵からあなた様のことを頼まれているのです。いい加減に──」

「どけと言うのに!」


 ほつれた髪がひろがった。コンラートの手が……コンラートに成り代わったシャズの手が、腰にさげていた長剣を引き抜いた。

 そして、目の前の邪魔な従者をいきなり斬った。



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[良い点] コンラートの本性が完全に明るみに出ましたね。 エセルの名前を呼ぶなと叫んだラキスが格好良くて好きでした。
[一言] コンラートが……! 前回感想に引き続き、何しに来たのwwwと笑えなくなってしまいました。本性! そこまでやってしまうとラキスと同じ土俵まで落ちたも同然。 頑張れ、ラキス! エセルの名前を…
[一言] ようやく正体を現しやがったな! と、ワクワクしながら読みました。 第二部が魔物と偽物騒動と言うことは、第三部でようやくエセルとラキスの恋の行方が描かれるのか?! 楽しみです(*´∀`)
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