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 買い物客たちは例外なくマントで衣服と体形をかくし、フードで顔かたちをかくし、必要最小限のささやきで自分の声をかくしていた。素性を明かしたいと思う者など、ここでは一人もいなかったからだ。


 建ち並ぶ店々の様子は、一見先ほど歩いた職人通りと何も変わりないように見える。だが店先に置かれた高級そうな品々は、奥の工房で作り出されているわけではない。

 たとえば指輪の裏側を見てみれば、もとの持ち主の名が彫られ、銀杯には貴族の紋章が刻まれたままだ。この一角で売られている品はほとんどが盗品であり、客たちもそれを知りつつ、安価にひかれて集まってくるのだった。


 あの男も──マリスタークの次期伯爵も、フードの影にかくれながらこんな場所を歩いたのだろうかと、レマは考えた。

 生まれ育った環境とはあまりにちがう、暗く澱んだ場所。裕福な名門貴族のご子息は、人目を避けるためにさぞ気を遣ったにちがいない。

 めざしていたのが、盗品よりもさらにあやしげな施術を売りにしている店だとしたら、なおさらに。


 彼、コンラート・オルマンドについて調べているとき、レマたちがもっとも厄介だと感じたのは、彼がどこからどう見ても清廉潔白な人物に見えることだった。

 いま現在の姿がそうであるというだけではない。

 幼少期から青年になるまでの経歴にも、評判にも、凶行とつながるような因子が何ひとつみつからない。

 別に真面目一辺倒だというわけではなく、それなりに遊んだり恋をしたりしたこともあったようだ。だが残酷さや変質的な気配は微塵もなかったし、ドーミエの森、魔物、半魔といった存在に興味があったという話も聞かなかった。


 こんな人物をつかまえて殺人犯だと言ってみても、信じてもらえなくて当然かもしれない。そもそも何か後ろ暗い影でもあれば、お姫様の伴侶として白羽の矢が立つわけはないのだ。

 コンラート・オルマンドの心に残忍なものが巣食っていると示すこと──それが一番肝心ではないかと、炎の使い手たちは考えていた。


 その残忍なものを証明してくれそうな店に、やっとたどりついた彼らは、一息つきながら店先の露台を眺めていた。装飾品や化粧道具、薬草の束などに混じって、くすんだ色ガラスの香水瓶がいくつも並んでいる。売り子は席をはずしているようだ。

 グリンナがうすら寒い口調で呟いた。

「中身は毒かしら……?」

 たぶん、とレマが応じた。それから、当たり前の買い物をするような調子で続けた。

「入りましょ。早いとこ終わらせたいわ」


 普通の娘なら怯えて逃げ出しそうな場所だが、あいにく彼女たちは普通の娘ではなかった。露台の横にある扉を勝手に開けて、さっさと店内に入っていく。

 通りに面した部屋は無人で、軒先に吊られたランタンの明かりが窓から入ってくるだけの、不気味な暗がりだった。陳列棚と椅子の向こうにもうひとつの扉があるのが、ぼんやりと確認できる。

 足元に注意しながらそちらに進むと、レマは第二の扉を押し開いた。そして中に足を踏み入れ、部屋に立ち込める蒸気と得体の知れない臭気に、顔をしかめた。


 部屋の片側に小さな炉が切られ、どっしりした三脚の鍋置きの上で大鍋が湯気をあげている。その前に黒いローブ姿の老婆がすわり、柄の長い杓子で時おり鍋をかき混ぜていた。

 炉のそばにある台や机にぎっしりと並ぶ、得体の知れない壺や瓶。用途不明の見慣れない器具。壁には様々な植物の束が吊り下げられ、植物ではなく生物としか思えないものまでが吊られている。

