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本職に頼んで描いてもらっただけあって、似顔絵の出来栄えは大変よかった。
ヘルガが亀のように首をのばして、その絵に興味を示す。みつめている時間が異様に長く、白髪頭の内部で何かが忙しく働いているのが感じられた。
レマたちが、この手の店で似顔絵を見せるのは、これで六回目だった。違法な商売をしている店を探し出し、薄気味悪い店主たちと問答したうえ、五回もはずれを引かなければならなかったのだ。
でも、もしかすると今度こそ……。
老婆がようやく、のびていた首を引っ込めた。それから思わせぶりな態度でこう言った。
「二年も前のことを、この年寄りに訊くとはのう……」
「あら」
グリンナがすかさず口をはさむ。
「あんたは恐ろしく頭が冴えてるって評判よ。ヘルガに訊けばなんだって覚えてるはずだって、このあたりじゃみんな噂してるわ」
老婆が満足げにうなずいた。
「そうじゃろうとも。老いぼれヘルガの白髪頭は、どんなことでも忘れやしない……ただ思い出すには特別な金属が必要じゃがの」
「金属?」
「丸くて硬くてピカピカで……ほれ、うっとりするほどいい色をしたあれさ」
さっさと老婆の首を絞めて白状させるべきではないかと、娘たちは考えた。だがそれは最後の手段だったので、とりあえず別の方法をとることにした。
「あいにく金貨は持っていなくて」
と、似顔絵に目を落としながらレマが言った。
「なんじゃ、貧乏人かえ」
「そのかわり面白い情報なら持っている。滅多なことじゃ言えないけど、特別に教えてあげてもいいわ……この男の名前をね」
ヘルガが口汚い悪態をつきはじめた。顧客の名前などどうでもよかったし──そもそも名乗る客もいない──大切な金貨とはなんの関わりもなかったからだ。
だがレマはかまわなかった。ことさらにゆっくりした口調でこう言った。
「名前はコンラート・オルマンド、出身はマリスターク。どう? 最近よく聞く名前だと思わない?」
「マリスタークの……オルマンド……」
はたして老婆は悪態を引っ込めた。
乱杭歯の口をぽかんと開けて、記憶をさぐっている。自慢の白髪頭の中で何かが結びついたとたん、唸るような驚きの声があがった。
「エセルシータ姫の結婚相手……! そんな馬鹿な。だってあの男は……」
「え?」
「そうか、ばれたんだね。だから結婚式が取りやめに」
反応するとは思ったが、その大きさはレマたちの予想を超えていた。魔術師はいきなり鍋の杓子をつかみ取ると、湯気のあがる液体をこちらに向けて振りまいた。
それを浴びる使い手たちではなかったが、あちこちでジュッと焼け焦げる音とともに煙があがるのが見えた。絶対に浴びてはいけない代物だったらしい。
「わしのせいじゃない。わしはちゃんと忠告したんじゃ、無理だからやめとけって」
叫んだ老婆が、驚くべき俊敏さで扉に向かって走った。
追われないよう杓子を振り回しながら扉に飛びつくと、向こう側の暗がりに消える。記憶力といい体力といい、五芒星の秘術の賜物かもしれない。
だが、消えたのはいっときだった。出て行ったときと打って変わった足取りで、彼女は部屋に逆戻りしてきた。
その横には、向こうで見張りをしていたアレイがぴったりとくっついている。
アレイは基本的にいつも愛想のいい若者なのだが、老婆と腕を組んでまで愛想よくしていられるのは、一種の才能だった。
彼は、ヘルガ嬢を丁重にもてなしながら椅子のそばまで連れてくると、彼女をそこにすわらせた。そしてマントの下から出した紐で、背もたれにぐるぐる身体を縛りつけながら、にこやかにたずねた。
「何が忠告? もしかして、コンラートの奴に人殺しはよくないと忠告してくれたのかな?」
もがきながら老婆が怒鳴った。
「人聞きが悪い坊主だね。魔術かけたからって死にやしないよ」
「ふうん、かけたのね」
