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 住人たちが寝静まった家の厨房で、二人は水甕に汲み置かれていた水を、それぞれの水筒に移した。棚にあったビスケット入りの壺も拝借し、玄関扉を軋ませないよう気をつけながら、外に出る。

 焚き火のそばで腰を落ち着けてから、あらためて事件についての会話を再開した。


 ディーは、ラキスがどうして次期伯爵を主犯だなどと思ったのか、その理由をたずねなかった。

 姫様に教えてもらったから、話さなくていい。そう言っただけだったが、彼がラキスの目撃談を丸ごと信じていることが、その態度から伝わってきた。

 しかも、信じはしても人違いだと思っている姫君とはちがい、実行犯が次期伯爵であるという主張のほうも、疑っていないらしい。

 実は、マリスターク城の庭園で、ラキスが立ちまわりを演じた翌日から、コンラート・オルマンドの動向について調べはじめていたというのが、ディーの説明だった。


「どうして、そんなに早くから……」

 ラキスが思わず呟くと、ディーは怪訝そうな顔をした。

「あやしいと思って当然だろ? おまえがあれだけ血相変えて斬りかかった相手だ。何もないはずがない」

「おれが血迷った真似をしたとは」

 ディーは肩をすくめてみせた。

「調べてみて何もなければ、それはそれで構わなかった。まあ、そんなことにはならないだろうと思っちゃいたけどな」


 そうはいっても、さすがにマリスターク伯爵にそれを伝えることはできかねた。大事な息子が襲われたというだけでショックを受けているのに、非があるのはその息子のほうだなんて、とても言えるわけがない。


 ディーは使い手として顔が広かったので、伯爵とは関係なく、仲間を通じてひそかに調べる伝手を持っていた。それで、いろいろさぐったところ、引っかかる点もいくらか出てきた。

 ただ、それらはあくまで、コンラートが敵であるという前提あってこその引っかかりだ。ラキスが加害者だと思い込んでいる伯爵や、アデライーダ女王の側を納得させるには、まったく説得力がない。

 やはり、はっきりした証拠を提示しなければ。


 そこで、証拠となりそうなものを手に入れるべく、仕事仲間のレマが、いま行動を起こしている。婚儀の開催が早すぎて間に合わなかったが、首尾よくいけば、彼女たちが女王のほうに直接向かう手筈になっている……。


「……ディー」

 黙って話を聞いていたラキスが、たまりかねたようにうめいた。

「そんな大事な話、なんで会ってすぐに教えてくれないんだ……」

「いろいろ忙しかったんだよ」

「そうだよな。剣を振ったり胸ぐらをつかんだりしなきゃいけなかったもんな……」


 ラキスは、全身の力が抜ける思いを味わっていた。まずは、コンラートが実行犯だと納得させるところからはじめなければいけないと、身構えていたのだ。

 そもそも、ディーの存在をまったく当てにしなかったのは、彼がマリスターク側の人間だと思っていたからだった。護衛として任務をはたしている彼を、厄介事に巻き込みたくなかった。

 それなのに、巻き込むどころか、すでに仲間とともに調べている最中だとは……。

 

「誤解がないように言っておくが」

 腐れ縁の幼馴染が、淡々とした表情でつけ加えた。

「別におまえのために調べてやったわけじゃない。エセルシータ姫の一大事だと思ったから、本腰を入れただけだ。礼を言うには及ばないぜ」

「……言わないから安心してくれ」

「それと、もうひとつ。これも誤解がないように言っておくが──」

 

 ディークリードが、ふっと口調を変えた。わずかに低くなった声には、別の領域に踏み込んでいくときの、凄味といえるような響きがあった。

「自分の手でコンラートをどうにかしようなんて思うなよ。それをするのは、おまえの役目じゃない。マリスタークの司法の役目だ」

「……」

「今回の件、たぶんレマたちが成果を出してくるだろうから、その時点でおれは手を引くつもりだ。なぜなら、次期伯爵がどれほど残酷な男であろうと、殺人事件がどれほど非道なものであろうと──それは皆、人と人との間で起きた出来事だ。つまり管轄外なんだよ」

「管轄外……」

「大地から炎を受け取った、おれたちのような者にとっては」


 その言葉の意味を、ラキスは問い返したりしなかった。召喚した者だけがつかみとった感覚で、正しく理解したからだ。

 魔法剣を持つ者は、同時に魔物を浄化するという使命を帯びる。

 魔法の剣を振るべき相手は、魔物のみ。魔法の炎が向かっていくのは、浄化されなければ天に還ることもできない、哀れな魔性の生き物だけ──。


「おれの立場から言わせてもらうと……」

 と、ディーが言葉を継いだ。

「人間たちのいざこざよりも、それが森に与えた影響のほうに関心がある。たしかに、瘴気が人の心を狂わせることはあるかもしれない。だが、人間だって瘴気に力を与える」

 そうでなくても不安定な森の中で、大量の血が流れ落ちたらどうなるか。負の感情が荒れ狂ったらどうなるか。

 穢れた力が、どれだけ森に蓄えられたのか。

 もしかしたら──。


「もしかしたら、亀裂を引き起こすほどの力になっているかもしれない」

 まるで、古い皿にひびが入るのはあたりまえ、とでも言うような調子で、ディーがその単語を口にした。

 だが、そこから想起されるものは、ただひとつだけだった。息を呑んだラキスが、抑えた声で問いかけた。

「そして、亀裂の次は決壊……? 森の上で?」

「もしかしたらな」

「まさか──」

「十三年前も、まさかって言われてたらしいぜ。まさか、そこまでにはならないだろうって」


 ふいに寒気を感じて、ふたりはほとんど同時に焚き火のほうに目をやった。魔法ではないただの炎が、焚き木不足で、いつのまにかかなり小さくなってしまっている。

 ディーが立ち上がり、少し離れたところに残っていた枯れ枝を、いくらか取り上げた。枝先から火の中に入れていくと、ほどなく水気を含んだ白い煙が立ち昇り、炎がふたたび勢いを増しはじめた。


 立ったままでその様子を見下ろしていたディーが、ラキスに視線を戻して、にやりと笑った。

「そういうわけで、おまえが召喚に成功して、魔法剣の数を増やしてくれたってのは、実はかなりいい知らせだ。ステラ・フィデリスも人手不足なんでね。働ける奴は多ければ多いほどいい」

「登録もしてくれないくせに」

 ラキスが思い出させると、ディークリードは腕組みしてうなずいた。

「まったくだ。森を浄化して功績を上げてみろよ。向こうも考えを変えるかもしれない」

 それから、こうつけ足すのを忘れなかった。

「ただし、命と引き換えにするのだけはやめとけよ」

 

 

 その後ふたりは、時おりビスケットを噛み砕きながら、長い時間をかけて話をした。ビスケットがかたすぎて、噛んでいる間はしゃべれないという難点があったが、夜食はやはり必要だった。

 明日についての具体的なことに加えて、それ以外のことも話しておかなければならない。相手がこれまでに体験してきたことを、お互いほとんど知らない状態なのだ。

 ディーの場合は、エセル姫からある程度のことを聞いていたが、召喚ひとつをとってみても、本人が語ると語らないとではまったくちがう。

 

 頭上の月は徐々に位置を変えていき、星の相も少しづつ変化していく。こんなに長い時間ふたりだけで話したのは、実のところ、はじめてだった。

 だが、じっくり話す暇が明日あるとは思えない。今夜のうちに情報を擦り合わせておく必要がある。

 打ち合わせたわけではないが、ふたりともそんなふうに考えた。そして実際、翌日はその考え通りの成り行きとなった。




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