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43/52

43(ドーミエ)

 レマたちがクリセダで黒魔術師と相対し、ラキスがマリスタークで殺人鬼と相対していた、その時刻──。

 ディークリートはドーミエの村の一角で、不寝番の役目を担っていた。


 月も星も雲にかくれた晩だった。常夜灯などあるはずもない、ひなびた集落の片隅が、大きな篝火の明かりを受けて、夕焼けを呼び込んだような橙色に染まっている。篝火はほぼ等間隔で設置され、そばでは気を引き締めた歩哨たちが、寝ずの見張りに当たっていた。


 彼らが一様に警戒するのは、円周上に設置された火の内側で照らし出されている地面だった。

 もともとは田舎道や民家の庭、草むらなどのひろがる、なんの変哲もない場所だ。だがいつもはのどかなこの場所で、昼間、信じられない大騒動が繰り広げられた。

 領主直属警備隊の侵入と村人たちの一斉反転。あらたなヴィーヴルたちの襲来。加えてエセルシータ姫がディーの腕の中から消滅するという、ありえない事態──。


 空になった両腕を呆然と見下ろしていたディーは、視線をあげた直後、遠方のラキスが兵に殴り倒される様子を目撃した。だが助けに向かうのは不可能だった。

 大量の魔物たちが飛びまわり、その相手をするのに手一杯になってしまったのだ。

 魔物たちは突然として輝いた光の柱に驚愕したらしく、攻撃というより、ただやみくもに暴れる状態に陥っていた。そしてほどなく、自分たちが出てきた地中にいったん退却する行動をとりはじめた。

 

 大きく強い両翼を持っているにもかかわらず、ヴィーヴルは本来、地底に棲息している魔物である。

 滅多に現れることはないのだが、一度現れると数日にわたって同じ場所から出入りをくり返し、一度でおさまることはない。退却はいっときだけのものだ。

 だが、この出入りの時間は、魔物たちがもっとも隙をつくる時間でもあったので、そこを逃さず討つことがヴィーヴル討伐の常套手段となっていた。


 その場で唯一、魔法剣を操る存在だったディーは、当然誰よりも討伐することを求められたし、そうするだけの腕も持っていた。

 しかし今回に限り、彼はその要求に応えるわけにはいかなかった。

 上空でもたもたしているヴィーヴルは一体も見当たらない──ということは、反転した村人たち全員が、潜っていく群れの中に紛れているということだ。

 人に戻る可能性のある者たちを、十把一絡げに討伐するなんて、どう命令されてもしたくなかった。


 でも、どうやって彼らを見分ければいいのだろう。いかにも攻撃的な個体とそうでない個体がいるのは、なんとなくわかる気がする。後者の身体に銀色の糸のようなものが絡んでいるのが、時おり見える気もする。

 あれが目印……? だとしても、この大騒ぎの中で見極めるのは不可能だ。


 槍で突かれる魔物が見えると、村人ではないかと思って気が散った。何体かはやむなく始末したが、必然的にかなりの数を見逃がすことになったのはどうしようもなかった。

 その結果、大半の魔物たちは、土煙を巻き上げながら地中に戻ってしまい、土砂崩れにでもあったような地面だけが、その痕跡となった。


 ヴィーヴルたちは夜行性ではなく、夕方になるともう活動しない習性を持っている。おそらく、空を行く鳥たちが夕暮れ時に巣に帰るのと似たようなものなのだろう。

 もちろん人間には計り知れない生き物だから、夜でもけして油断はできず、見張りは欠かせないのだが──。

 

 篝火に晒された土砂を眺めていたディーは、身じろぎすると、あかあかとした火に背中を向けた。

 別の歩哨に軽い合図を送ってから、ひとりその場を離れて歩き出す。ほかの場所に変化がないかどうかも、ときどき確認するようにしていたのだ。

 ランタンの明かりを頼りにして、急激に濃くなっていく闇の中を進みながら、彼は一連の騒ぎについて考えた。


 姫君を迎えに来たはずだった警備隊は、肝心の姫を完全に見失い、仕方なく三手に分かれて動いている。

一部は重傷を負った司令官ファゴを施療院に搬送、一部は失神した誘拐犯ラキスをマリスタークに護送……残りはここに駐屯して、おそらく明日おこなわれるであろう本格的な討伐に備えている状態だ。


 夕方入った知らせによると、明日にはマリスタークから援軍が来るのみならず、王城付き討伐隊も駆けつけてくるとのことだった。たまたま近くまで遠征していて、帰路につくところを変更したようだ。


 王城付きはともかく、マリスタークとなると当然あの人も来るよな……。

 ディーは義兄の姿を思い浮かべて、思わずため息をついた。

婚礼に招待されていたようだから、多分まだマリスターク内にいるはずだ。だとしたら、こちらに来ないわけがない。

 半魔の村人たちを討伐したくないという主張を、はたして彼が聞き入れてくれるかどうか。説得にはたいへん時間がかかる気がする。


 うんざりした気分に陥りながら、民家を通り過ぎようとしたとき、玄関先にある井戸が目に入った。水筒の水を補充しようと思ったディーは、そちらに近づき、手にしたランタンを近づけた。

 石造りの井戸は、それほど古くはなさそうだったが、縁の一部が不自然に砕けてしまっていた。おそらく昼間、これに衝突しながら飛んた魔物がいたのだろう。だが釣瓶を使うのに問題はなさそうだ。


 民家は無人だったので──住人がただいま反転中のため──ディーは特に断りも入れずに釣瓶を下におろそうとした。

 そのとき、彼の胸をふっとおかしな考えがよぎった。

 深い井戸の奥底は、魔物の世界に案外近いかもしれない。名前を呼んでみたら向こうの棲みかに届くかも……もちろん、そんなことがありえるはずはないが──。


「……ジンク」

 非常に控えめな声になったのは、我ながらばかげた思いつきだと思ったからだった。

 闇が溜まったように暗い底から、返事が聞こえるはずもない。それでも一度声を出してみると、本気で呼びかけたくなってきた。

「ジンク。ルイサ」

 次第に大きくなる声が、井戸の内壁にさびしく吸い込まれていく。

「ゼム、マージ! ええと……チャイカ!」

【あーい】


 思わず耳を疑った。

「チャ……チャイカ?」

 すると今度は、まったく聞いたことのないもう一つの声が、暗い淵から響いてきた。

【手伝って!】

 若い女の声だった。

【誰かいるなら、こっちに来て。早く】

 我知らず身を乗り出して、ディーは井戸の底を確認しようとした。水面にあたる部分で、細い銀色の光がかすかに揺れているような気がする。

【早く!】


 引っ張られるように前に乗り出した瞬間、もたれていた井戸の縁がいきなり崩れた。

 手から離れたランタンが落下し、持ち主の身体も無論、それに続いた。

 

 

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― 新着の感想 ―
[一言] ディーが!! ど、どこへ行くのでしょう。井戸の向こう側には一体なにが…? その前に半魔の皆さんを傷つけないよう説得して……あ、落ちちゃった。← 更新を見逃していました……。 お気に入りさ…
[一言] おおおっ! 魔物の世界にディーが向かう!? 井戸って、なんか不気味ですよね(我が家にもあります&使用中ですが) スライムが待っているくらいなら可愛いもんですが、ディーを待ち受けるものは、果…
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