と、今度はグリンナが話しかけた。こちらも、ようやく手応えのある店主をみつけて生き生きしている。
「二年前、コンラート・オルマンドにおかしな術をかけたのはあんたね。気色悪い黒魔術を使って、彼の心を狂わせたんでしょう。正直に認めたほうがいいわよ」
少し離れた炉のそばでは、レマが大鍋の中をのぞきこんでいる。彼女の手が、もう一本あった杓子をつかみ上げたのを見て、ヘルガが縮み上がった。
「あんたら王家の兵士かえ。言っとくが、コンラートをさがしてるんなら、こんなとこにいるのはお門違いってもんだよ」
「さがしてたのはあんたよ。殺人鬼をつくり出した黒魔術師を、ずっとさがしていた。やっとみつけてうれしいわ」
「殺人鬼をつくった? このわしが?」
と、ヘルガがわめいた。
「とんでもない、あやつはもとから前科者じゃった。魔物絡みで散々な目にあって、はては投獄までされたって言ってたのを、ちゃあんと覚えておるわ。人殺しだっていうんなら、そりゃきっと、もともとじゃ」
「……誰の話をしているの?」
レマが思わず呟いた。
先ほどから、どうも話がかみ合わない……杓子を握ったまま歩み寄ると、ヘルガがあわてふためいて口をひらいた。
「誰って、ええと、なんて呼ばれとったか……。シャズ、たしかシャズだよ。髪の色や背丈を変えて、口元やほくろなんかをちょいといじってやっただけで、見分けがつかないくらい瓜二つに……」
「瓜二つって……誰と……」
「コンラートに決まっとる」
何をいまさら、と言うように、老婆が目をむいた。
「入れ替わりがばれたから、ここまで調べに来たんじゃろ? 替え玉をつくったあと本物のコンラートがどこに行ったかなんて、わしゃ知らん。駆け落ちした娘っ子と、どっかで仲良くやってるじゃろうよ。わかったんなら、この縄を解いとくれ。ほれ早く!」
ヘルガ嬢は、顧客の秘密を守るような商売上の倫理観とは、縁がなかった。望みは縄を解いてもらうことだけだったため、むしろ自分からすすんで、ことの次第を打ち明けた。
それによると、二年前、コンラートとシャズは連れ立ってこの店を訪れた。二人の男はひょんなことから出会い、お互いがそっくりであることに驚いて親しくなったらしい。
コンラートのほうは──まさか伯爵家の跡継ぎとは!──恋仲である酒場の娘との結婚を親に認めてもらえず、駆け落ちを思いつめていたところだった。
シャズはといえば、服役を終え住みかや職をさがしていたところで、二人ともたちまち意気投合したのだという。お互いが入れ替われば、すべてうまくいくではないかと。
まあ、打ち合わせしたうえで本気で演技すれば、絶対に不可能というわけでもないのかもしれない……だがヘルガは内心、シャズのほうがわりに合わないにちがいないと考えていた。
コンラートは異国に行くつもりだから変身する必要はない、施術はシャズのほうだけ頼むという依頼だったからだ。
だが、思い違いだったことがいまならわかる。わりに合わないどころか……。
「伯爵家! 姫様との結婚!」
目をきらめかせながらヘルガが叫んだ。
「一気に手に入れおった! しかもマリスタークなら最高じゃ。あそこは王都並みに土地が澄んどる、ドーミエなんぞとは違っての」
レマは驚きのあまり、両手で握りしめた杓子をへし折りそうだった。
一気に手に入れたと思うのはまだ早い。まだ早いがそれにしても……なんということ……!
同じくあぜんとしていたグリンナが、かすれた声を押し出して、ようやくたずねた。
「土地が澄んでいないと……何かまずいことでもあるの……?」
術を受けると瘴気を吸い込みやすくなるのだと、ヘルガが答えた。だから穢れが多い土地からは、できるだけ離れていたほうがいい──。
使い手たちは一様に黙り込んだ。縄をはずさんかい、と老婆がきいきい声で訴えていたが、応じる気になる者は誰もいなかった。
第一部の16、27、29あたりが伏線でした(遠い……)。




