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3(婚姻の儀)

 パイプオルガンの深い音色は、丈高い扉の外で開祭時刻を待っていた新郎新婦の耳にも、小さく届いた。

 先導役をつとめる司祭が、深々と頭をさげると、時が来たことをふたりに知らせた。


 コンラート・オルマンドが、かたわらに立つ花嫁の顔を見下ろしながら、やさしくほほえんだ。

「では、参りましょうか」

 静かにほほえみ返して、花嫁も答えた。

「はい。参りましょう」


 両開きの分厚い扉が、控えていた助祭たちの手でおごそかにひらかれていく。オルガンの調べが、ふるえる空気の層になってふたりの身体を押し包み、堂内にいる人々すべてのまなざしが、いっせいに彼らの上に集まってきた。


 縦に長い身廊には座席がないので、来賓たちは加護の儀と同じように、みな立って婚儀に参列していた。ひとかたまりにはならず、伝統的な形式にあわせて左右に分かれた集団をつくっている。


 ふたつの集団の間には、人が数人並ぶ程度の空間があったが、その空間は祭壇へと続く道としての役割をもっていた。

 長くまっすぐなこの道を、新郎新婦が肩を並べて進んでいくのが、昔からの婚礼のしきたりなのだった。


 先導する司祭にみちびかれて歩み出しながら、エセルシータ姫は、まるで絵画の中に入り込んでいくようだとぼんやり思った。


 ほの暗い白さの堂内にはがくだけが反響し、こちらを見守っている大勢の来賓たちの声は、わずかも聞こえてこない。

 さまざまな色合いの典礼衣裳がつどう様子は美しかったが、みな居住まいを正してじっとしているので、動くものは前を行く司祭の後ろ姿だけだ。


 列柱に支えられた身廊の両脇は側廊になっていて、細長いステンドグラスの窓の列が、外の光を五色に変えながら取り込んでいる。

 五色の光は、遠い祭壇の上方を飾る大きな円窓からも差し込み、まるで光の額縁が一幅の巨大な絵をふちどっているようだった。


 けれど、来賓たちの側から見れば、扉の向こうからあらわれた花嫁こそが、絵画から抜け出てきた人のように思えたことだろう。


 エセルは、透けるようにうすい絹のベールを、きらめく小さな冠で頭にとめつけ、肩から背中、さらに床へと長く後ろに引いていた。金の髪は結い上げずに、ベールの内側に流している。

 真っ白なドレスには真珠色の刺繍がほどこされて、幅広の帯は金糸銀糸をからませた綾織りだ。胸元には細いリボンの飾り結びが、花のようにつらなっていた。

 

 一方、かたわらのコンラートがまとっている裾長いローブの色は、深いつやをもつ紫紺だった。花嫁衣装とは対照的な色だが、布地には同じように同系色の刺繍があり、やはり綾織りの帯で腰を引き締めている。

 たっぷりした両袖は長く引かずに手首の部分で縮められ、黒褐色の髪は黒いリボンでひとつにまとめられていた。


 ふたりの姿に感嘆のため息をもらしながら、来賓たちの多くは胸の内で呟かずにはいられなかった──初々しい花嫁の姿は、まるで天からおりてくる澄んだ月の光のよう、そして花婿の姿はその光をやさしく包む夜空のよう。なんとお似合いのおふたりなのだろう──と。


 来賓たち、とくにマリスターク側の貴族たちは気づかなかったが、エセルシータ姫にとってこの賛辞は、実にめずらしいといえる種類のものだった。

 美しさを光にたとえられることがめずらしかったわけではない。だが、朝の光や昼間の日差しではなく、夜を連想させる月光にたとえられることは、これまでの彼女にはけしてなかったことだったのだ。


 陽の光から月の光へ。そんな変化は、婚礼衣装の外見ではなく、姫君の心のありようからにじみ出てきたものだった。

 変化は婚礼を承諾したのちの二十日の間に、姫の内部でひそやかに進んでいき、しだいに完成度をましていた。


 現実としての二十日間は、エセルにとってはひたすらあわただしく忙しい日々だった。

 身支度や衣装合わせ、祝福に来てくれた都の貴族たちとの懇談や王城の皆との別れの宴。それに領主の妻に必要な知識を仕入れることなど、やるべきことはいくらでもある。


 また、少しでもあいた時間があれば、姫君自身がすすんで新しい予定をいれた。出来る限り忙しくしていたかったからだ。

 余計なことを考えないように。婚礼に必要なこと以外は、すべて抹消してしまえるように。


 もちろん、それをやり切るには心身ともにかなりの力が必要だったが、彼女はその覚悟をかためていたし、実際にも破綻なくやり切ってみせた。

 昨日、王家や側近一行とともにマリスタークに入ったときの彼女は、もう誰の目にも、心おだやかに婚礼を待つ姫君にしか見えなかった。 


 そしていまも……。楽の音が満ちていてなお、静寂という言葉がよく似合う聖堂内と同じように、エセルの心はとても落ち着いている。

 花嫁としてふさわしい態度で花婿に寄り添い、静かなほほえみを唇にのせて、祝福する人々の視線をあびながら歩いている。

 エセルシータ・ルノーク・レントリンディアは、今日を境にエセルシータ・オルマンドと名を改めて生きるのだ。





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― 新着の感想 ―
[良い点] 第一部に続き、第二部も読ませていただいています。 エセルシータの婚姻の儀が、厳かに執り行われようとしている場面が、ありありとまぶたに浮かぶようです。 パイプオルガンの深い音色。楽の音が満…
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