 揺らめく炎のおかげで、見たくもない部屋の内部が浮かび上がるので、先ほどの暗がりのほうがずっとましかもしれなかった。


「ジギタリス」

 部屋の主であり店主でもある老婆が、鍋の様子をみつめながらしわがれた声をたてた。

「ベラドンナ、イラクサ、ニガヨモギ。どれがお好みかね、お客さん。欲しいものを調合してやるよ」

 蛇やカエルの干物を調合すると言われなかっただけ、運がいい。毒草は煎じかたによって薬にもなるのだし……。

 レマは眉を寄せたまま、鍋から視線を背けて、反対側の壁に掛けられた一枚の絵画に目を向けた。古びた額縁の中に描かれているのは、魔性の怪魚レヴィアタンだった。

 怪魚は画家によって形態が様々なのだが、禍々しいという一点だけで、その名前がすぐわかる。額縁の中の魔物は、泥を塗りたくったように重たげな魚影で、顔だと思われる部分にうっすらと黄色い目玉が浮いていた。

 レヴィアタン信奉者──こんなものをわざわざ部屋に飾るのは、魔術に手を染めたものだけだ。


 マリスターク領主館にはもちろんこんな品はなく、光輪を背にしたリンドドレイクのタペストリーが大切に飾られていた。

 あの美しい領主館で育ったご子息が、自分自身が魔物にでもなってしまったような所業を、どうしてしたのか。いったい彼に何が起こっていたのか──。

 子息にクリセダへの道順を質問されたことがある。そう教えてくれたのは、領主館からはかなり離れた場所にある居酒屋の主人だ。それを聞いたとき、レマたちはようやく糸口をみつけた気がしたのだった。

 クリセダという地名は、夜にふさわしい町として、ある種の人々の間ではよく知られている……。


「悪いけど、買い物に来たわけじゃないわ」

 レマが慎重な口調で老婆に返事をかえした。老婆は杓子を炉端に置くと、ゆっくりとこちらを振り向いた。白髪と皺に埋もれて顔立ちがよくわからないが、目は怪魚の絵よりも光っている。

「ただの通りすがりとは言わないじゃろうねえ……。このヘルガの店に来るからには、恐怖も吹き飛ぶほどほしいものがあるはずじゃよ」

 立ち尽くしている娘たちを観察しながら、どことなくうれしげに呟く。

「毒か媚薬か──それとも美しい顔や身体か。青い目や金髪がお好みならたやすいよ。じゃが胸や腰を大きくするには、それよりもちょいと値が張る……」


 間に合ってるわ、と、グリンナが憤然とした様子で答えた。心配してもらわなくても胸は大きかったからだ。レマはそこまでではなかったが、金髪には多少の興味をひかれた。

 何にしても老婆の言葉は的外れだったが、娘たちは二人ともフードとマントで外見をかくしていたので、わからなくても仕方なかった。

「──禁断の黒魔術」

 と、黒髪の娘がささやいた。

「自然の力にあだなすものは違法だって、知っている?」

 ヘルガはいやらしい笑い声をもらしただけだった。爪の長い人差し指で、部屋の奥にある第三の扉を指し示しながら娘を誘った。

「あっちの部屋に行ってみるかえ。五芒星の中に入って一晩寝れば、お嬢ちゃんの心も変わる。黒いものも実は白いと気づくじゃろうさ」

「心も……?」


 言いかけたレマは、ため息をつくとマントの内側に右手を差し入れた。いい加減うんざりしてきたのだ。さっさと本題に入ったほうがいい。

「その前に訊きたいことがあるの。こういう客に見覚えがないかしら。二年くらい前にここに来たと思うのだけど」

 折りたたまれた紙をひろげると、あらわれたのは貴公子然とした青年の似顔絵だった。



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― 新着の感想 ―
[一言] やっと読みに来れましたー。 復習を兼ねて牢獄のあたりから読み直して最新話までお邪魔しました。 いよいよコンラートの不穏さと、そこに至った経緯などが明かされていくかんじでしょうか。ドキドキ。…
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